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やりたい事をやる為に  作者: 千月 景葉
第一章 黒き森
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96. 画を残す

お読み下さりありがとうございます。


 クロエはしっかり剣草を観察した後、そっと草を置いた。

 “箸”替わりの2本の棒を横に置き、次いで鉛筆をしっかり握る。

 フウッと一息吸うと目線鋭く紙を見つめて、鉛筆でトントンと薄く何ヵ所か点を打ち、マーキングする。

 彼女独特の描き方だ。

 そうして口元をンッと軽く微笑むように口角を少し上げた状態で閉じ、紙に鉛筆を走らせ始めた。

 クロエの小さな手はA4大の紙の上を軽やかに動き回る。

 彼女は余り何度も線を入れない描き方をする。

 彼女曰く、出来上がりが綺麗じゃ無いからだ。

 だから極力輪郭等の線も最小限。一番最初にマーキングの為の薄い点を入れるのも、余計な線を入れないための彼女なりの工夫である。

 彼女の理想は全く迷い無く“本”線のみで絵を仕上げる事なのだが、正直無理がある。輪郭をとらないと流石にバランスが取れない。

 “ボタニカルアート”は写実的に描くのが基本だ。デフォルメをするのは、そもそもボタニカルアートの成り立ちからも反する。

 だから良く良く観察し、その植物の特徴を見逃さず、しっかりと描き出す。

 ただ今回の剣草に関しては、着色の為の絵具が一切ないので、ほぼ精密な鉛筆画となる。

 手のひらで折角描いた線が擦れると、途端に絵が駄目になるので描き方にも注意が必要だ。

 大まかな輪郭がとれたら、上から下に絵を描いていく。下から上に描き進めると手で紙が擦れて黒鉛が拡がり、絵が汚れる危険性が高くなるからだ。

 ……おおよそ1年半振り位の描画だ。正直勘がなかなか戻ってこない。

 加えて体が違うので、思う通りに線を引くのも一苦労だし、画材だって違う。

 ……だがそんな事はクロエにとって、取るに足らない些末な事だ。

 大好きな植物画が描ける。

 それだけで嬉しくて堪らない。

 鋭い目で、だが口元に微笑を湛え嬉々とした表情で筆を走らせるクロエ。



 そんな彼女の様子を驚嘆の眼差しで見つめるディルク。

 彼女が転生者だと承知しているが、再びそれを実感している。

 小さな体を揺らしながら、目の前の紙に迷い無く線を入れていくクロエ。

 紙に次第に顕れてくる繊細な植物の絵を目の当たりにして、彼は息を飲む。

 黒鉛の定着剤が無いので、今彼女が描いている絵は何れは劣化する。

 未だその事を知らないディルクは、是非彼女にもっと植物画を描かせようと決意した。

 此所は森の中。希少な植物は山のようにある。

 況して守るべき地は神秘の花や草の宝庫。

 立ち入りが許されている者達の中で、彼女のこの能力は正に天の配剤。

 ジェラルドは余り気にしていないが、出来ればこの地を守る領主や守護者には、守るべき地に生息するものを詳細に理解しておく事も重要である筈とディルクは考えている。

 まさかとは思うが、この森やかの地にしか存在せぬ植物や動物、虫などが他の地に持ち出され無いようにする管理のためにも、照らし合わせたりする資料を作る必要があるのだ。

 守るための必要最低限の準備は、先ず守る物を知ることからだ。今はそれが漠然とし過ぎている。

 人を立ち入らせなければ良いとジェラルドは言うが、実際問題過去に何度かそれは破られている。

 だからしっかりと領主と守護者向けには、何れ資料等を編纂せよと進言していたのだ。しかし、現守護者並びにこの森とかの地の長、つまりジェラルド達にそういう危機感は皆無なのだ。

 因みにガルシアもジェラルドに似て、そこは大雑把だ。

 そんなことを考えながら、ディルクはクロエを見守る。



「うん、大体こんなもんかな。あんまり時間かけない方が今日は良いでしょう?

 本来ならもっと描き込みたいところですけど。

 絵具も無いですし、ラフな感じですが、如何でしょ?」

 とクロエが手を止めて頷く。

 ディルクはクロエが渡してきた紙をじっと見つめる。

「……こんなに巧かったのか。そろばんの図解でも巧いものだとは思っておったが、まさかここまで描ける腕の持ち主だったとはのう。

 いや、驚いた!これは凄い!」

 と手放しで褒め称える。

 クロエは照れながらも

「アハハ、照れちゃいます~。ただ、これはあくまで黒鉛を摩擦で擦り付けて描いているので、何れは薄くなりますし、劣化しちゃいます。それに何かに擦れると、直ぐに移染して汚れちゃいます。だから定着剤が要るんですよね。

 フィキサチーフなんてこの世界には無いだろうしなぁ……。スプレーでシュッ!で済んでたからして、考えたら楽だったわよね~。確か膠とかデンプン糊とか、昔は絵具に混ぜて顔料にしてたのよね……。紙に描いてからシューッ!か、若しくは紙の方を加工するか……。何れにせよ、このままだと駄目ね……。

 又なにか考えないとなぁ。アタシあんまり詳しくないんだけど……」

 とブツブツ呟く。

 ディルクはクロエを見ながら

「このままだと駄目なのか?消えてしまうのか?

 何とかならんもんかのう……、これ程細かい描写は筆では中々。しかし重ねることが出来なければ、保管が無理だ。

 そのフィ何とかは、作れないのか?」

 とクロエに尋ねる。

 クロエはう~んと唸りながら

「布を染色する方や、絵具の工房なら多分何らかの定着剤をご存じかと。

 ただ黒鉛を留める為の定着剤とその他の原料の顔料の定着剤は違いますからね~。でも、何かあるはず……。多分使えて膠かデンプン糊。アスファルトは古来からある接着剤だけど、定着剤には流石に向かないと思うし入手も加工も出来ないから却下でしょ。

 う~ん、困ったなぁ。知識としては前に調べた程度の事は解るけど、作るなんてしたことないもの。

 ん、でも考えてみますよ。やれることはやりたいし」

 と頷きながら答えた。

 ディルクもフムと頷きながら

「成る程、絵師の工房か染布工房か……。ならばジェラルドにそのような取り扱いのある商人や職人を当たらせてみるとするか。

 儂も2・3心当たりがある。鉛筆を作らせた工房が一番話が通りやすそうだ。確か絵師を抱えておった筈。鉛筆を見て、大喜びしとったからな。加えてこの情報。きっとあの工房なら動く筈。

 それにあそこの工房の主が職人協会の筆頭をしているから、協会の抑えも効く。

 今度視察の際に其方も話をせよ。其方の話が一番解りやすい。良いか?」

 とクロエの気持ちを確認する。

 クロエはにっこり笑うと

「勿論。アタシが解る範囲でお話しします。その時に目の前で描いて見せた方が良いですね、きっと。

 論より証拠と言いますし」

 と話すと、ディルクが

「ロンヨリショーコー?それはなんだ?」

 と又聞き咎めた。

 クロエがフフッと笑い

「話すより見せるです。それだけ」

 と意味を言った。

 ディルクはああ、と手を叩き

「何だ、ロンは論か。ショーコーは証拠か。其方の言葉はあちらの世界の言い回しが多いからついつい気になるわい。

 ……そうじゃ。儂に其方の前の世界の言葉、文字を教えてくれぬか?良く考えたら、暗号に使える。儂と其方の話は危険な内容も多いからの。その点、前の世界の文字ならば誰に見られても解らない!どうじゃ?」

 と身を乗り出してクロエに提案した。

 クロエは驚いて

「日本語をですか?!アタシは構いませんが、けっこう大変ですよ?

 日本語は色んな種類の文字を組み合わせる、凄く複雑な言語らしいんですよ。

 アタシは生まれてからずっと使っていたから余り実感ないんですけど、他の国の方がそう嘆いてらしたのを耳にした記憶があります。

 それでもやりますか?先生」

 と聞いた。

 ディルクはフンッと鼻を鳴らし

「儂を舐めるでない!老いてもこのディルク、そんじょそこらの学者擬きにはひけを取らぬわ!

 しっかり儂に教えよ!見事に習得して見せようぞ!」

 と胸を張った。

 クロエがクスクス笑い

「わかりました。ではアタシの講義の際が良いでしょうね。だけど益々アタシが学べなくなっちゃうなぁ……。何か複雑」

 と溢す。

 ディルクがニヤリと笑い

「何を言うか。ほぼ教えること等有りはせんのに。

 常識や疑問はその都度教えるし、文字はほぼ覚えておるじゃないか。単語もしかり。其方が差し迫り困ることなど1つも無いじゃろうが?

 だから儂に教える方が、何かと益がある筈じゃ!良いな?」

 と彼女に念押しをする。

 クロエは溜め息を吐き

「先生って子供みたいな所がありますよね、ホント。我慢できないタイプなんですね、難儀な方だわ~」

 と頭を小さく振った。

 ディルクはフフンと笑い

「何とでも。儂は其方の知識が気になって仕方ないのじゃよ。言葉や文字が少しでも解れば、何かと其方が洩らす言葉や知識が吸収できる。楽しいではないか!

 よし、視察後から始めることにしよう。視察中は流石に無理だ」

 と1人納得して予定をたてる。

 2人がそんな話をしていると

「ん~……なに……?クロエは……、アッ!あれ?!僕寝てた?!クロエはどこ?」

 とソファに寝ていたコリンがガバッ!と起き上がった。

 クロエが手を振り

「あ、コリンお兄ちゃん!起きた~?アタシここだよ~。今ご飯食べてたの。

 ごめんね、心配かけちゃって!お兄ちゃんアタシを見てくれて凄く疲れたみたいで、ソファに倒れるように寝てしまってたの。

 だから先生が起こしたらイカンッて。もう大丈夫だよ、アタシ。見ててくれてありがとう!」

 とコリンに明るく声を掛ける。

 コリンがテーブルの前に座った妹をみて

「良かった~!元気だね!……だけど、僕がご飯食べさせてあげたかったのになぁ。自分で食べれたなら、もう手の怪我も痛くないの?」

 とソファから降りてトコトコとクロエに近付き、手を見ようとする。

 クロエが手を広げて見せて

「ほら!治ったよ~。先生凄いよね、ビックリしちゃった!全部、お兄ちゃんが先生に見せようって言ってくれたからだよ。ホントにありがとう!」

 とコリンに笑う。

 コリンが照れ臭そうに

「そんなこと……。先生が凄いだけだもん。でもクロエにそんな風に言われたら嬉しいな。僕でもちょっとは役に立ったかな?」

 と恥ずかしそうに言う。

 クロエが大きな声で

「ちょっとじゃない!たっくさん!お兄ちゃんが居てくれて良かったよ!

 ね、ディルク先生?」

 とディルクに力添えしてもらうために話を振る。

 ディルクは優しくコリンに笑い

「ああ、コリンが素早い判断をしたからクロエの傷が早く塞げたんだ。出血も酷かったからな。コリンのお手柄だ。誇りなさい」

 と話した。

 コリンはディルクの言葉を聞いて、輝くような笑顔を見せた。

 そうこうしていると、ガルシアがやって来て

「先生、2人は……。ああ、目覚めたかクロエ。コリンもありがとうな。夕食の準備ができたから呼びに来たんだ。さあ、クロエは俺が連れていこう。先生もどうぞ家に。コリンは歩けるな?」

 と呼びに来た。

 3人は頷き、ガルシアと共に森の家に向かったのだった。




次話は明日か明後日投稿します。

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