第13話 エルフ、文明の利器に戦慄する
居住ユニットの清潔なベッドで目覚め、アルドから温かいハーブティーを受け取ったリーリャ。
彼女がいくらか落ち着きを取り戻した頃、頭上のスピーカーから柔らかな声が響いた。
『リーリャさん、おはようございます。体調はいかがですか』
「っ……こ、この声は、昨日の鉄の巨人か」
リーリャが身構え、周囲を鋭く見回す。
アルドは小さく息をつき、手で制した。
「気にするな。こいつはマザー。この拠点……というか、俺たちの生活基盤を管理している相棒だ。姿は見えないが、至る所に接続されている」
「姿は見えないが、どこにでも……。それはまるで、精霊のようだな」
『精霊だなんて、照れますね。私はただの汎用開拓重機の中枢システムですよ』
マザーの謙遜はリーリャには通じていないようだったが、少なくとも敵意がないことは伝わったらしい。
彼女は少し緊張を解いたが、すぐに自分の着ているものを見下ろし、わずかに身をすくめた。
「あの……アルド。命を救ってもらってなんだが……私は昨日から、ずっとこの格好なのか」
彼女が着ているのは、マザーが合成繊維で編み上げた極上の寝間着だ。
着心地は最高なのだが、薄手ゆえに身体の線がはっきりと出てしまう。それに、昨日の死闘でかいた汗や泥は治療装置で落ちたとはいえ、目覚めた後はやはり精神的にさっぱりしたいという欲求があるのだろう。
「ああ、気が回らなくてすまない。着替えは用意させてある。……その前に、汗を流したいか」
「……できるなら、そうしたい。水浴びができる川などは近くにあるのか」
「川はないが、もっといい設備がある。案内しよう」
アルドに案内されたのは、居住ユニットの一角にある小部屋だった。
白く輝く石英のような素材で覆われた床と壁。大きな鏡。銀色の管や取っ手が壁から突き出している。
「使い方は簡単だ。この取っ手を右に回すと冷水、左に回すと温水が出る。熱の調整はこっちの弁で行う。身体を洗うための石鹸類はそこに置いてあるから、自由に使ってくれ」
必要な説明だけを手短に済ませ、アルドは部屋を出ていった。
一人残されたリーリャは、おずおずと降り注ぐ湯の下に手を差し出した。
温かい。そして、一定の温度が完璧に保たれている。
エルフの森でも、温浴をするには薪を集め、大鍋で湯を沸かして運ぶという重労働が必要だった。それが、この金属の取っ手を捻るだけで、絶え間なく湧き出している。
「……ここは、本当に現実なのだろうか」
彼女は衣類を脱ぎ、温かい湯の奔流に身を委ねた。
備え付けの液体を髪に馴染ませると、森の花にも似た芳しい香りが広がり、指通りが滑らかになる。
こびりついていた汚れと共に、心に巣食っていた不安や、オークに追われていた死の恐怖までが、音を立てて洗い流されていくようだった。
「ふぅぅ……」
深い安堵の吐息が漏れる。
たっぷりと湯を堪能し、浴室を出る。
脱衣所には、新しい服が置かれていた。エルフの民族衣装の意匠を残しつつ、丈夫で伸縮性のある素材で作られた極めて機能的な衣服だ。マザーが昨晩のうちに身体情報を計測し、立体造形機構で出力したものらしい。
鏡の前に、持ち手のついた奇妙な筒が置かれている。
壁の案内板に従って突起を押し込むと、筒の先から温かい風が噴き出した。
最初は目を丸くしたリーリャだったが、濡れた髪に当ててみると、みるみるうちに水分が飛び、髪がふわりと乾いていく。熱すぎず、髪を傷めない絶妙な温度。
布で拭き、焚き火のそばで自然乾燥させるしか知らなかった彼女は、その心地よい風に目を細め、静かに身を委ねた。
身支度を整えたリーリャは、そのままアルドの案内で領内の視察に出た。
マザーによって完全に整地された広大な敷地、青々と茂る巨大な野菜畑、そして同胞たちが休んでいる仮設の居住区。
リーリャは見るもの全てに静かに感嘆し、無言で頷くアルドの背中を追いかけていた。
昼時になり、日差しが強くなってきた頃。
二人は木陰に設営された休憩所で足を止めた。
「少し暑くなってきたな。……リーリャ、腹は減ったか」
「ああ。色々と見せてもらって、随分と歩いたからな」
「なら、昼飯にしよう」
アルドはマザーの側面から展開された調理区画に立った。
取り出したのは、備蓄の乾燥肉と、今朝畑から収穫したばかりの特大のトマト、そして荒野で採集した香りの強い野草だ。
アルドは無言でセラミック製の刃を振るい、硬い乾燥肉を極限まで薄く削ぎ切りにしていく。そこに野草を刻んで混ぜ込み、備蓄の発酵調味料を加えて手早く揉み込む。
熱した鉄板に油を引き、下味をつけた肉を乗せる。
ジュウウウゥゥッ、と脂が落ち、香ばしい匂いが立ち上る。
アルドは火の通りを完璧に見極め、表面がカリッと焼けたところで、ざく切りにしたトマトを一気に投入した。
無駄口を叩かず、黙々と作業をこなすその背中は、確かな技術を持つ職人そのものだった。トマトの水分が肉の旨味を絡め取り、酸味と香ばしさが一体となっていく。
手際よく皿に盛り付け、傍らに冷たい地下水を注いだ木組みの杯を添える。地下水には、絞ったトマトの果汁とわずかな糖蜜が混ぜられており、淡い赤色に染まっていた。
「待たせたな。食べてくれ」
リーリャの前に、温かい肉料理と冷たい果実水が並べられた。
「いただきます」
リーリャは肉とトマトを一緒に突き、口に運んだ。
炭火で焼いた肉の香ばしさと、発酵調味料の深い旨味が広がる。そこに、完熟トマトの優しい酸味と野草の爽やかさが絶妙に絡み合い、乾燥肉特有のパサつきを見事に消し去っていた。
「……美味しい」
大げさな驚きはなかった。
ただ、身体の芯からじんわりと温かくなるような、深い安らぎの味がした。
過酷な森でのサバイバルと、オークの恐怖に怯えていた日々。その張り詰めていた心が、この素朴で丁寧な食事によって優しく解きほぐされていく。
リーリャは静かに、しかし確かな味わいを噛み締めながら、次々と肉を口に運ぶ。
喉が渇いたところで、冷たい果実水を飲む。
地下水の冷たさと、微かな甘みが火照った身体を優しく冷ましてくれる。
「とても、心が落ち着く味だ。……森を追われてから、こんなに穏やかな気持ちで食事をしたのは初めてかもしれない」
「口に合ったなら何よりだ」
アルドも静かに肉を咀嚼し、満足そうに頷いた。
その落ち着いた横顔を見て、リーリャの胸の奥に温かいものが広がった。
この男は、神の如き魔法の道具を使いこなしながら、こうして自らの手で手間暇をかけ、客人のために料理を作り、振る舞ってくれる。
その人間としての温かさと、確かな生活の息遣いが、何よりも嬉しかった。
「アルド。お前は、本当にすごい男だな」
「俺じゃない。マザーの設備と、この土地の恵みのおかげだ」
「いいや。この味は、お前の技術と思いやりにしか出せないものだ」
リーリャは真っ直ぐにアルドの目を見つめた。
圧倒的な古代の技術も凄いが、それを使う彼の心こそが、この地を真の安息の場所にしているのだと確信した。
「ごちそうさまでした。……素晴らしいもてなしだった」
彼女は静かに微笑み、深く頭を下げた。
アルドはどこまでも平常運転で、「午後も視察は続くぞ」と短く返し、空になった皿を片付け始める。
上空では、マザーの小型飛行端末が、二人を静かに見守るように一定の距離を保って旋回していた。
誇り高きエルフの戦士は、この静かで確かな生活の営みに触れ、この地で彼らと共に生きていく覚悟を密かに固めていくのだった。




