第107話 それぞれのバレンタイン
バレンタインを前に、それぞれが大切な人へ渡すチョコレートを作ります。
気持ちを届けられる人。
直接は会えなくても、誰かに託して届ける人。
そして、渡したくても一歩を踏み出せない人。
それぞれのバレンタインをお楽しみください。
バレンタインを前に、ルミエールとブランシュはクッキングスタジオを訪れていた。
今日は、二人の姉妹企画の撮影が行われる。
企画の内容は、好きな相手へ渡すバレンタインチョコレートを、それぞれ自由に作るというものだった。
カメラが回る中、ルミエールとブランシュは並んで作業を始めた。
撮影のためだけに作るチョコレートではない。
ブランシュは、ルシアン・スターリングさんへ。
ルミエールは、桐谷へ。
二人とも、本当に渡す相手を思いながら作っていた。
ブランシュが選んだのは、白くなめらかなホワイトチョコレートだった。
形を整えたチョコレートの表面へ、銀色のアラザンを控えめに散らしていく。
白と銀でまとめられたチョコレートは、派手すぎないのに華やかだった。
「きれいですね」
ルミエールが、完成したチョコレートを見ながら言った。
「ありがとう。ルシアンさんに渡そうと思っているの」
ブランシュは、白い箱へチョコレートを丁寧に並べていった。
その隣では、ルミエールも桐谷へ渡すチョコレートを仕上げていた。
二人が仲良くお菓子を作る様子を撮影し、姉妹企画は無事に終了した。
スタッフたちは機材を片づけ、クッキングスタジオを出ていった。
広いスタジオに残ったのは、ブランシュとルミエールだけだった。
ルミエールは、ブランシュの首元で輝くネックレスに気づいた。
「ブランシュさん、そのネックレス……」
ブランシュは、ホワイトゴールドとダイヤモンドのネックレスへ視線を向けた。
「クリスマスの夜に、ルシアンさんからいただいたの」
「とてもきれいですね」
「ありがとう」
「クリスマスの夜は、ルシアンさんと一緒に過ごしたんですよね」
「ええ。本当はもっと長く一緒にいたかったけれど、私を大切に思って、日付が変わる前に家まで送ってくれたの」
その言葉を聞き、ルミエールは未来で母から聞いていた父の話を思い出した。
ルミエールたちが過去へ介入したことで、母と父がクリスマスを過ごした場所は、月から地球へ変わっていた。
それでも、大切な人を思い、日付が変わる前に家まで送り届ける父の行動は変わっていなかった。
未来で母から聞いていたとおり、父はやはり誠実な人なのだと、ルミエールは感じた。
同じ頃。
ショコラとノアールは、マンションのキッチンでチョコレートを作っていた。
ショコラは、大学の先輩へ渡すチョコレートを用意している。
ノアールが作っていたのは、ブラックチョコレートを使った生チョコだった。
溶かしたブラックチョコレートに材料を混ぜ、型へ流し入れる。
冷やして固めた生チョコを切り分け、表面へココアパウダーをまぶしていった。
黒を基調にした、落ち着いた仕上がりだった。
ショコラは、生チョコを箱へ並べているノアールを見た。
「レン君に渡すのね」
ノアールの手が止まった。
「……まだ、渡せるか分からないよ」
「でも、レン君のために作ったのでしょう?」
ノアールは答えず、生チョコの位置を整えた。
レンへ渡したい。
その気持ちがなければ、こんなに丁寧には作らなかった。
けれど、実際にレンを前にした時、自分がどんな顔をすればいいのか分からなかった。
撮影を終えたルミエールが別荘へ戻ると、キッチンの前で足を止めた。
「……どうしちゃったの、そのキッチン」
調理台の上には、電子レンジで熱しすぎたチョコレートが焦げついた、ガラス製の耐熱ボウルが置かれていた。
黒く固まったチョコレートが、ボウルの内側にこびりついている。
その隣には、焦げたチョコレート生地のスポンジと、焦げたココアクッキーが並んでいた。
別の皿には、表面は焼けているのに、中が生焼けになったスポンジが置かれている。
型へ流したチョコレートは、いつまで待っても固まらず、液体のまま残っていた。
粉砂糖と小麦粉が調理台や床へこぼれ、その上にはココアパウダーも散っている。
袋から飛び出したアーモンドは、床のあちこちへ転がっていた。
その真ん中に、ソレイユが立っていた。
「悠斗に渡すチョコを豪華にしようとして、失敗したの」
「言ってくれたら、一緒に作ったのに」
「ルミエールの力を借りずに、自分の力で作ってみたかったの。去年は渡せなかったから、今年こそ渡したいのよ」
ソレイユは、散らかったキッチンを見回した。
「だから、手を出さないで」
「分かった。じゃあ、横で口を出そうか?」
ソレイユは少し考えた。
「……それなら許すわ」
ルミエールは、調理台の端に置かれていたオレンジピールの袋に気づいた。
「これは?」
「ケーキの飾りに使おうと思って買っておいたの。でも、肝心のケーキがあれだから……」
ソレイユは、中が生焼けになったスポンジを見た。
ルミエールは、袋の中のオレンジピールを確認した。
「このオレンジピールに、湯煎で溶かしたチョコレートをつけるだけでも、ソレイユっぽくていいと思うよ」
「これだけで?」
「うん。オレンジ色で明るくて、見た目も華やかでしょう? 無理に大きなケーキを作らなくても、悠斗にはちゃんと気持ちが伝わると思う」
「でも、去年は渡せなかったのよ。今年こそ、すごく豪華なものを渡したくて……」
「豪華だから気持ちが大きいわけじゃないよ。ソレイユが悠斗のことを考えながら、自分で作ったことのほうが大事なんじゃないかな」
ソレイユは、オレンジピールを一つ取り出した。
「分かったわ。でも、作るのは私だからね。手を出さないで」
「じゃあ、横で口だけ出すね」
「それなら許すわ」
ソレイユは新しいチョコレートを湯煎で溶かし、オレンジピールの端へつけていった。
今度は焦がさないよう、ルミエールの助言を聞きながら慎重に進める。
明るいオレンジ色の半分を、つやのあるチョコレートが包んでいった。
豪華なケーキではない。
それでも、オレンジピールにチョコレートをつけたオランジェットは、ソレイユらしい華やかな仕上がりになった。
バレンタイン当日。
ブランシュは、白と銀のチョコレートをルシアンさんへ渡した。
ショコラも、大学の先輩へ用意したチョコレートを渡した。
ルミエールは、桐谷へ自分が作ったチョコレートを差し出した。
「桐谷君、これ」
「俺に?」
「うん。いつもありがとう」
桐谷は、嬉しそうに箱を受け取った。
ルミエールは、続けてもう一つの箱を取り出した。
「それと、これはソレイユから。悠斗に渡してほしいの」
桐谷は箱を見て、すぐに事情を理解した。
桐谷は、ソレイユと悠斗が秘密で付き合っていることを知っている。
恋愛禁止のため、ソレイユは悠斗へ直接渡すことができなかった。
「分かった。俺から悠斗に渡しておく」
「お願いします」
一方、ノアールはブラックチョコレートの生チョコを持って、仕事の現場へ向かっていた。
箱は、バッグの中に入っている。
レンを見つけたら渡そうと思っていた。
しかし、レンの周りには大勢の女性が集まっていた。
「レン様、これ受け取ってください」
「私たちからもあります!」
次々と差し出されるチョコレートを、レンは受け取っていた。
ノアールは少し離れた場所に立ち、近づく機会を待った。
けれど、レンの周りから人が途切れない。
レンは、相変わらず人気だった。
ノアールは、バッグの中に入っている箱を意識した。
自分が渡さなくても、レンはたくさんのチョコレートをもらっている。
やがて、レンとノアールは、短い時間だけ向き合った。
「……お疲れ」
レンは、そっけなく言った。
「お疲れさま」
ノアールも、それ以上の言葉を続けられなかった。
レンは、ノアールが持っているバッグを気にしていた。
本当は、ノアールから本命チョコをもらいたかった。
けれど、自分から欲しいとは言えなかった。
闇のせいだったとしても、ノアールが海斗と一夜を共にした事実は消えない。
本当は、俺より海斗のほうがいいんじゃないか。
そんな思いが、今もレンの中に残っていた。
俺が素直に、海斗が出てくる前にノアールに優しくして、気持ちを伝えておけばよかった。
昨年のバレンタイン。
レンは、昔の二人を思い出してほしくて、ノアールへチョコレートを渡した。
そんな遠回しなことをせず、好きだと素直に言えばよかった。
今になって、何度もそう思う。
それでも今年も、レンは素直になれなかった。
ノアールも、バッグの中の箱を取り出せない。
闇のせいだったとしても、レンを傷つけたことに変わりはない。
そんな私が、今さら本命チョコを渡していいのだろうか。
レンが自分にそっけないのも、当然なのかもしれない。
そう思うと、手が動かなかった。
結局、二人は短い挨拶だけで離れた。
そんな二人の様子を、海斗と凛が物陰から見ていた。
海斗は、別々の方向へ歩いていく二人を見ながら思った。
二人に、ちょっと悪いことをしたなあ。
凛は、そんな海斗へ箱を差し出した。
「はい。海斗に」
「俺に?」
「今日はバレンタインでしょう」
海斗は箱を受け取り、素直に喜んだ。
「ありがとう。嬉しいよ」
凛と海斗は、自然に気持ちを渡し合うことができた。
けれど、ノアールとレンは、すぐ近くにいるのに何も渡せなかった。
ノアールのバッグには、レンのために作った生チョコが残っている。
レンの周りには、たくさんのチョコレートが集まっていた。
それでもレンが本当に欲しかったものは、最後まで渡されなかった。
ブランシュ、ショコラ、ソレイユ、ルミエールは、それぞれの相手へチョコレートを届けることができました。
一方、ノアールはレンのために生チョコを作ったものの、最後まで渡すことができませんでした。
互いに気持ちが残っているのに、過去の出来事を引きずり、素直になれないノアールとレン。
そんな二人を見ていた海斗と凛も、それぞれの思いを抱えています。




