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異世界の天下布武  作者: ビッグベアー
第四章、炎と死と刃と
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43、あるいは矢の如く

 その日、巨神暦千五百九十年、八の月、二つ目の週の五日、タイタニア軍の本陣、ガストン司祭長のおわすその場所は通例よりもさらに前方へと位置していた。

 前線より僅か一リーグ足らず。前線の動きを把握するには適しているものの、ここからでは戦場全体を俯瞰することは難しい。かといって、兵と命を共にすると言うには遠すぎる。矢を受けることもなければ、全てを見ているわけでもない。兵の不況を買うことはあっても、尊敬を勝ち取ることはない、戦を鼓舞するわけでもない。この一方的な戦場にあって、タイタニアの本陣は全くもって無意味な場所に位置していた。

 戦のためではなく、政治のため。この砦をめぐる戦いを勝ち戦と断じていたその彼等の姿勢が、この本陣の位置に集約されていたといっても過言ではないだろう。

 その上、本陣の周りは最低限の護衛しか配置されておらず、本来大将を護衛すべき馬廻り衆ですら遠巻きに見守るばかり。それもなにか正当な理由があるわけでもなく、ただ単に司祭長と稚児たちの邪魔をしないという、それだけのために。

 だが、それも致し方ないこと。彼我の戦力差は十倍以上、本来ならば戦そのものが成立しない。前哨戦ですらないこの戦いに油断が生まれるのはむしろ当然と言えるだろう。

 ただ、その隙が、致命的な綻びになるとは、誰一人として考えてはいなかったのだけは確かだ。


「――急使である! 急使であるぞ! 道を空けよ!」


 もう日の暮れかかったタイタニアの陣中を、二人の騎士が駆け抜ける。道を塞ぐものたちを押しのけ、追い払い、一度たりとも立ち止まることなく、後詰から中段まで、一気に駆け抜けていく。元より、急使を止めるものなどいない。それに少なくとも、片方は胸にタイタニアの紋章をつけていたし、フードを深く被ったもう一人も修道士か司祭と考えればおかしなことはない。誰何して叱責を受けるだけの価値は無い。

 そういうわけで、彼等二人は易々と本陣までたどり着くことができた。砦まではあと一リーグ、もはや目と鼻の先だ。


「――聞いてはいたが、ここまでとはな。見る影もない」


「それでも落ちてはおりませぬ。将と兵が健在なら戦はできましょう」


 砦は既に死に体であった。門には穴が開き、堀には橋がかけられ、屍の道ができている。これでは、明日の朝がラケダイモニアの砦の最後となるだろう。

 周囲に気を配りながらも、ヴァンホルトはその様子に怒りをにじませる。ヴァレルガナの家臣である事を示す青のマントを脱ぎ、胸にはタイタニアの臣下である事を示す紋章をつけていた。

 その隣には、顔から身体までを覆うフードを被った弥三郎。苦肉の策ではあったが、どうにかここまで誰一人として気付かれぬままに進むことができた。あと一息で砦へとたどり着くことができる。

 捕虜となった騎士が語ったのは、護衛のいない本陣と手薄になった正門側の攻め口についてだった。城を隙間無く囲んでいるように思えるタイタニア軍だが、その内部には虫食いのような空白が確かに存在していたのだ。その隙間を縫うようにして、二人はここまで進んできた。

 たった二人、無謀にも思えるが、敵陣の真ん中を駆け抜ける以上、できうるかぎり少人数で進むべき。それも腕の立つものでなければ、いざというとき血路を開くことはできない。

故に、この二人。軍を率いるべき、二人の将が砦への使者として志願したのだ。それにたった二人、しかも、その片方は異民族となれば目撃されたとて、直ぐに軍の存在が露見するわけではない。敵が動けるのは、どれだけ早くとも明日の朝、後を追う本軍がたどり着くまでの時間は充分にある。

 決死の任ではあるが、得られるものは充分にある。


「……あそこ、正面の門だ。確かに少し手薄に見えるな」


「ならば、一息に駆け抜けるまで。参りましょうぞ、ヴァンホルト殿」

 

 周囲を警戒しながらも、大胆に二人は駆け抜ける。門まで誰にも気付かれずにたどり着くためには気付かれぬことと同じか、それ以上に速度が重要だった。


「道を空けろ! 急使が通るぞ!」


 そう声を上げながら、前線のど真ん中を進む。誰か一人に怪しまれれば、ほんの一瞬でも足を止めてしまえば、全てが水泡に帰す。そんな恐怖と緊張を振り切るようにして、二人は駆け抜けていく。

 だが、緩みの見える後詰と張り詰めた先陣では警戒の度合いは比べるまでもない。本陣を素通りし押し進む奇妙な急使を見過ごすほど甘くはない。


「お待ちあれ! そこな急使よ! アルテア卿の命である! 止られよ!」


 背後から、制止の声が響く。気付かれた。だが、それは織り込み済みだ。このまま進む以外に道はない。何があろうと止ることなどありえないのだ。

 未だ状況に追いついていない兵達を搔き分けて、前線を

進む。背後では二人を捕らえるべく十数の騎兵達が動き始めている。門の前まで追い詰められ、捕らえられるのは時間の問題だ。

 外の騒ぎに気付いたのか、前方の門の上では砦の兵達がこちらを見下ろしている。まだ希望を捨てるには早い。


「ヴァンホルト殿!」


「分かっている!」


 砦まであと少し、その距離に達した瞬間、ヴェンホルトが抱えていた御旗を翻す。巨神の御手に隠されていたのは獅子の紋章、ヴァレルナ家の使者である事を示すこれ以上ない証だ。

 しかし、それを目撃したのは砦の兵達だけではない。背後ではすぐさま矢が番えられているはずだ。あと数瞬、逃げ場を失った二人は死を迎えるしかない。


「飛び込め!」


「応!!」


 数瞬の後、運命は二人に味方した。番えられた矢が放たれるより早く、門が開いた。旗に気付いた兵達が急いで開門したのだ。

 矢を背中に浴びながら、転がり込むように砦の中へ。すぐさま背後で門が閉められ、守兵たちがまばらに攻撃を始める。もはや、射掛ける矢がないというのが、この砦の現状を如実に物語っていた。


「――さて、フェルナーのところまで案内してもらおうか」


 駆けつけてきた兵達に、あくまで堂々とヴァンホルトはそう言い放つ。ロエスレラ親子とは古くから親交があり、ここの兵達にも彼の顔は知られている。

 胸の紋章、巨神の御手を引き剥がし、ヴァレルガナの騎士へと戻る。漸くこの砦にたどり着いた。戦はまだ終わってはいない。あの闇行も、この敵中突破も前哨戦に過ぎない。これから、後の世に、ラケダイモニアの夜戦とよばれる戦いが始まるのだ。それは正しく、フェルナーたちが突撃を決意する、その直前であった。



◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇ 


 目の前に立つ友人の姿を目にしたとき、フェルナーは先ず最初に、自らの正気を疑った。ここにヴァンホルトがいるはずがない。もし仮に、アウトノイアの城から援軍が発していたとしてもここにたどり着くまでにはどれだけ早くとも、三日は掛かる。どの可能性を考えてもここにヴァンホルトがいるはずがない。自分は都合のいい夢を見ているに過ぎないはずだ。


「ハハ、中々にいい間抜け面だな、フェルナー。そんなに俺達がここにいるのが不思議か?」


「いや、だが、どうして……」


 呵呵大笑と減らず口は間違いなく、ヴァンホルトのもの。十年来の友人の姿を見間違うはずもない。しかし、ありえない。

 居るはずのない二人の後ろから追いついてきた兵達がフェルナーに今更、ヴァレルガナの使者到着を報告してくる。日が暮れるまで正門の守りを命じた兵達だ。正門側で起きた小競り合いは二人が原因だったようだ。


「ほら、呆けている場合ではないぞ、フェルナー。直、援軍が着く、兵達に準備をさせろ」


「は? 援軍?」


 肩を叩かれ、そう声を掛けられても状況に頭がついていかない。無理もないだろう、先程まで決死の覚悟を決めていたのだ。それが突然こうなっては、呆けてしまいたくもなる。

 背後では兵達が援軍という言葉に気勢を上げている。彼等にとっては、どのような経緯があったにせよ、援軍がきた、その事実だけで充分だった。

その声に押されて、フェルナーはようやく実感した。目の前にいるこの騎士は間違いなく、己が朋友だと。


「確りしてくれ。お前達を助けに来たんだよ、ヴァレルガナの皆をつれてな」


「……本当にお前なのか」


「こんな色男、他にはおらんだろうが」


「間違いない、ああ、なんと……」


 安堵と感動に崩れ落ちそうなフェルナーをヴァンホルトが支える。すでに諦めていた、援軍も己の命も、砦の兵達の命でさえも、最初から捨て去っていた。その命が救われた、その感慨と歓喜は簡単に言葉にできるものではない。

 しかし、フェルナーとてこの激戦を戦い抜いた将。冷静さを取り戻すのにそう時間は掛からなかった。援軍が来たといっても、それでおわりではない。やるべきことは消えてはない、むしろ、死するより生き残るためにすべきことが遥かに多いのだ。

まずは手始めに問わねばならないことが山ほどある。


「そちらの御仁はどなただ? ヴァレルガナの騎士には見えぬが……」


「某は下方忠弘にござる。此度の戦では客将として兵を預かっております。以後お見知りおきを」


「……これはご丁寧に。私の名はフェルナー・フォン・ロエスレラ。この砦を預かっております。まあ、ご覧の通り、落城寸前ですが…………」


 弥三郎の礼を尽くした返答に対して、フェルナーもまた礼をもって返す。ヴァンホルトに同行してきた唯一の人物が異民族と言うのには驚いたが、彼が只者ではないことはその佇まいからも明らか。それに、ヴァンホルトが信頼して連れきた人物だ、異民族だからといって侮るのはあまりにも信を欠いている。体面に拘っている余裕はとうの昔に消えていた。


「フェルナー殿、どこか遠くまで見渡せる場所はないか? 合図を上げねばならぬ」


「あ、ああ、承知した。東側の見張り台はまだ壊れてない、ついてきてくれ」


 息つく暇も惜しいとばかりに、弥三郎は急いでいた。暮れ掛けていた太陽は完全に地平線の彼方、敵陣を駆け抜けるのに予想よりも時間を使ってしまった。遅れて進んでいたグスタブ率いる者たちも到着しているはずだ、早く先陣の皆に砦への到着と無事を知らせなければならない。

 

「それで? どれほどの援軍なのだ? まさか、二人と言うわけではあるまいよな?」


「んなわけねえだろ。ヴァレルガナ総出の千二百よ。しかも、総大将は若殿だ。驚いただろう?」


「なんと、アレクセイ様、御自らとは……」


 見張り等へと続く階段を駆け上りながらも、二人の騎士は言葉をかわす。千二百、三万の大軍勢に比べれば心もとないようにも思えるが、それでもそれだけの軍が、ヴァレルガナの若き棟梁に率いられ直ぐそこまで来ている、その事実がフェルナーを奮い立たせる。三日間にも及ぶ激戦の疲れが、一瞬で吹き飛んだかのようだった。


「しかし、それだけの数を一体どうやって……」


「……まあ、話せば長くなるからな。アウトノイアに返ってから酒の席で話してやるよ、吟遊詩人でも呼んで盛大に。それこそ、寝物語になるようなそんな道行きだったからな」


 そういうと、ヴァンホルトは不敵な笑みを浮かべる。釣られてフェルナーも笑みを浮かべた。

死を受け入れていた決死の騎士はもうここにはいない。勝利だけを目指し、ただ一直線に成すべきを成す、そんな三人の戦士たちがここにいた。

 こうして、全ての駒が盤上へと揃う。堰を切られた流れは、静かに大きさをましていき、いつものまにか波涛へと変わる。それは正しく、この戦場すらも飲み込もうとしていた。


 


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