第12話 治療カプセルと栄養点滴
夕闇が迫る荒野を、ギガント・マザーは疾走していた。
その背中に増設されたカーゴスペースには、救出した数十名のエルフたちが、泥と煤にまみれた体を寄せ合い、不安げな表情で震えている。
無理もない。彼らにとってマザーは、ついさっきオークの群れを蹴散らした「鉄の怪物」なのだから。
コクピットの中では、俺の膝の上でシロが丸くなっていた。
先ほどの別れで少し疲れたのか、安心したように寝息を立てている。その温もりが、俺の焦る気持ちを少しだけ和らげてくれた。
『マスター、後部座席の気温を調整しました。シートヒーターもオンにしてあります』
コクピットのスピーカーから、マザーの気遣わしげな声が響く。
「助かるよ、マザー。みんな衰弱しきってるからな」
俺はカーゴルームの様子をモニターで確認した。
温かい空気が供給されたことで、凍えていた子供たちの表情が少し和らいでいる。
だが、俺の腕の中で気を失っている少女――リーリャの顔色は、蝋のように白いままだ。
呼吸が浅い。
左腕の傷口からは、簡易的な止血をしたにもかかわらず、まだ赤い血が滲み出している。
『バイタル低下。心拍数、危険域まであとわずかです。……急ぎましょう、マスター』
「ああ、頼む!」
マザーの脚部が唸りを上げ、さらに速度を増す。
拠点まではあと少しだ。
日が完全に落ち、満点の星空が広がる頃、俺たちは拠点『テラ・テルマエ』へと帰還した。
居住ユニットの明かりと、湯気を上げる温泉が見えた瞬間、俺は心の底から安堵した。
「着いたぞ! ここが俺たちの家だ!」
俺が声をかけると、エルフたちが恐る恐る顔を上げた。
彼らの目に飛び込んできたのは、整地された平らな大地と、青々と茂る野菜畑、そして黄金色に輝く露天風呂という、荒野にあるまじき光景だった。
「こ、ここは……?」
「水がある……それに、温かい……」
エルフたちがざわめく中、マザーがゆっくりと停車し、カーゴハッチを開放した。
『ようこそ、迷える子羊さんたち。ここは安全ですよ。オークも、怖い魔物もいません』
マザーの外部スピーカーから、慈愛に満ちた声が流れる。
俺はハッチを開け、シロと一緒に地面に降りた。
「わふっ!」
シロが元気よく吠え、エルフたちの足元へトテトテと駆け寄っていく。
怯えていた子供たちが、愛らしい子犬の姿に目を見開いた。シロは子供たちの顔をペロペロと舐め、尻尾をブンブン振って歓迎の意を示す。
その無邪気な姿に、緊張の糸が切れたのか、エルフの一人がその場に泣き崩れた。
「まずは彼らに食事と休息を。マザー、温かいスープを配給してくれ。……いや、待て」
俺は考え直した。
スープもいいが、彼らは心身ともに限界だ。
ただ腹を満たすだけでなく、生きる気力を取り戻させるような、滋養のある「ご馳走」が必要だ。
「俺が作る。とびきりのやつをな」
『了解しました。では、マスター。そのお嬢さんは一刻を争います。私の機体内部へ運んでください。緊急治療を行います』
マザーの単眼が、俺の腕の中にあるリーリャを捉えた。
「分かった!」
俺はリーリャを抱きかかえたまま、マザーのコクピット奥にある「医療区画」へと走った。
プシュウゥゥ……。
普段は閉ざされている隔壁が開く。
そこは、無骨な外見からは想像もつかないほど、清潔で真っ白な空間だった。
部屋の中央には、ガラスのような素材でできた透明なカプセル――医療ポッドが鎮座していた。
『そこのカプセルに寝かせてください。スキャンと同時に、汚染物質の除去も行います』
俺は指示通り、リーリャをポッドの中に横たえた。
カプセルの蓋が静かに閉まり、密閉される。
『治療シークエンス、起動。……スキャン開始』
青白い光のリングが、リーリャの頭からつま先へと移動していく。
空中にホログラムウィンドウが展開され、彼女の身体情報が赤色のアラートと共に表示されていく。
『……ひどいですね』
マザーの声が低く沈んだ。
『左腕の裂傷は骨まで達しています。全身打撲、肋骨にヒビが3箇所。極度の栄養失調に、脱水症状。さらに、魔力枯渇による回路のショート……。よくここまで意識を保っていられたものです』
「……仲間を守るために、無理をしていたんだ」
俺は拳を握りしめた。
あの時、彼女はたった一人で殿を務めていた。自分が倒れれば終わりだと分かっていたからだ。
『責任感が強くて、無茶をする子……。嫌いじゃありませんよ、こういう子は』
マザーのアームが動き、ポッドに数本のチューブを接続した。
薄緑色の細胞修復液が注がれていく。
『損傷した組織をナノマシンが縫合し、急速再生させます。同時に、枯渇した魔力を外部から補填。……ふふ、やっぱり』
マザーが何かに気づいたように声を弾ませた。
「どうした?」
『いえ、近くで見ると本当に整った顔立ちをしているなと思いまして。褐色の肌に、意思の強そうな瞳。それに、スキャンデータによると将来有望なプロポーションです』
治療中に何を分析しているんだ。
『性格も、仲間思いで真面目ときた。……マスター、聞こえますか?』
マザーが、俺だけに聞こえるような小声で囁いてきた。
『(あら可愛い子。うちの嫁にどうかしら?)』
「……は?」
『(いえね、マスターももう30歳でしょう? そろそろ身を固めてもいい頃合いかと。この子なら、私の『嫁審査基準』をクリアできそうです)』
「何を言ってるんだ、お前は……! 治療に集中しろ!」
俺は思わず顔を赤くして怒鳴った。
瀕死の重傷者を前にして、なんて呑気なことを考えているんだ、このオカンは。
『冗談ですよ。……さあ、ここからは時間がかかります。マスターは外で、他のエルフさんたちのケアをお願いします。この子は私が、責任を持って「ピカピカ」に治しておきますから』
「……頼んだぞ」
俺はもう一度ポッドの中のリーリャを見た。
薄緑色の液体の中で眠る彼女は、安らかな表情を浮かべていた。
俺は医療区画を出て、キッチンへと向かった。
居住ユニットの前に簡易的なテーブルを並べ、エルフたちに座ってもらう。
シロが足元をちょろちょろと動き回り、子供たちの相手をしてくれている。おかげで彼らの表情も少し和らいでいるようだ。
俺はマザーから展開されたキッチンユニットに立ち、袖をまくった。
「さて、今日は特別な食材があるんだったな」
俺が冷蔵庫から取り出したのは、先日地下湖の調査で捕獲した巨大な甲殻類だ。
「鎧海老」。
深海に生息する古代種で、大人の腕ほどもある太い胴体と、鋼鉄のように硬い青黒い殻を持っている。だが、その中身は極上の美味であることを、俺の「食材鑑定」スキルが見抜いていた。
「まずは下処理だ」
俺は一本のナイフを手に取った。
マザーの工作機械で作ってもらった、高硬度セラミック製の万能ナイフだ。
王城を追われた時、俺は工具一つ持っていなかった。だが今、マザーという最高の工房を得て、俺は再び道具を手にしている。
刃先に魔力を通すと、白磁のような刃が淡く発光した。
硬い殻の隙間に切っ先を差し込み、手首を返して一気に断ち切る。
バキッ! という音がして、頭部と胴体が切り離される。
新鮮なミソが詰まっているのが見える。
「胴体は背開きにする」
ザクリ、ザクリ。
マザー製のナイフは恐ろしいほどの切れ味だ。硬い殻を紙のように切り裂いていく。
開いた身から背わたを丁寧に取り除く。
現れたのは、透き通るようなプリプリの白身だ。
「よし。豪快に焼くぞ」
熱した鉄板に、たっぷりのバターを溶かす。
ジュワアアァァ……!
芳醇な香りが立ち上り、不安そうにしていたエルフたちが一斉に鼻をひくひくさせた。
そこに、開いたロブスターを殻側から乗せる。
ジジジジジッ!!
高温で殻が焼ける香ばしい匂い。甲殻類特有の、食欲を直撃する香りだ。
殻が鮮やかな赤色に変わっていく。
「ここで白ワインで蒸し焼きだ!」
酒を振りかけ、すぐに蓋をする。
ボワッ! と炎が上がり、アルコールが飛ぶ。
蓋の中で蒸気が回り、身をふっくらと蒸し上げていく。
その間にソースを作る。
ロブスターの頭と殻を砕き、別の鍋でオリーブオイルと共に炒める。
香味野菜を加え、さらにトマトペーストを投入。
水を加えて煮詰め、殻から濃厚な旨味を抽出する。
これを濾して、生クリームとバターで仕上げれば、濃厚な「甲殻ソース」の完成だ。
「焼き上がりだ!」
蓋を開ける。
真っ白な湯気と共に、甘く濃厚な香りが爆発した。
身はふっくらと膨らみ、半透明から美しい白色に変わっている。弾力が目に見えるようだ。
皿に盛り付け、特製の甲殻ソースをたっぷりとかける。
仕上げに、刻んだパセリと、荒野で採れたピンクペッパーを散らす。
赤と白、そして緑のコントラストが美しい。
「さあ、飲み物も忘れずにな」
こってりとしたバター焼きには、さっぱりとした飲み物が合う。
用意したのは「シトロン」という柑橘類だ。
酸味が強く、爽やかな香りが特徴の果実。
これを半分に切り、ギューッと果汁を絞る。
そこに蜂蜜を溶かし、マザー特製の強炭酸水を注ぐ。
シュワワワワ……!
氷のカランという音が涼やかだ。
ミントの葉を添えれば、「特製シトロンの炭酸水」の完成だ。
「お待たせしました。温かいうちにどうぞ」
俺は料理をエルフたちに配った。
彼らは信じられないものを見る目で皿を見つめている。
「こ、これは……魔物の肉か? こんなに良い匂いがするなんて……」
「飲み物も、シュワシュワ言っているぞ……」
一人の子供が、我慢できずにロブスターにかぶりついた。
「!!」
子供の目が大きく見開かれた。
プリッとした弾力のある歯ごたえ。噛めば噛むほど溢れ出す、濃厚な海老の甘みと旨味。
そこにバターのコクと、トマトクリームソースの酸味が絡み合う。
「おいしい……! お母さん、これ、すっごくおいしいよ!」
その声を合図に、大人たちも食べ始めた。
あちこちから感嘆の声が上がる。
涙を流しながら食べる者もいる。
極限状態にあった彼らの体に、滋養と「生きる喜び」が染み渡っていく。
そして、シトロンの炭酸水をごくり。
シュワッとした泡と、柑橘の爽やかな酸味が、口の中の油分を洗い流し、乾いた喉を潤す。
「ふぅ……。生き返るようだ……」
エルフたちの顔に、ようやく血の気が戻り、笑顔が浮かんだ。
シロも子供たちのおこぼれをもらい、嬉しそうに尻尾を振っている。
俺はその光景を見て、ほっと息をついた。
料理には、人を癒やす力がある。それを改めて実感した瞬間だった。
翌朝。
居住ユニットのベッドで、リーリャは目を覚ました。
痛みはない。体は羽のように軽い。
傷跡一つない自分の腕を見て、彼女は呆然とした。
「目が覚めたか?」
入り口にアルドが立っていた。
手には温かいスープを持っている。
「お前は……昨日の……」
「俺はアルド。ここの領主だ。……安心しろ、ここは安全だぞ」
「アルド……。私は、生きて……」
「ああ。マザーの集中治療のおかげだ。……みんなも無事だぞ。外で朝飯を食ってる」
その言葉に、リーリャの瞳から大粒の涙が溢れた。
彼女は震える声で、何度も礼を言った。
「ありがとう……。ありがとう……」
こうして、俺たちの領地に最初の「領民」が加わった。
それは同時に、この場所が単なる隠れ家から、本当の意味での「国」へと変わり始める第一歩でもあった。
マザーの「嫁探し計画」が、水面下で進行していることを除けば、全ては順調だった。




