第十話 昔取った杵柄
会場の中央で楽団が新しい曲を奏で始めると、フェリオンがメルティナの前で軽く一礼した。
「せっかくだし、お嬢さん、ダンスを踊りませんか」
「は、はいっ」
差し出された手を取り、メルティナは緊張しながらも一歩前に出た。
あの日々の練習が、脳裏をよぎる。何度も足を踏んでしまい、その度に謝る自分と、涼しい顔で受け止めるフェリオン。数え切れないほど繰り返した練習が、今この瞬間のために積み重ねられてきたのだと、メルティナは実感していた。
フェリオンの手が腰に添えられ、音楽に合わせて二人の体が滑り出す。
最初の一歩は、驚くほど自然だった。踏み外すことへの恐れも、次の動きを考える暇もなく、体が勝手に音楽と彼のリードに応えていく。
(あれ――)
あれほど苦戦していたはずのステップが、今は呼吸をするように自然にこなせていた。フェリオンの手の動き一つ、視線一つで、次に何を求められているのかが分かる。
ターン、ステップ、そしてもう一度ターン。シャンデリアの光が、二人の衣装に反射してきらきらと揺れる。周囲の視線が集まっているのは分かっていたが、それすらもう気にならなかった。
フェリオンの動きに、迷いは一切なかった。ただ手を引くのではなく、メルティナの呼吸や歩幅を感じ取りながら、その動きに寄り添うように導いていく。まるで、最初からずっと二人でこうして踊ってきたかのような、不思議な一体感があった。
曲が緩やかに終わりへと向かう頃には、メルティナの頬は上気し、自然と笑みがこぼれていた。
最後の一音とともに、フェリオンが優雅にメルティナの体を支えながら止まる。周囲から、控えめながらも感嘆のどよめきが漏れた。
「何だか、私、ダンスが上手くなった気がします」
息を弾ませながら、メルティナは素直な感想を口にした。
「リード、お上手なんですね」
フェリオンは、少し照れくさそうに視線を逸らした。
「たいしたことない」
そして、独り言のように付け加える。
「昔取った杵柄みたいなもんだ」
「昔、ですか」
「まあ、そういうこともあった、というだけの話だ」
それ以上は語ろうとしないフェリオンの横顔に、メルティナはふと引っかかりを覚えた。
これまで幾度となく令嬢教育を受けてきたが、フェリオン自身の過去について、彼の口から詳しく語られたことはほとんどなかった。留学のこと、服飾のこと、女装を始めた経緯のこと――どれも表面的には知っていても、その奥にあるものまでは、メルティナには見えていない。
(昔、この人にも、何かあったのかもしれない)
その予感は、まだ形にならない小さな棘のように、メルティナの胸の奥にそっと引っかかった。
◇◇◇
ダンスが終わると、二人の周囲は瞬く間に賑やかになった。
メルティナのもとには、次々とダンスを申し込む令息たちが列をなし、曲が終わるたびに今度はドレスについて尋ねたい令嬢や夫人たちが押し寄せてくる。
一方のフェリオンの周りにも、遠巻きに集まる令嬢たちの姿があった。いつもと違う煌びやかな礼服をまとった公爵令息はとても魅力的に映るが、いつもは女装しているという奇行のせいで、皆どこか及び腰になっているらしかった。
結果として生まれたのは、フェリオンの周りだけぽっかりと空間が空き、その少し先で令嬢たちがざわざわと遠巻きに囲んでいるという、なんとも奇妙な光景だった。
その様子を遠くから見て、メルティナは思わず小さく笑ってしまう。
(あの人らしいと言えば、あの人らしいのかもしれない)
誰よりも人目を引きながら、誰よりも簡単には踏み込ませない。そんな彼の在り方が、今日はやけに愛おしく思えた。




