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第24話 未来を運ぶ荷物

ノアールの命をつないだ夜。

その後、次の準備が静かに始まります。

 病院を出た時、空はまだ暗かった。


 黒い渦も、歪んだ魔法陣も、もう見えない。


 けれど、何もなかった夜には戻っていなかった。


 車の窓の外を、街灯の光が流れていく。


 ルミエールは、膝の上で両手を重ねていた。


 指先には、まだ杖の感触が残っている。


 青い光。


 ノアールへ下ろした、細い命の道。


「ノアールは、生きています」


 ルミエールは、小さく言った。


「でも、まだ目を覚ましていない」


「ええ」


 ソレイユが静かに答える。


「助けられたって、思いたいのに……まだ終わっていないんです」


「終わっていません」


 ソレイユの声は、冷たくはなかった。


「だから、次に進みましょう」


 ルミエールは、ゆっくりとうなずいた。


 前の席で、祖父が口を開いた。


「今夜はここまでだ」


 低く、落ち着いた声だった。


「詳しい話は昼にする。二人とも、まず休みなさい」


「でも、おじいちゃん」


「疲れたまま動けば、判断を誤る」


 ルミエールは、何も返せなかった。


 体の奥に残っていた重さが、その言葉を止めた。


「……はい」


 ソレイユも、静かにうなずいた。


 別荘へ戻ると、玄関ホールの明かりだけがついていた。


 祖父は使用人に短く指示を出し、そのまま書斎へ向かった。


 ルミエールは、廊下の奥を見た。


 さっきまで病院の屋上にいたことが、少し遠い出来事のように感じられた。


 それでも、ひとつだけは確かだった。


 ノアールの命は、まだつながっている。


 そのことだけを胸に置いて、ルミエールは客室へ向かった。


     *


 昼過ぎ。


 書斎の机には、いくつもの資料が並んでいた。


 病院の報告。


 ネコノミヤ学院の資料。


 ノアールについて調べた記録。


 ルミエールとソレイユは、祖父の向かいに座っている。


「ノアールの状態だが、命はつながっている」


 祖父が言った。


「集中治療室にいることは変わらない。だが、昨夜よりは安定している」


 ルミエールは、胸に手を当てた。


「よかった……」


 けれど、まだ気を抜けない。


 ノアールは、目を覚ましていない。


 祖父は、次の資料を手に取った。


「学院でのノアールについても、情報が入った」


 ルミエールの背筋が伸びる。


「倒れる前から、クラスで孤立していたようだ」


 知っていた。


 未来で聞いていた。


 それでも、この時代の資料として目の前に出されると、胸に刺さった。


「昼休みも、一人で過ごすことが多かったらしい」


 祖父は続けた。


「売店で、最後まで残ったパンを買って食べていたという話もある」


「……売れ残ったパン」


 ルミエールの声が沈む。


 祖父は、資料を机に置いた。


「人との接触を、避けていたのかもしれない」


 書斎に、短い沈黙が落ちた。


 ソレイユが、静かに口を開く。


「なら、昼休みを変えましょう」


 ルミエールが顔を上げる。


「ノアールさんが、一人で売店へ行かなくてもいいように」


「私も、そう考えていた」


 祖父は、別の書類を広げた。


 そこには、ネコノミヤ学院の学食の見取り図があった。


「学院には、教育環境の改善として支援を入れる」


「支援……ですか?」


「学食の混雑、売店の混乱、昼休みの席不足。学院側にも理由はある」


 祖父は、図面の一部を指で示した。


「会社の試験段階の配膳ロボットと、予約システムを入れる」


「ロボットを、学校に?」


「限定的な実証実験という形にする」


 祖父の声に迷いはなかった。


「スマホで注文し、受け取り、席も確保できる仕組みにする」


 ソレイユがうなずく。


「それなら、ノアールさんを自然に誘えますね」


「そうだ」


 祖父は短く答えた。


「戻ってきた時に、居場所が必要だ」


 ルミエールは、見取り図を見つめた。


 ノアールが一人で立っていた売店。


 最後まで残っていたパン。


 誰とも一緒に過ごさないで終わる昼休み。


「ノアールが……楽しくご飯を食べられる場所を作るんですね」


「そうだ」


 祖父は、静かにうなずいた。


「守るだけでは足りない」


 その言葉は、ルミエールの胸に残った。


 魔法で命をつなぐだけでは足りない。


 戻ってきたノアールが、生きていける場所を作らなければならない。


 その時、書斎の扉がノックされた。


「旦那様。お荷物の確認準備が整いました」


「分かった」


 祖父は立ち上がった。


 玄関ホールには、大きなケースがいくつも届いていた。


「後続便です」


 ソレイユが言った。


 小さな端末をケースに触れさせると、ふたが静かに開いた。


 中には、一度に数えきれないほどの金の塊が並んでいた。


 午後の光を受けて、玄関ホールに金色の輝きが広がる。


 祖父は、しばらく何も言わなかった。


「地球では、価値があると聞いています」


 ソレイユは落ち着いて言った。


「ノアールさんを救うために必要な費用へ使ってください」


「……これを、費用として持ってきたのか」


「はい」


「君の国では、これはどういう扱いなんだ」


「壁や柱に使います」


 その場に、短い沈黙が落ちた。


「……壁」


「はい。加工しやすいので」


 ソレイユは、ごく普通のことのように答えた。


「地球では、支払いに使えると聞きました」


 祖父は、ケースの中をもう一度見た。


「病院への支援、学院への寄付、調査費。使い道はいくらでもある」


「必要なら、もっと送れます」


「まずは十分だ」


 祖父はケースを閉じた。


「君たちの本気は分かった」


 ソレイユは、別の小さなケースを開けた。


 中には、透明な板のような端末が入っている。


「これは、ルミエールさんが使っているタイムマシンの保守資料です」


 祖父の手が止まった。


「保守資料?」


「取り扱い説明書、エラー発生時の確認方法、簡易修理、部品交換、緊急停止、時空座標がずれた時の復旧手順です」


 祖父は、端末を受け取った。


 金を見た時とは違う沈黙が流れる。


「完成した設計図ではありません」


 ソレイユは、先に言った。


「任務を安全に続けるために必要な範囲です」


「……それでも、十分すぎる」


 祖父は低く言った。


 ソレイユは、もう一枚の端末を差し出した。


「こちらは、協力への正式なお礼です」


「これは」


「未来技術の一部資料です。完成技術ではありません。けれど、研究の資料にはなると思います」


 祖父の視線が、端末に落ちる。


「お金だけでは足りないと思いました」


「なぜ、そこまで」


「協力してもらうからです」


 ソレイユは、まっすぐ祖父を見た。


「私たちは、協力者に対価を払います」


 祖父は、しばらく二人を見ていた。


 それから、端末を受け取る。


「分かった」


 短い一言だった。


 けれど、ルミエールには分かった。


 祖父はもう、この出来事をただの異変として扱うつもりはない。


 ノアールを救うために。


 そして、未来から届いたものを、ただの奇跡で終わらせないために。


 祖父は、玄関ホールに並ぶケースを見た。


「別荘の人員も見直す」


 ルミエールが顔を上げる。


「今までは大勢の使用人を置いていた。だが、これからは人の出入りを減らす」


「人を、減らすんですか」


「代わりに、会社のロボットを入れる。まだ試験段階だが、生活補助と警備には使える」


 祖父は、玄関ホールに並ぶケースを見た。


「ここで起きていることを、外へ漏らすわけにはいかない」


 ルミエールは、ゆっくりとうなずいた。


 学校にも。


 別荘にも。


 祖父の会社のロボットが入る。


 この時代の地球が、ほんの少しだけ未来へ近づいていく。


 そのあと、ルミエールの制服が届いた。


 黒いブレザー。


 白いシャツ。


 大きなリボン。


 チェック柄のスカート。


 ネコノミヤ学院の制服だった。


 ルミエールは、それを両手で受け取る。


 未来の月で見慣れていた制服と、形はよく似ている。


 けれど、手にした瞬間に違いが分かった。


 布に、重さがある。


 月の制服は、もっと軽く、なめらかだった。


 これは、地球の制服だ。


 十九年前の、この時代の制服。


 ルミエールは、そっとブレザーを抱えた。


「明日から、ルミエールは学院へ行く」


 祖父が言った。


「はい」


「ソレイユ君は、明日、面接と編入試験だ」


「分かりました」


 ソレイユは、すぐにうなずいた。


「君の分も話は通してある。だが、最低限の手続きは必要だ」


「地球の試験ですね」


「はい。受けます」


 その返事に、迷いはなかった。


 ルミエールは、制服を抱えたままソレイユを見る。


「社会は、この時代の内容が出ると思います」


「覚えます」


 ソレイユは、きっぱり言った。


 それだけで十分だった。


 午後の光が、書斎の床に長く伸びている。


 病院では、ノアールが眠っている。


 別荘には、金色の支援物資と、未来の資料が届いた。


 祖父の会社のロボットたちは、これから動き出す。


 ネコノミヤ学院の昼休みも、少しずつ変わっていく。


 そして明日。


 ルミエールは、この時代の制服を着て、ノアールのいた学校へ向かう。


 ソレイユも、その場所へ入るために試験を受ける。


 未来を変える準備は、静かに始まっていた。

読んでいただきありがとうございます。

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