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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第六章、もう一つの
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81、あるいは決壊

 アイラが感じているものは緊張というよりは恐怖に近かった。このような場に招かれ、一体どのように振舞えばいいのか皆目見当がつかない。最大限畏まってこそはいるものの、それだけで十分とは到底思えない。身動きどころか、息を吐くことすらも憚れる。貴人への礼節一般は幼いころから仕込まれてきたが、正直なところそれがクリュメノスの皇女に対してのものとして相応しいものかどうかは定かではない。

 そもそも此処に招かれた理由自体に全く見当がつかないのだ。少なくともアイラ自身には一切の見当がつかない。係わり合いなど毛頭無いし、咎められるような覚えも当然無い。

 全く何も分からないだけに余計に恐ろしい。一体これから何があるのか、考えるだけで腰砕けになってしまいそうだった。ましてや、今の彼女は城の姫ユスティーツァの侍女としてではなく、彼女個人としてこの場所に招かれている。一体どういうことなのか、何一つとしてわからなかった。


「…………大丈夫です、アイラさん」


「は、はい」


 不安げな視線に気付いたのか、ユスティーツァがそうアイラを励ます。この辺境領騎姫の寝所、本来ならば自身の寝所であるこの場所に招かれたのはユスティーツァとて同じ。その所以に見当がつかないのも、この状況に恐怖すらも感じていることもまた同じだ。

 されど、その恐怖を億尾に出すこともなく、ユスティーツァはあくまで毅然とした態度を崩すことは無い。かしこき辺りの貴人と接したことは無いが、城の姫として物心が着く前から教育を受けてきたのだ。例え心中では怯えてとしても、それを隠し通すことなど容易い。そもすぐそばにはアイラがいるのだ、彼女の眼前で情けない真似はできない。


「…………」


 それに少々ではあるが憤ってもいる。飲んで騒いで、好き放題していればいいだけの男衆と違い、彼女にとっては自分の家を好き放題に荒らされただけ。この寝所に向かう道中で一体いくつの先祖伝来の調度品が壊されていたか、数えるのもおぞましい。どれだけ戦に強く、どれだけの領土を持つかは知らないが、だからなんだというのだ。ここまでの無礼が許されるなど正直なところ納得がいかない。父や兄、グスタブも何も言わないなら此処で抗議してやろうかと本気で検討する程度には腹が立っていた。

 無論、彼女とて現状は重々承知。クリュメノスの助けが無ければこの城は今頃、巨神の旗に埋めてつくされていただろう。戦のことはとんと分からずとも、その程度の事を分からないほどの戯けではない。

 けれども、それとこれは別儀。表情には出さずとも腹の内では様々な想いが綯い交ぜになっている。

 眼前には帳が下りており、辺境騎姫の姿を直接仰ぎ見ることはできない。着替えでもしているのか、鋼の甲高い音と布の擦れる音だけが部屋には響いている。待たされること数分の後、帳がゆっくりと開いた。

 

「苦しゅうない。面を上げよ」


 再び平伏した彼女らの頭上に、そんな言葉が降ってくる。半ば命じるような傲慢さはあったものの、その響きにはあの謁見の間での言葉に比べれば幾らかの柔らかさを帯びていた。

 言葉に応じ面を上げると、目の前にあったのは昼間と変わらぬ絶世の美姫の姿。鎧を脱ぎ、装束を楽な寝間着ネグリジェに変えたとしてもその美しさには一点の翳りすらない。鎧に隠されていたその肢体は見事な均整を讃え、男衆が目の当たりにすればそれだけで目の色を変えるだろう。


「この度はわざわざのお招き、恐悦の至りでございま――」


「よい。女同士であろうが、畏まる必要は無い」


 ユスティーツァの口上を遮って、ミネルヴァがそう言い放つ。しかし、とうの辺領騎士姫がそれでよくとも相対する側はそういうわけにはいかない。無礼一つでこの一族諸共滅ぼされかねない現状には変わりがないのだ。楽にしろといわれてもそう簡単にはいかない。


「なに、取って喰おうというわけではないのだ。とりあえず此方へ参られよ」


「――は、はい」


 そんな二人の様子に苦笑しながらもミネルヴァは寝台の傍に置かれた椅子へと腰掛ける。龍の装飾のあしらわれたその椅子と小さな机は陣から持ち込まれたものだろう。机の上には蜂蜜酒と高価な硝子のグラスが三つおかれていた。

 恐る恐る、無礼と取られないように慎重かつ静かに椅子に腰掛ける。確りとしたその造りはアイラだけではなく、こうした場に慣れているはずのユスティーツァですら驚くほどのものだった。


「まずは一口。そう緊張されては妾も肩が凝る」

 

 二人が着座すると、ミネルヴァな手ずから封を空け、杯に酒を注ぐ。黄金の液体が透明な硝子を満たし、鮮やかな光を放つ。


「で、ではありがたく……」


 皇族が自らの手で酒を注ぐことなど滅多にあることではないのだが、侍女たちが言葉を上げないことからしてこの辺領騎姫に関しては珍しいことではないらしい。いずれにせよこれを断ることはできない。目の前で封を切った以上は毒など入ってはいまいが、それでも口をつけるのはかなりの勇気を必要とすることだった。

 

「――んっ」


 喉を流れるは甘露の如し。甘みと芳醇さは鼻を通り抜け、頭すらも揺さぶるようだった。さすが皇族所蔵の酒というべきか、今まで飲んできたどんな美酒でさえもこれに比べれば安酒になってしまうだろう。


「美味いだろう? 帝都からの献上品の一つでな。まずまずの出来だと思うのだが……」


「そ、それは大変なものを頂き、お礼の言葉もありません……」


「…………まあよいわ」


 慌てて畏まる二人に対して、領騎姫はどこか辟易した様子で杯を傾ける。必要以上の畏敬と敬意を勝ち取るのは慣れた事ではあるが、四六時中そうでは流石に疲れる。最も彼女自身そういった全てを脇においた関係など想像すらできないのだが。

 

「そういえば名を聞いておらなんだ、確か城の姫御とネモフィ村の娘であったな」


「は、ユスティーツァ・フォン・ヴァレルガナと申します」


「あ、アイラ・カレルファスと申します」


 呼びつけておきながら名すらも知らないというのは無礼というにはあまりにも堂々としたものだが、不思議と腹を立てる気にはならなかった。この僅かな間でその人柄に絆されてしまったのか。あるいはその余裕すらも無かったのか。ともあれ、目の前の美姫へ抱いていた怒りはいつの間にか消え去ってしまっていた。

 

「それで、ユスティーツァ並びにアイラよ、その方らを呼びつけた用向きであるが……」


 杯の中身を一息に飲み干すと、ミネルヴァはそう口火を切った。単刀直入、前置きも無ければ余計な世間話など一切無い。竹を割ったようなその物言いはいっそ清々しくさえあった。

 言葉を切るとミネルヴァは二人の反応を楽しげに伺う。謁見の間での振る舞いと同じように、傲慢にも思えるような言動ではあるが、こうして目の前で堂々されると度肝を抜かれるようだった。


「――――」


 思わず息を呑む。招いた用向きの内容如何ではあるものの、返答には慎重を期さなければならない。どのような言質であれ、不用意な発言は城の命脈を絶つと心得ておく必要がある。


「――そなたらには大樹の森の魔女と聖女を討った客将についてちと尋ねたいのだ」


 ミネルヴァの発したその言葉は二人にとって全くの予想外のものだった。頭の中で幾つもの候補をあげては何度も却下してきたものの、こればかりは思慮の外。まさかそれを問われるとは考えもしなかった。

 かの東方辺領騎姫が森の魔女と下方弥三郎に関心を持っている。たったそれだけのことが後の歴史を大きく左右することになるとは、この時誰一人として予想だにしていなかった。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇


 東方辺領騎姫入城、その最初の夜はこうして更けていく。この城でこの日起きた喧騒は全て後のアルカイオス王国の、あるいはこのオリンピア全土を巻き込む騒乱の縮図といってもいいだろう。

 クリュメノスの東進、他のあらゆる国家にとって間違いなく災厄であったはずのそれはこのアルカイオス王国においてだけは全く間逆のものであった。突如侵攻を開始したタイタニアの大軍勢はラケダイモニア砦跡まで押し込められ、そこから動こうとはしない。

 ヴァレルガナの軍勢だけでは、いや、アルカイオス王国の全軍をもってしても侵攻を食い止めることは適わなかっただろう。よしんば城への救援が間に合っていたとしても、戦が長引くことは必定。その間にタイタニア本国からの増援、もしくは兵糧の類が届き、陣を敷かれてしまえば王都からの援軍をもってしても打ち破ることは至難の技。結果として被る損害の大きさは現状でのクリュメノスへの出費とは比べ物にならないものであったことは想像に難くない。

 あくまで結果論ではあるものの、クリュメノス帝国の襲来はアルカイオス王国にとっては正しく天啓といってもいいものだった。実際当時の文献を紐解けば、クリュメノスによる救援とそれを率いる東方辺領騎姫への賛辞は枚挙に暇がない。曰く無双の軍勢、曰く絶世の美姫、曰く無敗の救世主等々、ありとあらゆる賛辞と賞賛が過剰なまでに踊っている。

 とうの東方辺領騎士姫が目にすれば苦笑するであろうその記述は当時の士分、さらには民草の偽らざる本心であることは間違いない。 

 その相手が悪名轟くかのクリュメノスであっても守ってくれるのならば、どのような相手でも靡くのが民草である。幾星霜が過ぎ、どれほどに人が栄えようともそれは変わらぬ道理。何一つとして驚くべきことではない。

 特筆すべきは城に居座られたはずの士分までもが彼らを大いに賞賛したことであろう。風聞に伝わる悪評とは似ても似つかない豪胆さで快い者達であったと彼らの残した歴史書には確かに記されている。これは他の軍勢においては見受けられない特徴であり、東方辺領騎姫とその軍勢が後の世において幾度となく語られる原因でもある。

 精強たるクリュメノス帝国においても最強と謳われるその武勇、それを率いる当方辺領騎姫と軍師ヒサヒデ。彼らの伝説はオリンピア史においても燦然と輝くものだ。

 そして、もう一つの武勇譚、後のアルカイオスの黒雷についてもこの頃の文献には大きく記されている。東方辺領騎姫とアルカイオスの黒雷、森の魔女の邂逅。それは伝説の始まりであり、後の大乱へと繋がる最初の堤の決壊を意味していた。


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