第77話 十五年前の巫女
ニアティは巫女の控えの間を出ると、普段よりもゆっくりとした足取りで進み、地下牢を目指す。
その後ろを、着かず離れずの絶妙な距離で巫女が続き、警備の者たちは巫女を止めようとしたが、ニアティが彼女を連れているようにも見え、口をつぐんだ。
神殿の警備は、地下倉庫への入口のみ朧が担当し、それ以外は教団の守護騎士団が担っているが、レシュトロ、並びにその配下のニアティとベイツに関しては、教団の公的な役職を持たないにも関わらず、「ユスノウェル直属の重臣とその部下」として認識されており、神殿内で彼らに逆らう者は誰もいなかった。
五階の「控えの間」から一階まで、あっけないほど簡単に到達した。ニアティを一目見るなり、衛兵は敬礼して直立不動となり、その後ろを歩いている巫女を咎めようとする者はいない。
だが、地下へと続く階段の扉が見えたその途端、ニアティが唐突に横道に逸れ、その通路の角に身を隠した。
(なぜ、あいつが……!?)
ニアティが冷や汗をかきながら。角からこっそりと覗いたその視線の先、階段の入口には、警備の男とともに、ベイツの姿があった。
ベイツは、何でもレシュトロから受けた特命任務とやらで聖都を離れていると聞いていたが、どうやら既に戻って来ていたようだ。
(まずいな……)
ここまでがそうであったように、普通の警備兵ならば、ニアティに異を唱えてまで巫女を呼び止めるような真似はしないが、ベイツは違う。彼はニアティと対等な、レシュトロの腹心の一人だ。間違いなく後ろを歩くユオーミに対して反応し、指摘するだろう。
そうなってはさすがに言い訳ができず、巫女が地下牢に辿り着くのは絶望的だ。
やり過ごすしかない、と考えながら唇を噛んでベイツの様子を窺っていたニアティは、ふと我に返り、巫女の方を振り返る。唐突なことで巫女のことを失念していたが、彼女は今、自分の後を付いて来ていたはずだ。
「え……?」
自分の後ろに隠れているとばかり思っていた巫女は、廊下の真ん中に立ち尽くし、地下階段への扉を凝視していた。
(隠れて!)
ニアティは声を殺して話しかけ、手招きする。しかし、巫女はちらりとニアティを見たかと思うと入口の方を小さく指差し、小首を傾げた。
廊下の真ん中から動こうとしない巫女に焦れ、ニアティは必死で首を振り、手招きする。
だが、巫女はニアティの想定とは全く異なる動きをとった。
強い視線で入口の方を睨んだかと思うと、不意にそちらに向かって歩き始めたのだ。
思わず叫び声を上げそうになるニアティはしかし、ベイツを前に姿を現すわけにもいかず、通路の角から、ただ、巫女の背中を見つめることしかできなかった。
ベイツは、アガナタの暗殺に失敗し、内心大きな溜息をつきながら警備の男に口止めをしていたところ、こちらに向かってくる小柄な影に気づき、そちらを見やる。
その、巫女の衣装を身にまとった少女は、物怖じすることなくベイツの目前まで来ると、「生贄の巫女です。通してください」と言った。
随分と顔色の悪い、しかししっかりとした目つきの少女の堂々とした物言いに、思わずベイツは警備の男と顔を見合わせた。
「……巫女様、ですか。この先は倉庫です。巫女様の立ち入るような場所ではありませんよ。どうぞお部屋にお戻りください」
巫女の「控えの間」は五階にある。なぜ巫女が一人でこんなところに迷い込んだのかと怪訝に思いながらも、ベイツは微笑みを浮かべながら彼女を押し戻そうとして、続けて語られた一言で動きを止めた。
「この先にいる人に、会いたいんです。助けないといけないんです!」
一瞬で笑顔を引っ込めたベイツは、驚きに目を見張った。
(この娘、どこまで知っている? 誰が教えた?
……地下牢のことを知るのは、俺以外にはレシュトロとニアティしかいないはず。だが、ニアティのレシュトロへの忠誠は本物。漏らすとは思えない。
そもそも、この先に地下牢があって、そこにアガナタが捕らえられていると巫女に教えて、誰が得をするんだ?)
混乱する思考の中で、神殿を離れている間に何があったのか全く分からないベイツは、あっさりとそれについて考えるのを諦める。
(――それよりも)
ふと、口元に微笑みを浮かべる。
(地下牢でアガナタを取り調べているレシュトロの元に、唐突に巫女が現れたら、さすがのレシュトロでも尋問を続けられないのではないか?)
そしてそのまま、膝を曲げて、巫女に視線の高さを合わせると、優しく語りかけた。
「分かりました、巫女様。私がご案内いたしましょう。
ただし、私は途中までですが、それで良ければ……」
「構いません!」
そう即答する彼女に少し驚きつつも、「これも秘密で頼むよ」と衛兵に断りを入れながら、彼はもと来た道を戻り始めた。
巫女を後ろに引き連れる彼の顔には、狡猾そうな笑みが浮かんでいた。
「よーし、そのまま動くなよ」
短槍を構え、廊下を塞ぐように一列に並んだ三人の衛兵。赤の神官は、彼らを前に、両手を挙げて立ち止まり、敵意がないことを示す。
後ろからも迫る衛兵をちらりと見て、彼女はこわばった顔をしながら、そのまま目の前の衛兵の方へと歩き出す。
両手を挙げながらも、再びこちらに進み始めた侍女に戸惑い、三人の衛兵は槍を突き出して声を上げる。
「動くな! 止まれ。止まれと言っている!!」
しかし彼女は止まらず、困ったような曖昧な笑顔を浮かべたまま、両手を挙げて歩き、槍先を器用に通り抜け、なおも進む。
「ち、ちょっと、そういうわけにもいかなくて……ごめんなさい!」
儀式用の、控えめながらも整った典礼侍女の着物を身にまとい、丸腰の女性を相手に、武器を向ければ恐怖で動けなくなるだろうと、衛兵の誰もが甘く考えていたことが、彼女に味方した。
謝りながらも槍の懐に入られ、慌てる衛兵。
「こら! お前何してる! 止まれ!」
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
叫ぶようにそう言ったかと思うと、彼女は一気に走り出す。懐に入られた衛兵が、一列に並んでいたせいで槍が邪魔してまごついている間に、彼女はその横をすり抜けて、階段に至ると、二段飛ばしで駆け下り始めた。
「ま、待てぇー!!」
衛兵の叫び声を後ろに、心臓を激しく脈動させ、必死で空気を求めながら、彼女は階段の踊り場を壁にぶつかりながら折り返す。
もう、滅茶苦茶で、自分でも何をやっているのか分からなかったが、でも、捕まるわけにだけはいかないと、それだけだった。
だが、四階に降り立った彼女は思わず足を止める。
そこには、多くの衛兵が溢れ、守護神官たちにあてがわれた部屋の入口に詰めかけていた。
厠の物入れに隠してきた守護神官の衣服と半面、そして赤いマントを掴み上げ、部屋の入口で守護主神官に食って掛かる衛兵たち。
「これは最早反逆だぞ! 赤の守護神官は何処にいる!?」
一気に血の気が引き、呆然と立ち尽くす赤の守護神官。
どうして上手くゆくと思ったのか。
いや、そもそも深く考えていなかっただけだ。ただ、じっとしていられなくて行動した。
そんな思いとともに彼女の頭の中に響いたのは、かつてアガナタが言った、あの言葉。
『私情を挟むと救えるものも救えなくなる』
膝が震え、ただでさえ激しかった呼吸が荒さを増してゆく。だが、後ろから迫る足音に我に返り、一度振り返ってから、彼女は部屋に向かってよろけながら走り出す。
上手くはできなかったかも知れないけれど、自分で始めたことだから、責任は自分で取るべきだと、彼女はそう思った。
そして、声の限りに叫ぶ。
「私は、ここにいます!!」
ニアティは、ベイツが巫女を地下へと導いたことを訝りながらも、一旦目標は達成したと無理やり納得し、階段を上がって四階へと至る。
だが、自室の扉を開けようとドアノブに手をかけたところで、廊下の向こうから聞こえる喧騒に眉をひそめた。
巫女を地下牢へ導くという、レシュトロへの裏切り行為とも言える自分の行いに、強いストレスを感じ、心がささくれ立っていた彼女は、その常ならぬ騒音に苛立ちを抑えきれない。
盛大に舌打ちしながら、騒ぎのする方へと足を向ける。
「儀式も近いというのに、何を騒いでいるのだ」
廊下の角を曲がったところで、とある部屋の前に衛兵が詰めかけ、言い争っているのが見えた。
「何をやっているんだ!」
大声に振り向いた衛兵が、ニアティの姿を認めて一瞬怯むが、すぐに助けを求めるように報告した。
「はっ! 奉献の徒の一部が、こともあろうか部屋を抜け出し騒ぎを起こしました! 現在、不届き者を拘束し、責任者に説明を求めているところです!」
「抜け出した……?」
怪訝な顔でニアティが部屋の入口まで辿り着くと、典礼侍女の服装をした女が地面に押さえつけられ、拘束されていた。一方で、部屋の入口では衛兵と守護主神官オッドーが睨み合っている。
「どういうことだ?」
状況が飲み込めず、説明を求めるニアティ。
衛兵の説明を聞くにつれて、ニアティは眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げ、最後には目を見開いて大声を上げた。
「奉献の徒が仮面を外して変装し、ましてや神官長の部屋の前で騒ぎを起こすとは。貴様らの任務は一体なんだ!? 巫女様の護衛として恥ずかしくないのか!!」
「恥ずかしくありません!!」
唐突に、足元から響いた声。ニアティは地に伏せる赤の守護神官と思しき女を見下ろし、顔に怒気をはらませた。
「何だと!? 貴様、一体どういう……」
「す、全ては私の責任です!!」
今度は横から放たれた大声に、ニアティは顔をしかめてそちらを睨む。
それは、衛兵の槍を押しのけ、部屋の入口から出てきた男の声だった。
ニアティは、霧の森で醜態を晒したこの男、新管理神官の顔を認め、嫌悪を隠そうともしない。そして、ぎりりと歯を鳴らし、管理神官の前に指を突き出した。
「貴様ごときが責任を語るか! 上等だ、この状況について弁明してみろ!!」
後方のオッドーの方をちらりと見た後、管理神官は目を見開き、口をあらん限り大きく開いたまましばらく固まった後、絞り出すように叫んだ。
「私が! 彼女に! 命じました!!」
全く要領を得ない回答に、ニアティは怪訝な表情でその男の様子を窺う。
目を見開いたまま、歯を食いしばり、男は震えていた。ちらりとその隣を見ると、守護主神官オッドーが口を開いたまま呆然と管理神官を見つめている。
アガナタを失い、今こそ一致団結して巫女を守らねばならない奉献の徒が、このタイミングで意味不明な騒動を起こしたことに、ニアティは深く失望し、そして、怒りを覚えていた。
アガナタの献身を、巫女ナァラの信念を、僅かでも理解していればこのような騒動を起こすなどあり得ない。ニアティは、この男を更生させるのにどんな苛烈な罰が必要かと、考えを巡らせる。
「す、全ては私の責任です!! 私が咎を受けます。他のメンバーは全く悪くありません! 私の命令にやむなく従っただけです!!」
ニアティは、意外な言葉に、まじまじと管理神官の顔を見つめた。
泣きそうな、情けないその顔はあの時と変わらなかったが、彼が背負い、守ろうとしているものはあの時とは明らかに違っている。
ニアティは考える。
この意味不明な騒動。被害を最小限に収め、巫女への影響が出ないように抑えられるか?
だが、彼女の理性が導き出した答えは残酷だった。丸く収めるには、あまりにも問題が多すぎた。
奉献の徒が素顔を晒すのも、変装して騒ぎを起こすのも、それを命令したと言い張るのも、あまりにも秩序が失われていた。
これから執り行われる神聖な儀式を、彼らに任せるに足る、根拠はあるか?
否。この騒動はあまりに多くの人目にさらされ、もはやニアティでも握り潰すことは叶わない。
これは、管理神官一人の解任ですませる事ができる範囲を大きく逸脱し、メンバー全員の解任は避けられない。
ニアティは、怒りに任せて声を荒げる。
「貴様一人の首でどうこうなる範囲はとうに超えている! 管理神官。お前には騒乱罪の適用すら検討されるだろう。その覚悟あっての狼藉なんだろうな!」
「そ、騒乱罪……」
管理神官がボソリと呟き、よろめいたところをオッドーに支えられる。
抑え込まれた赤の守護神官が、青ざめながら声を上げる。
「違います! 私の独断です! 私が勝手にやったんです!!」
「やかましい!! 貴様ら一体なんなんだ! この馬鹿者どもめが!!」
苛立ちのあまり思わず叫んだニアティのあまりの剣幕に、奉献の徒も、衛兵たちも水を打ったように黙り込む。
「巫女様に、申し訳ないとは思わないのか……」
項垂れ、絞り出すようにボソリと呟いた彼女の声が、静まり返った廊下に響いた。
僅かに震えるその声に、誰もが思わず下を向き、重苦しい空気が流れる。
だが、その沈黙は唐突に破られた。
「彼が、奉献の徒の『管理神官』かね?」
突然後ろから肩を叩かれ、驚いたニアティが振り返りざまに相手を睨みつける。
だが、声の主の顔を見てさっと顔色を変え、後ろに飛び退くと、片膝を地につけて頭を垂れた。
そこには、痩せた神経質そうな老人が立っていた。
ニアティに習い、一斉に片膝を着いて頭を垂れる衛兵たち。
訳が分からず呆然とする管理神官がオッドーの方を振り返ると、彼は、呆然とした表情でその老人の方を見つめ、その口から、思わず言葉がこぼれ落ちた。
「ア、アーオステニア……様」




