第14話 難民受け入れと仮設住宅群
リーリャの劇的な回復と、マザーの設備による入浴という衝撃的な洗礼から一夜が明けた。
拠点は、いつもより賑やかな、そして微かな希望に満ちた朝を迎えている。
「おはようございます、領主殿」
居住ユニットから外に出ると、すっかり血の気を取り戻したエルフたちが、口々に挨拶をしてきた。
彼らの顔色は昨日の蒼白さが嘘のように良い。俺が昨夜振る舞った黄金色の特製スープと、安全な寝床のおかげだろう。昨夜はまだ簡易的な天幕と寝袋での野営だったが、それでもオークの恐怖に怯える森の夜に比べれば、天国のような安らぎだったはずだ。
子供たちはシロと一緒に、青々と茂る巨大なキャベツ畑の周りを駆け回っている。シロも新しい遊び相手ができて嬉しそうだ。
「……よく眠れたようだな」
俺が短く声をかけると、代表してリーリャが進み出てきた。
マザーが用意した機能的な衣服に身を包み、艶やかな黒髪を風になびかせる姿は、昨日の傷だらけだった状態とは別人のように凛としている。
「ああ、感謝する、アルド。これほど安心して眠れたのは、森を追われて以来初めてだ。夜警をしてくれたマザーにも礼を言っておいてくれ」
リーリャは深く頭を下げた後、すぐに真剣な眼差しになり、背筋を伸ばした。
「だが、いつまでも客人気分で庇護に甘えているわけにはいかない。私たちは家も、財産も失った身だ。この地で暮らす対価として、何かできることはないだろうか。ただ恵みを受けるだけでは、エルフの矜持に関わる」
彼女の言葉に、他のエルフたちも力強く頷いた。
誇り高い森の民だ。一方的に施しを受けるのは、彼らの魂が許さないのだろう。それに、彼らの瞳には、生きるために働きたいという純粋な意欲の光が宿っている。
「……そうだな。正直、人手が増えるのは助かる」
俺は頷いた。
マザーは圧倒的な性能を持つ重機だが、作物の繊細な世話や、将来的にここを街として運営していくには、どうしても人の手と生活の息遣いが不可欠になる。
「だが、まずは住居の確保だ。天幕のままでは、荒野の冷え込む夜は長く越せない。しっかりとした家が必要だ」
『マスター、それならば準備は完了しています』
タイミングよく、広場にマザーの落ち着いた声が響いた。
待機していたマザーの巨体が、低く重厚な駆動音を響かせながら起動する。
『昨夜のうちに皆様の身体情報を解析し、最適な居住区画の設計図を作成済みです。近隣の岩山から採取した資材の精製も終えています。エルフの皆様の生活様式を考慮した、自然と調和する集合住居をご用意しました』
「相変わらず手回しがいいな。場所は」
『拠点の西側、畑と防風用の岩壁の間です。日当たり良好、温泉までの経路も確保してあります。皆様、少し下がっていてください。――立体造形、開始します』
ズウンッ……!
マザーが移動し、腹部から巨大な造形用の腕部を展開する。
先端のノズルから吐き出されるのは、荒野の土砂を分子レベルで再構成し、植物繊維を編み込むように混ぜ合わせた特殊な結合建材だ。
石造りの堅牢さと、木の温かみ、そして高い通気性を兼ね備えた素材である。
ウィィィィィン……。
規則的な駆動音と共に、何もない大地から分厚い壁が競り上がっていく。
一層、また一層。まるで巨大な植物が急速に成長するように。
エルフたちが声も出せずに凝視する中、建物はまたたく間にその形を成していく。
「……信じられん。土属性の最上位魔法でも、これほど速く精密には作れまい」
「見ろ、あの壁の曲線……まるで大樹の幹のようだ」
今回マザーが構築しているのは、俺が住んでいるような無骨な箱型のユニットではない。
緩やかな曲線を描く屋根、各戸に設けられた広めの張り出し舞台、そして蔦が這いやすいように加工された凹凸のある外壁。
エルフたちが住み慣れた森の住処の意匠を再現した、二階建ての長屋風集合住居だ。
全二十世帯が入居可能で、各部屋には流水設備と調理場、浄化機構付きの厠が完備されている。
わずか二時間後。
そこには、真新しい石と土の香りが漂う立派な住居が出現していた。
『完成です。第一居住区画、稼働状態に入りました』
「これが、私たちの新しい家……?」
リーリャがおずおずと建物の壁に触れた。
冷たい石ではなく、太陽の熱を含んだ温かい手触り。
はめ込まれた透明なガラスには、荒野の青空が映り込んでいる。
「アルド、マザー……。本当に、何と礼を言えばいいか。この恩は、必ず返す。命にかえても」
「命は張らなくていい。その代わり、早速だが仕事を頼めるか」
俺は背後に広がる広大な畑の方を指差した。
「この荒野に畑を作ったが、俺一人では到底管理しきれない。森の民である君たちの知識と技術を貸してほしい。植物の声を聴き、育てるのは、君たちの専門だろう」
エルフは植物の扱いに長けている。彼らの精霊魔法や独自の知識があれば、作物の状態を的確に診断し、害虫を遠ざけることも可能だ。彼らの手にかかれば、エーテル水で育つ作物の品質はさらに安定するはずだ。
「農作業か。望むところだ。土に触れる仕事なら任せてくれ」
「森の恵みを育てるのは、我らの誇りです。荒れた土地を蘇らせた経験もあります」
エルフたちが目を輝かせた。
理不尽な暴力からの逃避行ではなく、土に触れ、緑を育む。それは彼らにとって最も尊い営みであり、生きがいなのだ。
こうして、エルフたちは晴れてこの領地の領民となり、温室や露地栽培での農作物の管理を正式に任されることになった。
夜。
エルフたちが新居での生活を始め、領内が本来の静けさを取り戻した頃。
俺は自分の居住ユニットに戻っていた。
「わんっ!」
分厚い防音ドアを開けた瞬間、銀色の毛玉が飛び込んできた。
シロだ。
尻尾が千切れそうなほど激しく振られている。俺の足元をくるくると回り、ズボンの裾を軽く噛んで引っ張る。
「ただいま、シロ」
しゃがんで頭を撫でてやると、シロは嬉しそうに俺の手を舐め、すぐに調理設備の方へと走り出した。
そして振り返り、早く来いと言わんばかりに前足を踏み鳴らす。
「……腹が減ったか」
俺は微かに口角を上げ、手洗いを済ませてから調理設備へと向かう。
今日はエルフたちの対応で忙しく、シロの夕食が少し遅くなってしまったのだ。
俺は袖をまくり、シロのための夕食作りに取り掛かった。
マザーが弾き出した必要な栄養素の配分に従い、俺の手で幼獣用の特別食を仕込んでいく。細かく刻んで柔らかく煮込んだ備蓄の乾燥肉と、消化に良いようにペースト状にした昨日の残りの野菜、そして骨格を形成するための砕いた骨粉を絶妙な配分で混ぜ合わせる。
火にかけながら丁寧に練り上げると、湯気と共に肉と野菜の優しい出汁の香りが漂ってきた。
「よし、シロ。飯だ」
俺が木鉢を持って部屋の隅の所定位置に行くと、シロはもう待ちきれない様子で、その場でお座りをしていた。
背筋をピンと伸ばし、目は木鉢に釘付けだ。
だが、尻尾だけは正直に床を叩いている。
「……待て」
俺が低く命じると、シロは情けない声を出しながらも、じっと我慢する。
野生の狼だった頃の警戒心は薄れ、群れの長に対する従順な姿勢が身についている。
「……よし」
許可が出た瞬間、シロは猛然と木鉢に顔を突っ込んだ。
一心不乱に食べる音が部屋に響く。
鼻先に肉汁がついても気にしない。時折、喉を鳴らすような音を立てて、夢中で平らげていく。
「急がなくても、誰も取らない」
俺は床に腰を下ろし、その小さな背中を優しく撫でた。
昨日の別れの時、家族の元へ帰らず、俺の足元を選んでくれた小さな命。
自分で手をかけて作った食事を、この子が無防備に食べている姿を見るだけで、一日の疲労が静かに溶けていくようだった。
『シロちゃん、食欲旺盛ですね。栄養状態も完璧です。この摂取量なら、あと数ヶ月で立派な成獣の骨格になりますよ』
「成獣か。どのくらい大きくなるんだ」
『シルバーウルフの成獣は、体高一メートルを超えます。背中に人を乗せて走れるほどの強靭な身体になります』
「そうか。今のこの姿からは想像つかないな」
俺はシロの丸い背中を見つめた。
今はこんなにちんまりとしているが、いつかは俺の頼れる相棒として荒野を駆ける日が来るのだろう。
それは心強いが、この愛くるしい時期があっという間に過ぎてしまうのは、少し惜しい気もする。
そうこうしているうちに、シロは木鉢の中身を綺麗に舐め尽くした。
一滴も残っていない。見事な完食だ。
顔を上げたシロの口周りは、見事に汚れていた。
鼻の頭にも野菜の欠片がついている。
満足げに一鳴きすると、シロは俺の膝の上に前足を乗せ、顔を押し付けてきた。
「……顔、拭くぞ」
俺は用意していた濡れ布巾で、シロの口周りを丁寧に拭いてやった。
シロは気持ちよさそうに目を細め、されるがままになっている。
拭き終わると、シロは仰向けになり、無防備にお腹を見せた。
「……野生はどうした、野生は」
口では呆れたように言いながらも、俺の手は自然と柔らかい腹へと伸びる。
撫でると、シロは大きくあくびをして、さらに脱力した様子で身を委ねてきた。
温かくて、柔らかい命の鼓動。
『ふふ、マスターもシロちゃんも、とても安らかな顔をしていますね』
マザーが静かに言った。
「ああ……。悪くない夜だ」
ここには、俺を待っていてくれる存在がいる。
俺が手間をかけて作った食事を、心待ちにしてくれる家族がいる。
シロはしばらく撫でられていたが、やがて満腹感と安心感からか、俺の膝に頭を乗せてウトウトし始めた。
規則正しい寝息が聞こえてくる。
「……おやすみ、シロ」
俺はシロを起こさないように、そっと抱き上げて専用の寝床へと運んだ。
シロは一度薄く目を開けたが、すぐにまた目を閉じ、深い眠りの中へと落ちていった。
俺はその寝顔をしばらく眺めてから、荒野で採れた野草を焙煎した代用茶を淹れた。
静かな夜。
窓の外には、エルフたちの住む新しい居住区の明かりが微かに見えている。
あそこでも今頃、満ち足りた食事を終え、安らかな眠りについていることだろう。
領地は少しずつ、確かな形になり始めている。
守るべき命が増え、責任も増えた。
だが、それは俺をすり減らす重荷ではなく、明日を生きるための静かな熱源になっていた。
俺は温かい茶を一口啜り、夜空を見上げた。
明日はどんな一日になるだろうか。
俺はゆっくりと息を吐き、部屋の明かりを落とした。




