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その9


 飛呂之は3人を、彼らの泊まる部屋とは反対側の奥にある部屋へ招き入れた。賢児がさっそくテーブルの前に座ろうとすると、飛呂之が言った。

「もうひとつ奥のほうへ」

 飛呂之はおもむろに押入れをあけ、上段に登ると、その奥の板を角の柱ごと横に移動させて開いた。

「どうぞこちらへ」


「うわあ。忍者屋敷みたいだあ」龍が目を輝かせる。

 部屋は8畳ほどの和室だった。部屋の真ん中にはテーブルが、壁際には小さな冷蔵庫が置かれていた。テーブルの下にあった座布団を取り出すと、飛呂之は3人の前に置いた。

「玲香に何か飲み物でも持ってこさせましょう」

「じゃあ、玲香…さんにコーヒー淹れてもらっていいですか」賢児が言う。

 それではと、立ち上がろうとする飛呂之を制して、賢児は自分が行くからと言って、いったん部屋の外に出た。


  *  *  *


“ところで、どこにいるんだろう、玲香は…。さっき、おかみと板長のところへ行くって言ってたから、板場かな。電話したほうがいいかな”

 しばらく廊下を歩いていると、裏庭に面した窓から、玲香と翔太の姿が見えた。何か話し込んでいるふうだった。


「玲ちゃん、また“白子ポン酢”のやつ、ヘタこいたようやで!」

「また?…あそこのホテル、大丈夫なのかしらねえ」玲香が、やれやれというふうに笑う。

「せやけどな、今回は白ポンさまさまや。ダブルブッキングした片方が、大臣先生やったそうや。もう一組はシニアのカップルやて。ほんでな、先生がスイートを譲ってあげなはったんやて。イケてるのは、メンだけやのうて、ここもやなあ」翔太は自分の胸をバンバンと叩いた。


「あら、先生は白ポンのところにお泊りの予定だったの?」

「明日、あそこのホールで民自党の県大会なんやて。いつものことで、ブッキング客はうちに回そう思うたらしいんやけどな、先生が先にうちの名前出しなはったんで、白ポンもびっくりポンだったみたいやで」

「そうなの。でも、せっかくの家族旅行だから、先生もご一緒できることになってよかったかもね」


「ねえ…“白ポン”て何?」

 いきなり声を掛けられた玲香が、びっくりする。

「賢児さま…!」

「あ。賢ちゃんはんや」翔太は賢児を見て、うははと笑う。

「えーと、翔太が付けたあだ名です。隣町のホテル・スーパーブリリアントのマネージャーのことなんですけど」


「色がごっつう白くて、白子みたくムチムチしてるんですわ。赤いメノウのメガネなんか、紅葉おろしかっつーもんで。それに、緑のメッシュが入ったぴらぴらした髪もなあ、添え物のワカメにしか見えへんのですわ」

 顔を思い出したのか、玲香がぷっと笑う。

「へえ。ちょっと見てみたいかも」

「後で、先生を送ってくると思いますから、そのときにでも、どうぞごゆっくり」


「さてと、おかみに着物出してもらわんと! 玲ちゃんは、賢ちゃんはんにサービスしてな。しっかり喜ばすんやで!」翔太は、とっととその場を走り去った。

「もう、翔太ったら。…あの、ところで、何かご用事でしたか?」

 玲香の言葉に、賢児は肝心の目的を思い出した。

「あのさ、コーヒー淹れてくれないかな。ご亭主と兄貴と龍とで、ちょっと話をしててさ」


“何かしら。また父さんがいつもの調子で釣り場の案内でもしたのかな。涼一さん、釣りをなさるって、この前おっしゃってたし”

「わかりました、すぐお持ちします。賢児さまのお部屋でよろしいですか?」

「いや、えーと、突き当りの部屋の押入れの奥」

「…ああ、隠し部屋ですね。では、龍くんの分は何かジュースでも」


 そう言って玲香は板場のほうに向かってすたすたと歩きはじめたが、賢児はそれに気づかずに、近くの大きな木を見上げながら、後ろにいるはずの玲香に語りかけていた。

「…あのさ玲香、食事が済んだらさ、海辺の露天風呂っていうのに行かないか? さっきの話の続きも、何ていうかこう……あれ? 玲香? あれ?」


 賢児が振り返ったときには、もう玲香の姿はなかった。

「何だよ、そっけないなあ…」

 子どものように口を尖らせて、しょんぼりする賢児の姿を、戸の陰からこっそりうかがっていた玲香は、うふふと笑って声をかけた。

「賢児さま! 後で私の秘密基地にお招きして、しっかりと喜ばせて差し上げますから!」


  *  *  *


「賢児が戻るまで、私のほうから、こちらサイドの事情をお話しておきます」

 涼一は、さっき飛呂之がした質問への答えがイエスであることの理由を話し始めた。

「ご亭主が“命”さまと呼んでいる人間は、おそらく私の伯母、父の姉です。

 西園寺家の人間には、昔から時折ある種の不思議な力が備わっていたようで、伯母も15まで巫女をしていたと聞いています。一種の国家公務員のような存在で、神事のとき以外、普段の生活で恩恵を被っていた人々が、自分たちの巫女さまとして大切に守っていたようです。

 …そして半年前、伯母夫婦が姿を消しました。“捜索願は出さないように、用事が済んだら戻るから”という書置きがあったので、龍と一緒に伯母の帰りを待っていました。


 ただ…しばらくして、紗由に“命”の兆候が現れ始めたんです。何度か、いろんな事を当てました。時には人の死まで…。紗由の言動が伯母の失踪と何か関係があるのか、これから紗由がどうなるのか、私としては気にかかるところですが、ヒントも何もなくて…。

 伯母夫婦は6年前に息子夫婦を亡くし、忘れ形見の龍を手元に引き取ったので、そういう意味でも、いなくなった意味が理解できませんし。

 …あ、この子は、伯母夫婦が姿を消した後、私の養子になりました。以前から、そういう話は度々出ていたんですが、結局伯母がそのように手はずを整えていったんです」

「そうでしたか。結局血がつながっているわけですね。鼻筋がそっくりですよ、お二人は」

 飛呂之が龍を覗き込むように言うと、龍が恥ずかしそうに笑う。


「伯母は、いなくなる少し前に、この子に言ったそうなんです。“行かなくてはいけないわ”と。龍が、どこへ行くのかと聞くと、“おしとやかな恋人のところへお忍びよ”と、彼女は答えたんだそうです。そして、“もう一度、やり直すの”とも。

 それだけ聞いていると、まるで伯母が愛人と駆け落ちでもして人生をやり直すかのような展開なんですが、伯母は伯父と一緒に家を離れていますし、相手の男性を表現する言葉として“おしとやか”というのも変ですよね。だから、最初はわけがわかりませんでした。


 そして半月ほど前です。花の図鑑を見ながら紗由が言ったんです。

“このおはなにはね、いいたいことがあるの”

“おばあさまが、にいさまとさゆにあいたいって。ちいさいころ行った、おはなのところでまってるって”

 紗由にとっての祖母、つまり私の母は、紗由が生まれる前に亡くなっています。紗由の言う“おばあさま”とは、伯母のことです。

 紗由にはまだ語彙がそれほどないので、不思議な言葉は龍が通訳してくれるんです。伯母の直系ですから、巫女とまでは行かなくても、龍にもそういう力があるんでしょう。…まあ要するに、今のところ、龍と紗由、二人で“命”さま的なものなんです。

 そして、紗由が“このお花”と言っていたのが、芙蓉でした。ヒントがないものかと花言葉を調べたところ、そのひとつにあったんです。 “しとやかな恋人”というのが。


 伯母の行き先が“芙蓉”のある場所なのはわかりましたが、原産地を調べたら中国だし、生息地も、これまた範囲が広い。どうしたものかと思っていたら、紗由がまた言いました。

“とうさま、おやまにいこう。おばあさまにあいにいこう”

“お山”という言葉で、“芙蓉”の差すものが“冨士”ではないかと思いました。富士山の別名は芙蓉峰ですから。それで父に確認すると、伯母は少女の頃、山の周辺に修行のようなものに時々行っていたとのことでした。

 それで、富士山の近辺に伯母がいるのではないかと思ったんですが、その頃からちょうど私が学会準備で忙しくて、詳しいことを調べられる状況ではありませんでした。賢児とも、ゆっくり話し合う時間も持てなかったんです。


 …父のほうは、伯母の過去については、さっきお話した以上のことは話してくれなくて、伯母夫婦のことは放っておけの一点張りです。紗由と龍のことは心配しているようですが、ちょっと取り付く島がないというか。ですが、親としてはやはり気になりますから、自分で調べがつくことは何とかしたいと思いまして…。

 で、この週末は、ようやく休みが取れて、とりあえず静岡方面に行ってみようということになりました。紗由の反応を見ながら、動くのもいいかもしれないと思いまして。

 賢児が宿取りに四苦八苦していたら、玲香さんからありがたいお申し出をいただきまして、こちらは代々続く旅館ということですし、もしかしたら富士山近辺のことで、何か情報をお聞きできればと思っはいたんですが、まさかご亭主が伯母と直接のお知り合いだったとは、夢にも思いませんでした」


「私もまさか、玲香がお世話になっている方々と“命”さまにつながりがあるとは思いませんでした。

 …ただ、今のお話ですが、“命”さまが半年前に行かれた場所というのはお富士様かもしれないですが、紗由ちゃんが“小さい頃行った”と言っていたのが、“命”さまが修行に行った先ということならば、その場所は、お富士様ではないかもしれませんね」

「なぜですか?」

「先ほど賢児さんにも少しお話したのですが、ここは私の父の代までは、一般の方をお泊めする宿ではありませんでした。

“命”さまを含め、巫女さんたちが各地から集まってきていた一種の研修拠点、合宿所のようなものです。“巫女寄せ宿”といいましてね。ここへ来る巫女さんたちは、皆、うちを含めた4箇所を定期的に回っていたと聞いています。

 基本的には、あちらの浜と、北のほうにある山が修行の場所だったはずです。そして西園寺のお家は、かなり歴史のあるお家柄ですよね」


「ええ、まあ。うちは傍系ですが、藤原の時代から続く家です」

「お富士様は江戸後期まで女人禁制の山でした。そう考えると、古い家柄の巫女さんは、お富士様を修行場所にはしていなかったのではないかと思います。結界手前の女人堂には行かれたかもしれないですけどね」


「なるほど…」涼一が腕を組んで考え込む。

「言われてみれば、そうですね。紗由が言った“このお花”、つまり図鑑にあった芙蓉と、“小さい頃に行ったお花のところ”のお花が同じとは限らない。

 同じ日に言われたので、てっきり同じ花を差していて、最初に行った場所へ来いと言われているのかと思っていましたが、もう随分経っているわけですから、伯母が別の場所へ行っていることも十分考えられるってことか…」

 涼一は組んでいた手を後ろについて、天井を見上げた。

「芙蓉の花というのも、あちらこちらで見かけるものですしね。うちの旅館の裏庭にも、大量にございますよ」


 そこへ賢児が戻ってきた。「どこまで話進んだの?」

 涼一が、飛呂之に示唆された部分を説明する。

「そう言えば、兄貴、紗由が言った、“小さい頃に行ったお花のところ”の主語は伯母さんなのか?」賢児が質問する。

「うん?」

「お花のところに行ったのは、紗由ってことはない?」

「でも、紗由はまだ十分小さいのに、“小さい頃”っていうのもなあ」

「わかってないなあ、とうさまは」龍が、やれやれといったふうに首を振った。「紗由的には、紗由はもう一人前のレディなんだ。今の自分は大人のつもりだから、1カ月前だったとしても、紗由にとっては“小さい頃”なんだよ」


「おまえ、すごいな、龍。どこからそういう知識が入ってくるんだ?」賢児が感心して、龍の頭をくしゃくしゃとなでる。

「知識じゃないよ。妹がどんなこと思ってるか、どうしたら嬉しがるか、いつも一生懸命考えてるだけだよ。賢ちゃんがこの前、困ってる玲香ちゃんにDVDダビングしてあげたのと同じだよ」

“何でいちいち、こっちに振るんだよ…”賢児は小さく咳払いした。


「とうさまが紗由のことをわかってないのは、よーくわかった。紗由に直接言われる前にわかってよかったよ。ありがとう、龍」

 やけくそなのか、ポジティブシンキングなのか、涼一が淡々と龍に礼を述べる。

「で、さっきの質問だが、紗由が見て周っている花については後で周子にも確認だな」


「それでは今までのお話も踏まえて、私のほうからも、わかる限りのことをお話いたしましょうか」

 飛呂之は、座布団の位置を少し直すと、話を始めた。

「先ほども申しましたが、私が“命”さまをお見かけしたのは半年ほど前、年末に光彦…うちの婿ですが、一緒に年末年始の支度品の準備で市場に出かけたときのことです。

 地元のアメ横みたいな場所でして、かなり人出も多かったんですが、何しろお綺麗な方で、横顔にはっきりと昔の面影がありました。ほんの3メートルくらいのところまで近づいたんですが、あっという間に人ごみに紛れてしまって、きちんと確認はできませんでした。

 その後、何度か仕入れの関係でその場所にも行ったんですが、お見かけしたのは結局その一度きりです」


「そのとき、彼女は誰かと一緒でしたか?」

「私は“命”さまに気を取られていて気づかなかったんですが、光彦が言うには、60過ぎの男性がいたようです。

 と言いますか、光彦はその男性が身に着けていた翡翠の、龍が彫りこまれていた翡翠のループタイに目を引かれていたようで、その男性はものすごく綺麗な女性と一緒だったという言い方をしていました」

「伯父さんだろうか」涼一が賢児を見る。


「会社でも普段でも、普通のネクタイしか見たことないけどな…。会社というのは、僕の会社です。伯父は僕の前に社長をしていました」

「こいつは専務だったんですけど、社長をしていた伯父と、それから伯父の妹で、一緒に会社を立ち上げた常務が、伯母さん夫妻がいなくなる少し前に会社を辞めてしまい、直後にその下にいた営業部長も独立したので、予定を早めてアメリカから戻ってきて社長に就任したんです」

「それはかなりご苦労されたことでしょうね」

「正直、無我夢中でした。経験も浅かったですし」賢児が唇をかみしめながら言う。「本当に、勉強だらけの半年でした」


「その人きっと、グランパだよ」龍が言う。

 グランパというのは、龍の祖父、涼一たちのいう“伯父さん”のことだ。

「どうしてそう思う?」

「グランパはね、龍の置物とか、龍の柄の着物とか、龍の指輪とか、いろいろ持ってたよ。おばあさまのためにそろえてたんだ」

「へえ、伯父さん、そんな趣味あったんだ。知らなかった」

「おばあさまが、おばあさまらしくいられるには、龍が必要なんだって。僕、そう言われると、自分のことみたいで嬉しかった」にっこりする龍。

「お前のことだよ。おばあさまにも、グランパにも、そしてみんなに、お前が必要なんだ」涼一は龍の肩を堅く抱いた。


「その男性が伯父さんだとして…ずいぶんと目立つ物を身に付けてたんだなあ」

「目立つもの? ループタイがか?」涼一が賢児に聞く。

「いや、だってこちらの光彦さんは、伯母さんより、そのループタイのほうが気になったわけだろ? 伯母さんは60過ぎてるって言っても、かなり若く見えて人目を引く美人だし、普通はまず、そっちのほうに目が行かないか?」賢児が軽く首を傾げる。

「ああ、それでしたら、光彦は元々民俗学専攻なんです。実家が天然石の問屋ということもありまして、宝飾品などには、つい目が行ってしまうようです」


「民俗学専攻の板前さんとは、お珍しいですね」涼一が興味深げに聞く。

「主に郷土料理を研究していたようです。うちに来たのも最初は学生の頃で、わが旅館の伝統料理“青龍盛り”を食しに来たんです。

 その時におかみ修行中だった鈴音に向かって“何て美しいんだ!”と叫ぶので、こいつ娘をナンパする気なのかと思ったら、“その本鼈甲と本真珠と本珊瑚のカンザシ、手に取らせてもらってもいいですか!”と真剣な顔で聞くんです。

 そのあと、鈴音はかなり機嫌が悪くなってしまって」

 飛呂之は当時を思い出し、くすりと笑った。

「…すみません、内輪の話になってしまい、失礼しました。“青龍盛り”は夕食にお出ししますので」

「いえいえ、興味深いお話です。ただ私なら断然、“美人若おかみ”のほうを手に取りたいものですが…お料理、楽しみです」涼一が微笑む。


「龍は、彫り物がされた翡翠っていうのには見覚えないの?」

 賢児が聞くと、龍は首をかしげた。

「“ひすい”って?」

「翡翠か。そうだな、緑っぽい半透明の石で…」うまく説明できず、賢児は涼一に目で助けを求めた。

「言葉で説明っていうのもな…後でパソコンで検索して画像見せてやるよ」


「ちょっとお待ち下さい」

 飛呂之はそう言うと、床の間の板をはずし、その下に収めてあった薬箪笥を取り出すと、引き出しをいくつか開け始めた。

「これですよ」

 飛呂之は、薄みがかった緑と青と紫が、美しい輪をなしている腕輪のようなものを差し出した。


「こういうの知ってるよ!」龍が飛呂之を見上げてにっこりする。

「光彦が見たのも、この宝石と同じ種類のものです。ただ、龍の部分は、これは三彩…ブルー、グリーン、ラベンダーといった3色からなるものですが、それはグリーン一色の、かなりの高級品で美しい翡翠だったそうです。そして龍についていた玉が針水晶という、かなり珍しい造りのようでした」

「あのね、僕が知ってるのは、こういう石でできた龍で、口がぽっかり空いてるの。大きさはね、このくらい」龍は両手の人差し指で7,8センチくらいの間隔を作って見せた。

「光彦に確認しましょうか…ああ、今はちょうど来客中の時間かな。その件は後でまた」飛呂之は手元の時計を見ながら言った。

「そうですね、後ほど光彦さんともお話をさせていただければ」


「あのね、龍っていうのは、大切なことをしまっておくのに必要なんだって。あとね、伝えるとき…。おばあさま、そう言ってた」

「おまえ、今までそんなこと全然言ってなかったじゃん」

「聞かれてないもん」龍は賢児を上目遣いに見た。

「おっしゃるとおり」

 賢児がコホンと咳をする。


「でもなあ、その龍とやら…わかりそうで、わからないよなあ。そもそも、龍って何なのかって話だし、しまうとか伝えるって何をだろう。伯母さんが、伯母さんらしくいられるって、どういうことだ?」

 賢児が相次いで疑問を呈すると、飛呂之は最後の一つに答えようと口を開いた。

「こういう場合の“伝える”というのは、おそらく…」


 そのとき、押入れの奥から玲香の声がした。「お飲み物、ここに置いておきますので」

 賢児が素早く立ち上がり、襖を開けた。「ありがとう。…いい香りだな」

「賢児さまのお好きな、モカとブルマンのブレンドにしました。こちらは龍くん用のフレッシュジュースです」にっこり笑う玲香。

「玲香、ちょうどいい。お前もこっちに来い」

「あ、はい」父親の声に、玲香は押入れをまたいで隠し部屋に入った。


「父さん、何?」

「今、“命”さまの話をしていたところなんだ」

「“命”さまって…あの“命”さま?」玲香がびっくりしたように聞く。

「そうだ、その“命”さまだ。不思議だな、西園寺家は“命”さまの家系だったんだよ」

「じゃあ、紗由ちゃんは、やっぱり!?」

 間髪入れずに聞く玲香に、涼一が少し驚いたように確かめた。

「玲香さん、やっぱりというのは?」

「何と言うか…紗由ちゃんは、何か不思議な力を持っているように思えたものですから」

「何でそう思ったの?」賢児が真剣なまなざしで聞く。


「先週、お食事をご馳走になったとき、紗由ちゃんが私を、その…賢児さまのお嫁さんだと言ったことに対して、周子さんが“紗由の言うことだと、つい本当かなと思っちゃって”とおっしゃったんです。まず、それがひっかかりました。

 なぜ、本当なのだろうかと。それから、その翌日、うちで同僚達と飲み会をしたときなんですが、同僚の一人が金曜日に起きた不思議な出来事を語っていました」

 そう言って塩谷の一件を話す玲香。


「それから、先ほどお部屋のほうでのお兄様ご夫妻の反応です。姉も言っていました。お菓子を皆で分けるように躾けているようなお家だから、ご両親のどちらかがお叱りになるのではないかと思って、内心ドキドキしたけど、親子喧嘩にならなくてよかったと」

「最後の例がよくわからないんだが」

 飛呂之が不思議そうに尋ねるが、玲香はどう説明していいのか困ってしまった。“玲香ちゃんのおっぱいは賢ちゃんのもの”などとは、娘の口からはさすがに言いづらい。

「あのね、翔太くんが玲香ちゃんのおっぱい触ったら、紗由が“玲香ちゃんのおっぱいは賢ちゃんのだからダメ”って怒ったんだ」龍がにこにこしながら飛呂之を見る。

「ほお、そういうことですか」


「す、すみません」緊張した面持ちで、賢児が頭を下げる。

「いえいえ、賢児さんがお詫びなさるようなことではございませんから。

 それにしても、まったく翔太のやつ、お客様の前で失礼なことをいたしまして、こちらこそ申し訳ございません。玲香、お前ちゃんと注意したのか?」玲香をじろりと見る飛呂之。

「ちょっと可愛そうだったから…」玲香が気まずそうに答える。


「翔太くん、自分のお嫁さんになって、おかみにならないかって紗由に言ったんだけど、紗由がすぐに断っちゃったんだ。翔太くんは泣きそうになって玲香ちゃんのところ行ったんだよ。だから飛呂之さん、翔太くんのこと叱らないであげて。玲香ちゃんのことも」

「龍くんはやさしいですね」

「龍くん、ありがとう」玲香が頭を下げる。「…父さん、すみません。私が不注意でした。皆さん、申し訳ありません」


「あ、そうだ。さっき玲香ちゃんの言ってた女の子は紗由だよ。賢ちゃんに届け物したとき、紗由も連れていったから。入館証を受付で用意してもらってる時、一瞬どこか行っちゃったんだ。慌てて呼んだら、すぐに戻って来たけど、そんなことしてたの気がつかなかった」龍が言う。

「でもまあ、紗由の場合は、そのおかげで助かった人間がいたんだから、よかったっていうか…その友人って、営業の塩谷くんあたりか?」賢児の問いにうなずく玲香。

「あの、ところで、今回のご旅行には何か紗由ちゃんのことと関連した理由が?」玲香の問いに、涼一は、さっき飛呂之に話したことを、かいつまんで説明した。


「そういうことだったんですね…」合点がいったという様子で頷く玲香。

それに続けて、飛呂之が話を元に戻した。


「…それで、賢児さんが先ほどおっしゃった“伝える”ですが、たとえば、“命”さまの能力を伝えることに関しても、うちに伝わる文書にも少し書かれています。その辺は、娘のほうが詳しいかもしれないです」

「一般的な宗教やスピリチュアル系にもありますが、“伝授”と呼ばれるものですね」

 玲香はにっこり微笑むと、涼一に向かって説明をした。


「先日もちょっとお話しましたが、私は心理カウンセリング専攻でして、心の病の予防診断システムを研究していました。

 最近は、いわゆる“スピリチュアル”なことへの係りから心のバランスを崩したり、“スピリチュアル詐欺”が引き金となって発症する症例も増えていまして、私がいた研究室ではシステム開発のために、それらを一種の研究対象としていて、いろんなセミナー等に潜入調査なんてこともしていたんです。

 ですから、世間的に認知度の高い代替医療から、ちょっと怪しげなヒーリングまで、いろいろと資格も取りましたし、独特の用語なども一般の方よりはおそらく承知しています。もし何か、お役に立てそうなことがありましたら、いつでもおっしゃってください」

「そうですか。じゃあ、その辺のことは玲香さんにお聞きするとしましょう」


 飛呂之は立ち上がり、さっきの薬箪笥の底から1冊の冊子を取り出すと、涼一に渡した。

「これが、うちに伝わる文書です。文書と言っても、まるで会議のレジュメのような箇条書きメモといったものですが。たとえば、伝授に該当するのはここですね…

『其の壱 天から継承者へ、其の弐 継承者から更なる継承者へ、其の参 継承者無きとき、性違う者へ 其の四 さらに継承者無きとき、傍系の者へ』」

「文面のままに受け取るなら、“命”さまの力は、神様から“命”さまの資格者へ伝わり、その資格者からさらに次の資格者へ伝わる。継承する者がいないときは男性でも可。さらに継承者がいないときには親戚の者へ…ということでしょうか。其の参と四だけで事足りるような気もしますが…」玲香が内容を簡単に説明する。


「私も“命”さまと接する機会があったのは、小学校2年くらいまででしたから、覚えていることも限られますし、これに書かれた内容すべてが理解できるわけではありませんが。

 これはコピーですが、よろしければ涼一さんのほうでお持ちになって下さい。“命”さまをお探しする際に、何かのヒントになるかもしれません。それにこれも、そろそろここには置いておかないほうがいいかもしれないので…」飛呂之が文書を涼一に差し出す。

「ありがとうございます。お預かりさせていただきます。ですが、“そろそろここには置いておかないほうが”というのは、どういう意味でしょうか」


「実は、こちらとしてはそれが本題なのですが…」飛呂之は軽くため息をついた。

「“命”さまをこちらでお見かけしたことは、巫女寄せ宿の周辺で起きている、やっかいな事柄と関係があるように思えまして」

「やっかいな事柄?」涼一がいぶかしげに聞き返す。

「はい。いくつかの巫女寄せ宿に起こっている出来事があるんです」

 飛呂之は一連の出来事を話し始めた。


  *  *  *


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