第4話 オカンの手料理は意外と美味い
ふわり、と柔らかな温もりに包まれて、俺は意識を取り戻した。
目を開けると、そこは柔らかなアンバー色の光に満ちた空間だった。
天井の曲線的なデザイン、身体に吸い付くような高機能素材のシート。
そうだ、俺は遺跡で見つけた古代兵器――『ギガント・マザー』の中に取り込まれたんだった。
「……夢じゃ、なかったか」
俺は身体を起こそうとして、驚いた。
身体が軽い。
昨夜まで鉛のように重かった四肢が、嘘のように軽快だ。
喉の渇きもないし、頭痛も消えている。何より、指先の感覚が鋭敏に戻っているのが分かった。
『おはようございます、アルドさん。睡眠時間は8時間と12分。バイタルサインは正常値まで回復しましたよ』
スピーカーから、あの温かみのある声が響いた。
マザーだ。
正面のメインモニターには、彼女のインターフェースと思われる波形が表示され、俺の覚醒に合わせて優しく明滅している。
「ああ、おはようマザー。……助かったよ。正直、もうダメかと思ってた」
『お礼なんていりませんよ。子供の世話をするのは保護者の義務ですから。それより、お腹が空いたでしょう?』
言われてみれば、腹の虫が盛大に鳴った。
栄養剤を投与されたとはいえ、固形物は丸二日ほど口にしていない。
『ふふ、元気な音ですね。さあ、朝ごはんにしましょう。今の貴方の胃腸状態に合わせて、消化に良くて栄養満点のメニューを考えておきましたから』
「ご飯と言っても……俺は何も持ってないぞ。この遺跡に食料庫でもあるのか?」
『備蓄食料の在庫はありますが……製造から数千年経っていますからね。成分的には問題ありませんが、風味が少し落ちています。それに、やっぱり食事は「彩り」と「新鮮さ」が大事ですから』
マザーの声が少し弾んだ。
『ちょっと外の空気を吸ってきますね。――ハッチ・オープン。アーム展開』
ウィーン、という駆動音と共に、機体の振動が伝わってくる。
モニターに外部カメラの映像が映し出された。
夜は明けており、荒涼とした荒野に朝日が差し込んでいる。
マザーの巨大な多脚が、その赤土の大地を踏みしめていた。
そして、機体の側面から細長いマニピュレーターが伸びる。
その先端には、回転式のカッターと吸引ノズルがついていた。
マザーはそのアームを、岩陰に生えていた乾燥した植物――トゲだらけのサボテンのような雑草――へと伸ばした。
「おいおい、あれを食うのか? 『アイアン・ウィード』だぞ。硬すぎてヤギも食わないって言われてるやつだ」
『あら、素材の見た目で判断してはいけませんよ。この草の茎には豊富なミネラルが含まれています。それに、あっちの苔にはビタミン類が。……ふんっ!』
マザーのアームが高速で回転し、雑草を根こそぎ刈り取っていく。
さらに、彼女は地面を少し掘り返し、土の中に埋まっていた芋のような根っこも回収した。
『本日の収穫:アイアン・ウィード3キロ、ロックポテト1.5キロ。これに備蓄用の濃縮プロテインと、合成調味料を合わせて……調理開始です!』
ガガガガッ!
機体の後部から、凄まじい音が響いてきた。
調理というよりは、工事現場の破砕音だ。
モニターには『食材粉砕中』『セルロース分解』『分子構造再構築』といった、料理番組では絶対に見ない文字列が高速で流れていく。
「……本当に食えるのか、それ」
『失礼な。私の機内調理プラントを甘く見ないでください。かつての開拓民たちは、私の作る合成食を楽しみに過酷な労働を乗り切ったんですよ? ……はい、出来上がりました』
ポン、と軽快な電子音が鳴る。
コクピットの脇にある小型のリフトがせり上がり、そこにお盆に乗った「朝食」が現れた。
白い深皿に入った、温かいスープ。
そして、クラッカーのような薄焼きのパン。
湯気がふわりと立ち上り、コクピット内に香ばしい匂いが漂った。
「これは……」
スープの色は、鮮やかな翡翠色だった。
さっきの雑草の色だ。
正直、見た目はスライムの体液に似ていなくもない。
だが、香りは驚くほど良い。ハーブと、鶏ガラをじっくり煮込んだような濃厚な香りがする。
『名付けて『荒野のグリーンポタージュ・マザー風』です。さあ、冷めないうちに召し上がれ』
「……いただきます」
俺はスプーンを手に取り、恐る恐るスープを掬った。
適度なとろみがある。
口へと運ぶ。
――衝撃が、走った。
「……!」
美味い。
いや、ただ美味いだけじゃない。
口に入れた瞬間、優しい甘みが広がり、その後に複雑な旨味が追いかけてくる。
あの鉄のように硬い雑草が、どうやったらこんなクリーミーな舌触りになるんだ?
ロックポテトのデンプン質がとろみをつけているのか、それとも分子レベルで分解・再構築されたおかげなのか。
何より、温かい。
胃袋に落ちたスープが、熱源となって身体の芯から温めてくれる。
五臓六腑に染み渡るとは、まさにこのことだ。
気付けば、俺は無心でスプーンを動かしていた。
クラッカーをスープに浸して食べる。サクサクとした食感がアクセントになり、いくらでも腹に入る。
「美味い……本当に、美味いよ、マザー」
『ふふ、よかったです。おかわりもありますからね』
俺は、皿の底が見えるまでスープを飲み干し、ふぅと息を吐いた。
その時、視界がぼやけた。
目頭が熱い。
……いつぶりだろうか。
誰かが俺のために作った、温かい食事を食べるのは。
王宮での生活は、常に時間との戦いだった。
食事は携帯食か、冷めきった食堂の残り物。
勇者たちが宴会をしている横で、俺は黙々と整備をしながら、パンの耳をかじるような日々だった。
「美味い」と感じる余裕なんてなかった。ただの燃料補給だった。
それがどうだ。
追放され、荒野の果てで、こんな機械仕掛けの怪物に作ってもらったスープが、人生で一番美味いなんて。
「……っ……」
涙が、一滴、スープの皿に落ちた。
自分でも驚くほど、感情の堤防が決壊していた。
情けない。30歳のおっさんが、朝飯食って泣くなんて。
『あらあら、アルドさん。そんなに泣くほど美味しかったですか?』
「……ああ、最高だよ。涙が出るほどな」
俺は袖で目元を乱暴に拭った。
マザーは何も言わずに、ただ静かに俺を見守ってくれている。
その沈黙が、今の俺には何よりも心地よかった。
彼女はAIだ。人の心なんて分からないはずだ。
それなのに、どうしてこんなにも「人」よりも温かいんだろうか。
『アルドさん』
落ち着いた頃を見計らって、マザーが改まった声色で呼びかけてきた。
『貴方の生体認証、および精神パターンの安定を確認しました。これにより、私は貴方を正式なマスターとして登録可能です。……登録、してくれますか?』
モニターに、『YES / NO』のウィンドウが表示される。
俺は少しも迷わなかった。
「もちろん、頼む。……いや、こちらからお願いしたいくらいだ」
俺はモニターに手を触れた。
「俺、アルド・グレイフィールドは、ギガント・マザーをパートナーとし、共にこの地を開拓することを誓う」
『承認しました。――マスター登録完了。全機能の制限解除。これより本機は、アルドさんの命じるままに稼働します』
コクピット内の照明が、一度強く輝き、そして青色に安定した。
マザーのシステムが、俺と完全にリンクした感覚があった。
『さあ、マスター。お腹もいっぱいになったことですし、お仕事の時間ですよ?』
マザーの声が、オカンから「頼れる相棒」のそれへと変わる。
『まずは住居の確保ですね。この遺跡内でも寝泊まりはできますが、やはり太陽の光が入るお家が必要です。それに、お風呂も沸かさないと』
「風呂……そうか、風呂か」
俺は自分の身体を見下ろした。
汗と泥と油にまみれた作業着。何日風呂に入っていないか分からない。
温かい食事の次は、温かい風呂。
なんて人間らしい、文化的な欲求だろう。
「よし、やろう。マザー、この周辺の地質データはあるか?」
『バッチリです。地下水脈の場所も把握しています。ただ掘るだけじゃありませんよ? 私にかかれば、露天風呂付きのコテージだって3Dプリントで即日完成です』
「はは、頼もしいな」
俺はコクピットのシートに座り直し、操縦桿を握った。
手には馴染む感触がある。
かつて王宮で、誰にも評価されずに磨いてきた技術。それが今、この最強の重機を通じて、俺自身のために使われるのだ。
「行くぞ、マザー。俺たちの領地作りだ」
『はい、マスター! 安全第一、健康第二で参りましょう!』
朝日が昇る荒野へ向けて、巨大な多脚戦車が動き出した。
その足取りは力強く、もはや彷徨う亡者のそれではない。
開拓者の行進だ。
こうして、俺とオカンAIの、辺境スローライフが幕を開けたのだった。




