1 伯爵令嬢はアルブス語を覚えたい
シャロン・ヴァレンタイン…それが私の名だと教えてもらった。しかも私は伯爵令嬢だそうだ。銀髪の髪に、瞳は右が青で左は緑。見た目年齢は十代後半だが、実年齢は今年で三十八歳だと……これも教えてもらった。
凄い美魔女。
鏡の自分にとてつもない違和感を感じる。私はこんなに人間離れした容姿ではなかった気がするし、ここまで若くもなかった……と、思う。
こんな顔してたのかな……私は。
左右で眼の色が違う事もあるが、シャロンの美しさはどこか浮世離れしている。両手で頬を押して変な顔にしてみる。今度は両頬を摘んで引っ張る。いくら美人と言っても、頬を引っ張ればそれなりに変な顔になる。白眼も試したいが、自分で顔が見えないから無理か……
二十年前に私は誰かに毒を盛られて倒れたのだそうだ。そこから二十年間、魔法で時を止めて眠らされていたのだという。どこかで耳にした事のある童話のようだ。しかし、目覚めは王子様のキスとかロマンチックな物ではなく、父であるネイサン・ヴァレンタイン伯爵の人生最期の召喚術だとか……
もう、何がどうしてどうなったのやらである。
何がどうしてどうなったのやらと言えば、私には謎の能力があると発覚した。人の持ち物に触れると、所有者の過去を当事者のように覗き視る事ができた。できる物とできない物があったが、違いは未だ判明していない。
視える視えないよりも不便な事として、会話が聞こえるというのに、何を話しているかわからない。音をそのまま真似するには限界を感じる。やはり言葉を覚えるのが最優先なのだろう。そもそも二十年寝ていて今まで使っていた言葉を忘れるとはどういう事か…不思議だ。
外にも不思議は溢れている。昨日は庭を散策中に生えている蔦系植物に文字通り絡まれた。想像して欲しい、植物が意思を持って私の首を締めようとしたのだ。ナタリーがどこから取り出したのか短剣を数本投擲し、指から盛大な静電気を放出して投擲した短剣に電力を投下したように見えた。その後、草は大人しくなり、私は口をぽかんと開けて見ていたと思う。ナタリーがとても心配するので『ありがとう』と伝えたが、不思議が勝る。
先ず植物はあんなに自由自在に動かないし、指から静電気を自由自在に放出できるナタリーもビックリ人間の部類だと思う。これが、世の常識だと言うなら私は非常識な感性を持ち合わせた中々の社会不適合者だ。
結局、私が外を出歩く時はナタリーとヤマダサンを伴う事が伯爵家ルールに加わった。高貴な身分になると色々不自由な事が多いと聞くが、これは子供が一人で外に出るのは危ないから……というヤツではなかろうか。
三十八歳になろうとしているというのに……
何度も繰り返すが、私が人並みの生活を送る為には、言語の学習が急務なのだ。
「シャロン様、お茶をご用意致しました。」
ノックと共に、ナタリーがお茶とお菓子を持ってやって来た。近くにいた白猫ヤマダサンが『今日のお菓子は何ダ〜?』と言いながら、ナタリーに駆け寄る。
「ヤマダサン、今日のお菓子は、プリンですよ」
ナタリーは、白猫にそう言って微笑んだ。眠りにつく前の私によく遊んでもらったと彼女は言っていた。彼女は以前の私がいかに聡明で優しい人間であったかをまあまあの熱量で語ってくれたのだが……とても薄情なことで申し訳ないが、まるで記憶に残っていない。過去の自分は今と違い、社会不適合者という感じではないように思う。
先程までヤマダサンがいた辺りに、本が一冊開いたまま転がっている。どうやら、字も読めるようだ。私のそれほど深みのない知識では、猫は流暢に喋るような生き物ではなかった気がする。個人的に喋る猫も可愛いから問題ないが、頭の中に『何か違う』という感覚がどうしてもある。
「これがプリン……?」
私は目の前にある黒い物体を見てそう言った。私の知るプリンは、もっとこう卵の色をしていたのだが……竹炭でも混ぜたのだろうか。その上、皿に薄く広がるソースは真っ赤だ。
「メリッサ様が出ていかれる前に、レシピを教えて頂きました。最近社交会でジワジワ人気が出てきたデザートですよ。レシピをメリッサ様がご存知なのはちょっと驚きましたが…。」
メリッサは、督促とやらが来て先日隣国に向かってしまった。という設定で此処を去り、今は王子と護衛と行動を共にしているという。私が話せる言語を話せた少女。口をふにふに動かして考え事をする癖があるとっても愛らしい少女…本当の名はアリソン・ブレイクだと言っていた。心の中だけで『ハムちゃん』と呼んでいる。ハムちゃんのハムはハムスターのハムだ。そんなメリッサが教えてくれたデザートのレシピがプリン……
「実は、メリッサ様の普段使っている材料と違う物ですが、味はヤマダサンが問題ないと言ってくれたので早速作ってみたのです。お口に合うと良いのですが」
改めて、プリンと紹介された黒いブツを見つめる。
チョコレートプリンだと思えば……いや、黒すぎる。ヤマダサンが嬉しそうに食べるのを横目に、食べなければとスプーンに手を伸ばした。ナタリーが期待を込めた目でこちらを見つめている。どんな味でも美味しいと言えるだろうか……?
手が震えないよう、そっと小さめの一口を掬い取って口に運ぶ。
……何故か美味しい。
自然と口元が綻び『美味しい』と、呟いた。私が一番慣れ親しんでいる言語でだ。ヤマダサンやアリソンと話をするときの言語とも違い、未だ話せる人に出会えていない言語。
「お味は……如何でしょうか?」
ナタリーが私に向かい、感想を求めている。
私は彼女に微笑み、習いたての言語から使いたい言葉を選び出す。
「とても美味しいです。ありがとう、ナタリー」
彼女は少しはにかみ、『また作りますね』と言った。二十年間眠っていたという私に対して、伯爵家の人々はとても良くしてくれる。それこそこちらが恐縮するくらいに…どうしてなのか知りたいと思う。
ヤマダサンが隣でプリンをおかわりしていた。
[ヤマダサン、夕飯食べれなくなるよ]
[お菓子用のスペースがあるから大丈夫ダ]
おやつは別腹という事らしい……味は美味しかったが、やはり色のせいだろうか……私はおかわりする気にはならなかった。
あ、もしかして……
[ヤマダサン、お菓子のレシピ本を見ながら料理したら、アルブス語覚えられるとお思うのだけど……手伝ってくれる?]
一時停止ボタンを押したように、ヤマダサンの耳と尻尾がぴくりと動いた後に止まった。
それからゆっくりとこちらを見るヤマダサンの口元は赤と黒が絶妙に……グロい。
[嬢ちゃんの頼みなら、しょうがないナ!]
ヤマダサンはあっさり釣れた。




