第11話 森を追われたエルフたち
黄金色の温泉を掘り当て、ささやかな宴を開いてから数日が経った。
拠点『テラ・テルマエ』は、今日も平和そのものだ。
「わんっ! わんっ!」
元気な鳴き声が、朝の澄んだ空気に響き渡る。
畑の畝の間を、銀色の毛玉が弾丸のように駆け抜けていく。
我が家の新しい家族、シルバーウルフの幼体『シロ』だ。
拾った時は骨と皮だけだったのが嘘のように、今はふっくらとした毛並みを取り戻し、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
「こらシロ! トマトの苗を掘り返すな!」
俺が声を上げると、シロはピタリと止まり、クルッと振り返った。
そして、小首をかしげ、潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。
『ボク、なにもしてないよ?』と言わんばかりの、あざとい上目遣いだ。
「くっ……。その顔をすれば許されると思ってるな……?」
可愛い。悔しいが可愛い。
ピンと立った三角耳、ふさふさの尻尾、そして少し短めの足。
狼というよりは、愛玩犬のような愛くるしさだ。
俺が屈み込んで手を広げると、シロは嬉しそうに飛び込んできた。
顔中をベロベロと舐め回される。ミルクの甘い匂いがした。
『あらあら、シロちゃんは甘えん坊ですねぇ。でもマスター、躾は大事ですよ?』
頭上からマザーのドローンが降りてくる。
丸いボディに小さなアームがついたその姿は、どことなくマザー本体のデフォルメ版のようだ。
「分かってるよ。でも、元気なのは良いことだろ?」
『ええ、もちろんです。骨折の経過も良好。栄養状態もA判定。……ふふ、あんなに小さかった子が、こんなに走り回れるようになるなんて』
マザーの声が、完全に孫の成長を見守る祖母のそれだ。
最近のマザーは、本体で大規模な建築や製造を行いながら、こうして子機を使ってシロの世話や畑の管理をするのが日課になっている。
マルチタスクもいいところだが、本人は『家事と育児はAIの嗜みです』と言って楽しそうだ。
俺はシロを抱き上げ、目の前の畑を見渡した。
地下から汲み上げた「エーテル水」の効果は凄まじかった。
数日前に植えたばかりの野菜たちが、すでに収穫時期を迎えている。
真っ赤に熟れたトマト、地面から頭を出す巨大な大根、そして瑞々しい葉を広げるレタス。
通常なら数ヶ月かかる成長サイクルが、わずか数日に短縮されているのだ。
「これなら、食いっぱぐれる心配はないな」
俺は完熟トマトを一つもぎ取り、服で拭いてかぶりついた。
ジュワッと甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。
味が濃い。昔、王都の市場で買った高級トマトよりも数段美味い。
「シロ、お前も食うか?」
トマトを差し出すと、シロは鼻をひくひくさせて匂いを嗅ぎ、パクッと一口食べた。
そして「うまい!」と叫ぶように「わふっ!」と吠えた。
穏やかな時間。
追放された直後の絶望が嘘のような、満ち足りた日々。
俺はこのまま、マザーとシロと一緒に、この荒野の楽園でのんびり暮らしていくのだろう。
そう思っていた。
――その時までは。
『……マスター』
マザーの声色が、ふと変わった。
いつもの温かみが消え、冷徹な機械のそれに切り替わる。
シロも何かを感じ取ったのか、俺の腕の中で低く唸り声を上げた。
「どうした、マザー」
『長距離センサーに反応。……北東の方角、距離15キロ地点にて、大規模な熱源反応と魔力変動を探知しました』
「熱源? またワイバーンか?」
『いいえ。空中ではなく、地上です。広範囲にわたって……森が燃えています』
「森が?」
俺は北東の空を見上げた。
雲ひとつない青空の彼方に、うっすらと黒い筋が立ち上っているのが見えた。
黒煙だ。
北東には、かつて俺がこの遺跡を目指して歩いてきた時に避けた、「迷いの森」と呼ばれる樹海があるはずだ。
魔物が多く生息するため、人は近づかない場所だと聞いていたが。
『火災だけではありません。多数の生体反応が、森からこちらに向かって移動しています。追う者と、追われる者……戦闘状態にあるようです』
「戦闘……」
俺の脳裏に、嫌な予感がよぎった。
ここは人里離れた荒野だ。
冒険者が魔物と戦っているのか? それとも、魔物同士の縄張り争いか?
『解析完了。逃げている反応は人型。数は……十数体。追っているのは、オーク種の群れです。数は五十を超えています』
「オークの群れだと!?」
オーク。豚の顔を持つ亜人型の魔物だ。
単体ならそこまで強くはないが、奴らは群れで行動し、何より繁殖のために異種族の女性をさらう習性がある。
もっとも忌み嫌われる魔物の一つだ。
『マスター、どうしますか? ここからでは距離がありますが、私の主砲なら援護射撃は可能です。ただし、森ごと焼き払うことになりますが』
マザーが淡々と提案する。
相変わらず物騒なオカンだ。
「いや、森を焼くのはまずい。それに、逃げている人たちが巻き添えになる」
俺はシロを地面に降ろし、居住ユニットへと走った。
壁にかけてあった作業用ゴーグルを装着し、マザーの本体へと向かう。
「マザー、出動だ。救助に行くぞ」
『了解しました。マスター、シートベルトをしっかり締めてくださいね』
俺がコクピットに乗り込もうとした時だった。
足元で「くぅ~ん!」という切実な鳴き声がした。
シロだ。
いつもなら「行ってらっしゃい」と見送ってくれるのに、今日は必死に俺のズボンの裾を噛んで引っ張っている。
「どうしたシロ? 今日は危ないからお留守番だぞ」
「わんっ! わんっ!」
シロは離そうとしない。
その瞳は必死で、北東の空――燃える森の方角を何度も見上げている。
何かを感じ取っているのか?
『マスター。シロちゃんの心拍数が上昇しています。それに……特定の方向への指向性が強い。もしかしたら、同族の気配を感じているのかもしれません』
「同族……?」
シルバーウルフは森に住む魔物だ。
燃えているのは、シロの故郷かもしれない森。
そこから逃げてくる者たちの中に、何かがいるのか。
「……分かった。一緒に来い」
俺はシロを抱き上げ、コクピットに乗せた。
シロは俺の膝の上で小さく丸くなり、それでも視線はずっと前方を見据えていた。
「行くぞ!」
ズオオオオオンッ!!
マザーの巨体が、爆発的な加速を見せた。
6本の多脚が高速で回転するように動き、荒野の岩場を滑るように疾走する。
時速100キロを超えるスピードで、俺たちは黒煙の上がる森へと向かった。
現場への到着は、わずか10分足らずだった。
近づくにつれ、焦げ臭い匂いと、魔物たちの下卑た雄叫びが聞こえてくる。
「ブモォォォォッ!!」
「ギャハハハッ! 逃ガサネェゾ!」
オークの群れだ。
錆びた剣や棍棒を振り回し、獲物を追い立てている。
そして、その先頭を走っているのは――。
「……エルフ?」
モニター越しに、はっきりと見えた。
緑色の髪や、金色の髪をした、耳の長い一団。
森の民、エルフだ。
服はボロボロに裂け、肌は煤と泥で汚れ、誰もが傷を負っている。
老人や子供を背負い、互いに支え合いながら、必死に足を動かしている。
そして、そのエルフたちの足元に、数頭の獣の姿があった。
銀色の毛並みを持つ狼――シルバーウルフだ。
成獣が二頭、そして子犬が一頭。
成獣は全身傷だらけで、血を流しながらもエルフたちを守るようにオークへ威嚇を繰り返している。
「わふっ!」
俺の膝の上で、シロが身を乗り出した。
間違いない。家族だ。
だが、状況は絶望的だった。
殿を務めている一人のエルフの少女――豊かな黒髪を振り乱し、褐色の肌に無数の切り傷を負った戦士が、何度も振り返って弓を放っているが、矢筒はもう空っぽだ。
オークの群れが、彼らを飲み込もうとしている。
「させるかよ!」
俺は操縦桿を強く握りしめた。
「マザー、威嚇射撃だ! 奴らの足を止めろ!」
『はい、マスター! 「害虫駆除」モード、起動!』
ズガガガガガガッ!!!
マザーの機体上部に展開された機銃が火を噴いた。
ドチュチュチュチュチュンッ!
オークたちの数メートル前方の地面が一直線に爆ぜ、舞い上がる土煙が壁となって彼らの進路を塞いだ。
その隙に、マザーの巨体がエルフたちとオークの間に滑り込んだ。
巨大な壁のように立ちはだかる鋼鉄の守護神。
「ひ、ひぃぃっ……! な、なんだこの化け物は!?」
エルフたちが絶望に顔を歪める。
俺は外部スピーカーのスイッチを入れた。
「安心してください! 俺たちは敵じゃない! あなたたちを助けに来ました!」
俺の声が響くと、殿を務めていた褐色の少女が、ハッとしたように顔を上げた。
強い瞳だ。恐怖に震えながらも、仲間を守ろうとする意志の光が消えていない。
「助けに……? その鉄の巨人が……?」
彼女が呟いた瞬間。
土煙の向こうから、一際巨大なオーク――オークジェネラルが現れた。
身長3メートルはある巨漢。手には巨大な戦斧を持っている。
「グガァァァッ! 邪魔ダ! 鉄クズガァッ!」
ジェネラルが吠え、戦斧を振りかざして突っ込んでくる。
「マザー!」
『問題ありません。粗大ゴミは、処分させていただきます』
ヒュンッ!
マザーのアームが鞭のようにしなり、ジェネラルの胴体をガッチリと掴んだ。
そのまま軽々と持ち上げ、ブン! と投げ飛ばす。
放物線を描いて飛んでいくジェネラルは、後続のオークの群れの中にドサァッ! と落下し、数匹を巻き込んで転がっていった。
圧倒的なパワーを見せつけられ、オークたちは完全に戦意を喪失して逃げ出していった。
「……ふぅ。終わったな」
俺は安堵の息を吐き、ハッチを開けた。
リフトを使って地面に降りる。シロも一緒だ。
エルフたちはまだ呆然としていたが、俺の足元にシロがいるのを見て、シルバーウルフたちが反応した。
「ワオォォン……」
傷ついた成獣の狼が、弱々しく、しかし優しく鳴いた。
シロが駆け寄る。
成獣の狼――母親だろうか――の鼻先に、シロが自分の鼻を擦り付ける。
そして、もう一匹の子犬。シロと瓜二つの兄弟が、嬉しそうにシロにじゃれついた。
再会の喜び。
生き別れていた家族が、奇跡的に巡り会えたのだ。
「……よかったな、シロ」
俺は少し寂しさを感じながらも、そう声をかけた。
シロは家族の元へ帰るべきだ。
それが、野生動物としての幸せなのだから。
エルフの少女――彼女はリーリャと名乗った――が、足を引きずりながら近づいてきた。
「感謝する、人間の領主殿。……その狼は、森ではぐれた群れの子供か」
「ああ、先日瓦礫の下で拾ったんだ。怪我を治して、今まで育てていた」
「そうか……。群れに戻れてよかった」
リーリャは微笑み、シルバーウルフたちを見た。
母狼がシロの毛づくろいをしている。
シロも嬉しそうに目を細めている。
だが、次の瞬間。
シロはスッと立ち上がり、母狼の顔をもう一度舐めると、くるりと背を向けた。
そして、真っ直ぐに俺の方へと歩いてきた。
「……シロ?」
俺が呼ぶと、シロは俺の足元に座り、ペタリと体をくっつけてきた。
『ここがボクの居場所だよ』と言うように。
母狼が「クゥン」と呼びかける。
兄弟犬も「遊ぼうよ」と誘うように吠える。
シロは一度だけ振り返り、兄弟犬の元へ駆け寄った。
二匹は鼻先をちょんと合わせる。
それは、短いけれど、確かな「お別れ」の挨拶だった。
「元気でね」「うん、キミもね」
そんな会話が聞こえてきそうなほど、愛らしく、そして切ない光景。
シロは再び俺の元へ戻り、今度は迷いのない瞳で俺を見上げた。
「……いいのか? 家族と一緒に行かなくて」
「わんっ!」
シロは元気よく吠え、俺のズボンの裾を引っ張った。
『早く帰ろうよ、パパ!』と言っているようだ。
『マスター。どうやらシロちゃんは、野生の掟よりも、マザー製のふかふかベッドと美味しいミルクを選んだようですね』
マザーの冗談めかした声が響く。
俺は屈み込み、シロを力いっぱい抱きしめた。
「そっか。……ありがとな、シロ」
温かい。
この温もりは、もう俺たち家族のものだ。
リーリャがその様子を見て、優しく目を細めた。
「種族を超えた絆か。……美しいものを見せてもらった」
しかし、そう言った直後、彼女の身体がぐらりと傾いた。
緊張の糸が切れたのだろう。
「おいっ!」
俺は咄嗟に彼女を支えた。
軽い。そして、体温が異常に低い。
『マスター! リーリャさんのバイタルが低下しています! 急いで医療ポッドへ!』
「ああ、分かってる! 全員乗せるぞ!」
マザーが展開したカーゴスペースに、エルフたちを次々と乗せていく。
シルバーウルフの親子も一緒だ。怪我が治るまでは保護することにした。シロも嬉しそうだ。
最後に、意識を失ったリーリャを抱きかかえ、俺も乗り込んだ。
「帰ろう、マザー。家族が増えた」
『はい、マスター。今夜は特大の鍋でスープを作りましょう』
夕日が沈む荒野を、マザーが再び走り出す。
俺の膝の上には、新しい家族と、守るべき人々。
シロが安心しきった顔で、俺の手のひらに顎を乗せて眠り始めた。
その寝顔を見ながら、俺は改めて誓った。
この小さな命も、傷ついた人々も、絶対に俺が守り抜くのだと。




