53、あるいは再びこの地から
ヴァレルガナ軍がアウトノイアの城へと辿り着いたのは、二つ目の週の八日のことだった。その数にして千五百。あれほどの戦いを繰り広げておきながら、かの軍は数を減らすどころかその威容を増していた。それもそのはず、ラケダイモニアの将兵に加えて、さらには敗走するタイタニア軍の一部を吸収しているのだから三百の増強など当然ともいえるだろう。
その陣容はまさしく意気揚々。彼らにとってこの帰城はまさしく凱旋なのだ、槍を掲げる手にも進む足にも力がみなぎっている。勝ち戦であったことなど、その姿を見れば城壁からでも明らかだった。
勝ち戦。その報せは軍勢が見えるのに少し遅れて、急使によって知らされた。軍勢を見れば明らかなことではあるが、それでも確かな言葉として知らされるのではまるで違う。言いようのない不安と恐怖に覆われていたアウトノイアの城はその瞬間、歓喜で満たされた。勝った、ただそれだけの事実がありとあらゆるものを喜色に塗り替えたのだ。
「――若の御成りである!」
「――は!」
使者の号令に合わせて、城のものたちが一斉にひざまづく。この城の主を迎えるため、勝ち戦の御大将を歓声と凱歌で出迎えるために。
帰城が始まってから数刻。ようやくのこと、救出軍の総大将であるアレクセイが居城へと帰り着いた。多少の疲れの色は見えるものの、その相貌には精気と自信が漲っている。初陣にして総大将、そのうえこれほどの大勝、そうあることではない。この戦功だけでも、ヴァレルガナ公爵家は多大な恩賞に預かることだろう。
「――父上!!」
しかし、今アレクセイの目に映るのは何れ得る恩賞ではなく、敬愛する父の姿。病に冒され、既に自らの足で立つことすら適わず、家臣に支えられたその父の詞を賜る事こそが彼にとっては何よりの恩賞といえた。
「よく戻った……此方へ、顔をよう見せよ」
「――は!」
父もまた誉ある嫡子を迎える。息子の手柄を喜ばぬ父などいない。若い身で重荷を背負い、軍を率い、勝利へと導く、それがどれだけ難しいことであるかは身にしみて知っているのだから。
「――良き顔になった。もう一人前だな」
「い、いえ、私などまだ……」
謙遜する息子に対して、父は微笑で返す。城を出た獅子の子は立派な獅子となって帰ってきた。自らの死後を託すにたる後継者が自らの息子である、その幸せを噛み締めるように公爵は笑ったのだ。これでもう思い残すことはないと、そう告げるかのように。
「閣下、若、ロエスレラ卿とユーティライネン卿がお目通りを願い出ておられます」
「おお、ゼペルアの倅か。通せ」
しかし、褒賞を預かるにたる勇士はアレクセイだけではない。この戦の勝利に貢献したのはただ一人ではないのだ。資格というなら戦った全ての兵と将にある。
その中で進み出たのは、フェルナー・フォン・ロエスレラ卿とヴァンホルト・フォン・ユーティライネン卿。ラケダイモニアの砦の守将にして、単身で三万の大軍を足止めしたヴァレルガナ軍屈指の勇士と軍団長でもある騎士長の一人である。
「閣下、お預かりした砦を守り通すこともできずに、こうしてお目通りを願う無礼をお許しくださいませ」
「同じく叔父を差し置いての目通り、お許しを」
「よいよい。そなたらはよくやってくれた。特にロエスレラ卿、そなたの奮戦がなければこの戦は意味すら成しておらなんだ、気に病むことはない」
病を感じさせぬ気丈さで公爵は誇るべき臣下へと声をかける。若いからといって軽んじるほど辺境伯は愚かではない、むしろ息子やそれと同世代である彼らの活躍は辺境伯に在りし日の思い出を思い起こさせた。
対する二人はというと、凱旋だというのに顔から緊張と焦りが消えていない。未だ戦場にあるかのような気配を漂わせている。
「如何した? 双方とも剣呑であるぞ」
「お願いの儀がございます。我二人に捜索の任をお与えくださいたく、まかり越しました」
静かであるものの、確かな意志と不退転の決意と共に二人はその願いを口にした。褒美をねだるわけでもなく、戦果を報告するわけでもない。自分たちを戦場へと戻せとそんなことを申し出るために二人はわざわざ、辺境伯の下へとやってきたのだ。
「如何した? だれぞ帰っておらんのか?」
詳しく事の次第を伝えるまでもなく、アレンソナはなにが起きたのかを瞬時に把握した。二人がそんなことを申し出る以上はそれ相応以上の事情があるのだと、考えるまでもなく理解していた。
「実は―――」
「兄上!」
詳しく事情を言上するその直前、鈴の音のような声がそれを遮った。ユスティーツァだ、普段ならば部屋から出ることすらめったな彼女が城門まで来ているなど珍しい。しかも、彼女が自らの足で駆けている光景など、今まで一度としてなかったことだ。
「兄上! お伺いしたいことがございますれば!」
「ユスティーツァ!? 一体如何した!?」
明らかに様子のおかしい妹に気圧され、アレクセイが後ずさる。よく見れば彼女の背後にいるのは見慣れた侍女たちではなく、見慣れない侍女らしからぬ女だけ。なにもかもが彼が城を出る前とは変わっていた。
「――従者様の、いえ、客将殿のお姿が見えません。何処におられましょうや?」
佇まいを直して、姫らしい毅然とした態度を繕って彼女はそう尋ねた。尋ねたのは客将の安否、下方弥三郎の所在。彼女個人の問いではなく、背後に控えた二人のためのものだった。
「…………うむ、客将殿か」
「客将殿が如何した?」
城壁の上から確かめた事実、凱旋の戦列に弥三郎がいないという現実を否定するために、アイラはこうしてユスティーツァに頼み込んでまで、アレクセイへの目通りを願い出た。例え魔女が弥三郎を見つけられなかったとしても、万が一が起きたとは限らない。彼ならば、弥三郎の所在を知っているはず。自らのために、そして、魔女のためにもアレクセイの口から真実を確かめずにはいられなかったのだ。
「――ユスティーツァよ。客将殿は……客将殿はな……殿に残られられ、その後行方が知れておらなんだ」
苦渋に満ちた口調でアレクセイがその答えを口にする。かの客将は殿にて奮戦し、その後行方すらも知れていないと、淡々と真実を告げた。
ユスティーツァの背後でアイラが息を呑む。例えタイタニアとの戦であっても、弥三郎が死するなど考えたことすらなかった。傷一つのないまま、不敵な笑みを浮かべて帰ってくる、そう思っていた。それだけに衝撃は大きかった。
死したという証もなかれば、生きているという報せすらない。僅かな希望に縋ることすら、恐ろしい。それすらも奪われてしまうのではないかと思うと、泣き崩れてしまいそうになる。
「――ッ」
だが、それでも膝を折るわけにはいかない。預けられたもの、懐の内の奇妙な短剣を握り締めて、自らを奮い立たせる。浅はかといわれても、愚かと罵られても、僅かな希望に縋ってみせる。自分が悲嘆にくれて、彼が戻るまで、誰がかの魔女を支えるというのだ。孤立無援ともいえるこの城において彼女が頼れるものは同じく孤立無援たるアイラだけ。その自負心が彼女の心を繋ぎとめていた。
「――閣下、若。我らの願いとは正しく客将殿のためにございます。どうか、どうか我ら二人に客将殿の捜索と救援をお命じくださいませ。必ずや、連れ帰ってみせますゆえ」
対して、それまで口を閉ざしていた二人の騎士はあくまで自信に満ちている。弥三郎の生存を微塵も疑ってはいない、必ず生きている、故に必ず連れ戻すと確かな決意を持ってそう口にしていた。
彼ら二人にとって弥三郎は戦友である。供にあの死地を駆け抜けた唯一無二の血の同胞。勝ち戦であっても、敵の総大将を見事討ち取ったとしても、同胞を見捨てては負けも同じ。彼を助け出すためならば命を捨てることすら厭いはしない。
希望が潰えたわけではない。弥三郎が死んだと決まったわけではない、それまでヴァンホルトにしてもフェルナーにしても諦めることは決してない。友を見捨てるなど、騎士として、戦士として、武人としてそのようなことできるはずがないのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ほら、もう一息だ! 止るんじゃねえぞ!!」
ロベルトの一声が兵たちの士気を支える。彼とて既に体力の限界、気を抜けばその場に座り込んでしまいそうだが、それでも虚勢を張って声を上げ続ける。将の仕事とは弱みを見せないことにある、兵隊の前では常に毅然として、胸を張っていなければならない。疲れを見せるなど言語道断だ。たとえ状況がどうであっても将として振舞うことができると言うのは、最低限の資質でもあった。
彼らが行くのは先の見えぬ森の中。坑道を抜けたかと思えば、今度は方角すら定かではない森、そんな状況だからこそ、将たちの態度こそが重要だった。
「ロベルトよ。後如何ほどにて帰り着くか、お主見当がつくか?」
「少し北側にでたってんのは分かるが、後は皆目……」
「左様か……」
馬を寄せた弥三郎が小声でロベルトへとそう尋ねる。護符の導きにしたがって、坑道を抜けることが叶ったものの、弥三郎たちは未だ迷いの中にあった。本来の道、本隊と同じ脱出路を活用していれば、アウトノイア城側へとでることができたのだが、逸れた彼等はそうもいかない。
その結果としてではあるものの、何処とも知れぬ森の中を彷徨うことになっていた。坑道を抜けてからは、魔女の導きも途絶えたている。頼れるのは己が知恵と勘ばかりだ。
「当座のところはこの森を抜けるのが最優先にしよう。街道に出さえすれば、後はなんとかなるだろう」
「…………うむ」
だが、死んではいない。重要なのはその一点、傷を負った身でこのような場所を彷徨っていたとしても、誰一人として命は落としてはいない。兵も将もまだ歩き続けるだけの気力と体力が残っている重要なのはそれだけのことだ。生きていさえすればどうとでもなる。
「――む。これは」
「どうかしたか?」
何かに気付いたのか、弥三郎が声を上げた。不意に触れた木の感触、この感触は知っている。懐かしさも、大きさも、温もりも間違えようはずがない。どうして今まで気付かなかったのか、そのほうが不思議なくらいだ。
「こっちだ! 付いて参れ!!」
確信を得た弥三郎が軍勢へと号令をかける。この森ならば、この森であると分かったならば迷う道理はない。吸い込む空気ですら懐かしく、愛おしい。ここは大樹の森、この場所こそが第二の故郷。帰るべき場所だ。
だが、此処に留まる猶予はない。目指すは一路、アウトノイアの城。己が故郷ではなく、己が主の下へ。行くべき場所は最初から決まっている。




