2-6 奇病
「どうぞ……夫のディビッド・ロマネリコです」
華やかな邸宅の一室は、日中なのに夜のように暗かった。
奇病について話してから数時間後。あっという間に話をつけたオリビア様と共に訪れたロマネリコ家は、まるで喪に服しているような雰囲気だった。普段は朗らかだというロマネリコ婦人は、今は見る影もなく気を落としている。
「……診させてもらってもいいですか?」
「…………お願い、します」
声をかけたロマネリコ婦人は耐えかねたように涙をこぼした。これまで多くの医者に診て貰ったそうだが、何もわからなかったそうだ。その心労も祟り、心身ともに疲れているのだろう。そのやつれた姿に心を痛めながら、ロマネリコ卿に近づく。
カーテンから漏れ出る仄かな日の光に浮かび上がったロマネリコ卿の表情は、本当に寝ているように穏やかだった。脈を測り、身体の状態を確認する。
光魔法を使いながら確認もしてみたが、異常はどこにも見当たらなかった。
ただ、寝ている。それがロマネリコ卿の状態だった。
「どうなの?」
「……奇病は、皆こうして寝ているだけですか?」
「えぇ、そうよ」
疑問に思いながらも、少しずつ心当たりのあることを調べていく。穏やかな、深い眠り。まるで眠り薬がずっと効いているかようなその様子に、疑問が募っていく。
「……この状態になる前に、何か変わったことはありませんでしたか?」
「いえ……本当に、いつも通り過ごしていただけですわ。湯浴みをして、この寝室でいつも通りウイスキーをお飲みになって、一緒にベッドに入って……それで……朝になっても、起きなくて……」
ロマネリコ夫人が言葉を詰まらせた。酷なことを聞いてしまったと、謝りながら背中をさする。夫人の目からはポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「お医者様も手を尽くしてくださったの。でも、こんな症例は知らないって……眠っている以外に、どこも悪いところがないのよ」
「……眠る直前に飲んでいたウイスキーは夫人もお飲みに?」
「いえ、わたくしは元々飲まないのよ。だからお医者様も気にしてらっしゃったのだけど、既にウイスキーは宮廷で調べてもらっていて、」
「失礼するよ」
突然男性の声がして、驚き続きつつも扉の方を振り向いた。そこには、さっき治療したばかりの騎士のリチャード様がいた。オリビア様がほんのり頬を赤くしながらリチャード様に驚きの目を向けた。
「リチャード!?どうしたの?」
「ロマネリコ家にアーシェ嬢を連れて行ったと聞いたから様子を見に来たんだよ。君たちこそ突然どうしたの」
「ロマネリコ卿をアーシェさんに診てもらっていたのよ」
「いじめてたんじゃなくて?」
「そ、そんなわけないでしょう!?」
赤くなったオリビア様に、ははっと爽やかに笑いかけたリチャード様は、仄暗い部屋の中で短い金髪を輝かせながらにこやかな視線を私に向けた。
「すごいね、アーシェ嬢。こんな病気も診れるんだ」
「いえ、そんなことはありません。分からないことばかりです」
そう答えながら肩を落とすと、リチャード様はそうか、と頷いた。
「この奇病については宮廷お抱えの医師も調べていたそうなんだけど、原因が掴めないらしいんだ。そう簡単にはわからないだろうし、気を落とさないで」
「ありがとうございます……」
「……大丈夫、俺は呪いみたいな変な噂は信じてないから」
リチャード様は少ししんみりした雰囲気でそう言った。きっと、皇太子の呪いというのは信じていないと、そう言ってくれているんだろう。なんだかほっとして微笑み返す。リチャード様はそんな私を見て満足そうに頷くと、オリビア様に手を差し出した。
「ということでオリビア、帰る時間だよ。俺とのディナーの約束忘れちゃった?」
「も、もちろん覚えていますわ!」
「良かった。じゃあ行こうか。アーシェ嬢、まだ少し時間があるし宮殿まで送るよ」
そうして退出を促される。オリビア様の用事があるのであれば仕方がない。また来ますと言って頭を下げると、ロマネリコ夫人はハンカチを握りしめながらほんのり笑って頷いてくれた。
オリビア様の馬車に三人で揺られる。リチャード様の隣に座るオリビア様はしかめっ面で頬を染めていた。
……婚約者の目の前で、完全に照れている。微笑ましく思いつつなんとなく目のやり場に困って、馬車の外に目を向けた。賑やかな帝都の街には傾いたばかりのオレンジ色の日の光が降り注ぎ、建物や木々の影を少しずつ長く伸ばし始めていた。
「――随分とあちこちに出かけているようだね」
宮殿入口の広場で馬車を降りると、背後から不意に声をかけられた。少し嗄れた硬質な声。ぴり、と緊張感が走る。
この声は……
息を呑みつつ振り返る。紫がかった暗い色の上質なガウンに身を包んだ初老の男。元老院議員、ハイラス・ガルシア。夕日に照らされた宮殿の長い影の中に立つハイラスは、老いが目立ち始めた顔に厳しい雰囲気を漂わせていた。
「ハイラス様、この者は――」
「言わずとも分かっている。クロヴィス殿下が連れ帰った属国のお尋ね者だろう。それに、既に一度会っている」
紹介しようとしてくれたリチャード様の言葉を被せるように遮ったハイラス様は、私に榛色の冷たい目を向けた。
「――黙って離宮に飼われていれば良いものを。このように出歩いては余計な面汚しだろうに」
「ですが彼女は、」
「冤罪だと言うのだろう?そんなのは関係ない。どうせ皆好きなように噂をする。殿下を慕って帝国へ来たのであれば、せめて殿下の面目が保たれるよう過ごすべきだ。あちこち出歩いておかしな噂ばかり立てられては皇太子としての格が落ちる」
そうしてハイラス元老院議員は遺憾の意を全身に纏いながら私を睨みつけた。
「帝国でのろくな後ろ盾もなく不用意にうろつけばあっという間に弱みを握られる。不本意な噂で済めばいいが、それだけで終わる訳も――」
「心配ありがとう、ハイラス」
その声にぱっと顔を向ける。夕暮れの風にゆれる、ブロンドの髪と長いフロックコート。思っていた以上に皇太子殿下な姿のクロヴィスが、離島で見たのとは違う上品な笑顔を乗せてこちらに歩いてきていた。
リチャード様が恐縮したようにさっと頭を下げる。ハイラス元老院議員もすぐに頭を下げたが、再び厳しい表情で顔を上げた。
「心配どころの騒ぎではないでしょう、クロヴィス殿下。今離宮はこの者の噂話で大騒ぎだ。ただでさえ数ヶ月の殿下のご不在で不安定な中、この者をうろつかせて不本意な噂を量産して、どうするおつもりか」
「アーシェはトルメアで一番の光魔法の使い手だよ?何かできることがあるかも、と動いてくれてるんだ。それを止める気もないし、こうして味方も増えてきたじゃないか」
クロヴィスは外行きの綺麗な表情でリチャード様に笑いかけた。リチャード様はもう一度騎士の礼をしている。その向こう側に見える馬車の窓には、オリビア様がすごい形相ではらはらしているのが見えた。
ハイラス元老院議員はそんな私達を忌々しく眺めた。ほんのり何か焦っているようなその様子を観察する。何をそんなに苛立っているのだろうか。
「とにかく、このように出歩くのはやめさせるべきでしょう。護衛もつけてらっしゃるが、物理的な攻撃だけから守れば良い訳ではありません。もし――」
「あまりいじめないであげてよ、ハイラス。かわいい甥が初めて連れてきた子なんだからさ」
その声に、ハイラス元老院議員はぴく、と動きを止めた。それから、深々とあたまを下げる。
少し長い金の髪。明るい青の瞳。白地にふんだんに刺繍が施された、一目で一級品とわかる服装。
クロヴィスと似た色の美丈夫は、私にその美しい顔を向けて柔らかく微笑んだ。
「やぁ、はじめまして。クロヴィスの叔父のイザークだ」
クロヴィスの叔父――イザーク・アストロワ。現皇帝陛下のかなり年の離れた弟で、叔父といっても見た目はかなり若く、クロヴィスよりも少し年上ぐらいの雰囲気だ。長めにふわりと揺れる少し長い髪が艶っぽいイザーク殿下は、甘めの顔でにこにこと私を見ている。
クロヴィスに似ているのでうっかり親しげにしてしまいそうだが、この方ももちろん皇族だ。しっかりと頭を下げ、丁寧に名乗る。
「トルメア国より参りましたアーシェ・フェルメンデと申します。この度はお声がけ至極光栄にございます」
「ありがとう、でもそんなに畏まらなくても大丈夫だよ。ほら、顔を上げて」
イザーク殿下はそうして私の顔を上げさせると、満足そうに頷いた。
「なんだよクロヴィス、可愛い子連れて帰ってきたじゃないか」
「からかわないで下さい、叔父上。……お久しぶりです」
クロヴィスがそう言うと、イザーク殿下は嬉しそうに顔をほころばせた。
「ほんと、心配かけさせるなよな。本当に死んだんじゃないかって絶望しかけてたよ」
「そんな簡単に死にませんよ」
「僕の中のクロヴィスは、いつまでも僕をイザークお兄様〜!って追いかけてくるちっちゃいクロヴィスだからさ、心配で」
「やめてください……完全に幼児の時の話じゃないですか」
クロヴィスはめちゃくちゃ嫌そうな顔をした。そっか、クロヴィスも普通に子供の頃があったんだ。可笑しくて思わずふっと笑うと、クロヴィスは拗ねたように私を見た。
「笑うなよアーシェ」
「申し訳ございません……クロヴィス殿下もお可愛らしい時があったんだなと」
「……わざと綺麗な言葉で返さないでくれる?」
「ふふふ」
そうして笑っている私とクロヴィスを、イザーク殿下は面白そうな顔でキョロキョロと見た。
「へぇ……本当に仲良しなんだ」
「やめてください叔父上、ニヤつきすぎです」
「ふふ、ごめんね。クロヴィスがこんな風になってるの見たことなかったから嬉しくて。なるほど、みんなが騒ぐのも頷けるな」
そう言うとイザーク殿下はにやりとクロヴィスに笑いかけた。仲の良い叔父と甥っ子の様子を微笑ましく思う。
そんな和やかな空気の中、ハイラス元老院議員だけが終始無言のままだった。イザーク殿下はハイラス元老院議員のほうに顔を向けると、その曇った表情に大丈夫だよ、と声をかけた。
「ほんとハイラスは心配性だね。アーシェ嬢がクロヴィスの周りにいるのがそんなに心配?噂なんてあっという間に落ち着くよ」
「……それでもこの者を排除したいと思う者はいるのではないですか?」
「そんなのクロヴィスがなんとかするから大丈夫だよ。ねぇ?」
「もちろんです」
「わぁ、あれかな、溺愛ってやつ?」
似たような綺麗な顔でクロヴィスにニヤリと笑いかけたイザーク殿下は、まぁでも、と私の方に視線を向けた。
「そうは言っても、暫くいなかったクロヴィスはあれこれ忙しいだろうからね。アーシェ、困ったら僕のことも頼ってくれたらいいよ」
「そんな、恐縮ですイザーク殿下」
「はは、畏まりすぎだってば。可愛い甥の連れてきた子だもの、同じように僕を頼っていいよ」
そうして優しく微笑んだイザーク殿下はおもむろに私の手を取った。なんでもないように持ち上げられたその手に、自然な動きでイザーク殿下の唇が近寄る。
えっ?と思うのと同時か、それよりも少し早く。気が付いた時には、クロヴィスの手が、持ち上げられた私の手の上にスッと乗っていた。
「駄目ですよ、叔父上」
呆気に取られたままクロヴィスの顔を見る。
クロヴィスは微笑みを浮かべていたけれど。
その目は、笑っていなかった。
「ふふ、なんだい。ただの挨拶だろう?」
「挨拶は似たような仕草のみです。叔父上は触れるおつもりでしたよね。いくら叔父上でもそれは駄目です」
「バレたか……ごめんって。ちょっとした出来心だよ」
いたずらが失敗して苦笑いをするイザーク殿下は、私の手を離してごめんごめんと距離を取ると、もう一度子供のような無邪気な表情を浮かべた。
「ごめんね、クロヴィスが女の子に関わってるのあんまり見たことなかったから、思わずからかいたくなって」
「だからからかわないで下さいと言っているじゃないですか……アーシェに手を出したらいくら叔父上でも許しませんよ」
「ふぅん……言うようになったじゃん」
イザーク殿下は意味深な……なんというか、今度は妖艶な笑みを浮かべた。その笑みに、クロヴィスは微塵もたじろがず対峙する。
イザーク殿下は、ほんのり寂しそうに、ふっと微笑んだ。
「……本当に大きくなったね、クロヴィス」
「だから……いつまでも子供扱いしないでください」
「…………嫌だと言ったら?」
「なんでですか。俺はもういい大人ですよ」
「わかってるんだけどね。ほら、親心っていつまでもあるもんだろ?」
「親じゃないでしょう叔父上は」
「冷たいなぁ」
肩をすくめたイザーク殿下は爽やかに笑うとハイラス元老院議員の方へ振り返った。
「僕も結局二人の邪魔をしちゃったよ。ハイラス、もう行こう。恋路を邪魔するとアストロワの女神に蹴られちゃうからね」
そう言って背を向けたイザーク殿下は、ピラピラと手を振りながら何処かへ行ってしまった。ハイラス元老院議員も難しい顔をこちらに向けてから、軽く会釈して帰って行く。リチャード様は、目立つ場所で馬車を下りてしまって申し訳ないと恐縮しながらオリビア様と帰って行った。
皆が帰った広場は閑散として静まり返っていた。傾いた夕日はそびえ立つ宮殿を赤く染め上げ、私とクロヴィスの影を長く伸ばしていた。




