足跡
「ねぇショウタ…」
あまりにもか細い、今にも消えてしまいそうな声でシオリはショウタに言った。ショウタは、シオリの方を真剣な眼差しで眺めていた。彼には、返すべき言葉が見つからなかった。
「短い間だったけど…本当にありがとう…」
まるで一言一言を噛み締めるように、丁寧な口調だった。
「…あのさシオリ…」
ショウタは、息を思い切り吸い込んだ。そして、自分の中にある沸々とした感情を、思い切り大声で叫んだ。
「そんなバカみたいな格好で今生の別れ風な事言ってるんじゃねぇ!」
シオリは、両手で必死に瓦礫にしがみつき、両足をバタバタさせていた。
「イギャー!!風吹いた!風吹いた!ちょっと揺れた!!」
「ああバカ落ちつけ!ジタバタするな!」
「誰がバカだ!誰がぁ!」
シオリの叫びには、少しずつ泣き声が混じり始めた。
「大丈夫、最悪落ちてもそんなに大怪我はしないはず」
「足首骨折とかはっ!!立派な大怪我の部類なんですがっ!?」
「でももう安全に足引っ掛けたりとかできる感じではないだろ!」
一瞬の間が空く。
「…ってことは私骨折不可避!?」
とうとう明確にシオリの叫びが泣き声に変わった。ショウタは、大きな鞄を足元に下ろした。そして、シオリがぶら下がっているすぐ下まで歩いた。
「ほら!受け止めてやるから早く降りてこい!」
ショウタは両腕を大きく広げた。
「マジだよね!?信じていいんだよねパズー!?」
「いらんこと言ってないで早く降りてこい!」
また、一瞬の間が空いた。ゴキュっと唾を飲み込む鈍い音と、震える小さなカウントダウンが風に乗って広がった。直後、シオリは一気に手を開き、その全身を薄汚れた空気の中に放り出した。
「ギャアアアアアアアアア!!!!!」
大きな叫び声が、一瞬のうちにショウタのすぐそばまで落ちてきた。ショウタは、落ちてくる少女にそっと両手をあてがうように手を伸ばした。一瞬、シオリの背中がショウタの指に触れる。そしてすぐに、その手全体、腕全体にずっしりとしたシオリの重みを感じた。ショウタが自分の無謀さに気づいた時には、ショウタはシオリの下敷きになっていた。
「ねぇショウタ……思い出したんだけどさ…」
ショウタは、胸の上にズキズキとした痛みと重みを感じていた。
「あのシーンって飛行石の力でゆったり落ちてたよね…」
「…どういたしまして…全然痛くないよ…」
ショウタは、魂の抜けたような声でシオリに嫌味を言った。
「…そもそも、なんであんなところ登って急に演説じみたことしだすかね?」
ショウタが、防護服についた砂埃を払いながらシオリに言った。
「……ほら、私ってロマンチストだから」
「そのロマンスのせいで腹部を骨折しかけた人間がいることをお忘れですかシータ姫?」
「本っ当、本当に悪かったってぇ…」
シオリは、腹の底から細々と声を絞り出した。
「……どこも引っ掛けなかった?」
「酸素に影響出てないから、多分平気」
手首の端末を見ながらシオリは言った。
「……」
ショウタは、慎重に言葉を選んでいた。
「……シオリ…」
シオリはショウタの顔を見た。ショウタは、まだいい言葉を思いつかないでいた。
「……残念だったね…」
「……まぁ、しょうがないよ!…というかありがとうね、ワガママに付き合ってくれて…」
シオリは、とても明るく元気な声でそう言った。
「…さぁさぁ、終わったから…とっとと帰りましょ!」
そう言うとシオリはスタスタと歩き出した。砂埃はすっかりおさまって、だいぶ歩きやすくなっていた。来た道を引き返していくシオリの足元には、一つずつ小さな足跡が残っていた。
「……そうだね」
ショウタも、シオリの跡を追うように、とぼとぼと歩き始めた。
「遅い!はよ!はよう!」
シオリは、とても元気な声でショウタを急かした。しかし、ショウタにはその声は、あまりにも空っぽで、まるで転げ落ちた空き缶のように聞こえていた。
ショウタは、振り返って東京タワーだった残骸を見た。その鉄屑の赤い色は、もう色褪せていてここからでは見えなかった。向き直ると、ショウタはシオリの元へと歩き出した。二人の残した足跡は、風に飛ばされてすぐに跡形もなく消えてしまった。