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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第五章、龍の旗
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54、あるいは先触れのごとく

 彼らが街道を見つけたのはそれから一日足らずのことだった。如何に広大とはいえ、半年以上を過ごした勝手知ったる森である。何処に自分たちがいるかさえ理解してしまえば、進むべき場所も自ずと明らかになる。魔女の導きは途絶えたのではなく、その必要をなくしたが故に沈黙したのだ。

 彼らが辿り着いたのは、ネモフィ村へと続く街道筋。この街道を辿ればアウトノイアの城へも一直線。三日は掛かる距離ではあるものの、目安はたった。あてもなく森を彷徨うのと、目指すべき場所を見定めて進むのとではまるで違う。兵たちにとっては明確な目的こそが何よりも重要なのだ。

 緩みかけた士気を引き締めつつ、彼等は進んだ。ネモフィ村で腰をすえて休んでからという選択肢もありえたが、焦眉の急は城へと自分たちの無事を知らせること。一日でもはやく、一刻でも早く、兵にしても、将にしても、あるいは弥三郎にとっても、その思いは共通だった。疲れた体を押して、三日の道程を夜を徹して駆けていく。旗から見えればもはや亡霊、傷だらけの軍勢が街道を進んでいくその様は正しく伝説にある幽鬼の行進だった。


「――コベント、見えるか?」


「あい、ばっちりと。下着の色まで見えてまさ」


「まさか本当にいるとはな……旦那が味方でよかったよ……………」


 そんな彼らが動きを止めた。死んだように息を潜め、街道を静かに伺っている。偵察に立ったのはロベルトと隊の中でも夜目が利くコベント、二人ならばこの夜の闇の中でも正確に状況を把握できる。血気に逸るような若造ではこの任は決して果たせない。

 この場所、東南側の国境へと続く分かれ道にて彼らが動きを止めたのは、弥三郎の一声からだ。戦場で培われた勘によるものか、それとも魔女の導きによるものなのか、それは定かではないが。兎も角、軍勢は主の命にしたがって、動きを止めた。

 そうして、斥候。最初はいぶかしんだロベルトたちだが、目の前にこうして示されれば疑いようがない。敵だ、このヴァレルガナ領に敵がいる。


「……二百か、三百、斥候でしょうな」


「十中八九な。逃亡兵にしては統制が取れすぎている…………思ったより早い」


 東側に一リーグほど、南東の国境側の街道に二百から三百の兵の影がある。味方ではない、松明も灯さず夜道を行く理由など隠れ潜んでる以外はありえない。騎兵のみ、その上軽装。斥候であることには間違いない。

 問題は今此処にタイタニアの斥候がいること。戦争中であり、国境の要害であるラケダイモニアが陥落しているのだから、敵方の斥候がいるのは何もおかしなことではないが、早すぎる。

 先刻のラケダイモニアの戦においてタイタニア軍は、陣を踏み荒らされ、将を討ち取られ、挙句の果てに総大将ですら失ってしまった。そんな軍がまともな行動を取れるまでに体勢を整えるには、かなりの時間が必要になる。体勢を整えるまではどれだけ早くとも五日、状況によっては一週間以上かかる、というのがヴァレルガナ方の目算だった。

 その目算は跡形もなく崩れ去ってしまった。

 

「戻るぞ。旦那に知らせなきゃならん」


「へい」


 念には念を入れ、息を潜め、ゆっくりとその場を離れる。万が一にも、見つけたという事を敵側に悟られてはいけない。本来ならば敵方の斥候を生かして返す道理などありはしないが、今の彼らではまともな抗戦すらかなわない。とすれば、現状優先すべきはこの事実を城へと知らせること、敵の来襲を事前に味方へと伝えることだ。

 あのラケダイモニアの戦からまだ三日しか経っていない。だというのに、タイタニア軍はこのヴァレルガナ領に斥候を送り込むだけの余力を取り戻している。斥候とは即ち先触れ、後を行く本隊のため、膳の言うの偵察を行うのが彼らの役目。斥候の存在は同時にあとに控える敵の証左に他ならない。

 これはヴァレルガナ方が誰一人として予測していなかったこと。王都からの増援がたどり着くまでの時間を稼ぐことも可能だとそう考えていたのだ、このタイミングでのタイタニアの侵攻は彼らにとっては不意打ちにも等しい。このまま的の襲撃を許せば、それこそラケダイモニアでの勝利が水泡に帰してしまう。


「――走るぞ」


「――は」


 ロベルトの報告により、予感を確信に変えた弥三郎はただ短くそう命じた。

 こうなれば選択肢は一つ、足が千切れようが、仲間が倒れようが、城まで駆け抜けるほかない。斥候が偵察を終え、本隊の元へと戻るまでは一日足らず、どれだけ早くてもタイタニアの本軍が侵攻してくるまでは三日の猶予がある。一日でも早くこの知らせを届けることができれば、その分、アウトノイアの城が敵への備えができる。襲撃を知らされているのと、いないのでは何もかもが違う。傷がどうのとか、疲労がどうのだとか言っている様な余裕は微塵も残さず吹き飛んでいた。

 目指す場所は同じくかの城、緑の野を朱に染め、屍の道を築く激戦の予感は夜の闇を駆け抜ける。アウトノイアの攻防戦、後の時代にアルカイオス大乱とも呼ばれる戦いの第二幕は夜の闇の中、静かに始まったのだった。

 


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇  


 彼女達がその場所に到着したのは、予定よりも二日早い、三つ目の週の一日目のことだった。元来、北方戦線からこのラケダイモニア、アルカイオスとタイタニアの国境までは十日足らずの距離。事前の使者からの報せでは、到着は明けて三つ目の週の三日という手筈であった。

 その九日までに、ラケダイモニアの砦を陥落せしめること。アルカイオス本国侵攻への橋頭堡の確保、それがこの先陣に与えられた役目だった。

 けれども、その任務を果たせたとは到底言いがたい。僅かに数を減らした軍勢の前にあるのは寄る辺となるべき砦ではなく、その焼け跡。井戸も門も、食料庫も確保すべきあらゆる施設を破壊されたただの廃墟しか存在していない。

 目的は果たせなかった。橋頭堡は失われ、三万の軍勢はこの台地で立ち尽くすほかない。次なる目的を定め、指揮を取ろうにも、その役目を唯一になう総大将は敵に討たれた。未だ十数人の将が存命であるものの、総大将を務めうるだけの将器は中々いるものではない。明確な指針を兵たちに示せるほどの人物がこの陣幕には不足していた。

 そんな中でも、状況を掌握しようと努めるものはいた。アルテア卿を始めとした前線の将たちは敵軍の追撃を行うべく自らの部隊を取りまとめ、戦いの終わった二日後には戦うだけに足る戦力が整えられていた。しかしながら、戦力があるからといって戦えるわけではない。軍内での意思統制すらままならない状況では、侵攻など到底不可能だ。

 結果としてヴァレルガナ軍の逃亡を許してから、三日もの間、その場で足踏みを続けるほかなかった。巨神の先槍と謳われるタイタニアの先陣が身動き一つできずにただ待つだけ、彼らにとっては今までにない屈辱であったことは間違いない。

 彼女がその場所へと現われたのはそんな混乱の最中のことだった。


「――どうかお通しください。私は枢機卿の使いで参りました」


「いや……しかし、お許しを得ねば……」


 本陣の前、いや嘗て本陣であったその場所の前に、奇妙な人物がいる。纏った装束は巨神教の巫女の象徴である白い修道服。修道女が戦場にいることだけでも奇妙であるのだが、それ以上にその上から帯びた鎧甲冑こそが正しく奇妙であった。

 そんな人物が枢機卿の使者と名乗ったとしても、そう簡単に通すわけにはいかない。まさかこんな目立つ風体で暗殺者ということもありはしないだろうが、怪しいものを通す理由にはならない。


「この紋章でも証にはなりませんか? どうか、どうかお通しくださいませ」

 

「い、いや、そう申されても……」


 彼女の甲冑の紋章は確かに枢機卿の旗下にあることを示している。その精巧な造りから見ても偽者であることはありえないだろうが、俄かには信じがたい。

 その女は、いや、その少女は、枢機卿の使者というにはあまりにも幼すぎた。年のころは十四か、十五、相貌には幼さが残り、身に纏った鎧と僧衣も服に着られているような有様だ。使者どころか、修道女というのさえ怪しい、精々が手習いの娘程度。いくら証拠がそろっていようが、信じろという方が難しいというものだ。

 しかし、少女は引き下がらない。番兵がどういおうとも気に留めてすらいないのか、ひたすら詰め寄っていく。だんだんと周囲に集まってくる兵士たちのことですら眼中になく、ただひたすら自身の使命のみだけを見据えていた。

 

「何事か? 本陣の前で騒がしいぞ」


「ア、アルテア卿」


 騒ぎを聞きつけたのか、駆けつけて来た将が一声掛ける。その途端に、周囲の兵たちは静まり返った。視線には尊敬と服従の念。兵たちがその将に対して、敬意を抱いているのは一目瞭然だった。

 現れた将の名はアルテア。昨日の戦いのなかで生き残った数少ない将の一人であり、現在のタイタニア軍の主導権を握る一人でもある。若輩の身でヴァレルガナ軍の襲撃を生き残った彼は兵たちの間で英雄視されてもいた。彼自身の無念や屈辱など構うことなく、兵たちは彼に希望を見ていたのだ。


「こ、この、あーこの者が本陣へのお目通りを願い出ておりまして……なんでも枢機卿聖下の御使者だとか何とか……」


「なに?」


 番兵が慎重な物言いでアルテアへと言上する。彼にとって目の前の少女は全くの未知の存在、腫れ物のように扱っておくのが最善の保身策だった。

 だが、アルテアにとってこの少女は既知の存在だ。振り返り、その面貌を確かめたとき、彼に脳裏にはかつての激戦が去来していた。


「あ、あなたは――」


「お久しぶりです、アルテア卿。コンテフルナの戦い以来でしょうか?」


 忘れようはずがない。コンテフルナの戦い、タイタニアが帝国クリュメノスを打ち倒した栄光の日、その日、その場所に彼も居合わせていたのだから。

 見間違えようはずがない。金色の髪も、少女のあどけなさも、使命に燃える瞳も、そのときから何一つ変わっていないのだから。

 タイタニアの旗振り女、コンテフルナの聖女、勝利への導き手、この日、この場所にいるはずのない彼女は確かにそこにいた。

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