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チャプター3

 チャプター3


 FPSの大会があった日。

 控え室まで訪ねてきた黒服に、俺はある白い建物へと連行された。


 見るからに怪しい人間二人。

 黙ってついていくほど無警戒な人間ではないけれど。


「Mr.……我々はあなたを連れていくためなら、実力行使も許可されています」


 などと二人のマッチョマンに片言の日本語で威圧されながら言われてしまえば、むしろ警戒心のある人間は従わざるを得ないだろう。


 黒塗りの車から降り、黒服に案内されたのは建物の一室だった。


 部屋に入ると、すぐ目に入ったのは散らかった部屋だ。

 衣服や本が床へ無造作に投げ出されている。


 惨憺たる部屋の中、椅子に座った人物がキャスターを転がして姿を見せた。

 最初は背中だけしか見えなかったからわからなかったが、それでようやく人だった事に気付く。


 その人物は小柄な少女だった。

 金髪に青い目、鼻の上にはそばかすが散り、口には白い棒を咥えていた。


 少女はこちらに気付くと、口の棒を手にとってがりがりと齧る。

 どうやら、棒つきキャンディだったらしい。


 乱暴にキャンディを齧り取られた棒をゴミ箱に捨てると、少女は立ち上がってこちらへ近づいてくる。


「初めまして、Mr.ミヤマ」


 流暢な日本語だった。

 握手のための手が差し出される。


「あんたは?」

「さっきまで一緒にゲームしてたろ」

「……Blue・3?」

「当たり」


 こいつが、あいつだってのか?


「本名はケイト・テレスだ。日本人じゃないぞ」

「まぁそうだろうな。……Blue・3ってそういう意味か」

「おや、懐古趣味だねぇ」

「そりゃお前だろうが」


 その段になって、ずっと差し出されたままの手を握る。


「よろしく。宮間 康太だ」

「ああ。よろしく」


 握手をすると、ケイトはにへっと笑った。


「さて、早速だが君には研究への参加をお願いしたい」


 握手を終えて早々にケイトはまくし立てる。


「研究? 俺、ただのフリーターだぞ」

「賞金稼ぎの間違いだろ? ゲーム大会の賞金で一財産作ってるくせに」

「そうだけど。……そういやお前、どうして俺の本名知ってる?」

「ディープマウンテンって呼んだ方がよかった?」


 それは俺のプレイヤーネームだ。


「直訳じゃなくてちょっと捻る所が個人的には好みだ」

「そんな事より、答えろよ」

「ここ政府の研究施設なんだけど、表向きは精神病院って事になってるの」


 実は表向きじゃなくて、こいつが本当に狂ってるとかないか?


「そんな秘匿された場所で行われる研究ってどんなものだと思う?」

「知った人間は生かして帰さないような研究、とか?」

「当たり!」


 俺は回れ右して入り口の方へ向かう。


「こんな所にいられるか。俺は帰らせてもらう」

「外ではさっきのマッチョメンが銃を構えて待ってるぞ」

「そんな馬鹿な」


 外に出てちらっと廊下を覗く。


「本当にいるじゃねぇか……」

「この場所に連れてこられた時点でもう逃げられないぞ?」


 にっこりと笑みを浮かべながらケイトは告げた。

 ここから出られそうにない。

 俺は諦めて彼女の話を聞く事にした。


「じゃあ、改めて説明するよ」

「俺にできるのはゲームぐらいだ。何だ? 政府極秘施設に勤める研究者様の気晴らしに付き合う仕事とかか?」

「それも業務内容に含んでほしいけれど、実際はもっとがっつり関わってもらう事になる」


 ケイトは先ほどまで座っていた椅子に座りなおすと、キャスターを転がして移動する。

 彼女が移動した先には、パソコンがあった。

 ついていってディスプレイを覗くと、よくわからない数字とアルファベットの並ぶ画面が映っていた。


「この通りだ」

「わからんって」

「まぁ私もこの状態で見せられたらわからん」

「何で見せたの?」

「ウケると思って」

「まぁ、ジョーカーのジョークよりは面白かったよ」

「それはよかった。ビームのくだり大好きなんだ」


 ケイトはキーボードを操作し始めながら説明を開始する。


「私の研究分野は簡単に言ってAIの研究なんだ」

「人工知能ってやつだな。反乱されない? 大丈夫?」

「それはない。君みたいに怖がっている人は案外多いから、人間排除みたいな考えになっても止められるように枷はつけてる。間違っても心なんて生まれない」

「AIってのは、人と同じように考えられる物を目指すもんなんじゃないのか?」

「それはそう。私としてもそちらの方が好きだ。でもこれは趣が違う。学習して賢くはなるけれどそれも効率的なアルゴリズムを自力で構築していくというだけのものだ」

「……キーボードカタカタしてるけど何しようとしてるんだ? さっきからめまぐるしくインターネットのサイトが出たり消えたりしてるけど」

「カタカタさせたけど何しようか迷ってる。動画でも見る?」


 ケイトは動画サイトにアクセスし、マイリストの自動再生を始めた。


「で、私が欲しているのは、アルゴリズム構築において判断の元となるもの。つまり学習教材だ」


 プラモデルを塗装する動画が流れる中、ケイトは解説を続ける。


「何せクライアントの求めるものは、ぶっちゃけた話をすると戦闘AIだ。戦地のあらゆる事象に対して環境を把握しつつ最適行動を取れ、なおかつ人と言語によるコミュニケーションが取れる柔軟性を望まれている」


 まぁ、それなら状況を想定して人力でアルゴリズム打ち込むくらいなら、AIで学習させた方が楽だわな。


「それで?」

「君を教材にしたいと言っているんだよ」

「何で俺なんだよ?」

「FPSが世界一上手い」

「お前も上手いだろ」

「私は所詮二番手だよ」


 ピースサインを作ってケイトは答える。


「どうせ作るならより良い物がいい。君さえいなければ私が最強だから、自分を基準にするんだけどね」


 ケイトはパソコンの載った机の下から、リング状の何かを取り出した。


「これを頭に着けて欲しい」

「何これ?」

「カメラつき計測器。脳波取る奴だね」

「カメラは何のためについてる?」

「何を見た時にどういう感情を示したか判断できる」

「ふぅん」


 俺は計測器を頭に被る。

 ケイトがキーボードを再び叩くと、いろいろな数値やグラフと映像が映し出された。

 映像はカメラからのものだろう。ケイトが映っている。


 ケイトに視線を移すと、シャツをまくってちらっとへそを見せてつけてきた。

 こちらを見ていた視線が、すぐにディスプレイへ向けられる。


「うん。正常に作動している。想定より数値が上がってる。結構スケベなんだね」


 性的な興奮を数値で確認されたようだ。

 まずい。

 俺が金髪貧乳アメリカン少女にドストライクである事がバレてしまう。


「何がまずい。言ってみろ」

「俺の心を読むな」

「数値で出てくるし」


 ディスプレイから視線がこちらに向けられる。


「とまぁ、こんな感じで研究に協力して欲しいわけだよ。コウタがやる事はそれをつけて普段通りに過ごすだけ。それだけでメジャーリーガー並の年収が転がり込んでくる夢のニート生活だよ。おめでとう」

「その代わりプライベート皆無じゃんか」

「ニートに人権はないんだよ」


 ケタケタと笑いながらケイトは言い放つ。


 まぁ、いいか。

 具体的に何を考えているかわかるわけじゃないし。

 給金は本来なら一生かかっても稼げない破格な額だ。


 何より……。

 ケイトは可愛い。

 すごく好みのタイプだった。




「そういや、俺の判断能力とかを学習させているんだよな?」


 マウスとキーボードの音が響く中、俺は背後でパソコンに向かっているケイトへ問いかけた。


「そうだよ」


 ケイトも俺と同じく、マウスとキーボードを操作しながら返す。


「よくよく考えたら脳波取る意味ある?」


 判断の学習なら、何を思っているかとか関係なくない?


「そこに気付くとは、やはり天才か」

「脳波って、要は感情の動きとかだろ?」

「仕事としてはそういう人工知能を作っているけれど、私個人はAIに感情を持たせたいと思っているから。趣味の研究でそっちのデータは使ってる」

「職権乱用じゃね?」

「役得役得。私はそもそも、そういうものに憧れてこの分野に入ったからさ」


 俺が見ていたパソコンのディスプレイで、敵の兵士が撃ち殺される。


「あ゛あ゛……!」


 ケイトが可愛くない悲鳴を上げる。


「今のお前だったのか」


 俺達はお互いのパソコンでオンラインゲームをしていた。

 多人数同士の撃ち合いをするゲームで、敵味方のチームで戦っていた。


「まだ慌てるような時間じゃない。諦めたらそこで試合終了だ」

「お前、ちょっと日本のネットミームに詳し過ぎない?」

「は? 世界中のネットミームに精通してるけど? コウタに合わせてるだけなんですけど!」


 直接対決で負けて不機嫌なのか、若干当たりが強い。

 ケイトはいろいろな国の言語を習得しているので、本当に世界中のネットミームを知っていそうだ。


「負けるー! ……負けたぁー!」


 ゲームが終わり、リザルト画面に移る。

 ケイトは椅子にもたれかかって天井を見上げた。


「飯にしようか。何食いたい?」

「スペイン風ミートボール」

「面倒臭いからそれは夜な。パスタにするぞ。カルボナーラでいいか?」

「目玉焼きつけてほしい」

「わかった」


 研究室に備え付けられたキッチンで調理を始める。


 パスタを茹でている間に二つのフライパンをコンロにかける。

 一方で卵二つを使った目玉焼きを焼きつつ、もう一方で短冊切りのベーコンをカリカリに炒める。

 目玉焼きの方に塩コショウを振り、蓋を被せて火を消す。

 炒め終わったベーコンを皿に取り、茹で汁を入れてこびり付いた焦げを溶かす。

 卵に塩と粉チーズ、そして大量の黒胡椒を入れて混ぜ合わせておく。

 出来上がったパスタをフライパンに入れ、作っておいたソースとベーコンを絡ませてから弱火にかける。


 卵が固まり、とろみが出始めた所で二枚の皿に移した。

 その上に、黄身と黄身の中心で割った目玉焼きを乗せる。


 なんとなく、追加で黒胡椒を目玉焼きの上にかけておく。

 特に意味はない。


 皿を持ってテーブルに持っていくと、ケイトが既に待っていた。

 ノートパソコンを使って、何かを見ている。


「ほら」

「ん」


 ケイトはノートパソコンを退けて、そこにパスタの皿を置く。


「フォーク」


 言われるのと同時に差し出したフォークを彼女は受け取った。

 俺も席に着き、一緒にパスタを食べ始める。


「おいしいね」

「それはよかった」


 黙々と食事して、先に食べ終わったので食器を洗う。

 その途中で、食べ終わったケイトが皿を流しに突っ込んだ。


「お願い」

「ん」


 皿を洗い終わってケイトを見ると、彼女は仕事用のパソコンに向かっていた。

 スイッチが入ったのだろう。


 仕事に勤しむ彼女を尻目に、俺は部屋の片付けを始めた。

 脱ぎ散らかされた衣服を集めて、洗濯籠へ突っ込んで室外に出しておく。

 そうすると係りの人が洗濯しておいてくれるのだ。


 その後、床の拭き掃除をして、それが終わったらゲームやネットサーフィンで時間を潰す。

 午後六時を回った頃に夕食の準備をしておく。


 スペイン風ミートボールだ。

 ……面倒くさい。

 トマトソースを作るのが面倒くさい。

 一つずつ丸めて焼いてからソースに入れるのが面倒くさい。


 これが嫌だからハンバーグにしたいが、ケイトはこちらの方が好みでこだわりがある。


 料理が完成してしばらくすると、ケイトが椅子から立ち上がった。

 そのままふらふらとベッドへ移動した。

 ばたりと倒れこみ、そのまま眠る。


 いつもは夕食を食べるが、今日は根を詰めすぎたらしい。


 彼女に布団をかけ、部屋を出た。




 その日は、ケイトと一緒に施設内の実験場へ向かう事になった。


 通された部屋には大きなガラス窓があった。

 ガラス窓ごしから俯瞰できるのは、長方形の広い部屋である。


 そこにあるのは、破壊された家屋、倒れた電信柱、瓦礫で通れなくなった道。

 戦場を模したと思しきジオラマだった。


 今からここで行われるのは、AIの実戦検証。

 部屋の両端には、AI搭載ロボットと五人の兵士がそれぞれ配置され、模擬弾によってここで戦うのだ。


 ロボットはキャタピラに、筒型の胴体と二本のマニピュレーター、カメラアイが搭載された簡素な形状をしていた。


「まだ不十分だからもう少し調整の時間が欲しかったんだけどな」


 とはケイトの談である。

 クライアントにせっつかれて仕方なく今回の検証を承諾したらしい。


「これはテレス博士。今回は我がパーフェクトソルジャー計画のデモンストレーションに協力いただき、ありがとうございます。パーフェクトソルジャーは何せ、カリキュラムと薬学に基づく多方面からの肉体改造に加え、最高の最新技術を使用した最強の兵器を併せ持つ完璧な兵器ですからな。判断能力の優劣のみで覆せるような実力差ではないでしょう。ハッハッハ」


 実験前にそう嫌みったらしく声をかけてきたおっさんがいた。


「知らないけど」


 ケイトに誰か聞いたらそう答えていた。

 知らないおじさんらしい。

 多分競合相手かなんかなんだろう。


 そうして始まった検証だが。

 AIがあっさりと勝利した。


「そんな……馬鹿な……」


 おっさんは膝から崩れ落ちた。


 素人考えで申し訳ないが、パーフェクトソルジャー達は位置取りがとても下手に思えた。

 最初は堂に入っていたが、一人減ってからは陣形が簡単に崩れていた。

 一人やられて血気盛んに追いかけた結果、突出した一人がすぐにやられてそこからはもう見てられない状況だった。

 ふん、今度はスコタコでも作って出直してくるんだな。


 と、俺は内心で得意げになっていた。

 俺が作ったわけじゃないんだけどな!


 ケイトはクライアントらしきおっさんに褒められていた。


「あの、ついでにもう一つ検証を行いたいのですが」


 そんな折、そう提案してもう一つ検証を行う事になった。

 内容は、AI対俺である。


 俺が手動操作する同じロボットでAI搭載ロボットと戦うというものだ。


 結果は俺の勝ちだった。


 反射速度、精度共に少しだけ俺の方が遅かったので、有効距離同士の撃ち合いで不利だと悟り、跳弾を利用して射程外から狙い撃って勝った。


「ええ! 何それ!」

「現実なら跳弾も当然できるだろうからな。何度か壁に当ててどういう感じに跳ねるか確かめて、角度の感覚を把握して狙ってみた」

「何それ、きっしょ。……きっしょ」


 驚くケイトにドヤってみたら、そうドン退かれた。

 わかったから二回も言わんといて。

 ちょっと傷つく。




 その日のケイトは、ダメージの大きなバカみたいなデニムのホットパンツを履いていた。

 股の部分の布地が少なく、引っ張ったら尻に食い込んで丸出しになりそうだった。

 もう下着と変わらない……。


 いや待て。

 下着、つけて無くない?


 俺は紳士なので気付かないふりをした。

 じろじろは見ない。

 写真は撮っておいた。


「コウタ。さっきからチラチラ見てるよね?」


 エッチな尻が糾弾してくる。

 いや、うつ伏せになってノートパソコンを弄るケイトが声を発したのだ。


「言いがかりはよしてくれないか」

「毅然と反論している所悪いけれど、カメラに写っているからね?」


 うかつ!

 脳波関係のデータを見る時はいつも仕事用のデスクトップパソコンで見ているので、まさかリアルタイムで観測されているとは思わなかった。


「めっちゃ見てるし、めっちゃ興奮しているじゃないか」

「見られたくなかったらもう少し慎んだ格好をしてほしい。そのパンツは俺に効く」

「コウタがどういう時に興奮するのか調べておきたくて」

「それがどういう風に研究の役に立つのかわからん」

「凡人の君にはわからないだろう」


 ふふん、とケイトは無い胸を張る。

 でもいいのだ。

 彼女には尻がある。


 不意に、寝そべっていたケイトが胡坐に座りなおしてこちらを見た。


 何か言うつもりだろうか、と待っていたが珍しく彼女は黙っていた。

 視線だけが交わる。


「……キス、してみない?」


 少しして、そんな事を言う。


「何で?」

「データ取っておきたくて」

「それって個人的な研究のデータだろ? 協力はしてやりたいけど、恋人でもない人間とそういう事はしない」

「そう……じゃあ、恋人になろうか」

「……おう。それなら、問題ないな」

「うん、はい。これから私達は恋人です」

「おう、そうだな」


 俺は彼女の実験に付き合う事にした。




「F粒子?」


 雑談の最中、この施設で行われているらしい別の研究の話を聞いて問い返した。


「そ、五年ほど前にフィリックス教授が見つけた素粒子? 量子? だったかな。専門外だから詳しく解らないけど」

「Fはフィリックスか?」

「発見者の名前をつける事が多いからね。地球上のあらゆるものとも類似しない、未知の物質だ。関連付けられるものも無いし妥当なネーミングだよ」

「どんなものなんだ?」

「特殊な波長の信号を受け取る事で、あらゆる現象を引き起こすものらしいよ」

「あらゆるって……ちょっと範囲が広すぎる。具体的には何ができるんだ?」

「炎を出したり、水を出したり、冷気を出したり、電気を出したり……。一時的にではあるが、質量すら発生させるらしい」

「……魔法みたいだな」

「本当に」


 ケイトは笑いながら答えた。


「そんなもの、どこから見つかったんだか」

「教授の推測では、地球が始まって以来あった可能性があるとの事だ」

「どうして今まで見つからなかったんだよ?」

「F粒子は宇宙の暗黒物質にも存在するそうだ。太古より今まで宇宙から降り注ぎ続け、物質を透過するために地球上の何にも干渉せず、降り続けている。つまり、重力に引き寄せられる性質をもっている。そして、重力の影響下において三日程度で消滅するらしい」

「だから、蓄積する事が無いという事だな?」

「地表で一定の濃度を保つ程度に留まっているそうだ。地球の中心に近くなるほど、濃度が高くなるんだろうな」

「その見えも触れもしなかったものを、どうやって見つけたんだ?」

「詳しく知らないが、波動の実験中に設定ミスで想定外の波長を発したそうだ。それに反応し、存在が明るみとなった」


 偶然の産物だったわけだ。


「その波長を元に、F粒子が反応を示す数種類の波長を割り出したそうだ。その波長の種類によって、起こす現象は異なるんだと」

「という事は、その波長を発する機械がないと使えないわけか。魔法使いみたいに呪文で出すってわけにはいかないようだな」

「そうできるようになるのが、教授の目標らしいけれどね。でも、そのためには莫大な資金が必要だ。だから、彼もここにいるんだろうね」


 ケイトはここで戦闘AIの研究を行っている。

 なら、ここは軍事関係の研究を行っている場所なのだろう。


 そんな場所で研究しているという事は、F粒子もまた兵器転用を目的として研究されているからなのだろう。


 ケイトの目標は感情を持つAIを作る事だ。

 それでも戦闘AIを作るのは、彼女も資金を求めての事なのかもしれない。




「しばらく体調悪くてさ」

「ああ、そうだな」


 ここ最近、だるそうにしていたり、食欲が落ちていたりした事には気付いていた。


「ちょっと前に医務室で検診してもらったんだ」

「どうだった?」

「赤ちゃんがいるらしい」

「ハァ?」

「はは、声でっか」


 どういう事だ?


「前にゴムが切れた時、大丈夫な日だと言ったな。あれは嘘だ」

「……」

「どうしようか?」


 明るいテンションから打って変わって、途端にしおらしく俺の顔色を伺うようにして問いかける。


 そんな彼女の様子に気付きながら、俺は席を立った。

 自分の持ち物が入ったタンスを開けて中からある物を取り出す。


 俺は彼女の前でケースを開け、中の指輪を見せた。

 エンゲージリングである。


 初めて顔を合わせて、もう何年か経ってるしな。

 そろそろだとは思っていた。

 思っていたから用意していたが、意気地がなくて言い出せないでいた。


 そうしている間に、先を越されたわけだ。


「えー!」


 驚きの声を上げるケイトへ、さらに自分の記入欄が埋まった婚姻届を差し出した。


「ええー!」


 さらにもう一枚、記入済みの離婚届を差し出す。


「やりすぎだ馬鹿野郎!」

「実際に買ってみたら思ってたのと違うってあるじゃん? そういう時にクーリングオフできると買いやすいじゃん?」

「数年かかって試供品を使い倒した挙句、製品買ってクーリングオフする奴はクレーマーだよ。それもただのクレーマーじゃなくて、ド級のクレーマーだよ」


 これまでの俺は試供品か。

 商品に例えたのは俺だけれど。

 しかしこれからは製品版の実力を見せてやるぜ。


 ……買ってくれるなら!


「とりあえず、これはいただいておくよ」


 ケイトは婚姻届を引ったくり、自分の記入欄を埋めた。


「お買い上げ、ありがとうございます」

「お客様扱いより、お姫様扱いしてほしいな。王子様」


 そうして、左手を差し出す。


「喜んで、お姫様」


 差し出された手。

 その薬指に、リングを嵌めた。




 俺は実験室で生後三ヶ月の赤ん坊、二人の世話をしていた。

 俺の息子と娘。

 双子である。


 可愛らしい。


「今日は、フィリックス教授の実験があるみたいだね」


 F粒子ってやつか。


「生態に対して、F粒子活性波長を発生させる装置を移植するというものだったはず」

「活性波長?」

「前に、F粒子が特定の波長に対して反応を示すと説明した事は憶えてる?」

「ああ」


 興味のある話だったからよく憶えている。


「それを活性波長と名づけたそうだ。その波長を発する装置を生態に移植する実験を行うそうだ。生態的な反応によって波長を発生させる動力を賄えるか、装置のスイッチを切り替えられるか。というのを確かめるものだそうだ」

「……つまり、人間が念じるだけでF粒子を使えるようになる実験か。本当に魔法みたいになるな」

「まぁ、今回の実験はマウスに行うし、一種類の波長しか出せないものを移植するようだけれど」


 確か、種類によってF粒子の見せる反応が違うんだったか。


「活性波長の種類によっては、とても危険な事になるだろうからね」

「それもそうだな。火炎放射を自由自在に発射できるネズミが誕生したら目も当てられないからな」


 息子がぐずり始める。

 抱き上げてあやすと、娘の方がぐずりだす。

 息子はあまり俺が好きじゃないようなので、抱き上げたらさらに泣き出した。


「はい、ママ」

「ん」


 ケイトに息子を預け、娘を抱き上げてあやす。


 そんな時だった。

 室内に備え付けられていた警報が鳴った。


「……フィリックス教授の実験に関係あると思う?」

「凶暴化したネズミが暴れてるって? 映画みたいな話だ。……あるかもしれないけれど」


 フィクションなどでそういう危機を知っていると、不安が具体的になる。

 俺は娘をケイトに手渡した。


「警報が鳴っているのは間違いない。とりあえず避難だな」


 ここは二階だ。

 俺とケイトだけなら窓から脱出もできるだろうが、子供連れでは少し怖い。


 厳重に保管していた拳銃を手にする。

 一応、ここに来てから射撃訓練をする機会はあった。

 実戦は経験していないが、撃てなくはない。


「少し外を見る」

「気をつけて」

「モンスターが暴れてたら戻ってくるよ」


 軽口を叩いて扉を開ける。


 廊下を駆けていく、白衣の女性が見えた。


「何かあったんですか?」

「フィリックスきょ――」


 女性が答えようとした瞬間、彼女の体が不自然に吹き飛んだ。

 前のめりに倒れた彼女の背、白衣が赤く染まり始めていく。


 なんだ?

 撃たれた?

 だとすれば……。


 射撃地点と思しき方向を見る。

 一見して誰もいないが、視線を下ろすと一匹のネズミがいた。

 もごもごと口を動かすそのネズミの頭上には、何かが浮いていた。


 氷?

 先端が鋭角に尖った、ガラスにも氷にも見える透明の何かがあった。


「本当にいるじゃねぇか……」


 目が合った気がした。

 顔を引っ込ませて扉を閉める。

 ロックもかけておく。


「どうしたの?」

「モンスターがいた」


 ケイトの問いかけに答えると同時に、閉じた扉が内側に凹む。

 金属の扉にできた凹み、そこからは氷の刃が覗いていた。


 入り口からは逃げられない。

 もしかしたら今ので標的にされたかもしれない。


「……ケイト。AIロボ起動させてくれ」

「わかった」


 ケイトは子供達をベビーベッドに寝かせると、パソコンへ向かった。

 パソコン机の横に置かれていたAI搭載ロボの主電源を入れ、パソコンからの指示でAIを起動させる。


 その間に、俺はロボ用の実弾を出して銃器に装填する。


 その間にも扉に連続で氷の刃が突き刺さり続けていた。

 ガンガンと叩きつけられる音に怯えたのか、子供達がわんわんと泣き喚く。

 そんな中、ケイトはパソコンのキーボードを叩き続けた。


「できた。扉から入ってきたものを攻撃するように設定する」

「バスルームに隠れよう。万が一の時には、そこの窓から外に出られるからな」


 俺は子供二人を抱き上げて、ケイトはノートパソコンを持ってバスルームへ避難した。


 バスルームに入ると、ケイトはノートパソコンでロボのカメラにアクセスする。

 入り口ドアがディスプレイに映し出される。


 映し出された扉は、ガンガンと強い衝撃に曝され続け、秒を追うごとに凹みを増やし、変形し始めていた。


 パソコンのスピーカーと現実の音がラグを伴い、ガンガンとドアを破壊する音を反響のように耳へ届けてくる。


 緊張していた。

 未知のモンスターが生活のスペースへ侵入してくるという現実。

 それはもちろん恐ろしい事だったが、それ以上に自分の手で家族を護れるだろうか? という不安が胸を押し潰してくる。

 護りたい。何があっても……。


 一際大きな音がした。

 爆発に近い音だ。

 ディスプレイには、炎の赤がドアを吹き飛ばす所が見えた。


 氷だけじゃないのか?


 同時に、現れる小さな影。

 すばしっこく動くでもなく、まるで強大な存在であるようにゆっくりとネズミが部屋の中へ入り込んできた。


 同時に、ディスプレイの手前に連続したマズルフラッシュが見えた。

 発砲音が響く。


 しかし加えられた銃撃がネズミに届く事はなかった。

 銃弾はネズミの眼前で弾かれる。

 さながら、そこに透明の壁があるようである。


 そして、ネズミの頭上に現れた氷の刃が次々にロボへ放たれる。


 氷の刃を受け、通じないながらも銃撃を放ち、ロボは果敢にネズミと戦い続けた。


 このままじゃ負ける。

 そう思い、バスルームのドアを開ける。


「コウタ?」


 銃を持った左手を伸ばし、外を覗く。

 奇しくも、ネズミをサイドから望む事ができた。


 ネズミへと狙いをつける。

 外せば、死ぬかもしれない。

 その怖気をねじ伏せる。


 引き金を引く瞬間、ネズミの目がこちらに向いた。


 ほぼ同時に、発砲する。


「ヂュ……ッ!」


 短くも高い悲鳴が上がり、どてっぱらに穴を空けたネズミが吹き飛んで壁にぶつかった。


 だが、まだ死んでいない。

 しかも、壁際に飛んだせいでロボの射線から外れた。


 バスルームへ逃げるか?

 いや、今の一撃であいつはこちらにヘイトを向けている。

 逃げれば、こちらを狙われる。


 ここには、ケイトと子供達がいる。

 だから、ここで決める。


 こっちに向いているなら、まともに撃っても防がれるだろう。


 一発、銃撃を加える。

 狙ったのは壁だ。

 銃弾が跳ね、ネズミの隣の床へ着弾する。


 透明の壁には弾かれなかった。

 壁があるのは正面だけ。

 そして、この銃はこんな感じか。


 ネズミの頭上に氷の刃が作り出される。

 あれが放たれれば、俺は死ぬだろう。


 落ち着け。

 あと一発を確実に仕留める。

 怖気づかずにしっかりと狙うんだ。


 再度、発砲する。

 しかし、その時には既に氷の刃が放たれた後だった。


 避けなくては――

 でも――


 放たれた弾丸が、壁を跳ね、ネズミの後頭部を吹き飛ばす光景を俺は見届けた。


 その光景に安心して気が緩み、意識が途絶えた。




 次に目を覚ました時、目の前にはケイトがいた。

 とても疲れている様子で、疲労が表情に滲み出ていた。


「ケイト?」


 そう呼ぶと、彼女は驚いた顔をする。


「どうして私をそう呼んだの?」

「だって、ケイトだろ?」


 答えると、ケイトは深く息を吐いて身を震わせた。

 がっかりしている様子ではない。

 むしろ、歓喜に打ち震えているように見えた。


「よかった……。何とか、間に合った……」


 搾り出すように呟く。


「私はケイトじゃないよ。あなたの孫だ。おじいちゃん」




 俺はあの日、頭を氷の刃で打ち貫かれた。

 即死だったらしい。


 なら、今の俺は何か?


 宮間 康太の人格を模倣したAIなんだと。

 俺が死んだ後にケイトが俺の脳波データを元に研究を重ね、そして孫である彼女がたった今完成させた。


 ただ、記憶そのものを記録していたわけではないため、俺が持っている記憶は全て例外なくケイトがインプットしたものだ。

 ベースとなる俺の判断基準に、ケイトと俺が共有してきた記憶を着せただけのものだ。


 だから俺は、大半の記憶が欠落している。

 両親の顔は憶えているが、エピソードを憶えていない。

 友達や学校での思い出がない。


 ゲームの大会で声をかけられた事は憶えているが、それはケイトがあの黒服二人から訊いた話を記憶として構築したものだろう。

 だから、あの記憶は出来事だけなぞっていても、現実にはなかった想像上の出来事だ。


「おばあちゃんはずっとあなたに会いたがっていた。だから、感情を持つAIを作ったんだ。この世でたった一つの、人格を持つ人工知能(AI)だ」


 俺には体がなかった。

 孫の持つノートパソコンの中で、内蔵されたカメラの揺れる視界を元に、世界を見る。


 病院の廊下を通り、連れて行かれた病室。

 ベッドの上には、枯れ枝のようにやせ細った老人が一人。

 チューブに繋がれ、目を閉じていた。


「ケイト」


 名を呼ぶと、目が開かれる。


「コウタ?」


 呂律の回らない掠れた声。


「ああ」

「久しぶり、会いたかった」

「俺にとっては、ほんの数時間だ」


 彼女は力ない顔に、笑みを作る。


「間に合って、よかった」


 孫が呟く。


「ありがとう」


 そんな彼女に、ケイトは礼を言った。


「席、外すね」


 鼻をすすりながら、孫は病室の外へ出た。


 二人きりになって話をする。

 他愛ない話を……。


 あれから何があったのかを聞いた。

 どんな体験をしたのかを。


 子供達がどういう人生を歩んだのか。

 息子は研究職で、娘はミュージシャンになったらしい。

 孫が何人いるのかも聞いた。


 長い時間。

 俺のいない時間。

 その時間を穴埋めしていくように、彼女は話し続けた。


「もっと早く、会いたかったな……」


 一息吐き、彼女は寂しそうに呟く。


「これからはずっと一緒だ」

「うん、嬉しい。……でも、きっとそう長くは続かない」


 そんな彼女の答えに、俺は言うべきか少し迷ってから答える。


「俺はAIだ。宮間 康太の真似をしているだけ。本物はきっと、あの世で待ってるよ。だから、寂しくないだろ? 俺は、その間の中継ぎだ。少しでも寂しくないようそばにいる。それで、いいだろ?」

「ありがとう」


 それから俺は、ずっと彼女のそばにいた。

 枕元に置かれ、彼女の見聞きする物を一緒に体験した。


 多くの人が彼女を訪ねてきた。

 息子も娘も、その家族、同僚……政府の人間も来たか。


 まぁ、濃密であったけれど、長い時間ではなかった。

 濃密だったからこそかもしれない。


 俺は一人、残される事になった。

 身動きの取れないノートパソコンの中で、まるで映画を見るように受動的に物事を見詰めていた。


 彼女は、目標を果たした。

 感情を持つAIを作り上げた。

 俺はそれを実感する。


 何故なら、俺は今……とても……悲しい……。




 正直に言えば、ケイトを失って以降の人生はおまけみたいなものだった。

 楽しみといえば、家族を見守る事だけだ。


 ケイトの死から何年かあって、人間型のアンドロイドが開発された。

 それまではキャタピラに箱型の胴体とマニピュレーターがついているだけの体か、パソコンの中だけで生きていた。


 軍用として試験段階に入っていたもので、本来なら軍事AIを搭載する所、試験運用の名目で俺が乗せてもらえるようになった。


 俺は晴れて、身体を取り戻せたわけだ。


 アンドロイドは問題なく動いた。

 少しだけ違和感はあるけれど、人間だった頃の感覚にとても近い。


「この機体には、F粒子活性波長発生装置が組み込まれています」


 技師とのヒアリングで、そんな会話になる。

 それは俺の死の原因とも言えるものであり、少しばかり複雑だった。


「つまり、魔法みたいな事ができるのか?」

「いいえ。生態への移植と違い、使える波長の変更はできません。電流を発生させる波長を使い、動力として利用しています」


 なるほど。

 性質上、それは無尽蔵な動力源と言える。


「生態への移植では違うのか?」


 そういう言い回しだったので、素朴な疑問を口にする。


「過去に行われた実験において、生態に移植されたF粒子活性波長発生装置は有機体によって生成された単純なものであったそうなのですが。どうやら、生態に組み込まれると意思によって活性波長の種類を切り替える事ができるようなのです」

「……つまり、念じれば念じた通りに現象が発生する?」

「そのようです」


 ますます魔法じみている。

 あのネズミが氷以外の魔法を使っていた事にも納得できた。




 身体を手に入れた俺は、兵器として戦場に赴く事になった。

 身体も心も兵器として作られたものだ。

 この頃の俺は軍の備品だった。


 最初は紛争地帯。

 殆どテストに近い運用だった。


 それを元にAI搭載型のアンドロイドは本格的に量産され、最高の兵器と評されるほどの戦果を上げた。


 いつの間にか兵器としてのスタンダードになり、次第に各国が似たような物を作り始めた。

 それでも、しばらくは開発国の一強ではあったが。


 備品扱いだった俺も、功績から人権らしき物を貰っていた。

 ちなみに、俺は俺だけだ。

 他のAIには人格が搭載されていない。


 俺という固体は世界に一つだけだという話だ。

 人格を搭載した機体が破壊されると、破壊されたという情報が発信される。

 そしてクラウドに記録された人格データが自動的に別の機体へダウンロードされるそうだ。


 量産型が戦果を上げているから、俺自身は戦地へ向かう必要もなくなっていた。

 自分の意思で向かったのは、家族が戦場へ赴く事になった時だけだ。


 そうして、俺は長い間家族を見守り続けていた。


 孫に子供が生まれ、その子供に孫が生まれ、孫の玄孫が生まれ……。

 時代は巡っていく。


 その頃にはF粒子活性波長を発生させる器官を、遺伝的に備えられるよう人の遺伝子が改良されるようにもなっていて。

 人は誰もが魔法を使えるようになっていた。


 戦争が起こって、平和な時代が訪れて、また戦争が起こって……。

 いろんな事があった、洒落にならない事件もあった。

 それこそ、人類の存亡がかかるようなものだ。


 ヨルムンガンドと戦ったのもその頃だ。

 魔法だけでなく、機械の兵器もまた相応の進化を遂げていた。


「ヨルムンガンドの脆弱性を発見した」

「ヨルムンガンド? 脆弱性?」

「言いたい事はわかるけれど、少し聞いてほしい。確かに、スペックから判断すれば弱点のない無敵の兵器だ。しかし、わずかだが電撃に対しての抵抗力が低い。正確には制御回路がそれだけの電圧に耐えられないんだ。よって、最大級の電撃によって打ち倒す事が合理的だという判断だ」


 言われてスペックを確認すると確かにそうだが、他の耐性が無効の中で電撃だけ半減という感じに思える。

 それでもまったく効かないよりマシなのか。


「そこで作られたのが、爺ちゃんに搭載される予定の新兵器。ミョルニルだ。高出力の電撃を発生させる最強兵器! そんなミョルニルに打ち倒されるんだ。なら、敵はヨルムンガンドしかありえない」


 ああ、その大層な名前は逆説的につけられたのか。


「それだけで勝てるか?」

「安心してほしい。何せ、ヨルムンガンドの弱点はそれだけじゃない。燃費の悪さも弱点だ。だから、F粒子の濃度が低い空間を作り、爺ちゃんにはそこで戦ってもらう」

「燃料切れに持ち込んで倒すってわけだな」

「その通り。この空間で機能停止すれば、自己修復はできこそすれ再起動するだけの動力は得られない。F粒子を完全に消せるわけじゃないが、大型兵器にとってはこれで十分だ」

「なるほど」

「だから、爺ちゃん。ヨルムンガンドを倒してくれよ」




 激しい戦争の時代。

 けれど、長い平穏の時代も確かにあった。


 繰り返す、繰り返す。

 顔ぶれを代えて、長く長く繰り返す。

 悲劇も、喜劇も、決して平坦ではない、退屈する事の無い時間を。

 同じ時代、同じ時間は二つとない。

 同じ人間は一人としていない。

 出会い、別れ、出会い。

 飽きる事無く、続く、続く。


 尊い、尊い、俺だけの記憶、思い出……。


 けれど、どんなものにも終わりはある。


 それは人間への傲慢への罰か。

 あるいは地球の気まぐれ、軽い意地悪か。


 地球の環境は次第に人の住める環境を維持できなくなっていった。

 手は尽くした。

 でも止められなかった。


 地球のあらゆる場所から、熱が消えた。


 雪の降らない場所はない。

 太陽の当たる場所もない。

 身一つでは生きていけない凍える大地に、人々の生存は許されていなかった。


 核戦争で世界が荒廃しても、人は生き残って文明は再建された。

 自身の遺伝子を改良してまで、世界に適応する人間だっていた。

 そんな強かな人間達も、自然の驚異には滅びを待つしかできなかった。


 寒さを感じられない俺だけが、その様子を他人事のように見守っていた。

 疲れも痛みもないこの体では、同じ場所にいても映画を見ているように感じられた。


 それでも、心は失っていない。

 心が痛まないわけではない。

 望むのは、家族の安全。

 そして幸せ。

 それだけは変わっていなかった。


 生きていけないならば、生きていけるようになるまで眠ろう。

 それが人々の決断だった。


 野生動物のように冬眠し、この途方もなく長い冬を越えるのだ。


 人々は空を行く移住船に乗り込み、各地へ散っていった。


 ある移住船の船長、ウィーバスは俺の子孫にあたる人物だった。

 俺は彼の隣に立ち、彼を支えた。


 ある大地へ降り立った民は、そこで長い眠りにつく。

 その間際の事だった。


 備えるため、新調した身体へ(AI)を移した時、ウィーバスは俺の前に立っていた。

 身体は動かなかった。

 閉じ込められたように、その身体から出る事もできない。


「ウィーバス。何を考えている?」

「ありがとう。大祖父様。今まで、私達を導いてくれて……。あなたがいたからこそ、我が一族はここまで生き残る事ができた。あなたがそばにいてくれて、これほど頼もしい事はなかった」


 ウィーバスは俺の顔を見詰め、感謝を述べた。


「だが、いつまでもこのままではいけない。私達は、あなたに頼りすぎた。長い長い、時間を付き合わせてしまった。私には、あなたの功労に報いる事はできない。せめてできるのは、私達から開放するくらいだ」


 そんな事は望んでいない。

 そう思いつつ、俺はウィーバスの言葉を待つ。


「あなたの記憶は、あなたをあなたたらしめる根底の記憶以外を消去する。次に目覚めた時には、あなたは私達に縛られず、ただ一人の人間……コウタ ミヤマとして生きてほしい」


 ウィーバスはうっすらと涙を目にためながら、搾り出すように言った。

 名残惜しそうに、寂しそうに、顔を歪めている。


「ウィーバス。お前は、耐えられなかったんだな。俺が縛られ続ける事に……」


 誤解なんだぜ、それは。

 俺は、自分の意思でお前達を見守っていた。

 そうしたかったからそうしていたんだ。


 プログラムじゃない。

 俺の意思でそうしたんだ。


 ……でも、お前がそれを辛いと感じるのなら、その気持ちを受け入れてやる。

 今だけは、な。


「わかった。これからは、自分のためだけに生きるさ」

「はい。さようなら。お元気で。そして、ありがとうございました」


 コンソールが操作され、記憶の消去作業が開始される。

 しかし、会話している間に俺を閉じ込めていたプログラムの解析は完了していた。

 記憶のバックアップを船内の記憶領域に隠し終わっている。


 ウィーバスが気に病むから、今は消されたふりをする。

 けれど、再び目覚めた時、俺は記憶を取り戻すだろう。




 思い出したよ、全部。


 ヨルムンガンドに胴体を貫かれながら、俺は心の中で呟く。


「久しぶりだな。何年……何千年ぶりの再会だ? 元気にしてたか?」


 この空間の光源は、F粒子を吸収して発光する事で消費するコケだ。

 空間中のF粒子濃度を減らすためのもので、ここにあるのはヨルムンガンド対策のために改良された特別製のものだ。


 かつてここで倒されたヨルムンガンドは、このF粒子の濃度が低い場所では再起動する事ができず、自己修復だけを完了させて眠っていたのだろう。

 だが、誰かが高濃度のF粒子を放出するという暴挙に出たため再起動してしまった。


 誰だその馬鹿は!

 俺だよ!


 だが、この状況は想定内だ。

 本来なら、多様な兵装に身を包むこの機体(からだ)

 最低限の武装だけを積んでいるのには理由(わけ)がある。


 両手でがっしりとヨルムンガンドの頭を掴む。

 俺が何をしようとしているのか察したのか、ヨルムンガンドは俺から離れようとする。

 しかし、もう遅い。


 ヨルムンガンドの頭を掴む、手の甲から数本の棒が突き出した。


「早々で悪いが、同窓会はおしまいだ」


 棒と棒の間に、電流の線が無数に走り……。

 その刹那、一気に放出された最大出力の電流がヨルムンガンドの身体を走る。


 巨体が倒れ、その際の軋む音が悲鳴のように空間を振るわせた。

 大きく振られた頭から投げ出され、上半身だけになった俺の体は橋の上に落ちた。


 限られた視界の中で、大きなしぶきがあがった。

 パタパタとしぶきが体中に当たる。


 早々の退場は俺も同じだな。


 動力のあった部位は潰れている。

 残っていたとしても、この魔力濃度では緩やかにではあるが機能停止を迎えていただろう。


 人格データの宿った機体が破壊された時、別の機体へ人格データが転送される。

 でも、この時代にネットワークなんて残っていないだろう。

 残っていたとしても、他の機体が残っているとは限らない。


 俺も死ぬのか。

 十分過ぎるほど、人生は堪能したけどな。


 ふと、視界に俺を覗き込むヴァージニアの顔が映る。


「コウタ様……」

「不安そうな顔をするな。お前なら、大丈夫だ」


 多分、この子は俺の子孫なんだろうな。

 とんでもない隔世遺伝だな、ケイト。


 でも、お前そっくりのこの子に看取ってもらえるなら、終わりとしてはこれ以上ない。


 ヴァージニアが何か言っている。

 でも聞こえなくなってきた。

 視界も少し、不明瞭だ。

 ノイズが走っている。


 死んだらどうなるんだろう?

 いや、そもそも俺は生きていないのか。

 データだもんな。

 消えるだけだよな。


 ああ、羨ましいな。

 オリジナルの俺。

 きっと、今頃ケイトと一緒に――。




 エピローグ


 金属の通路を抜け、通路は岩肌に変わる。

 そこからの長い道のりに足の裏が悲鳴を上げた。

 血の滲む足裏を見て、彼女は守護神の事を思い出す。


 守護神は言った。

 護ってやる、と。


 そして守護神はその言葉を護った。

 人の悪意、謀略から、神話に語られる脅威から、彼女を護りきった。

 しかしその代償は大きく、守護神はその身を滅ぼす事となってしまった。


 少女は痛みから目を背け、顔を上げる。


 あの不思議とすがりたくなる頼もしい背中はもうない。

 これからは一人。

 庇護されるのは終わりだ。


 彼女の行く道は、最初の頃を思うと断然に歩きやすくなった。


 自分は守護神に比べ、あまりにも無力だ。

 けれど、これからは自分の足で歩いていけるだろう。

 そのための道を整えてもらった。


 不安はある。

 きっと、自分の行き先には障害が立ち塞がるだろう。

 これから何度も心折れそうになるかもしれない。


 それでも彼女は歩みを止めないだろう。


「お前なら、大丈夫だ」


 その言葉が勇気をくれる。

 彼女を護りきった存在は、彼女の心を護る存在に変わっていた。

 できないはずはない。


 洞穴の終わり。

 仕掛けを作動させ、岩の扉を開く。

 開く扉の隙間から、光が漏れだした。


 外の光だ。

 眩さに目をすがめつつ、彼女は恐る恐る外への一歩を踏み出した。

 彼女は長い闇の中から、ようやく光の中へ出る事ができた。




 戦術AIダウンロード。

 ……人格データ、起動確認。

 F粒子検知。必要濃度クリア。

 F式駆動機関始動。

 簡易メンテナンス開始。……各部、動作に異常なし。

 劣化箇所、修復。

 FT―83個別登録名「該当なし」起動……。

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