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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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83、あるいは驚愕さえも

 廊下の両側には立ち並んだ屈強な騎士たち。弥三郎たちが現れたゆえか、あるいはそうでもなくとも彼らの利き腕は全て剣の柄に掛けられ、いざとなれば直ぐにでも抜き打つことができる。曲者が現れようなものなら次の瞬間には切り捨てられているだろう。

 正しく精鋭。弥三郎の目から見ても居並んだ彼らの武芸は驚嘆に値するもの。彼の故郷において精強と謳われ、兵や侍の羨望を集める黒母衣衆や赤母衣衆にも匹敵する猛者たちが此処に集結している。それが何を意味するか、考えるまでも無く弥三郎には明らかなことだった。

 この扉の先にいるのは彼らの主、戦場にて垣間見たあの戦姫である、それは明白な事実だった。


「――下方弥三郎でござる」


「……森の魔女」


 扉の前に石像のような厳然さで佇む偉丈夫に二人が名乗る。ともすれば天井につっかえてしまいそうなその人物は昨日の馬揃えにて先頭を進んだあの騎士に相違ない。甲冑は彼のために誂えたものらしく、その大きさもさることながらその衣装の凝り方、拵えもまた尚素晴らしいものだった。


「…………」

 

「――っ」


 巨人の目に見据えられ、森の魔女が息を呑む。悲鳴を上げなかったのは森の魔女としての矜持ゆえ。森の知恵を手繰り、獰猛な獣達を相手してきた彼女をして目の前の偉丈夫は恐怖に値する存在だった。

 陣中にて遠目から見かけたことはあったが、こうして目の前にするとなおのこと凄まじい。森の灰色熊もかくやとばかりのその手ならば女子供の頭程度、胡桃のように握りつぶしてしまいそうだ。


「――姫君に招かれ参った次第。道を空けられたい」


 その言葉と共に弥三郎が彼女の前に出る。確かにこの目の前の騎士の壮健さ、佇まいから発する気配の凄まじさは驚嘆に値するものだが、それだけで慄くような弥三郎ではない。彼にとっては主を害そうとするならば、たとえ神仏でも敵でしかないのだ。どれだけ強くとも目の前のこの騎士は人の子、ならば恐れる所以は何一つとしてありはしない。

 それにこのような人物と接するのは初めてではない。かつて日の本にて轡を並べた森武蔵守や風聞に伝え聞く果実兼備の勇士、混成の張翼徳なりと、かの信長に賞賛された本多平八朗。英雄豪傑と呼ぶに相応しい猛将たちと共に戦場を駆け抜けてきたのが、下方弥三郎という武士。今更物怖じするような彼ではないのだ。


「……」


 眼前の背中に思わず息を吐いた。確かに感じていた恐怖がアンナの中で瞬く間に消え失せていく。変わって心を満たしたのは浅はかなまでの歓喜。こうして彼が自分のために代わらず命を懸けていることがただただ嬉しかった。


「……わかった」


 弥三郎の言葉に静かに巨人が頷く。彼としても姫の招いた客人を此処に止め置く理由などない。二人への視線に敵意など無く、ただ単に好奇ゆえのものだった。


「……腰のものを預けずともよいのか?」


「…………よい、姫様もそう所望である」


 無用心にも思えるそれはあるいは絶対の自信の表れか。弥三郎にとっても渡りに船ではあるが、それが一層に不気味ではあった。

 ゆっくりと巨人が道を空け、二人はようやく扉を潜る。中の様子は二人の見知ったものとは一変しており、調度品から敷物に至るまでなにもかもが赤を基調としたものと入れ替えられていた。

 紅い竜の紋章。オリンピアの出身ではない弥三郎にもはっきりとそれと分かる。クリュメノスの紋章、それも拵えからいって皇族にのみ許される最高級の品々。このアウトノイアの城にあって、いや、アルカイオス王国にあってこのユスティーツァの居室だけはクリュメノスの領地である、そんな様相を呈していた。

 

「……此処でお待ちを」


「――は」


 部屋の中心を横切る帳の前で二人は留め置かれる。周囲には東方辺境領騎姫の侍女たちが呼吸すらも合一に生前と佇んでいた。

 当然といえば当然、本来ならば垣間見ることですら恐れ多いような相手なのだ。こうして同じ部屋にいることですら、ともすれば不敬にあたるかもしれなかった。

 

「――お見えになります」


「…………」


 侍女の言葉と共に静かに帳が開いていく。視線を落し、面を下げる。これから許しを得るまでは決して面を上げることはできない。これより目通りをする人物と彼ら二人ではあまりにも身分に隔たりがある。ここが全くの異国であるとはいえ、かしこきどころに連なる人物との面会など弥三郎にとっても初のこと。どう振舞えばいいかなど、知識だけで他に頼るものが無い。

 有体に言えばあの下方弥三郎が緊張していた。戦場において何者も恐れず武勇の誉れ高き下方弥三郎がこの面会に際して僅かな緊張を感じていたのだ。

 その緊張は当然アンナにも伝わっている。アンナにしてみれば身分など所詮は人の定めた決まりに過ぎないが、弥三郎が緊張することなど滅多なことではない。ある意味ではこの帳の向こうにいる人間はあの門番よりも遥かに恐ろしいのかもしれない。そう考えると、こうして此処にいること自体が不相応にさえ思えた。


「――お、面を上げよ」


 どこか聞き覚えのある声。頭上よりの詞に従い、ゆっくりと面を上げる。一瞬脳裏を過ぎった疑問、あまりにも馬鹿馬鹿しいそれを一笑に付して、二人はようやくかの皇女と向かい合う。視線を上げた先には昨日の美姫がいる、そのはずだった。


「――え?」


「――む」


 驚きに声を上げたのは、どちらであったか。目の前にあったのは全く予想だにしなかったもの、正しく晴天の霹靂といってもいいだけの驚きがあった。

 煌びやかな装束ドレス、最高級の絹と金細工、紅い竜の縫い込まれたそれは本来ならば東方辺領騎姫のために誂えられたもの。しかし、それを今、身に纏っているのはミネルヴァその人ではない。栗色の髪と青色の瞳、どこか柔らかくとも確かな芯と凛々しさを感じさせる顔立ちは弥三郎とアンナには見慣れたもの。一切の疑いを差し挟むまでもなく、そこにいたのは彼らと共にあのネモフィ村を旅立った村長の娘、アイラ・カレルファスが其処にいた。


「いや、あの、えっと、その……」


 言葉を失った二人を前にしてアイラはしどろもどろに言葉を返す。彼女にしてもここにいることそのものが驚きなのだ。そもそも望んだことでもなければ彼女の考えでもない。かの東方辺領騎姫を相手にして一体だれが逆らえようというのか、それでも精一杯反対した結果、結局押し切られたのだ。

 無理くり着せられたこの衣装の胸がきついのか、あるいは緊張故か。呼吸することすらもままならない。本意ではないとはいえ、この二人を謀ったことはアイラにとってはそれほどまでに心苦しいことだった。

 

「あ、アイラ殿、これは一体どういう――」


「そ、その、ですね、えーと、なんと言えばいいのか……」


 ようやく正体を取り戻した弥三郎の問い掛けにもアイラは答えられない。答えようにも、彼女にとしてもこの状況を正しく理解できてると言えない。

 済し崩し、反対こそしたものの、何故あの東方辺領騎姫がこんなことを望むのか皆目見当がつかない。この場でもっとも当惑しているのは他の誰でもなくアイラ自身だった。

 

「――フッ」


 そんな彼らの様子を眺めて侍女一人が笑いを堪えきれなくなる。顔は頭巾フードで隠され、窺い知る事はできないが、僅かに覗いた紅い髪は照り輝くようだった。よくよく見れば、その佇まいといい、僅かに漏れた笑い声のかもし出す気品といい、明らかに侍女のそれとは思えない。


「む、いかん、もう気付かれてしまったか」


 周囲の視線を一手に集めながら、まるで悪びれる様子もなく、侍女はそう言い放つ。思わず笑いを漏らしたのは彼女とっては失態らしく、その声には僅かな悔しさが滲んでいた。


「まあよいわ。ご苦労だったな、アイラ」


「は、は、勿体無いお言葉……」


 そうアイラに声を掛け、侍女は堂々と二人の前に立つ。彼女にとってはこの立ち振る舞いこそ自然体。なんの偽るところのない、ありのままの姿であった。


「もう隠す意味もなかろうて。面を下げずともよいぞ」


 言うが早いか、あるいは為すが早いか、侍女は頭巾を外し、そのかんばせを晒す。輝く紅の髪、威厳すらも讃える美貌は女神のようでもあり、端正な彫像のようでもある。その美しさを見間違うはずもない、目の前にあるのは間違いなく――。


「東方辺領騎姫、ミネルヴァ・イスカリア・ガエルナエ・アロム・クリュメノスである」


 あくまでも堂々と彼女は名乗りを挙げる。侍女の装束でさえも、彼女が身に纏えばまるで煌びやかな鎧のよう。ただこうして目の前にあるだけである種の畏敬を勝ち取るだけの力が彼女には備わっている。


「…………下方弥三郎でござる」 


 それはかの下方弥三郎とて例外ではない。ある種の驚愕と畏敬、そして一抹の懐かしさ。彼の旧主、日の本にて勇名を轟かせた彼らに通じるだけのものをこの美姫は持ち合わせている。そう弥三郎に確信させるほどに、東方辺領騎姫は人の上に立つもの、思うままに采配を振るう大将として完成されていた。


「……っ」 


 そして、思わず息を呑んだのは弥三郎だけではない。隣で控えていたアイラもまた心中をかき乱されていた。

 東方辺領騎姫、紅い竜の血を受けたという一族の末裔。それはつまり、森の魔女の一族を迫害し、滅びの淵へと追いやった一族の末裔ということ。今の今までそれを憎いと思ったことはない、彼女が生を受けたときにはもう既に残された一族は彼女と彼女の母のみ。もはや滅びは直ぐそこにあり、アンナにはそれを自覚するだけの時間がなかった。

 森の掟によるならば、真に森の魔女たらんとするならば、憎しみを抱くことなど慮外のこと。滅ぼされたとしてもそこに感情を交えることなど本来ならば許されることではない。だが、それでも血が叫んでいる。彼女の中にある魔女の血が、母より受け継いだ森の智恵、先祖の記憶がこの紅い髪の一族を許すなと獣のように猛っている。

 ありとあらゆる矛盾が彼女の内に渦巻き、交わり、形を変える。それでもそれが彼女自身を、あるいは誰かを焼かないのはここに彼女の従者が、下方弥三郎がいるから。ただそれだけ、彼という楔が無ければとうの昔に最後の禁忌を犯していただろう。


「そう怒るな! ほんの戯れよ!!」


 そんな二人の視線すらも彼女はそう笑い飛ばす。彼女にとっては畏敬も憎悪も取るに足らぬもの、東方辺領騎姫にとっては万人の悪意、あるいは畏敬ですらもただの微風に過ぎなかった。



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