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2-2 暗雲

「……帰ったか」


「ご心配おかけしました、父上」


 巨大な宮殿の最奥。重厚な扉の前には厳重な警備が敷かれている。


 人払いがされた皇帝の執務室。その日突然帰還した皇太子クロヴィスは、大きな椅子に体を沈ませた皇帝に丁寧に頭を下げた。それを、精悍な顔つきの皇帝がじっと見つめる。


 久々に見る息子の美しい所作。皇帝アイゼンは息子そっくりのその顔に疲れを宿しながら、やれやれと深いため息を吐いた。


「……生きてたか」


「当たり前です」


「当たり前?あの時期にあの航路を通って生きているのが不思議なぐらいだろう」


「それでも、生きてますから」


 はっきりとそう言い返したクロヴィスの言葉に、重い空気を宿した皇帝は、その厳しい表情をさらに歪めてクロヴィスを睨みつけた。


「お前、本当に分かっているのか?」


「何をですか」


「周りのものがお前の遭難によりどれだけ心を砕いたのかだよ」


 はぁぁ、と思いため息を吐いた皇帝は、厳しく歪めた顔を再びクロヴィスに向けた。


「…………ほんと、心配かけさせやがってこのドラ息子」


 ほんのり目に涙を浮かべたアイゼンは、キュゥと目頭を抑えると、責めるように息子をにらみつけた。


 それを、クロヴィスは飄々と受け流す。


「別に遊んでたわけじゃないです」


「……じゃあなんだよあの子」


「なんだよ、とは?」


「あのね……」


 皇帝は不機嫌そうにそう言うと、がばぁと立ち上がった。


「いいか!?俺は愛息子が遭難したと思って心配してたんだよ。それなのに、あんな可愛い子連れ帰ってくるなんて、パパは聞いてない!」


「きも」


「きもくない!きもくないだろ!?ほら、ちゃんと説明しろこのバカ息子!」


 涙目のいじけた表情のアイゼンにうんざりした顔をしながら、クロヴィスは仕方がないとこれまでのことを話した。


 案の定、いつもの調子に戻ったアイゼンは、ニヤニヤとしながらクロヴィスの話を聞き始めた。


「へぇ……追放されたトルメアの元筆頭聖女か。だからあんなにハイラスが騒いでるんだな」


 話を聞いたアイゼンは、嬉しそうに頬杖をついてクロヴィスの顔を覗き込んだ。それを嫌そうにクロヴィスが睨みつける。


「……面白がってるでしょう」


「もちろんだよ。美しい離島でそんなウフフアハハな生活をしてたなんて。パパは息子の成長が嬉しい」


「黙れエロ親父」


「おぉこわ、照れるなって。ねぇママ」


 アイゼンがそう呼びかけると、執務室のソファーで温かいお茶を飲んでいた皇后エターシャが顔を上げた。白い肌に、切れ長のアイスブルーの瞳。賢后と呼ばれるエターシャは、その落ち着いた――悪く言えば表情に乏しい冷たい見目から、氷の后と呼ばれていた。今日もその名の通り、落ち着いた様子でエターシャは立ち上がった。クロヴィスと同じ明るいブロンドのストレートヘアが、肩の上でさらりと揺れる。


「………………っ、た……」


「母上?」


「――っ、無事に、帰って来てくれて、良かった」


 とたんに、ぶわりと両目に涙がせり上がり、一気に溢れだした。アイゼンが慌ててハンカチを差し出す。


「泣かせた!クロヴィスがママを泣かせた!」


「……っ、ごめ、なさ……」


「エターシャなんで謝るの!?」


 アイゼンはぎゅっとエターシャを抱きしめ、優しく頭を撫でる。見目の良い二人の、とても仲の良い、美しい姿だったが。


 クロヴィスはうんざりとした表情で、嫌そうに口を開いた。


「……ちょっと母さんと話させてよ」


「嫌だ!泣かすだろうお前!」


「う、ごめ、なさ……」


「泣くなエターシャぁぁぁ!」


 クロヴィスは疲れたようにどさ、とソファーに座った。こうなってしまっては落ち着くまで待つしか無い。仲の良い夫婦で幸せな幼少期を過ごしたクロヴィスだったが、正直言ってもう少し落ち着いて欲しかった。


「でもあんた案外やるじゃない。女の子とかあんまり興味ないんだと思ってたわよ」


 赤ん坊を抱いた里帰り中の姉のマリアナがニヤニヤとしながらクロヴィスに言った。ひたすらに嬉しそうなその顔は母親と瓜二つだったが性格は真逆だった。


「トルメアの様子がおかしいのはわかってたけど、まさかここまでとはね。それを正すために帝国に連れてきたんだろうけど……うふふ、それだけじゃないんでしょう?ねぇ、あの子のこと好きなの?クロヴィスぅ」


「好きだよ」


 途端に全員が動きを止めた。誰もが目を丸くしてクロヴィスを凝視している。


「…………なんだよ」


「っ、ごめん、ときめき過ぎて胸が苦しい。パパ、あとはお願い」


「ムリムリムリムリ!俺も今恋に落ちそうだったから!」


「!?」


「ちがっ……!嘘だよエターシャ!僕は君一筋だ!!!」


 なんだコレ。クロヴィスは疲れたように眉間を揉んだ。


「ねぇ、クロヴィス……もしかしてだけど、あんたまさか本気なの?」


 落ち着きを取り戻した姉が探るようにクロヴィスに言った。その言葉に、父親と同じ色の翡翠の目がちら、と向けられる。


「……本気だよ」


 クロヴィスが落ち着いた声でそう言うと、マリアナが驚いた顔で口を覆った。


「うそ、ほんとに……?そりゃあ貴族子女であれば大丈夫だけど、ちゃんと問題ないか調べたの?」


「もう調査の依頼は出した」


 その言葉に姉はふわりと目を開いた。それを聞いていた父親が、少し真面目な顔に戻ってニヤリと笑う。


「……それだけ本気ってことか」


「えぇ。迅速に確認をお願いします、父上」


「あぁ。というか、お前が器有りと判断したんだ、基本は問題はないだろう。それよりも……なんて言って連れてきたのかのほうが気掛かりだ。皇太子の隣に立つ者を決める際には、国としての判断の前に勝手に動いてはならない。その決まりをお前が破るとは思えないし……そうなるとなんて約束してあの子を連れてきたんだ?」


「……何も」


「…………なにも!?」


 ギョッとして目を剥いた父親に、うんざりとした顔を向ける。だから、苦労したのに。


「本当に、早く処理してくださいね、父上。このままじゃ俺はただの遊び人だ」


「遊び人!!?」


「待ってクロヴィス、あの子に何したの!?」


 父親も姉も前のめりでクロヴィスに食いついた。面倒だなと思いながら、クロヴィスが答える。


「別に……とにかく一緒に来たくなるほど惚れてもらえるように必死で頑張っただけ」


「ほっ……惚れて、貰えるように!??」


「他にもやり方あっただろう!?」


「それで帝国に連れてきて他の男に掻っ攫われたらどうするんです。俺のことを大して好きでもない状態で他の男がわんさかいるここに連れてこられるわけないでしょう。……アーシェを口説いていいのは俺だけです」


 キャァーと変な声を上げる姉上を睨みつける。外野は呑気なもんだなと、クロヴィスは疲れたように視線を逸らした。


 アーシェと俺が共にいるためには、まだ山ほどの課題を排除する必要があった。


「とにかく……アーシェはトルメアのレオナルド第一王子を探すのと、反皇太子派のあぶり出しのためにこれから動くつもりです。どうせ隠れたって目立つんだ。こうなったら俺も全力で動きます」


「なるほど……そこまで本気ってことなんだな。あの子のことも――お前を陥れた奴に対しても」


 皇帝と父親の顔を両方覗かせたアイゼンがそう言うと、クロヴィスは頷き、そして顔を曇らせた。


「……人が一人死んでますからね」


 そうポツリと告げると、重い空気が部屋に満ちた。優しくエターシャを座らせたアイゼンが、ぽんとクロヴィスの肩を叩く。


「……トリムは若いが優秀な航海士だったな。残念だよ」


「…………トリムの家族は?」


「ちょうどお前が出港した頃から行方不明だ。……新妻も、赤ん坊も」


「…………」


 クロヴィスはぐっと目を瞑った。脳裏に浮かぶのは嵐の中甲板に立つトリムの姿。想定とは異なる航路を進んだ船は、離島近くで大嵐にあった。通常、この季節は大嵐を避けるためこの航路は通らない。そんなのは優秀な航海士であるトリムなら百も承知なはずだった。


 激しい嵐の中、クロヴィスは本来通るはずの航路を通っていないことに気が付いた。嵐に揉まれながら皆でトリムを探す。


 トリムは荒れ狂う甲板で、嵐の中びしょ濡れになりながら、真っ黒くうねる海を一人眺めていた。


 ――すみません、クロヴィス様。


 振り返りざま、トリムはそう言った。


 ――このまま進めば島があります。そこなら、きっと命は助かります。今までありがとうございました。どうか、お元気で。


 そう言うと、トリムはトンッと海の上に飛び出した。手には剥き出しの短剣。波しぶきに鮮血が混じり、あっという間に真っ黒い波に飲み込まれる。


 それが、離島へ流れ着く直前のことだった。


「トリムは、自ら命を絶った。あれは、ただ航路を間違ったんじゃない。――あの航路を通らざるを得ず、何らかの理由で死ななきゃ行けなかったんだ」


「…………妻と子供も、恐らく死んでるだろうな」


 アイゼンが低い声で静かにそう言った。その表情は、先ほどとは違い、皇帝の威厳を保っていた。


「これから、トリムに何があったか調べます。恐らく俺を殺したい誰かでしょうけど」


「…………クロヴィス」


 アイゼンが重苦しい声でクロヴィスに呼びかけた。何かあると悟ったクロヴィスは、黙って父親に視線を向ける。


 アイゼンは厳しい表情でぱさりと紙をテーブルに乗せた。


「原因不明の病が発生している」


「原因不明の病……?」


「目立った症状はない。ただ、目覚めないのだ」


 リストには複数の名前があった。それを確認するクロヴィスの表情が曇っていく。


「――っ、なぜ、俺の周りの者ばかりが」


「…………巷では海で死んだ皇太子の呪いだという噂が流れていた」


「は!?ばかな、」


「そう、馬鹿げている。ただ、一部の者たちが信じ始めた。そして皇太子の座がぐらつき始めたちょうど今――お前が、帰ってきた」


 そして、アイゼンはもう一枚の紙をぱさりとテーブルの上に置いた。それを手に取り、クロヴィスは目を見開いた。


「――まさか」


「昨日、事情を深く知る者から知らせが届いた。……思った以上に、闇が深いかもしれない」


 アイゼンは、厳しい表情のままクロヴィスに翡翠色の目を向けた。


「これがこの件と関わっているのかは分からない。これは私の勘だ。ただ、もしこのことが――トルメアで『禁術』が持ち出されたことと、アストロワ帝国の原因不明の病が関連しているのだとしたら――アーシェ嬢は間違いなくこれからも命を狙われる」


「……これを、知っているのは」


「ここにいる者と手紙をよこした者だけだ。いいか――禁術については口外が禁じられている。アーシェが知ることも許されない」


「しかし、」


「駄目だ。筆頭聖女が禁術の存在を知る事自体危ない。もっと危険に晒すことになるぞ。……もっとも、お前が言う通りの子なら、勝手に禁術の存在に気づいてしまいそうだがな」


「……そうですね」


「つまり、非常に危険だということだ。……目を離すなよ」


 ざわ、と夜の風が強く吹く。黒い雲が流れ、窓の外に輝く月に陰がかかった。


「この陰謀は必ず打ち砕く。世界がおかしくなる前に、迅速に処理しなければいけない。それでも、お前があの子を欲するなら――アーシェを守り抜け、クロヴィス」


 その言葉は鉛よりも重く響く。クロヴィスはぐっと手を握ると、皇帝と同じ翡翠色の目に強い意志を宿し、静かに頷いた。

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!!!

本日より始まりました第二章、楽しんで頂けているととても嬉しいです。

もちろん最終話まで執筆済み!ざっくり朝晩投稿の予定です。

ぜひ最後までよろしくお願いします。


いいねブックマークご感想ご評価してくださった方、本当にありがとうございました!

とても嬉しいです!

どんな形でもいいので、引き続き応援してくださると嬉しいです!


アーシェとクロヴィスはこのあとどうなるのか?怪しい奴らは倒せるのか?ぜひ最後までお楽しみください!

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