その11
ホテル・スーパーブリリアントから電話で連絡を受けた玲香たちは、旅館の正面玄関に集合し、保を迎える準備をしていた。白いバンが玄関先に乗り込んでくると、窓から手を振る運転手に向かって、玲香は頭を下げた。
「お疲れ様です、平子さん」
運転手は車を降りると、後部ドアを開け、保が降りるのを待った。
「いやあ、玲香さん。すみませんね、突然。お世話になります」明るい声で手を振る保。
「先生、ようこそいらっしゃいました」玲香が微笑んで挨拶をする。
「支配人、どうもお世話様でしたね」
保が平子に礼を言うと、平子は恐縮したように何度も何度も頭を下げた。
「本当にご迷惑おかけしました。明日、9時にお迎えに上がりますので」
「ありがとう。よろしく頼みます」
「玲ちゃん、それじゃよろしくお願いな。…ええと、おかみは…」
玲香は平子をじろりと見ただけで、それには答えなかった。
「さあ、どうぞ、お入り下さい、先生」
玲香は入り口のほうを手のひらの先で示し、保を促した。平子は、そんな玲香の後姿を、口をぱくぱくさせながら見つめていたが、しばらくすると諦めたように車に戻った。
玄関先では、飛呂之、鈴音、翔太が並んで待っていた。
「ようこそおいで下さいました。主人の高橋飛呂之でございます」
「おかみの鈴音でございます」
「七代目当主の高橋翔太でございます」
保は、3人の流れるような挨拶にも感心したが、何より、龍と同年代なのに、品のいい薄茶系の紬に、それよりやや濃い目の羽織をまとっている“七代目”とやらが気になった。
「着物の着こなしが粋ですな、七代目」
「叔母からプレゼントしてもろた一張羅です」翔太は少し頬を染めながら、うれしそうに保を見上げる。
「ほお。それはそれは、いい叔母さんですね」
「はい! 玲ちゃんは世界一の叔母はんです」
「うらやましいなあ…。それでは、七代目、部屋まで案内してもらえますかな」
「はい! どうぞ、こちらでございます」翔太は、すっくと立ち上がると、保を先導し部屋に向かった。
* * *
保が到着し、一家全員で顔を合わせた後、夕食までまだ時間があったので、涼一は部屋の外についている露天風呂に、周子と子供たちで入ることにした。
「いいお湯だな」
涼一が気持ちよさそうに湯で顔を流すと、龍も真似をした。
「うん。いいお湯だね。4人で一緒にお風呂入るのも久しぶりだね」
「そうね。ずっと涼一さんが忙しかったから、家族旅行も行ってなかったわね」
周子が腕に湯をかけながら、あごを伸ばすようにして空を見上げた。
「庭に露天風呂というのもいいな。うちも作るか」
「ふふ、そうね。じゃあ、皆でお庭を掘りましょうか」
紗由の頭をなでながら、周子が言うと、紗由は元気に叫んだ。
「ほる! きゃべつでほる!」
「紗由、土を掘るのは、キャベツじゃなくてシャベルだよ」
涼一が言い直すと、紗由は不服そうにじーっと涼一を見つめた。
「…キャベツでもいい、かな? ははは」
「ダメだよ、とうさま。すぐ甘やかすんだから」
「そうねえ。紗由がかわいいのはわかるけど、正しくないことは正しくないって、ちゃんと教えなくちゃ」
「あのね、ただしくないことはただしくないって言わないと、おばあさまのおにんぎょうにおこられるんだよ」
紗由がそう言うったとき、龍の脳裏に一瞬、羽の生えた龍の姿がよぎった。
“あれ?…今の…”
「紗由、おばあさまのお人形って何だい?」
涼一が聞くと、紗由は龍の背中のほうに回った。
「おばあさまのおにんぎょうには、はねがはえてるの。ここから、ぴよんてなってるの」
紗由は、龍の背中の肩甲骨のあたりを触りながら、そう言った。
“今見えた龍って…? いや、さっきの羽童かな?…でも、それはおばあさまの人形じゃない…”
龍は紗由の手を握ったが何も見えなかった。
“やっぱり、おばあさまと話ができないとわからないか…”
「どういうことなんだ、龍。伯母さんはその人形と一緒なのか?」
「おばあさまの人形というのは“羽のついている像”なんだけど…。おばあさまがその人形と一緒にいるのかどうかは、わからないや」
紗由から手を離し、龍が言うと、周子がふんわりと彼の頭をなでた。
「そんなに難しそうな顔しないで、龍。無理しなくていいのよ。お風呂で考えすぎたら、のぼせちゃうわ」
周子の笑顔に、龍は笑顔で応えた。
「うん」
「そうだな。ここのご亭主の話を聞く限り、まあ、伯母さんがそれらと関係しているとすればだが、一朝一夕に片付く問題でもなさそうだし、焦っても仕方ないな」
「あせだよ、あせ」紗由が涼一の頬をぺたぺたと触りながら言う。
「紗由。それはお顔から出る汗だろう? とうさまが言うのは、急いで慌ててるっていう意味の焦るだよ」
「“慌ててる”は、ちゃんとわかるかしら?」
周子が紗由を見ると、紗由はにっこりしながら言う。
「あわでてる」
風呂の気泡を指差す紗由に、3人は思わず噴き出した。
* * *
風呂から上がると、龍はちょっと庭を見てくると言って外に出た。
“羽童の像…影童でもいい、もう一度見れば、わかるかもしれない”
龍は影童のひとつを手に取ると、目を閉じて意識を集中した。
しばらくして目を開けたが、「だめだ」とつぶやいた。
そこに、庭のホースを片付けようとして通りかかった玲香が声を掛けた。
「龍くん」
「あ…玲香ちゃん。…そうだ、ねえ、聞いてもいい?」
「何ですか?」微笑む玲香。
「玲香ちゃんは、旅館が昔どういうことをしていたのか、子供の頃から知ってた?」
「ええ。…うちの旅館、ちょっと造りが不思議でしょ? 子供心にいろいろと聞くから、親も答えざるを得なかったんじゃないかしら」
「だったら、“命”の存在とか、ああいう力も、目の前で見ても平気だよね。“これがそうなんだ”って、思うだけだから。僕も、おばあさまとずっと一緒にいて知ってたし…」
龍は影童を元の場所に戻すと、手を合わせてお辞儀をした。
「でも、とうさまたちは違うんだ。じいじから教わっていたのは、おばあさまが15歳まで巫女さんをしてたことだけ。紗由が四辻のおじさまが死んじゃうのを当てるなんて、夢にも思ってなかったと思う」
意外な名前が出てきたことに驚いた玲香が聞き返す。
「四辻のおじさまって、もしかして、じいじの前の外務大臣のこと?」
「うん。おじさまは、じいじと仲良しで、時々遊びに来てたんだ。海外出張に行く何日か前にも来てた。でも帰る時に紗由がものすごく泣いて、行っちゃだめってずっと泣いてて、あんなに泣いたことないから、みんなすごく心配してた。僕も心臓がばくばくして、胸が苦しかった」
「それで、その後、四辻大臣が外遊先で事故に…」
龍が頷いた。
「そのときに、じいじは、紗由ちゃんの不思議な力に気づいたのね?」
「うん。それで、家族みんなで集まって、じいじがとうさまたちに説明してたんだけど、じいじが難しい顔しかしないから、心配になっちゃったらしくて…」
「そうか…。そうよね。いきなり娘がそんなことになったら、心配も動揺もなさるわよね。しかも、消息がわからなくなっている方々と関わることかもしれないわけだから」
「それでね、玲香ちゃん、紗由が話したことで気になったことあったら教えて欲しいんだけど。前に会ったときのでもいいし、これから先の会うときにも教えてほしい」
「それはかまわないけど、ご家族皆さん、紗由ちゃんの言葉には気をつけていらっしゃるんじゃないの? 私でお役に立つかしら」
「とうさまはダメなんだよ。紗由のことが好き過ぎるから。ちょっとピントはずれなんだ。
かあさまは、この話、好きじゃないみたいっていうか…。
一番頼りになりそうな賢ちゃんは、とうさまとじいじの間で気を遣ってるから、あまり無理なお願いしたくない」
「龍くんは偉いわね。大人だって、そんなに周りの人のこと考えられないわ。…でも、無理しすぎちゃだめよ。私で力になれることは、何でも協力しますから」玲香は龍の頭をやさしく撫でた。
「じゃあ、僕お部屋に戻るね。ご飯楽しみだな」
さっきより声が明るくなった龍を見て、玲香は多少安心したが、問題が根本的に解決したわけではない。彼は遠慮しているようだが、やはり賢児に相談したほうがいいだろうと玲香は考えていた。
* * *
涼一一家が風呂を楽しんでいた頃、賢児は保に今日の出来事を報告していた。
「そうか…。やっぱり西園寺の人間と宿の人間とは縁があるものなんだな」
お茶をすすりながらつぶやく保の顔は、心なしか曇っているように賢児の目には映った。
「親父は巫女寄せ宿の存在を知ってたの?」
「いや、そういう名称や具体的な場所を昔から知ってたわけじゃなかったが…」
「俺が宿の人間と親しくするの、嫌か?」
今回、伯母夫婦のことを深追いするなと言っていた父に背く形の旅行になったことに、若干の後ろめたさを感じていた賢児は、父親の顔色を伺い見るように覗き込む。
「玲香さんのことか? いいお嬢さんじゃないか」にっこり笑う保。「…紗由の力は、姉さんのそれとは違うかもしれないな。幸せな予知もできるなら、お前達のことも当たってくれるに越したことはない」
「伯母さんは幸せな予知ができなかったの?」
「そういう役割じゃなかったんだよ」
「…親父やっぱり知ってるんじゃないのか、伯母さんたちがいなくなった理由」賢児が保ににじり寄る。
「わからないさ、人の心の中なんて」賢児に背を向けて言う保。
「でも…」
「用事が済んだら帰ってくると言い残して行ったんだから、待ってればいいだろ。…涼一は、その事を調べるために紗由を連れてここに来たのか?」
そう聞かれた賢児は、一瞬言葉に詰まった。
保が快く思わないであろうことは想像がついたが、紗由が不思議な態度を取るようになってから、もう半年になる。紗由を心配するが故の兄の必死さと焦りも理解でき、結果としてはそれを放ってはおけず、兄に協力する形になっていた。
「いや…実家、見てみたかったし…」
賢児の答えに笑い出す保。
「お前の理由なんか聞いてない」
「わからないさ、人の心の中なんて」賢児は少しふくれながら、父親の言葉を真似て言い返した。
「まあ、いい。そうそう、あの七代目とやら、玲香さんの甥っ子が気になったんだが。龍とはまたタイプが違うが、いい子だな。“龍くんが大臣先生の跡継ぎしなはるときは、僕が後援会長やりますさかいに”って言われたよ」
「女性票集めるのうまそうだな…。いや、マジでいい子だよ、あいつ」賢児は、先ほどの話に出てきたエピソードを保に教えた。
「…力というのは、本来そういう人間に与えられればいいだけなんだがな。それでこそ家族も幸せでいられる」
フッと笑う父親の横顔を見ながら、賢児は思った。
“親父は、伯母さんが“命”をやめた後に起きた不審死のことを聞いても驚かなかった。事件のことを知っていたんだろうか。
巫女寄せ宿の件にしてもそうだ。事件とかかわりがある失踪の可能性が出てきたのだから、何も知らないのなら、伯母さんたちを心配して、兄貴や俺のようにヒントを欲しがるはずだ。
玲香の親父さんと話がしたい、くらいのことを言うのが自然じゃないのか。そうしないのはつまり、親父は、飛呂之さんが知っている程度のことは承知しているということなんだろうか…”
だが、考えがまとまらない賢児をよそに、保はひと風呂浴びてくると言って、さっさと部屋を出て行ってしまった。
残された賢児は、ごろんとその場に寝転び、深くため息をついた。
* * *
賢児が、しばらくぼーっと天井とにらめっこしていると、外側のドアをノックする音が聞こえた。
「賢児さま、いらっしゃいますか? 少しお時間よろしいですか?」
玲香の声だった。飛び起きてドアを開ける賢児。
「うん、大丈夫だよ。入れば?」
「じゃあ、こちらへ」にっこり笑ったかと思うと、くるりと踵を返す玲香。
「え? どこ行くの」賢児が慌ててスリッパをはき、追いかける。
「秘密の場所です」
玲香は、さっきの龍の様子がどうにも気になっていた。なるべく人目につかないところで、早めに賢児に相談したほうがいい。そう思ったのだ。
正面玄関を出て、賢児を旅館の裏手まで連れて行くと、植え込みの下から梯子を取り出した。そして、それを物干し場の脇に掛けると、屋根の上に登り、賢児にも来るようにと、上から手招きをした。
「ここが私の“秘密基地”です」
登った場所から見えたのは、両脇を竹林に囲まれた小川の川面だった。夕暮れの光がきらきらと照らし出されていて、時折、風にさざめく竹の音が聞こえた。
賢児は、予想もしなかった風景に心を奪われるのと同時に、ちょうど何もさえぎるものがないため、まるで自分の足元の屋根から、直接小川に導かれているような錯覚を覚えた。
「なんか、幻想的だな」
「川が光って曲がりくねっている様子が、まるで“龍”みたいに見えませんか?」
「本当だね。“龍”だ」賢児は玲香に微笑む。
「今は“オレンジの龍”ですけど、夜だと月の光で“青い龍”、昼間だと、お日様の光で“黄色い龍”みたいに見えるんです。子供の頃、叱られたり、けんかしたりすると、こっそりここに登って、川の“龍”と話をしていました」
「どんな話をしてたの?」
「“とうさんは私のことばっかり叱るんだよ”とか、“鈴ちゃんのお下がりじゃないワンピースが欲しい”とか」
「かわいいなあ」
賢児はくすりと笑うと、玲香が口を尖らせる。
「当時は一大事だったんです。…でも、この前の連休に帰ってきたときには、賢児さまのことを話しました」
「俺のこと?」
「“今度、夕飯食いに行こうな”って言ったのに、それっきりなんだよって…」玲香は自分のひざをぎゅっと抱きしめた。
「ごめん…俺がちゃんと聞かなかったから。プロジェクトの責任者としても、把握しておかないといけないことだったよな。いろんな意味で反省してる」
「私も同じです。…この前、お宅におじゃました時、もしかしたらそういう相手がいて、私は間違えられちゃったのかなって思いました。でも、帰り道で聞こうと思って…結局怖くて聞けませんでした」
二人は、しばらく黙ったまま川面の光を見つめた。
龍の話をしに来たはずだったが、これまでの賢児へのいろんな思いが胸をよぎり、玲香の頭は、それだけで一杯になってしまっていた。
「よし。今ここで川の龍に報告だ」
玲香が賢児を見上げると、賢児が川に向かって大きな声で言った。
「俺たちはこれから、ずっと一緒にいます!」
「何だか、選手宣誓みたいです」
玲香が、くすくすと笑っていると、賢児はいきなり玲香を引き寄せ、唇を重ねた。
「残念でした。選手宣誓には誓いのキスはありません」いたずらっ子のようにささやく賢児。
「賢児さま…」
「それに、俺たちにゲームオーバーはないから」
賢児はもう一度、玲香を抱きしめた。
* * *




