1-26 別れの朝
お読み下さりありがとうございます。
領主来訪編(?)はここまでです。
次は又時が進みます。
ライリーは真っ直ぐジェラルドを見て伝えた。
「守るための力を得る…か。ライリーよ、其方の大事なものを守り抜くは容易いことでは無い。その為の力を得るのも同様じゃ。
勧めた儂が言うのもなんじゃが、厳しい道と覚悟せよ。それでも決意は変わらぬな?」
ジェラルドの更なる問いに大きく頷き応える。
「元よりそのつもりです。騎士になり力を付け、知識を蓄えます。父がジェラルド様からこの地の守人を任ぜられたように、僕もジェラルド様と領主様から信頼を得たいと思います。
でなければ“この地”を守りたくとも守れないのですから」
ライリーの答えに満足したジェラルドが破顔して言う。
「うむ。流石じゃな。ライリー、騎士となり見事儂と息子のライモンドの信頼を勝ち得よ。其方の望みを叶えるはそれからぞ。
儂を失望させるなよ。期待しておるからな」
ジェラルドがニヤリと笑ってはっぱをかける。
ライリーは深くお辞儀して応える。
「僕の、いえ私の全力でその言葉に応えます。未熟な私ですがよろしくお願い致します。ジェラルド様、シュナイダー様、テオ様」
ジェラルド以下騎士の二人も頼もしげにライリーを見守る。
「あいわかった。詳細は又追々詰めていくとするが、さて、ライリーの今の勉学の状況はどうなんじゃ、ガルシアよ。
儂の手元に呼び寄せるのは2年後。それまでには読み書きと簡単な計算、ある程度の武芸の鍛練をこの家でもしておくのが良いのだが」
ガルシアは頭を掻きばつが悪そうに答える。
「親馬鹿で恐縮なのですが、ライリーは非常に利発なもので、私の所有する書物はほぼ読み込んで暗記しております。
ただ、書くのは道具を揃えていませんでしたので、些か進んでいないのが現状です。計算は簡単なものは既に暗算で大丈夫です。計算機が無いので、それも必要ですね。
親の私共の準備不足を一番改善しなくてはならない様です。申し訳ございません」
ジェラルドが苦笑する。
「まあ幼い子供を4人も抱えておるのじゃから、無理はない。それについては儂も偉そうな事は言えぬ。其方等には無理を聞いて貰っとるのじゃからな。
儂の方で教材、本、道具は全て用意する。次いでじゃ、後の弟妹の分も手配しておこう。ミラベルも恐らく今から学ばせておけば相当に出来る子供になるであろうしな。
教師も派遣させよう。毎日とはいかんが、少なくとも週の半分は指導できるように手配する。
あと森の小屋を増築し、改装するか。村にも手を入れぬとな。
これは忙しくなるな。テオをこの件の連絡係にする。以後テオを遣わせるからの、ガルシア、コレット、ライリー、分かったな?テオも良いな?」
名を呼ばれた者は皆
「はい!」
と揃って返事をした。
「ではライリー、下がって休むが良い。其方はこれから今以上に身体を鍛えることになるからの。
夜はしっかり休んで成長させねばな」
「はい。そうさせていただきます。お休みなさい、ジェラルド様、アナスタシア様。お先に下がります、皆様。失礼します」
ライリーが扉の前で一礼して下がる。
「あれで7才とは。将来が楽しみですな、ジェラルド様」
騎士のシュナイダーが感嘆した様子で呟く。
テオも大きく頷いて、シュナイダーに同意する。
「驚きます、本当に。どんな教育をすれば、あの様に優秀な子供が育つのですか?
ライリー殿だけじゃない、ミラベル殿もそうだし。なのに特別な教育をしたわけでは無いのでしょう?生来にしてもアレは凄すぎます」
テオの言葉にガルシア夫婦は苦笑する。
「どうと言われましても。勝手に育ってくれたのです。私共は子育てに手を抜いてばかりですから。
寧ろ私共も驚いておる具合ですよ」
ガルシアの言葉にジェラルドも笑う。
「手抜きがよかったのかもしれぬな。ガルシアよ。ハッハッハ!」
「かもしれませぬ」
「じゃが、良い苗も手入れすれば更に強く美しく咲くもの。
これからはそうも言っておれまいて。ガルシアよ、共に育てようぞ」
「有り難き御言葉。感謝いたします」
ガルシアは深く頭を下げた。
皆が寝静まった真夜中。
アナスタシアの寝所には小さなランプの灯りが点っていた。
窓際に座るアナスタシアの姿が浮かび上がる。
腕のなかには眠るクロエ。
明日になればこの地を後にする。
クロエを残して。
次はいつこの地にこれるのかわからない。
クロエはアナスタシアが母だとは知らずに育つ。
解っていた事だ。
クロエをガルシア達に託した時から。
クロエを守るためにはこれしかなかった。
出生後、直ぐに死んだと偽ってまで。
クロエの兄姉にも残酷な話をした。
弟ならこのまま、この家の子としてお腹の中の子は育てる。
妹であっても、黒以外の髪色なら同じく育てる。
しかし“黒髪”の妹なら。
生まれたら直ぐに世間には死んだと公表し、関係の無い夫婦の子として養子に出すと。
生かす為に死なせると。
その話をした時の子供達の目が忘れられない。
「何故、家族で守らないのか」
言葉には出さないが、そのかわり黙って怒りに燃える瞳で両親を睨み付けた兄、オーウェン。
髪を振り乱し、泣き腫らした目で詰るように両親を見つめ、抗議した姉、エレオノーラ。
子供達なりに生まれてくる自分の弟妹を守りたかったのだろう。
しかし、言葉を尽くして説得をした。
両親の葛藤を見た子供達は、やがて歯を食い縛りながら頷いた。
そしてクロエが生まれた。
誕生を喜んだ子供達は、クロエの髪を見て顔を強張らせた。
まさかの黒髪の妹。
自分達と引き離される運命の子。
母の“悪夢”が現実のものとして、この妹に降りかかるかもしれないと、生まれた妹を目の前にして漸く実感したのだ。
母の“悪夢”を現実にしてはならない。
妹を守るのだ、何としても。
子供達も両親に願った。
自分達の気持ちを押し殺して。
そしてクロエは彼等の願いと共に、アナスタシアの夫ブライアン・ファルク・インフィオラーレ侯爵が領主を務める領地インフィオラーレを離れたのだ。
しかし生まれて直ぐの我が子を手離したアナスタシアは日に日に弱っていった。
出産前からの緊張と苦悩、出産後の余りにも辛い試練が彼女を追い詰めた。
皮肉なことに、クロエが出産直後亡くなったことにしていたので、事情を知らぬ者達には何の違和感も無く、アナスタシアの不調は受け入れられた。
しかし、このままではアナスタシアが保たない。
夫のブライアンが義父のジェラルドに相談し、療養と称して故郷のフェリークにアナスタシアを行かせたのだ。
少しでもクロエの側に居させてやろうとする夫の愛情だった。
それでもアナスタシアの気鬱は治らない。
思い悩んだ末、“視察”に同行という形でクロエに会わせる事にした。
アナスタシアにその計画を話すと、みるみる内に体調が良くなっていった。
そして気ばかりが急く日々を送り、クロエの元に来る日を迎えたのだ。
アナスタシアの喜び様は既に語られた通り。
そして、自分のやるべき事を再び見据え始めた。
アナスタシアの目に力が戻った。
もう心配は無い。
ただ、やはり我が子を手離すのは辛い。
だから今日は一晩中、クロエを抱き締めていたいのだ。
幾ら見ていても見足りない。
次はいつ会えるかわからないのだから。
クロエの甘い匂いを覚えておくのだ。
これからの縁にするために。
いつか、いつか全てが落ち着いたなら。
いつまで掛かろうがきっと。
クロエを自分の娘として手元に戻すのだ。
それまでの我慢だとアナスタシアは自らに言い聞かせる。
しかし先の見えない望みだと分かっているから、アナスタシアの頬に涙が伝う。
涙のせいで、見ていたい筈のクロエの顔が揺らぐ。
乱暴に涙を拭い、アナスタシアは更にきつくクロエを抱き締めたのであった。
夜が明けた。
今日、朝食後にジェラルド一行は森を後にする。
朝食を揃って食べるその席に、アナスタシアの姿はなかった。
少々体調が良くないらしい。
しかし出発を遅らせる訳にはいかないので、出発ギリギリまで寝所で休むことになった。
コリンは美しいあの女性が居ないのでとても残念そうだ。
まさかこの後帰ってしまうなんて考えてもいないコリンである。
朝食を急いで済ませた側仕えと騎士達は、荷物を馬車に積み込み始めた。
ジェラルドがガルシア夫婦とライリー、ミラベルに今後の話をしている。
クロエはその話を横で聞きながら、ザワザワする胸を押さえていた。
(何だろう。凄く胸が痛い。アナスタシア様がお帰りになるって考えたら急に。
可愛がって下さったからかな?凄く離れたくない。綺麗な方だし、アタシ綺麗なあの方大好きだし、それでかな。
何か泣きそうだよ。アタシも体調が良くないのかな?初めてだよ、こんな焦りというか、寂しさというか、置いてかないでって泣き叫びたい様な気持ちなんて。
赤ん坊って皆そうなんだろうか)
やがてアナスタシアが身仕度を終えて客間に姿を現した。
心なしか顔色が悪い。
目元も赤く体調が悪いせいか、あまり眠れなかった様だ。
(アナスタシア様!顔色が悪い。やはり慣れない地でお疲れになったんだ。
なのに可愛がってくださって。良い方だな、本当に)
アナスタシアはガルシア夫婦に話し掛けると、コレットの腕の中のクロエを見つめる。
「クロエ。もう一度貴女を抱かせて頂戴。私は半年前に生まれたばかりの娘を亡くしました。その為にこのフェリークに療養に参ったのです。
クロエ、貴女を見ていると亡くした娘が帰ってきた様に思えます。さあもう一度、離れる前に私の腕に来て頂戴」
クロエは驚愕した。
(アナスタシア様、そんな哀しい思いをなさっていたなんて!
もっとアタシに出来ることは無かったの?アタシばかり可愛がっていただいて、何もお返し出来てない。
ごめんなさい、アナスタシア様!どうか貴女にこれ以上の悲劇が降りかかりませんように。
貴女の悲しむ顔を見たくない。どうか笑っていてほしい)
アナスタシアに必死に手を伸ばすクロエ。
アナスタシアはコレットからクロエを受けとると頬刷りし、きつくきつく抱き締めた。
「アウアウアー。アウウ、アウアウ(アナスタシア様。泣かないで。大好き)」
クロエが気持ちを伝えようとしているのが解ったのは、アナスタシア本人とジェラルド、そしてコレットの脇に控えていたライリーだった。
ライリーは驚愕して目を見張り、クロエの方を見る。
ジェラルドがそれに気づき、ライリーに対して他に悟られぬよう、指で口を押さえる仕草を見せる。
ライリーはジェラルドを見て彼の意を悟り、目を一度頷くようにしっかり閉じて、又ジェラルドを見つめた。
ジェラルドがフッと笑い、アナスタシアに出発する旨を伝える。
アナスタシアはクロエにキスすると、彼女をコレットに渡そうとした。
すると脇に控えていたライリーが進み出て、クロエを受け取った。
「アナスタシア様。必ず守ります。ご安心を」
その一言を伝えて。
クロエは身を捻って、アナスタシアを見る。
(行かないで、アナスタシア様!アタシも連れていって!)
手を伸ばしてアナスタシアを求めるクロエは、やがて声を出して泣き出した。
(分かんないけど、離れたくない!アナスタシア様と居たいよ!お願い、連れていって、亡くなった赤ちゃんの代わりでも構わないから!アナスタシア様!)
アナスタシアの顔もみるみる歪む。
しかし、一度息を吐くと見事な微笑みを浮かべ、皆に暇乞いを告げる。
「クロエ、ありがとう。ガルシア、コレット、ライリー、ミラベル、コリン。とても楽しい時を過ごせましたわ。ありがとう。又いつかここを訪れたいと思いますわ。
それでは。皆これからも元気で過ごして下さいませ。ライリー、どうか守ってやってください。……頼みます」
そう言うと身を翻して馬車に乗り込んだ。
ジェラルドもガルシア達に暇乞いを告げ、アナスタシアに引き続き馬車に乗り込んだ。
クロエの泣き声が響く中、騎士のテオを先頭に馬車、後ろに騎士のシュナイダーが続いて出発した。
ミラベルが千切れんばかりに手を振って
「又来てくださいねー!待っていますからー!」
と叫んだ。
しかし馬車からはジェラルドが顔を出して手を振ったが、アナスタシアは顔を見せなかった。
馬車の中でモニカに背を擦られ、声を押し殺して泣き崩れるアナスタシアに、そんな余裕は無かったからだ。
そしてライリーに抱き締められたクロエも又、訳のわからない衝動に突き動かされるまま、声を上げて泣き叫ぶのだった。
(アナスタシア様…!寂しいよ)
クロエの心を占める思いはそれだけだった。
次話は明後日になります。