【06-03】
「この小鬼田が階段で転んで大怪我なんて、あると思うか?」
「現にこうして寝込んでいるのは誰です?」
「そうだよな。今のは忘れてくれ。どうにも変な気がしてさ」
現実があるのに愚問にもならない。
恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ハッキリ言わせて頂きますが」
しかし凛華は表情を崩すこともなく、左手でくっと眼鏡を上げた。
「小鬼田 函辺ともあろう者が、階段で転んだくらいで怪我をするはずがありません。むしろ、階段を破損させる可能性の方が高いくらいです」
「どういう意味だよ!」
怒鳴ってから、痛たたと脇腹を押さえる。
その仕草に凛華が声を上げて笑った。
「笑うな。あいたた」
「いえいえ、失礼しました」
眼鏡を外して、溜まっていた涙を指先で拭う。
「小鬼田という人間は運動能力に優れ、しかも人一倍丈夫で鈍感なのですから」
「鈍感ってのは悪口だけどな」
「冗談はともかく、貴方が階段で転倒して大怪我、というのは信憑性に欠ける話です」
「そうだよな。それに覚えてないんだよ。どこでどう転んだか。気がつけば医務室でさ」
「なるほど、奇妙な話ですね」
凛華が首を捻った。
「実は私も記憶に曖昧な部分があるんです」
執務室でリクガメに餌をやりながら感じた違和感を伝える。
「お互い昨日の記憶が、あやふやなわけか。一昨日のことはハッキリ覚えてるのにな」
「貴方が大量のお粥を作ったことですね。味見もせずに」
「そういう言い方しないでくれよ。初めて作ったんだし、あれで上出来だろ」
「まったく。三人で味のしないお粥を延々食べるなんて、まるで罰ゲーム……」
はっと言葉を止めた。
「三人でしたよね?」
「あぁ、確かに三人で食べてたはずだ。もう一人は誰だった?」
「それが、思い出せないんです」
ずきずきと痛み出した頭を押さえながら、なんとか記憶を辿ろうとするが。
「なんでなんだよ! 二日前のことなんだぞ! くそっ!」
「私の部屋でのこと。親しい間柄だったはずなのに、どうして」
やはり靄が掛かったようになってしまう。
不意にインターホンが鳴った。
あまりに突然の来客に二人が顔を見合わせる。
もう一度、電子的な呼び出し音が響いた。
「私が見てきます」
凛華が腰を上げて、ドアに向かう。
「どなたです?」
「落とし物を届けにきたんだ。開けてくれないかい」
「落とし物?」
「そう、君達二人が忘却の彼方に落としてしまった物だよ」