1-32 母の理解
お読みくださりありがとうございます。
主人公が混乱します。
記憶があるとしなくてよい心配をしてしまうものなのです。
クロエはこのところ食事が楽しくて仕方がない。
一才間近になり歯が何本か生えてきて噛める様になったのだ。
ただお陰で、前より涎も出てしまう。
しかしそんなことは彼女にとって何も問題ではない。
食事のバリエーションが増えたし、味も大分しっかりしたものを食べさせて貰えるようになったことの方が重要だ。
前はおっぱいと流動食ならぬ離乳食だったが、次第に体が成長するにつれコレット母さんが食事を変えていってくれた。
今では少々柔らかめの食事という感じだ。
だが実はクロエの様子を見たコレットが少し離乳食の進度を速めているのだ。
元々体の成長も早目のクロエは、加えて精神の成熟度に引っ張られる様に出来ることが増えていっている。
食事に至っては、今では介助が全く要らない。
スプーンと二股のフォークで周りを汚さず綺麗に食べてしまう。
手が短いので手元に並べてあげさえすれば、後はマナーもしっかり守って一人で事足りる。
ガルシア作の赤ちゃん用の椅子に座り、嬉しそうにおかずをフォークに差してはニコニコ笑いながら口に運び、幸せを噛み締めるように味わった後、感動し溜め息を吐く。
周りで見ていると可愛いやら愛らしいやら楽しいやらで、コリンを除く家族とディルクの顔もつい笑顔になってしまうのだ。
今コリンはクロエが一人で食べるのを見て、自分も一人で食べると頑張っている。
だが思った以上に難しく、クロエの様にうまく食べられない。
コリンはその事実をとても悔しがって、今一生懸命クロエを見て真似をしている。
そう遠くない内にコリンもきっと、上手且つ綺麗に食べられるようになる筈だ。
そういう相乗効果もあって、家族はクロエにとても感謝している。
しかし当のクロエは全くその感謝に気付いていない。
ただひたすら彼女は、自分が考えるマトモな食事に近付きつつある事が嬉しくてしょうがないのだ。
(美~味し~いな~!噛めるって幸せ~!お野菜はやっぱり噛まなきゃ。お肉もね。
お祖母ちゃんが入れ歯は味がよくわからんって言ってたの何となく解るわ。ホント噛めるって大事なのね。
赤ちゃんから人生に自覚があると色んなことに気付かされるよ。
うん、美味しい!)
クロエは自分の器に入っていた最後の野菜をプスッと刺して、名残惜しげに見た後パクッと一口で食べる。
モムモムと良く咀嚼し、スープの出汁や野菜の甘味を貪欲に味わう。
そしてゴクンと飲み込み、口の中に残る後味の余韻を堪能し、ハァ~と溜め息をついた。
徐にフォークを手元に置き、自分に給仕されたお皿やお椀を見渡し何も残っていない事を確認すると
「ごちそうさま!」
と合掌し食事を終えた。
あっ、とクロエは固まる。
(……またやっちゃった。これをやったらいつも戸惑った目で見られちゃうのに。
中々前の習慣が抜けない。まずったなぁ…)
“いただきます”と“ごちそうさま”。
日本の美しい食事のマナー。
食べ物に感謝を捧げる習慣。
しかしこの世界ではこんな習慣は無いので、美味しさですっかり油断したクロエがこれをやると
「どうしたの?!何か固いものでも有った?!大丈夫?」
とミラベルやコレットが慌てて近寄ってクロエの口が怪我してないか確認したりと、気を遣わせてしまうのだ。
恐る恐る周りに目を向けると、優しい目で見守る家族(コリンを除く)とディルクに気付く。
「え、えと…」
クロエがばつが悪そうにモジモジすると
コレットが
「はい。綺麗に食べました」
と優しく笑ってくれた。
クロエが驚いてコレットを見ると
「……だんだんと解ってきたの。クロエは食事が美味しかったのでそうやっていつも感謝してくれていたのよね?
いつも同じ様に食事の前と後に両手を合わせて何かを呟いているから、母さんも色々考えたの。今日ので完全に意味が解ったわ!
ありがとうね、クロエ。作った甲斐があるわ」
とにっこり笑ってお礼を言ってくれた。
クロエはコレットを見つめ暫く固まっていたが、やがて口元を震わせ手を当てた。
(わかって、もらえたの?気味悪がらずに…)
既に色々と奇異な行動をとっている自分の自覚はある。
早くに喋りだし、変な行動を取り、気味悪がられても仕方無いと常に思っている。
前の記憶が鮮明で、何かにつけて雅に染み込んでいる習慣が顔を出す。
用心深い性格なら良かったのだが、生来が万事呑気でお人好し、加えて間の悪いことこの上無かった雅。
それがクロエという者の基礎だ。
当たり前だが上手く隠せる程、器用な筈がない。
コリンに悪いなぁと感じてしまうのもそんな“負い目”があるから。
いつも前の習慣が顔を出す度、オドオドしてしまうのだ。
でも今コレットは言った。
(色々考えたの。完全に意味が解ったわ!ありがとう。作った甲斐があるわ)と。
気味悪がるどころか意味を知ろうと考え、理解できたと喜び、感謝までされた。
いつも隠そうとしているクロエに対し、気味悪がらずに何とか理解しようとしてくれている家族や先生。
自分と何て違うんだろう。
クロエは自分がとても卑屈で臆病に思えた。
なのに同時にとても嬉しい自分がいる。
相反する気持ちに心が揺れて、どうしていいかわからなくなる。
コレットに笑って分かってくれて嬉しい、ありがとうと言いたいのに、今日は変だ。
そう、ジェラルドとアナスタシアが自分を理解してくれたときと似ている。
気持ちが爆発しそうで泣き出してしまいそうだ。
口元を小さな手で押さえ、俯いたまま動かなくなったクロエを訝しんで
「クロエ?どうしたの?
やだ、間違えたのかしら…自信有ったんだけどねぇ。……クロエ?」
とコレットが聞いてくる。
その時ディルクがクロエをスッと抱き抱えた。
「コレット。其方の答えはどうやら正解じゃった様じゃぞ。
なに、クロエはただ嬉しかったんじゃよ。のう、クロエよ。
すまんがクロエを連れて小屋に戻ってよいかの?昼寝はちゃんとさせておくから心配せんでええ。ではな」
「先生!でしたら僕がクロエを寝かしつけますから、食事を……」
何故かライリーが慌てて席を立ち、クロエを受け取ろうと近寄って来た。
しかしディルクが微笑んで
「いや、今日はどうやら儂が寝かしつけた方が良さそうじゃ。ちょっとクロエが混乱しとる。
話を聞くのは家族以外の者の方が良いときもあるでの。夕方までには落ち着くじゃろう。
なに、儂も赤子の面倒くらいは見られるしの……少しなら」
と些か不安(?)な言葉を残し、食堂を出ていった。
食堂に残された者達は訳がわからず、顔を見合わせて首を捻る。
ライリーは追いかけたそうにしていたが思い直し、又自分の席に戻って食事を取り始めた。
コリンだけは
「クロエは赤ちゃんだからすぐ眠くなるんだよね、駄目だなぁ」
と解ったように言い、ミラベルに小突かれた。
小屋に戻った二人。
ディルクが椅子に座ると膝にクロエを向かい合わせに座らせた。
クロエは未だ俯いたままだ。
「どうしたのかの?話せんのじゃったらそれでも良いが、泣くのを堪える必要はありゃせんぞ。
クロエ、其方は赤子じゃ。どれだけ賢かろうが赤子なんじゃよ。だから気持ちが落ち着かぬのなら泣いても構わんのじゃぞ?
我慢をし過ぎるとイカン。
これから其方は長い人生を生きる。なのに未だ赤子の頃から感情を抑えすぎると、これからの成長に支障をきたす。
賢い其方は色々と考えてしまうのじゃろうが、大丈夫じゃよ。其方の家族ならそのままの其方を受け入れてくれる。少し変わった行動をしたところで其方を嫌ったりなどせぬよ。
秘密があろうがなかろうが、其方は其方のままで良い。だから、気持ちを抑えるでない。
ジェラルドも言っておったであろう?己れの能力を抑えるなと。疎むでないと。忘れたか?」
俯いていたクロエがピクッと動く。
徐に顔をあげたクロエは目に涙が溜まっていた。
少しずつ言葉を絞り出す。
「はい。でも、ふあん、です。
アタシ、みんなより、へん、わかります。
かぞくが、あたし、きもちわるい、おもう、むりない。
だけど、それ、こわい。
こんな、あたし、ばか、おもう。
でも、かぞく、きらわれる、いやっ!ぜったい、いや……。
だから、かあさん、ことば、すごい、うれしかった。
あたし、わかって、くれた、うれしかった。
なのに、きもち、ぐちゃぐちゃ。
うまい、ことば、いえない。ごめん、なさい……」
そう言うとしゃくりあげ始めたクロエ。
ディルクは優しい目で見ながら頷き
「分かっとるよ。暫く泣きなさい。
ほれ、こうした方が泣きやすいじゃろ?眠たくなりゃ寝ればええ。
のう、賢すぎるのも苦労じゃなクロエよ。よしよし」
と言いながらクロエを縦抱きし、トントンと軽く背を叩きながら彼女の涙が止まるまでそれを続けたのであった。
次話は明日か明後日投稿します。