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<注意>第37回小説すばる新人賞 落選作品 を改稿したものです
そのワゴン車は、町中からそう遠くない山中にありました。光の球が鬱蒼とした山道に入ったときには、ほんとうにこんな暗闇を行かなきゃいけないのか、と、くーちゃんは気もそぞろでした。
ですが、こうしてソラを見つけてしまえば、あとは帰るだけです。
くーちゃんはカーゴスペースに乗り込んで、縛られたソラの足を引きずり、控えていたセナに抱かせます。
「重いっ」
セナが引きつった声を上げます。
「くーちゃんも手伝ってよ!」
「なんであたしが、人間を担がないといけないの、それはあんたの仕事」
後方で起こっている事態に、誘拐犯がやっと出てきました。
「なんだてめえら!」
助手席の男がバットを握りしめ、くーちゃんたちを威嚇してきます。セナはソラを抱えたまま、よたよたと距離を取ります。男はセナを追おうとします、その前に、くーちゃんが立ちはだかりました。
「そのガキを渡せ」
「やだ」
ぶぜんと言い放ちます。
「ただでさえ愚かな人間なのに、その愚かを煮詰めたような奴の言うことなんて、聞く気になれない」
男は怒りのまま、バットを振りかぶって、くーちゃんに殴りかかります。が、くーちゃんは宙を踊るように、ひょい、ひょいとかわしてしまいます。くーちゃんの余裕そうな顔に、男が鼻息を荒げます。
(さあ、どうしようかしら)
天使の力は、あと一回しか使えません。ですが、このまま自分が避け続けて、その間にセナたちが町に逃げれば、誰かに助けを求めるでしょう。
そう高を括っていたときです。
猿ぐつわを外されたソラが、目いっぱい叫びます。
「くーちゃん、後ろ!」
くーちゃんは、ドライバーの女に羽交い絞めにされてしまいました。
「クソガキが! やっちまえ!」
女に刺激されて、男がバットを振りかぶり、くーちゃんのお腹を打ちます。
——息が止まりました。
お腹の空気が全部抜けたのにも驚きましたが、それ以上に、とてつもない痛みが全身に走り抜けていき、くーちゃんは目をむきました——これまでずっと、裸足で歩いても、何かにつまずいても、痛みなんて感じなかったのに、それなのにどうして?
くーちゃんはようやく、天使の力を使ったせいだと気づきました。
光の球を生み出したことで、またひとつ、天使らしさが消えたのです。
それまでの屈辱を晴らすように、男はくーちゃんを滅多打ちにしました。そのたびに、くーちゃんの着ている服がバットの錆で汚れていき、くーちゃんの全身を痺れるほどの痛みが走ります。
苦し気なくーちゃんと裏腹に、その身体には汚れひとつありません——それが、くーちゃんに残された、唯一の天使らしさでした。
「やめろ!」
セナはお腹の底から声を出し、思いきり、固定電話の子機を投げつけます。絶妙に回転した子機の角が、女の横顔に直撃!
「ぎゃあ!」
と、女はくーちゃんを放り捨て、その場にうずくまります。
仲間がやられたのを見て、男は怒りに燃えた目で、セナをにらみます。
セナは、ソラの前に飛び出し、震えながら両手を広げて、ソラをかばおうとします。
男は威嚇するようにバッドを振りながら、ふたりに歩み寄ります。ぶん、ぶん、とバットが空を薙ぐ音に合わせて、セナが目をつむります。それが可笑しかったのか、男は余裕しゃくしゃくと笑います。
だから、気づくのが遅れた。
男が後ろを振り向くと、さっき打ちのめした女の子が、立ち上がっていました。
くーちゃんは、傷ひとつない顔を上げて、両手を組んでいました。
「人間って、お化け屋敷、好きなんでしょ」
くーちゃんは想像しました——この世で最も恐ろしいものが詰めこまれたような場所を——
「でも、あんなの子ども騙しじゃない。人間が人間を怖がらせるんだから、人間が想像できる怖さしか表現できない。それじゃあ、つまんないでしょ」
「何言ってんだ、おまえ」
と、男がバットを構えます。
くーちゃんは祈りました。
「あんなちゃちなやつより、もっとおもしろいお化け屋敷に、連れてってあげる」
男は標的を変え、駆け出し、生意気な女の子めがけて、バットを振り下ろしました。
……が、空振りに終わります。
男の眼前から、くーちゃんが消えていました。
何が起こったのかと、男が顔を上げます。
大きな河が流れていました。夜のせいか、川は手前しか見えず、対岸に何があるのかさえ定かではありません。河原にはたくさんの小石が敷かれていて、たじろぐと、足元でじゃりっと鈍い音がしました。
女があぜんと言います。
「なんだ、ここ」
ふたりはさっきまで、大雪の降る山中にいたはずです。そこに、こんな河はありませんでした。空気は生ぬるく、長そでの下にねばねばした汗をかきます。たった一瞬で、別の世界に飛ばされる……そんなことが起こりうるのでしょうか。
「おい、あれ」
男が指さすほうには、さっきまで乗っていたワゴン車があり、ワゴン車の正面には、大きな立て看板が置いてありました。看板には、子どもが書きなぐったような文字で、こう書いてありました。
『時間は無制限! 矢印のとおりに進めば、出口があるからね♡ いつかこんな暗闇から出られる。頑張って生きていこう♪』
そばには矢印を見立てた看板があり、矢印をたどってみると、同じような看板が、河原のずっと先まで続いていました。
ぼうぜんとしていたところ、ふいに、男のズボンが引っ張られました。驚いて飛びずさると、いつの間に現れたのでしょう、みすぼらしいぼろを着た子どもが立っていました。さっきの子どもの仲間でしょうか。男はいら立ちに任せて、殴りかかります……が、バットが子どもの身体をすり抜けて、硬い地面に打ち下ろされます。
ふたりは小刻みに震え、後ずさります。
「きゃあっ」
誘拐犯の女が、足元にあった石の山にひっかかって、転げます。
その拍子に、石の山が崩れてしまいました。
ぼろを着た子どもが、頭を振って泣き出します。天地を震わせるほどの絶叫に、誘拐犯は肝をつぶします。子どもは両目が空洞のようになっていて、大きく開けられた口の中は、大量の血があふれたように真っ赤でした。
ふたりは一目散に逃げ出し、ワゴン車に駆けこみます。エンジンをかけ、アクセルを踏み抜くと、ワゴン車も悲鳴を上げます。
「なんだよ、ここ!」
「知らねえよ、とにかく走れ!」
矢印のとおりに進むと、暗闇が晴れ、河原を抜けました。
しかし、出口ではありませんでした。ふたりの眼前に広がったのは、赤々と燃える熱石の街道や、さびた血がこびりついた針山……そこを通り抜けているのは、ぼろを来た人間たち。その人間たちに、小鬼や悪魔がいたずらをしている。
ここはいったい、どこでしょう。
地獄という言葉が浮かぶより先に、ふたりはまた、車を走らせました。
矢印のとおりに進めば出られる。
はたして、それまでにガソリンの残量が持つでしょうか。
それは、ふたりが出られたら、わかる話です。
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