↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イチゴの行く道  作者: 朝山みどり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/7

01 春の事故

 01 春の事故


 母が怪我をしたのは、高校三年の春の初めだった。卒業まで、あと一年を切っていた。

 畑へ出る道の脇に、まだ水仙が咲いていた。その黄色を、病院へ向かう車の中から見たことを覚えている。

 農機の回転部に右手を巻き込まれた、と祖父は言った。助手席で膝を揺すり、同じ説明を繰り返した。

「ほんの一瞬やったんや。止める暇もなかった」

 俺は作業着の膝を握っていた。実習の途中で呼び出されたので、指に黒い油が残っていた。

 病室の母は、右腕を包帯に覆われていた。俺を見ると顔をゆがめたが、泣いたのは痛みのせいだけではなかった。

「明日の出荷、どうしよう」

 枕元で祖父がため息をついた。

「そんなこと考えとる場合やない。今は体を治せ」

 そのあとで、祖父は俺を見た。

 何も言われなくても、何を求められているかはわかった。

   ***

 父は、俺が中学生のときに死んだ。母を中心に祖父と俺の三人で、田畑を耕してなんとか生活していた。

 五歳上の兄貴、恭一は東京にいた。音楽で食べていくと言って家を出て、五年になる。学校を出たあとも、レッスンだ、録音だと金がかかった。

 兄貴から電話が来たのは、母の手術が終わった晩だった。

「おふくろ、命は大丈夫なんやろ」

 病院の廊下で、俺は携帯を耳に当て直した。

「命はな。右手は、前みたいには動かんかもしれんって」

「そうか。そら大変やな」

 電話の向こうで、誰かが兄貴の名を呼んだ。

「悪い。今、打ち合わせ中なんや。また連絡するわ」

「兄貴、いつ帰れる?」

 切れかけた通話に、俺は声を押し込んだ。

「すぐは無理や。大事な時期なんやって、おふくろから聞いてへんか」

「こっちも大事な時期や。春の仕事がある」

 俺は言い返した。

「とりあえず、お前と爺さんで頼むわ」

 通話が切れたあとも、俺はしばらく携帯を耳から離せなかった。

   ***

 俺は工業高校で、自動車整備を学んでいた。

 エンジンをばらし、部品を並べ、原因を一つずつ確かめるのが好きだった。動かなかった機械が、自分の手でまた動き出す。あの瞬間がたまらなかった。

 卒業したら整備工場に勤める。資格を取り、金をため、いつか自分の工場を持つ。

 進路調査には、そう書いていた。

 母が退院する頃には、学校を休む日が増えていた。朝の仕事が長引けば一時間目に間に合わず、午後から出荷があれば早退した。

 担任の三田先生は、実習室の隅に俺を呼んだ。

「もうすぐ夏休みや。卒業まで、あと一息や。休学も含めて考えよう。辞めると決める前に、家の人と話をさせてくれ」

 作業台の上には、俺が途中まで組んだエンジンがあった。

「学費だけやないんです。俺が家におらんと、仕事が進まんのです」

「兄さんがおるやろ」

「東京です」

「帰ってもらう話はしたんか」

 俺は返事の代わりに、油の染みた作業着を見下ろした。

   ***

 その晩、食卓で学校の話をした。

 母は左手に箸を持ち、崩れた煮魚をつついていた。

「兄貴に春までだけでも帰ってきてもろたら、俺、卒業できるんやけど」

 母の箸が止まった。

「恭一は今、頑張ってるところやから」

「俺も頑張ってるやろ」

「わかってる。あんたには感謝してるよ」

 母はそう言ってから、俺の皿に魚の身を寄せた。

 祖父が茶をすすった。

「若いもんは夢を追わなあかん。今しかできんこともある」

「俺の学校も、今しか行かれへんのと違うか」

「お前には家があるやろ」

 祖父は、話が片付いたように箸を取った。

 俺は十八だった。兄貴より五つ若かった。

 それでも、この家で若いもんと呼ばれるのは、兄貴だけだった。

   ***

 夏の終わりに、退学届を出した。

 先生は最後まで、俺に書類を渡すのをためらった。

「困ったら来い。辞めたから、もう相談できんなんて思うなよ」

「はい」

「整備は、好きなままでおれ」

 俺はうなずいた。返事をすると、何か別のものまで口から出そうだった。

 家へ帰ると、祖父が玄関で待っていた。

「頼りにしてるぞ。お前がおって助かった。近所にも鼻が高いわ」

 母は台所で泣いていた。

「ごめんな。私の手が、こんなんになったばっかりに」

 俺は作業着に着替えた。

 泣いても、夕方の水やりは終わらない。

いつも読んでいただきありがとうございます!


誤字、脱字を教えていただくのもありがとうございます。

とても助かっております。

楽しんでいただけましたら、ブックマーク・★★★★★をよろしくお願いします。

それからもう一つ、ページの下部にあります、「ポイントを入れて作者を応援しよう」より、ポイントを入れていただけると嬉しいです。

よろしくおねがいします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。