その6
食事スペースだと通された部屋は和室だった。
そのインテリアは、どこかで見たような個室居酒屋を髣髴とさせるもので、部屋の真ん中に置かれたテーブルは掘りごたつのようになっていた。
壁には今日のオススメと書かれたホワイトボードが吊るされ、メニュー名を書いた短冊がいくつも貼られている。
おまけにテーブルの端には、店員を呼ぶかのような呼び鈴まで置かれていて、各席には割り箸と箸置き。取り皿も何枚か重ねられている。
想像と違う部屋の様子に戸惑う玲香を見て、賢児が言った。
「これ、親父の趣味。元々居酒屋好きなんだけど、大臣になってから禁止されちゃったの。時節柄、危ない奴がうろうろしてると一般人に迷惑かかる可能性あるしね」
「そうなんですか」
玲香は答えながら、以前週刊誌で読んだ記事を思い出していた。
前外務大臣が亡くなる直前に提唱していた外交政策をどの程度継承するかによっては、強硬な反対派が現大臣に対してよからぬことを企てかねないという類のものだった。
前大臣の突然の事故死により、半年前に急遽大臣となった保だったが、その前大臣の死自体にも、一部では反対派が係っているのではないかとの噂が根強かった。
「この部屋の内装、全部私たちでやったんですよ」
周子は、あれをああして、こうしてと、玲香につぶさに説明し始めた。
「メニューの写真は僕が撮ったんだよ」テーブルの隅にあったメニューを広げながら、説明する龍。
「まあ、おいしそうな写真。龍くん、写真上手なのね」
「にいさまは、なんでもじょうずなの。おりょうりの名まえもかいたの。おそらもとべるの」紗由がうれしそうに言う。
「お空は飛べないよ、紗由」困ったように答える龍。
「ウソついたわね、こら」
紗由のほっぺたをつつきながら周子が言うと、紗由は周子にしがみついて、顔を振りながら周子に押し付けた。
「ウソでしたあ。ごめんなしゃい」
「お空は飛べないかもしれないけど、いろいろ上手で、すごいのねえ、龍くんは」玲香は心底感心したように龍を見た。
一家で作ったという居酒屋ルームを、玲香は改めて見回した。一見、庶民的な造りになってはいるが、ディテールに凝っていて、けっこうお金がかかっていそうな造りだった。
“テーブルなんか、一枚板でできているし、座布団の生地もものすごく高そう…”
「あのね。れいかちゃんにおしえてあげる」紗由が玲香の耳に口を近づけて、ささやいた。「さゆはね、おおきくなったら、おはなのドレスで、およめしゃんになるの」
「わあ、そうなんだ。いいなあ、紗由ちゃん」玲香は、うふふと笑う紗由に小声で答えた。
「誰のお嫁さんになるのかなあ…。にいさまかなあ?」
再び、うふふと笑う紗由。
“憧れの人は、にいさまか…”
実際には兄妹じゃ結婚できないけれど、こんなに見た目も頭もいい兄がいたら、将来、彼女の彼氏になる男の子は、きっと何かにつけ比較され気の毒だなあと玲香は思った。
オススメボードにあった品の数々が運ばれてきた。
「好きなものだけ、つまんでよ」賢児は玲香に取り皿を渡しながら言った。
よくよく見ると、重ねられていた皿には一枚ずつ漢字が書かれている。
“「西」「寺」「園」……? ああ、「西園寺」だ”
その懲りようがどこか可愛くて、玲香はくすりと笑った。
玲香の一番近くに置かれた皿には、スモークレバーと京野菜のサラダが置かれていた。
“わあ。このレバー、もしかして加奈ちゃんちでご馳走になったチャーハンの中に入ってたあれ? 通販ですごく人気で売り切れ必至なのよね。こんなところで食べられるなんて”
「レバーは刺身もありますが、いかがですか?」涼一が聞いた。
「は、はい。ありがとうございます」
「佐治さん、じゃあ、とりあえず2人前お願いね」涼一は料理を運んできた男性にそう言うと、玲香に改めて詫びた。「うちの子たちの勘違いを誰も気づかなくて…」
紗由が席を立ち、涼一の膝の上に座る。
「あのね、れいかちゃんは、けんちゃんのおよめしゃんなの」
恐縮する父親を前に、紗由はあくまで玲香が賢児のお嫁さんだと言ってきかない。
「紗由。だめだろ。玲香さんに迷惑じゃないか」
「あ、いえ。そんな。小さいお子さんの言うことですから。…何か夢にでも見たのかしら、賢児さまのお嫁さんを」
「ゆめじゃないよ。さゆ、しってるんだもん」紗由はぷーっと頬をふくらませる。
“ふくれた顔もかわいいなあ。きれいな子って、ほんと何をしてもきれいだ。うらやましいなあ、こんな子供に思うのも何だけど”
「れいかちゃんかわいいよ。すんごくかわいいから、賢ちゃんのおよめしゃんなの。ほんとだよ」
「え?」
まるでこちらの気持ちを見透かしたかのような紗由の言葉に、玲香はドキッとした。
「ごめんな。紗由は言い出したら聞かなくて……。紗由~。あんまり言ってると、コチョコチョするぞ~!」賢児は、涼一の膝に座っていた紗由の傍へ行き、彼女を抱き上げた。
「きゃー。きゃー」紗由はうれしそうに笑いながら、声を上げた。
「ごめんなさいね、玲香さん。紗由の言うことだと、つい本当かなと思っちゃって…」炙りトロのたたきを皿に取り、玲香の前に置きながら、周子が言う。
「ありがとうございます。あの、紗由ちゃんの言うことだとって…どういう?」
「かあさま、あまりよけいなこと言っちゃだめだよ。とうさまに叱られるよ」
龍が二人の会話に割って入る。
「あら、そうね」周子は気まずそうに、ふふっと笑う。
ちょうど次の料理が運ばれてきて、周子は手伝いに席を立ったため、話はそこで終わってしまった。だが、玲香にしてみれば、その続きが気になって仕方がない。
“何だろう。紗由ちゃんの話すことには、何か特別な意味でもあるんだろうか”
賢児に抱っこされながら、はしゃぐ紗由を、玲香はうかがうように見つめた。
* * *
西園寺家でのちょっと風変わりな食事のひとときは、瞬く間に過ぎていった。
保は官邸から呼び出しを受けたため1時間ほどで退席したものの、涼一一家は玲香にとても好意的な態度で、彼女の緊張をほぐしてくれて、とても居心地のよい2時間だった。
賢児があらかじめ使用人に言っておいてくれたらしく、玲香がいとまをする時分には、大き目の蓋付きエコバッグに詰め込まれた食材が用意されていた。
「駅まで送るよ。親父の運転手が出払ってるし、俺も酒飲んじゃったから歩きになっちゃうけど」
「いえ、大丈夫です。まだ8時前ですし、一人で帰れますから」
玲香が涼一と周子に挨拶をしていると、紗由が少し眠そうに目をこすりながら、部屋を出ようとする玲香に抱きついてきた。「また、らいしゅうね」
そんなに頻繁に来る用事はないだろうと玲香は思ったが、自分をじっと見つめる紗由の頭を優しく撫でた。
「紗由ちゃん、バイバイ」玲香の言葉に、紗由が一生懸命に手を振る。
「玲香ちゃん、またね」龍も手を振った。「そうか。来週なんだね」
だが、龍のそのつぶやきは、玲香の耳には届いていなかった。
* * *
結局、駅まで賢児に送ってもらうことになった。
10分ほどの距離なのに、ちょっと申し訳ないなと思いながらも、肩を並べて歩く時間が、玲香には何となく楽しかった。
それと同時に、玲香の中で解決されていないいくつかの疑問を、賢児に確認してみたい気持ちがこみ上げてきた。
“賢児さまには“そういう方”がいるのだろうか? 伯母さまとあの豪邸の関係は? 紗由ちゃんの言動に関する周りの反応、龍くんの意味深に思える言葉…。もちろん、他人の家を詮索するようなことを聞くのはよくない。部下の立場なら、なおさらだ。”
考え込む玲香に気づいた賢児が声をかけた。
「どーした?」
「え? あ。あの……そう、私、わかったんです。紗由ちゃんの言葉の意味」
気持ちを悟られまいとしてか、とっさに言葉が口を突いて出た。
「紗由ちゃん、言ってました。お花のドレスを着てお嫁さんになるんだって。…きっと…自分がお嫁さんになりたいものだから、女の人を見ると、みんなお嫁さんにしちゃおうと思っちゃうんですよ。で、お婿さんになれる身近な男性は賢ちゃんだったから、私が賢児さまのお嫁さんになっちゃったんです。どうですか? 私の推理」
「かもな」賢児は心なしか寂しそうに笑った。「あいつは最近、お嫁さんになりたくてしかたないんだ」
「龍くんに憧れてるのかなあって思いました。にいさまのお嫁さんになるのって聞いたら、うふふって笑ってましたから。…でも、兄妹じゃ結婚できないですものね。それがわかる年齢になったら、残念に思うんでしょうね、紗由ちゃん」玲香が言う。
「いや、あいつら本当の兄妹じゃないから、もしそうでも、その辺はクリアなんだけどな」
「え?」意外な言葉に驚いて賢児を見上げる玲香。
「龍の本当の親は、俺の従兄弟なんだ。でも、龍が赤ん坊の頃、事故で亡くなって…龍は奇跡的に無傷で助かった。
で、龍のばあちゃん、つまり親父の姉さん夫婦が龍のこと育ててたんだけど…と言っても、兄貴夫婦も含めて、皆で育ててた感じかな。で、半年前に正式に兄貴たちの養子にしたってわけ」
「…ものすごく仲のいいご一家だから、そんなこと思ってもみませんでした」
「龍は、ものすごくしっかりして見えるけど、実際のところ、かなり甘えん坊なんだ。兄貴には、そこがたまらないらしい」賢児はそう言って笑った。
「そうですね。話し方も考え方も、その辺の大人より、よほど大人らしく見えますけど、見上げてお願いなんかされちゃうと、母性本能くすぐられちゃうというか、ちょっと甘えん坊さんの匂いがします」
「兄貴と周子さんは、二人が寝る前に彼らをぎゅーってハグするんだけどさ、龍はいつも、照れながらうれしそうに笑うんだ」賢児は目を細めた。
「でも紗由は、儀式ですからと言わんばかりに、卒なく動くっていうか…。兄貴が酔っ払うとこぼしてるよ、紗由はドライでそっけないんだって」
「紗由ちゃんは、何となく想像つきます。にいさまとかあさま以外の人の言うことは、あまり意に介してないというか」
「あはは。よく見てるな。おっしゃるとおりだよ。つまり、親父と兄貴と俺の言うことなんか、たいして聞いちゃいないんだ」
ため息をつく賢児を、なぐさめるように玲香は言った。
「でも、紗由ちゃんは賢ちゃんが大好きですよ。それはすぐわかりました」
「うーん。最初に物をねだる相手は俺なんだよなあ。俺って、所詮都合のいい男なんだな」
「あんな美少女におねだりしてもらえるなんて、運のいい男ですよ」
笑いあう二人。
「昨日もねだられちゃってさ。来週末、久しぶりに兄貴が休み取れるもんだから、みんなでお泊まりのお出かけするって言ってきかないの。明日は、これから取れる宿探しだよ」
「お兄様ご一家と賢児さまとお父様ですか?」
「いや、親父は仕事だから」
「それですと宿にもよるでしょうけど、4人用の部屋と1人部屋か……あるいは、ご夫妻に一部屋と、賢児さまプラス子ども達で一部屋」
「うん。1泊だから、近場でと思ってるんだけど、紗由がお山見たいとか、龍が露天風呂がいいとか、兄貴が海の幸のおいしい宿とか、言いたい放題なんだよ」
「そうですか……。あの、100%ご満足と行くかどうかはわかりませんけれど、よろしかったら、うちの旅館にお泊りになりませんか?」
「え?」
「言いませんでしたっけ? 私の実家、静岡の海沿いにある旅館なんです。と言っても、すぐ裏手から山というか丘が散策できるような場所なので、海も山気分もお楽しみいただけます。
露天風呂は3種類。部屋付きで庭に設置されたものと、大浴場、それから海岸沿いの岩場に沸いている露天風呂もあります。漁港も近いですから、海の幸は土地の珍しい魚もご用意できますよ」
「そう言えば、そうだったね」
玲香の実家が旅館なのはもちろん承知していたが、賢児はそれを忘れていたふりをした。
初めから彼女にお願いすると、気を遣ってサービスとか言い出すかもしれないし、何より自分が、余計なことまで彼女にいろいろとしゃべってしまうかもしれない。
そう思い、あえて避けていたのだが、玲香の実家というのにも正直興味があるし、場所的にも予定からすると都合がいい。
賢児は玲香の申し出を受けてみようかと思い始めていた。
「でも、今から大丈夫なの?」
「ええ。多分大丈夫です。ちょうど来週の土曜から1週間休みの予定なので、他のお客さん入ってないはずですし、貸切です」玲香がふふふと笑う。
「休みなのに開けてもらったら悪いよ」心配そうに玲香を覗き込む賢児。
「休みと言っても、皆でのんびりというわけではないんです。その次の週に、あの辺では伝統的なお祭りがあって、うちは代々、その神事で神官を務めていて、使う飾り物も作ったりしているので、父がその作業にかかるんです。
でも、ご家族一組くらいでしたら、仲居さんたちがお休みでも十分お迎えできますし、私も帰って手伝うことにいたします。ちょうど里帰りできて、一石二鳥です」
“そうか。実家に戻っていろいろ相談することもあるんだよね、結婚を控えてると”。
賢児は玲香に、そう言いかけたが、言葉を飲み込み、申し訳なさそうに言った。
「…じゃあ、お言葉に甘えて、お願いしちゃっていいかなあ」
玲香に事実を確認できない自分を、賢児はもどかしく感じた。
「ええ、今、姉に電話しますね」
玲香はその場で、おかみをしている姉に電話を掛けると事情を話した。笑いながら、「あそこのロールケーキ、大して美味しくないから。だったら翔太の好きな、変わったドラ焼き買ってく」などと話している。ついでに帰省みやげの相談もしているようだった。
「予約完了です」電話を切ると、玲香は賢児に満面の笑みで告げた。
「ありがとう。何から何まで助かるよ」
「もし、お気に召していただけたら、会社の研修にもお使いくださいね」
「しっかりしてるなあ。…わかった、総務に言っておく」
再び二人を笑いが包んだ。
そして玲香は、賢児の結婚の件は結局わからぬままに終わってしまったが、こうした時間が持てるだけでも十分だなと、静かな幸せをかみしめていた。
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