母が亡くなったときに書いたときの日記
僕の母さんが亡くなりました。
2013-11-17 07:25:15 | 日記
いつまでもメソメソしちゃいけないと思い書きます。
先日、僕の母さんがなくなりました。
精神をわずらい、二十六年間の闘病生活の末、亡くなってしまいました。
何でも出来る母でした。
うちは貧しかったけど、足踏み式のミシンで服を作ってくれたり、料理も上手で大皿いっぱいに作ってくれた餃子とか、
あとオリジナルのサツマイモで作ったケーキのようなものとか、
二十六年前に病気になって、病院の一室、窓には鉄格子があり、ベッドで手足を結ばれ、
「死にたい、死にたい」
という母を見たとき、家族全員泣きました。
涙はそこで全て出したと思うぐらい泣きました。
けど、それから、強いクスリで精神を押さえ、母は一日何もせず、というか動けず、ただどこを見てるわけでもなく
いるだけでした。
食べることも、生きる気力がなくなったせいもあって、ほとんどの歯が抜け落ちて、食べ物はいつもコロッケを砕いたり、流動食がメインで食べる喜びすら感じることも出来ませんでした。
というか、意志がなかった。
けど、俺ら息子たちが、面会に行くと、父に言わせると「喜んでる顔してる」と言っていました。
でも、この夏、いや、そのまえから母に会いに行くと、いつもは感情もなくただ穏やかにしている母が、そのときだけ感情的になって、
涙を流して何か訴えてました。
歯がないので、言葉が言葉にならず、わからないのですが、父がいうには、「病気になった悔しさ」とか、そういうことを言っているのだ!
と言っていました。
俺は、なんとか、親孝行したかったんだけど、結局、お見舞いしか出来ませんでした。
しかも、正月休みとゴールデンウィークと夏休みの年、たった三回。
母に会うのが怖かった、辛かったという思いから、逃げていたのかも知れません。
十一月も三連休あったのだから、会いに行けば良かったと後悔しております。
ほんとに親不孝で、結婚して孫の顔でも見せれば、生きる気力が出てくるのでは、と思ったり、
プロになって、お金を稼いだら、母をマイクロバスで医者も付き添わせて、おばあちゃんが眠る田舎に連れて行ってやりたかった。
けど、自分には、何一つ力がないどころか、迷惑をかけている。
ほんと親不孝ものです。
葬儀まで日にちがあったので、母と一緒に二日寝ることが出来ました。
夢に出てくれば、と思っていたのですが、
母の傍にいるときは、母に語り、涙を流すことはさほどないのですが、
元気なころの母といたことを思うと、ほんと子供のころから、親不孝で、うちが貧乏だけに、僕が、
「こんな家に生まれたくなかった」
と母の前で言ったら、
母が
「そんな悲しいこと言わないで」
と、涙を流し、子供ながらにあせって「ごめんなさい」といったこととか、ほんと走馬燈のように想い出しては泣いていました。
今は、自分がどんな子に生まれようと、千回、万回、いや、永遠に自分は母から生まれたいと、母の子として生まれたいと思っています。
ほんと、何かの歯車がもう少し変わっていたら、もしかしたら母は病気にならなかったかも知れない、と悔いても仕方ないのですが、
ほんと、うちは貧乏だったせいか、また、俺が手のかかる子供だったせいか、その分、母ががんばって、
色々してくれたおかげで、思い出が多すぎて、それを想いだしては泣いています。
思い出が思い出になるまでは、ほんと母を思っては涙を流し続けるのでしょうね。
母が病気になったとき、みんなで涙が枯れるほど泣いたと想ったのですが、涙は枯れないのですね。
でも、自分もけじめをつけなければなりません。
動揺しているせいか、車も、キズだらけにしてしまい、危ない運転をするわけにはいきません。
それに四十九日の法要のときは、母を乗せてお寺にいかなければなりませんし、
でも、はじめて車の免許をとって、母を乗せるのが、母の遺骨というのが、悲しくてなりません。
でも、ちゃんと運転が出来るよう、けじめをつけなければなりません、母に怪我させることは出来ません。
いつまでも、メソメソしているわけにはいきません。
母の名前は「悦」と言います。
意味を調べると、喜ぶこと、うれしがること、という意味だそうです。
俺がいつまでも泣き伏しているのを、母が喜ぶわけはない。
母は「いつまでもそれじゃダメよ」といっている気がします。
自分も中々、人を、母を喜ばすことが出来ないけど、母の闘病生活を想えば、今の自分の努力はまだまだだし、
自分が一喜一憂していることは、とても小さなことなんだなと思いました。
これが今の胸の内にあるものです。
悦は、喜ぶ、うれしがること、
ほんといつまでも、メソメソしていちゃいけない。
今はただ、母に、
「俺、がんばります」としか言えないのかな、
というか、母は俺が努力することを信じてると思うので、せめてがんばらないといけない。
これを、自分の中で一つのけじめとして、書きました。
でないと、帰京するときも車なので、
でも、貧乏ほど、母に世話をやかせるほど、母との思い出は多いのですね。
そうだ。
二十六年間のあの闘病生活から母は自由になったんだ、解放されたんだ。
苦しみも心配することもないおばあちゃんがいる天国に逝ったんだ。
これでいいんだ。
母は解放されたんだ。
母は俺ががんばることを信じている。
ゆっくりでもいいから、がんばって、前向きにいこう。
もう、メソメソするな!
母が亡くなったときに書いた日記です。
USBに保存してあったのでここに乗せておきます。
母がしっかり生きていた証しとして。




