82、あるいは進むべき場所
葬儀が終わり、遺体を埋葬し終わったのは朝日が昇り始める頃合だった。場所は城下の片隅にある巨神教の教会の墓地、宣戦布告と国王の破門以来誰一人として寄り付かないその場所がコンテフルナの聖女の眠る場所となった。
石を積み、廃材を十字に組んで突き立てただけの簡素な墓だが、それでも最大限の敬意を持ってその墓は建立された。むしろ、後の事を鑑みれば、おおよそ聖女の墓所として相応しからぬこの質素さはきわめて重要なことであった。自ら意図してのことではないものの、下方弥三郎と森の魔女は聖女の名誉を守ったのだ。
「…………むう、やはり納得いかん」
「まだ剥れておるのか」
城への帰り道、早朝の涼やかさの中、不満と不平を隠そうともしないロベルトに弥三郎はそう声を掛けた。黒い甲冑に付いた土と泥は墓場のもの。彼女を埋める穴を掘ったのは弥三郎自身だった。
無論、一人で何もかもをなしたわけではない。遺体の移送と墓の建立を手伝ったのはアラストリア傭兵団の面々、団長ロベルトを含めた数名。この一件を決して口外せぬと信じられる者達だけが、この場には同行していた。
かといって今回の一件に不満がないわけではない。確かにこの事を言いふらすことは先祖の名誉と自身の命に掛けてもしないが、聖女の遺体の処遇はむしろ傭兵である彼らにとっては死活問題といえる。この件に関してはそうそう簡単には折れるわけにはいかなかった。
「当たり前だろ。あの聖女は東方辺領騎士団を破ったことがあるんだよ。それこそあのお姫さんに首を差しだしゃ褒美も期待できる、場合によっちゃ爵位だってもらえるかもしれん。それを隠すなんて旦那もどうかしてるぜ」
「……確かにどうかしてる」
「……そういわれては返す言葉もござらんな」
ロベルトの歯に衣着せぬ物言いと主たるアンナの言葉に苦笑しながらも弥三郎はどこか誇らしげな態度を崩さない。確かに手柄を上げることは武士の本分であるし、ロベルトの物言いも反論のしようがない正論。弥三郎自身としてもそれは何度も自問してきたことだ。
だが、だからといって自分の行いを恥じる気持ちは微塵もない。武士の本分に反していても、すべきと思った事をしたまで。例え戦場で互いに将として刃を交えたとはいえ、女子の首を取り、手柄として誇るような行いこそ下方弥三郎にとっては恥ずべきことであった。
「此度は某の我侭にござる。どうか許されよ」
「……旦那にそういわれちゃな。なあ、嬢ちゃん?」
「……分かった」
依然、不満げではあるものの弥三郎にそう言われては二人は引き下がるほかない。アンナとロベルト、全く共通点の見出せない両者ではあるものの、下方弥三郎という武士への関わり方という点においてだけは似通っていた。
弥三郎を先頭に森の魔女アンナとアラストリア傭兵団は人気のない街並を密かに進んでいく。住民の大半は僅かに焼け残った家々に身を寄せ合っており、堂々と城へと進んでいく彼らを態々気に書けるような余裕のあるものは一人いなかった。
なんにせよ、見られていたところでもはや引き返す場所などない。もはや彼らは同じ船の上、大河に流されるままだ。聖女の遺体の一件だけではない、ネモフィ村での戦いに始まり、これまでの全ての経緯において彼ら三人の道行は密接に結びついている。絡まった糸は決して解けることはなく、もはや元は別々であったことすら忘却の彼方。もし、仮に解けるのならば、それは糸そのものが断ち切られる、そのときであろう。
彼らが目指すのは正門。弥三郎らにとっては好都合なことに本来ならば堅く閉ざされているはずのそれは今だけは開かれている。無防備ではあるものの、此度だけは特別。クリュメノスの軍勢を迎えるため正門は開け放っておくことになっていた。
無論のこと、此度の一件は味方であるヴァレルガナ方にも漏らすわけにはいかない。全てを密に運ぼうとするならば当然のこと城へと帰還する姿ですら誰にも目撃されてはならない。人の口に戸は建てられぬもの、あの客将が明け方まで城下をうろついていたなどという噂が城内で広まっては事。特にこのような状況ではできうる限り慎重を期さなければならなかった。
「あー! こんなところにいらっしゃったのですか!!」
「――ッ!」
朝の静寂に姦しい声が響き渡る。弥三郎らが正門を潜り、城内へと足を踏み入れたその直後、女の声が彼らを呼び止めたのだ。
声に振り返るよりも早く弥三郎の腰が落ちる。右手が柄へと向かい、背後のアンナを庇うように体が動く。僅かに遅れてアラストリア傭兵団の面々も各々得物に手を掛ける。戦士としての習性、あるいは本能ともいうべきものが、頭より先に身体を動かしていた。
「――ヒッ!?」
突然の殺気に、声を掛けた女が短く悲鳴を上げる。無礼とはいえば無礼な行いであったが、弥三郎らの殺気も些か過剰なものがあった。それも当然、誰にも見られるまいとしていた矢先のこと。逸る体を咄嗟に抑えることができなかったのだ。
振り返った視線の先には怯えた表情を浮かべた少女。声には聞き覚えがないが、顔には僅かに見覚えがある。装束からしておそらくはユスティーツァの侍女。敵ではないものの、姿を見られて良いような人物でもなかった。
「……姫御の侍女か。背後よりの物言い無礼であろうが」
「は、はい。申しわけありません」
殺気を納めつつ、弥三郎がそう声を掛ける。姿を見られたからといって此処で切り捨ててしまうようでは本末転倒。姿を見られたことは痛恨の極みではあるものの、それで全てがお終いというわけでもない。口八丁手八丁、口先をもって事を制するというのは武士にとっては倣いの一つ。刀を抜かぬための努力は戦乱の中にあってこそ何よりも重んじられることだった。
「して、何用か。この早朝にそのような大声で声を掛けてまいったのだ、何か急用であろう」
「え、ええ、お探ししておりました」
侍女に有無を言わせることなくそう弥三郎が問いかける。何故城外にいたかなど問うような余裕は与えない。すぐさま用件を聞き出し、嵐のように立ち去ることこそ肝要。考える暇を与えることは両者にとって得なことではなかった。
「ひ、姫様がお二方をお呼びです。直ぐに西塔まで参られるようにと」
「某と巫女殿を? あい分かった、巫女殿」
「……うん」
これ以上言葉をかわす必要はないとばかりに、二人は歩き出す。用件を聞いてはいないが、城の姫が彼らを呼びよせる所以など二つに一つ、姫自身の体調に変事があったか、あるいは城主アレンソナの身に何かあったかそのどちらかしかない。
どちらであるにせよ、急がなくてはならない。自らの侍女を使いに出すという事はそれほどの大事、少なくとも弥三郎とアンナの認識は間違ってはいなかった。問題があるとすれば、大事は大事であるもののその本質を取り違えていたことだろうか。
「ロベルト、では後でな」
「おう! 女と酒を用意しとくぜ!」
弥三郎の言葉にロベルトがそう応える。下世話ではあるものの、城外にあった事を誤魔化すには尤もらしい言い訳ではあった。噂が立つことが避けられないのならせめてものこと流れる噂の類をこちらで決めてしまえばよい。裏切り者と謗られるよりは好色な女好きと揶揄されるほうが幾らか上等ではあった。
かの聖女の遺体の在り処。それは、この時、彼ら三人の終生の秘密となったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早朝の城内は不気味なほどに静まり返っていた。兵士たちはみな眠りこけ、聞こえてくるのは鼾だけ。見回ろうとするものですら皆無。二人にとっては幸運なことに今のアウトノイアの城はもぬけの殻といってもよかった。
正門から西塔までは城内を横切らなければならないが、その間に誰一人として二人を呼び止めるものがないというのは些か以上に問題のあることではあった。これでは変事があっても為されるがまま、堅固な城壁も守る将たちがこれでは在って無いようなもの。これが平素であれば全員を怒鳴り起こしているところだが、今はそういうわけにはいかない。このような些事にかかずらっている暇は下方弥三郎にも森の魔女にも存在していなかった。
その変化を感じ取ったのは弥三郎が先だった。西塔へと上る階段、その先に感じる殺気にも似た気配はこの蛻の殻の城内にあってあまりにも異質。まるで万軍を前にしたような緊張感が弥三郎に走る。此処から先にあるのは並の物ではない。弥三郎の直感、戦場で培われたそれがこの先にあるものを確かに告げていた。
「――巫女殿」
「……分かってる」
隣を行く森の魔女もまた状況を察していた。階段先にある気配は見知ったユスティーツァのそれだけではない。何もかもを覆い尽くすような二つの巨大な気配とその周囲には無数の気配。あきらかに尋常ではない。
まるで二人を待ち構えるようにむそれは、正しく洞穴にて宝を守る竜の如し。二人は今竜の顎へと飛び込もうしているのだ。
「――なるほど」
階段を昇りきり、彼らの姿を目撃したその瞬間、下方弥三郎は全てを察した。居並んだ騎士たちはみな壮健にして豪傑。あの行進の先頭を進んだかの東方辺領騎士の護衛たち。城の姫の眠るはずの寝室へと続くその廊下にはクリュメノスの騎士たちが居並んでいた。
かの東方辺領騎姫との邂逅。後世において黒雷公記と呼ばれる書物にはこの時のことが確かに記されている。曰く、後の全てを決したのはこの出来事であったと。
されど、この時それを知るものは誰一人としていない。当人達でさえ何一つとして定かではなく、どこへ行きつくかなど見当もつかない。下方弥三郎並びに森の魔女アンナにとって辺境領騎姫ミネルヴァとの会談は全くもって慮外のことであったのだ。
それでも二人は堂々と廊下を進む。秘す事はあれど恥じるようなことは何一つとしてない。それは相手がかの東方辺領騎士姫であったとしても変わることはない。例え何が待ち受けているとしても、行くべき道はいつでも同じなのだから。




