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貴方の知る私は、記録の外におります— 王子の婚約解消以後、私は物語の舞台を降りました  作者: 妙原奇天


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第2話 原本一点主義

 翌朝の記録管理局は、石の温度がまだ夢を握っている。廊下を歩く靴音は、紙に押す角印みたいに四角い。私は保管庫B-3の扉前で鍵束を回し、緑青色の印箱を手にした。今日の議題はひとつ——原本一点主義の徹底だ。


 保管庫の最奥、婚姻記録の棚。革表紙の背に刻まれた年代が、さざなみのように並んでいる。私は該当巻を引き抜き、卓上の光に開く。

 ——〈婚約者欄・失効〉

 昨日付の付記は静かに乾いている。これでよい。これで誰が噂を勝手に書き足しても、原本は濡れない。


 作業を進めていると、扉口で咳払い。宰相補佐ギーゼルが、よく研がれた態度で立っていた。背後には、王子派の若手文官が二人。

「査定官殿。原本の“写し”を、いくつか便宜的に認めていただけますかな。夜会の混乱は避けたい」

 便宜的。便利な言葉だ。便利な言葉ほど、紙の上では重しがいる。


「写しは拒みません。ただし原本参照番号を付し、閲覧記録を残します。——便宜ではなく手順として」

「手順を介すると……時間がかかる」

「時間は、噂の利息を減らします。利息は高い」

 ギーゼルは微笑みの形をしばらく固定した。理詰めに怒鳴り声は似合わないタイプだ。

「では、最低限の“緩衝”として、礼装会見を求めます。王子殿下の声明を、記録局の“了解”という形式で」

 私は首を横に振る。

「了解は不要。告知の受理のみ。私的感情は私物、制度の賛否は記録に載せない」

 若手文官が口を挟む。「しかし、世間が誤解を——」

「誤解は、余白で矯正しない。一次資料で矯正します。本日、推薦状の複製を破棄します。原本一点に戻して、誰が“持っていると思っていた力”で歩いていたのかを確かめます」


 彼らが去ると、空気が軽くなった。紙の匂いが戻る。

 私は“複製推薦状”の束を受け取り、番号を読み上げながら仕分ける。

「複製一二三、差戻し。複製一二四、破棄。——“殿下のご推薦につき”という文言、原本に存在しない」

 隣で司書騎士ノアが静かに頷く。

「緑青インク、温めようか」

「お願いします。偽装の色は冷たい。正本の色は、少し温かい」

 ノアは小さな炭火にインク壺を近づけ、筆先を整える。湯気のような匂いがわずかに立ち、私の呼吸が一定に揃う。


「——アーデルハイト様」

 背後で名を呼ばれ、振り向く。桃色のドレスを脱ぎ、素朴な紺の外衣に身を包んだミレーユが、両手で試験願書を抱えていた。

「受け直しに来ました。一次資料に……なりたいから」

「ようこそ。まず本人確認。出生記録、確認できています。——次に監督者の選任。第三者監督、図書塔から手配済み」

 ミレーユの肩から力が落ちる。

「昨日は、あんな場所で失礼しました」

「夜会は劇場です。昼は台所でいい」

「台所?」

「制度は料理に似ます。塩は公開、香草は期限」

 彼女は意味を測るように瞬きをし、笑った。

「塩の置き場所は入口。香草は冷暗所」


 願書に緑青の印を落とすと、ミレーユは深く礼をして去った。扉が閉じると同時に、別の足音。今度は靴底が上等すぎる音——王子だ。

「アーデル」

 彼は呼ぶ。私は肩書で返す。

「査定官とお呼びください。ここは職場です」

「……査定官。話がしたい。誤解を解きたい」

「誤解は私物です。記録は公共です」

 王子はわずかにたじろぎ、笑顔を試みる。

「君は、いつからそんなに硬くなった」

「硬いのではありません。滑らせないだけです」

 私は引き出しから封筒を取り出し、差し出す。

「書面での謝意と謝罪。二通。宛先は“私”ではなく“記録管理局”。内容は“私的負担の公共化”。噂ではなく紙でお願いします」

 王子は受け取り、言葉を探してから、ようやく頷いた。

「書こう。……君の助けがなければ成立しなかった出来事を、私の功績から外す旨も書く」

「ありがとうございます。功績の剥離は、次の人の助走を楽にします」


 王子が退室し、保管庫に静けさが戻る。私は複製束の最後の一枚を手にとり、ノアに目配せする。

「破棄の瞬間、記録します」

「了解」

 切断器の刃が降りる。紙の繊維がほどける乾いた音がして、複製の“便利”が細片になる。

 私はその横で、原本に再刻印した。緑青の印が、正しい場所に丸く沈む。

 ——〈推薦状:原本一点。参照番号:R-074〉

 わずかに指が震え、笑ってしまう。美談ではないけれど、美だと思う。


 昼の鐘。公開棚の設置に向け、ホールへ降りる。入り口脇に新設した木棚は、誰の目線でも読める高さに段を刻んだ。上段は「寄付の行き先」、中段は「監査の予定」、下段は「失効・更新一覧」。

 ベアト商会長が、数名の店主と共に現れる。

「ここに……本当に置くのか」

「入口がよい。人は入るときに、正気に戻る」

 私は最初の目録を差し込む。

〈寄付公開:保護院へ衣類・靴・寝具。提供:ベアト商会他。受領印:保護院〉

 次いで、監査予定表。

〈予備試験監督:第三者(図書塔)。責任者:ノア〉

 最後に、失効一覧の掲示。

〈婚約者欄失効:アーデルハイト=レオンハルト間。更新申請なし〉

 ホールの空気が、静かに形を変える。ざわめきはあるのに、誰も声を荒げない。名前ではなく、役割が並ぶせいだ。


 そこへ、宰相補佐ギーゼルが再登場。今度は拍手を一つ。

「見事。人を責めずに、制度を進めた。ただ一点——“失効一覧”が王子の評判に影響するのでは?」

「評判は噂の通貨。失効は制度の天気。天気予報は隠せません」

 ギーゼルは笑い、肩をすくめた。「君は厄介だが、予測可能だ」

「予測可能は、平和の親戚です」


 午後、局内の講義室で、原本一点主義の勉強会を開く。対象は若手文官と街の書記見習い。

「複製は便利だが、責任の複製も連れてきます。原本一点主義とは、“責任の一点化”。誰が押したか、どこで押したか、いつ押したかが、一本の線で辿れること」

 見習いの少女が手を挙げる。「でも、原本が燃えたら?」

「燃やさない。二重化はします。ただし、原本の複製ではなく保管の二重化。鍵が二つ、人が二人、場所が二箇所」

「鍵は誰が持つんです?」

「敵と味方が持つのが理想です。——もっと正確に言えば、“いつでも逆側に回れる人たち”」

 教室に小さな笑いが生まれる。笑いは理解の影だ。


 講義後、私は机に戻り、王子からの書面を受け取った。封蝋は正しい、言葉はぎこちないが正直だ。

〈声明〉

——“私的便宜に依拠した推挙・推薦は取り下げる。公共の成果は個人の功績から剥離し、記録管理局の判断に従う”

 それでいい。正しさの文体は少し退屈で、よく眠れる。


 夕刻、窓外に長い影が伸びる頃、グリム課長が湯呑を二つ運んできた。

「今日の“削除”はどうだった」

「紙は軽く、空気は重く。でも、呼吸は一定です」

「それは良い。人は一定の呼吸で歩ける距離が伸びる」

 私は湯気の向こうで微笑む。

「課長。私、明日から仮承認に全部期限を入れます。半年。——延長は公開を条件に」

「やりなさい。王都は覚悟の書式を忘れている」


 夜。公開棚の前を通ると、粗末な靴が二足揃えて置かれていた。札には震える字。

〈寄付:靴。差出人:無記名。受領:保護院〉

 私は札の裏に、小さく一文を足す。

〈匿名は**“誰から”を隠し、公開は“どこへ”**を見せる〉

 靴の影は小さいが、入口で人の背筋を伸ばす。入口は正気。今日はそれで充分だ。


――――

【小さな勝利】複製推薦状の破棄完了/原本再刻印/公開棚に寄付の行き先が初掲出

【次話予告】第三話「匿名寄付はどこへ」—匿名の“善”を、行き先で可視化する話。

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