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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
四月。
その日は、朝から快晴でした。雲ひとつない青空が広がり、町全体に、暖かい日差しが降りそそいでいます。もう暖房はいらないでしょう。
時計を見ると、七時半。
くーちゃんは今日、セナに会うつもりでした。約束をしたわけではないので、町中で待機しておかないと、学校に行ってしまいます。
服を着て、ハンガーラックからマフラーと手袋を取り、部屋を出ます。リビングに顔を出すまえに、宿泊棟一階の個室に向かい、昨日拾ったペンダントを、ドアノブにひっかけておきました。
リビングを見ると、祖父江さんと目が合います。
「おでかけですか?」
「うん、ちょっと」
くーちゃんの何とも言えない表情に、祖父江さんはすべてを読み取りました。
祖父江さんは優しく微笑んで、
「忘れ物はありませんか」
「うん」
「心残りはありませんか」
「まあ、うん」
「あいまいですね、ちゃんと答えられるまで、いてもいいんですよ」
「ううん、だいじょうぶ。これから、心残りを無くしてくるから」
そうですか、と、祖父江さんはうなずきました。
「いってらっしゃい」
いってきます、と、くーちゃんは玄関を飛び出しました。
コンクリートの坂道には、朝の木漏れ日が差していました。夜になれば、この道は街路灯の明るさしかなく、深い森に迷い込んだような闇ばかり広がります。が、夜が明ければ、こうして、美しい朝日が差すようになる。朝の涼しい空気の中、木漏れ日の下を歩くのは、なんだか楽しく感じました。
石畳の通りでは、登校途中の小学生が列をなしていました。その後ろをついていけば、くーちゃんも小学生に見えるでしょうか。初めて地上に来たとき、祖父江さんはくーちゃんに小学校に行かせるか迷ったそうです。あのときは人間と関わりたくない一心で断りましたが、いまなら、人間の子どもに混じって生活するのも、悪くないように感じます。
ちょうど、くーちゃんが初めて地上に落とされた場所に来たところ。
「くーちゃん?」
後ろから声を掛けられ、くーちゃんは振り返ります。セナが家から出てきました。ランドセルがとても軽そうです。そういえば、今日は卒業式と言っていました。セナは見送る側ですから、最後の準備があるのかもしれません。
「おはよう」
くーちゃんからあいさつしました。
「おはよう。どこかにお出かけ?」
「うん、ちょっと。その前に、これ、返そうと思って」
くーちゃんは、小脇に抱えていたマフラーと手袋を、セナに渡します。あげたものが返ってきて、セナは不思議そうな顔をします。
くーちゃんは頭を下げました。
「ごめんなさい。あなたの目が悪くなったのは、あたしのせいなの」
セナが驚くのも構わず、くーちゃんは続けます。
「天界にいたとき、人間にいたずらをするのが大好きだった。それで、ある大雨の日、外に遊びに出ていた子どもに、雷を落としたことがある。死なない程度の小さな雷……それにうたれたのが、セナ、あなたなの」
くーちゃんは、声が震えそうになるのを必死で押さえます。セナの顔が見えません。泣いて逃げられるか、怒って殴られるか……どんな反応をされても、くーちゃんは逃げないつもりでした。
「謝ってどうこうできるものじゃない。あたしがいくら謝っても、セナの視力は戻らないし、いじめられた過去を消せるわけじゃない。でも、それでもあたしは、あなたに謝るしかないって、そう思ったの……ほんとうに、ごめんなさい」
言い終えてもなお、くーちゃんは頭を下げていました。
セナからの返事が、なかなか来ません。もしかしてもうどこかに行ってしまったのか、と不安になって、ちょっとだけ顔を上げてみます。
セナはまだ、そこにいました。とても不思議そうな顔をしたり、昔の出来事に納得したような顔をしたり……でも、最後には微笑んで、「気にしてない」と言いました。
「怒らないの?」
「怒らないよ」
「これがソラだったら、平手打ちくらいすると思うけど」
「ソラなら、まあ、そうするだろうけど、ここにいるの、ぼくだし」
セナは、マフラーと手袋をぎゅっと抱きしめて、
「その雷があったから、くーちゃんは人間の世界に来ることになった。くーちゃんがいなかったら、ぼく、自信がないままだったと思う。ぼくが前向きになれたのも、もっといろんなものを見たいと思えるようになったのも、くーちゃんのおかげだよ」
だから、「ありがとう」と、セナも頭を下げました。
いつまでもそうしてはいられません。セナは学校があります。
「それじゃ」
と駆けだそうとしたセナを、くーちゃんが呼び止めます。
「ソラに!」
「ソラに、なに?」
「ソラに、よろしくって、言っておいて」
セナはなにか感じ取ったようです。さっきまでの嬉しそうな顔が、一変、もう卒業式が目の前で行われているような、寂しそうに歪みます。
「また、会えるよね」
くーちゃんは、嘘でも、しっかりうなずいてみせました。
周りの子に急かされて、セナはつんのめるように歩き出します。その間も、何度も何度も、くーちゃんのほうに振り向いています。セナの姿が見えなくなるまで、くーちゃんはそこに立って、揺れるランドセルを見つめていました。
「大天使様」
くーちゃんは、人通りの減った石畳に立って、空を見上げます。人間が想像した天界とは違い、本物の天界は地上より上にはありません。上でも、下でも、右でも、左でもないところにあります。でも、くーちゃんはなんとなく、空を仰ぎました。そうしたほうが、大天使様に、自分の声が届きやすいような気がしたのです。
くーちゃんが言います。
「答えがわかりました」
——ならば、答えよ。
大天使様の声は聞こえませんが、なんとなくそう言ったように思います。
この世で最も愚かなもの、それは……
「それは、誰かの心をないがしろにするものすべて、だと思います」
——なぜ、そう思う。
「大天使様、あたし、やっぱり、人間は愚かだと思います。いじめっ子も、誘拐犯も、自信なく毎日を生きている人も……地上には、愚かな人間がたくさんいます。ゆるぎない事実です」
——ならば、人間が最も愚かではないのか?
「違います。確かに、愚かな人間はいます。でも、そればっかりじゃなかった。自信をなくした子は、自信を取り戻しました。いじめっ子は、元いじめっ子になりました。困っている人を助ける人も、退屈な時間をつぶせるように、面白い遊びを考える人間もいます。愚かな人間ばかりじゃない、優しさやいつくしむ心を持った人間も、この世には大勢いました。もし、特定の存在を愚かだというのなら……それはきっと、あたしです」
大天使様の声は聞こえません。
ですが、くーちゃんは続けました。
「人間という生き物をちゃんと見もせず、何も知らないまま、身勝手にも愚かと決めつけていた……そんなあたしが、きっと、一番愚かでした」
ピンポーン!
軽やかなファンファーレが鳴り響き、くーちゃんの全身が浮き上がりました。視界いっぱいに青空が広がります。
ふと、足の裏にあった石畳の硬さが懐かしく思い、くーちゃんは身体をひねって、地上を見下ろしました。石畳の町は、すっかり雪が溶けていました。明るい陽光に照らされて、瓦屋根が黒々と輝いています。
古い町並みから視線をずらすと、ゲストハウス星山が小さく見えました。中庭のガラス戸越しに、いま、ヒバリが出てくるのが見えました。その手に安物のペンダントを握りしめ、春の日差しの中、小躍りするように飛び跳ねていました。
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