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第41話 安心して眠れる場所

大きな決断のあとにも、やることはある。


荷物をまとめること。


無事に着いたと伝えること。


そして、今夜ちゃんと眠れる場所を作ること。


ルミエールは、ノアールとルナを新しい場所へ連れていく。

ノアールが「行きたい」と言ったあと、リビングにはしばらく静かな時間が流れた。


誰も、すぐには動けなかった。


ルミエールは、静かに息を整える。


「今日は、まず今夜必要なものだけを持っていく形でいいでしょうか」


ブランシュは少し迷ったあと、静かに頷いた。


「……そうですね。全部を今すぐ決めるのは、難しいですし」


ショコラも、ノアールを見つめながら言った。


「ノアールが行くなら、必要なものを準備しないとね」


ノアールは、ルナを抱いたまま小さく頷いた。


「……私、準備してくる」


立ち上がろうとしたノアールの足元が、少しふらつく。


ルミエールはすぐに手を添えた。


「一緒に行くわ」


ノアールは少しだけ驚いた顔をした。


「……うん」


二人で、ノアールの部屋へ向かう。


扉を開けると、ノアールは少しだけ立ち止まった。


「持っていくものは、必要最低限でいいわ」


ルミエールは静かに言った。


「制服と、教科書とノート。今夜使いたいもの。それだけで大丈夫」


「それ以外は……?」


「こちらで用意できるものは用意するわ。足りないものは、あとから取りに来ればいい」


ノアールは小さく頷き、鞄に教科書とノートを入れていく。


その途中で、棚の上の写真立てに目を止めた。


ブランシュとショコラとノアールが一緒に写っている。


ルミエールは、その写真を見て息を止めた。


(ママとアルバムで見た写真だ)


ノアールが、まだ今より元気だったころの写真。


そして、その写真より少し成長したノアールと、ママとショコラおばさまが、今このマンションにいる。


そう思うと、胸の奥が少しだけ苦しくなった。


ノアールは、しばらく写真を見つめてから、そっと鞄に入れた。


ルナ用のものは、今日お店で買ったものをそのまま持っていくことにした。


「……これだけで、大丈夫かな」


不安そうに言うと、ルミエールはやさしく微笑んだ。


「大丈夫よ。足りないものは、あとでそろえればいいの」


部屋を出る前、ノアールは一度だけ立ち止まった。


ルミエールは何も言わずに待った。


「……行こう」


ノアールは小さく言った。


玄関へ戻ると、ブランシュとショコラが待っていた。


ショコラが、ノアールの鞄を見て、静かに聞いた。


「準備、できた?」


「……うん」


ノアールは短く答える。


ブランシュは、ノアールの顔をしばらく見つめてから言った。


「無理しないでね」


その言葉に、ルミエールの胸が少し痛んだ。


(ママは、本当は引き止めたいんだ)


でも、引き止めなかった。


ブランシュは、ノアールのために、今できる一番苦しい選択をしている。


「何かあったら、すぐ連絡して」


ショコラも続けた。


「帰りたくなったら、いつでも帰ってきていいからね」


ノアールは、唇を結んだまま頷いた。


「……うん」


ルミエールは、一歩下がって頭を下げる。


「ブランシュさん。ショコラさん。責任を持ってお預かりします」


その言葉を口にした瞬間、胸の奥に別の呼び方が浮かびかけた。


けれど、今は飲み込む。


ここでは、ノアールの友達として立つ。


ソレイユも隣で明るく言った。


「大丈夫。ノアールが寂しくならないように、私も一緒にいるから」


ブランシュが、少しだけ息を吐いた。


「ありがとう、ソレイユさん」


ショコラはルミエールを見た。


「ルミエールさん。ノアールのこと、お願いします」


「はい」


ルミエールは、まっすぐ頷いた。


けれど、心の中では別の言葉が浮かんでいた。


(任せて、ママ)


その言葉は、絶対に口には出せない。


だから、ルミエールはもう一度、丁寧に頭を下げた。


ノアールは、ルナを抱いたまま玄関を出る。


ドアが閉まる直前、振り返って小さく言った。


「……行ってきます」


「行ってらっしゃい」


ブランシュの声を聞いてから、ノアールは前を向いた。


車に乗り込むと、マンションがゆっくり遠ざかっていく。


ノアールは窓の外を見ていた。


ルナは、その腕の中で丸くなっている。


ルミエールは、向かいの席からその横顔を見守った。


しばらくして、ルミエールのスマホが震えた。


祖父からだった。


『部屋の準備は進めている。ノアールさんが着く前に、わしは本邸へ戻る。何かあればすぐ連絡しなさい』


ルミエールは短く返信する。


『ありがとうございます。到着したら連絡します』


スマホを閉じる。


あとは、ノアールが安心して部屋に入れるようにするだけだった。


門が見えてきた。


複雑な装飾のある門。


その周囲には、見えない結界が幾重にも重なっている。


ノアールの耳が、ぴくりと動いた。


「……すごい」


「少し、守りが強いの」


「少し……?」


その声を聞きながら、車は玄関前に止まった。


扉が開くと、執事とメイドたちが並んでいた。


「ようこそお越しくださいました」


静かな声が重なる。


ノアールの体が少し固くなった。


ルミエールはすぐに横に立つ。


「大丈夫。みんな、ノアールとルナを迎える準備をしてくれたの」


執事が一歩前に出る。


「ノアール様、ルナ様。お部屋の準備が整っております」


ノアールは、戸惑いながらも小さく頭を下げた。


「……よろしくお願いします」


ルミエールは、まず猫部屋へ向かうことにした。


扉を開けると、白い猫のブランがゆったりと顔を上げる。


ルナはノアールの腕の中で、小さく鳴いた。


「ルナは、今日はここでブランと一緒に過ごしてもらいましょう」


ノアールは少し不安そうにルナを見る。


「……大丈夫かな」


「様子はすぐに確認できるわ。何かあれば、使用人が知らせてくれる」


ルミエールは静かに言った。


「ルナにも、落ち着ける場所が必要なの」


ノアールは少し迷ったあと、ルナをそっと床に下ろした。


ルナは部屋の中を慎重に歩き、ブランの近くで立ち止まる。


ブランは一度だけルナを見て、それからゆっくり目を細めた。


ルナも少しだけ距離を取りながら、その場に座る。


ノアールは、その様子を見て、小さく息を吐いた。


「……大丈夫そう」


「ええ」


ルミエールは頷いた。


「あとでまた様子を見に来ましょう」


それから、ルミエールはノアールを二階へ案内した。


ソレイユも一緒に続く。


廊下を歩きながら、ノアールは落ち着かない様子で周りを見ていた。


広い廊下。


高い天井。


静かに光る壁の照明。


知らない場所は、それだけで疲れる。


ルミエールは、一つの扉の前で止まった。


「ノアール。ここが今日から使う部屋よ」


「……うん」


「開けてみて」


ノアールは、ドアノブに手をかける。


扉が開く。


部屋の中は、ノアールが今まで暮らしていた部屋とよく似ていた。


初めて入る場所なのに、見覚えがある。


「……同じみたい」


ノアールが呟いた。


「今日は、この部屋で休みましょう。慣れてきたら、少しずつ変えればいいわ」


ノアールは部屋に一歩入った。


鞄をそっと下ろし、部屋を見回す。


「……ありがとう」


短い言葉だった。


けれど、その中に、いろいろなものが詰まっていた。


ルミエールは、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


「まず、無事に着いたことを連絡しましょう」


ルミエールは、ノアールの前でスマホを出した。


ブランシュとショコラへ、短く連絡する。


『無事に到着しました。ノアールもルナも落ち着いています』


続けて、祖父にも送る。


『無事に到着しました』


すぐに返事が来た。


『分かった。今日は休ませてあげなさい』


ルミエールは短く返して、スマホを閉じた。


これで、今夜すべき連絡は終わった。


「じゃあ、晩ご飯にしましょう」


ソレイユが明るく言う。


「うん。今日はちゃんと食べよ。いろいろありすぎたし」


ノアールは小さく頷いた。


ダイニングへ向かうと、料理の香りが広がっていた。


白身魚。


野菜。


温かいスープ。


炊きたてのご飯。


派手ではない。


けれど、きちんと体を整えるための食事だった。


ノアールは、しばらく料理を見つめていた。


「……ちゃんとした、ご飯」


その声が、あまりにも小さくて。


ルミエールは、少しだけ目を伏せた。


今夜はまず、ちゃんと食べて眠ること。


そこからでいい。


「いただきましょう」


ルミエールが言うと、ノアールはゆっくり席に着いた。


夕食のあと、勉強や軽い運動、お風呂を済ませると、夜はすぐに深くなっていた。


ルミエールは、今日は細かいことを言わないと決めていた。


ノアールがこの家で最初の夜を越えられれば、それで十分だった。


ルミエールは、使用人に頼み、広めの部屋に布団を三つ並べてもらった。


ソレイユが嬉しそうに笑う。


「なんか、修学旅行みたい」


ノアールは少しだけ驚いたあと、小さく頷いた。


「……うん」


寝る前に、ルミエールは猫部屋の様子を確認した。


ルナはブランと少し距離を取りながらも、同じ部屋で落ち着いていた。


その様子を見て、ノアールも少し安心したようだった。


「ルナ、大丈夫そう」


「ええ。何かあれば、すぐ分かるわ」


布団に入ると、ノアールはすぐに静かになった。


「……おやすみ」


そう言った声は、途中で眠りに溶けていった。


ソレイユが小さく笑う。


「寝ちゃったね」


「ええ」


ルミエールも、ようやく体の力を抜いた。


朝からずっと気を張っていたせいか、目を閉じると一気に眠気が押し寄せてくる。


明日のことは、明日考えればいい。


その夜、三人は並んだ布団の中で、静かに眠った。

読んでいただき、ありがとうございます。


今回は、ノアールとルナがルミエールの家へ向かう回でした。


大きく変えるのではなく、まずは安心して眠れる場所を作る。

ルミエールは、そのために静かに動いていました。

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