1-27 船出
「その、ここでいいから……」
「一緒に行く」
出港する船……から戻ってきた、いつもの小屋の前。
私の手を強く握ったクロヴィスの目は、据わっていた。
少し前、私はクロヴィスに手を引かれ、船に乗り込むための小舟に向かった。小舟には何故か目をゴシゴシしているジョイさん。その近くには妙にニヤニヤしているケビンさんがいた。
ちょっと恥ずかしい。そう思いながらクロヴィスに続いて小舟に乗り込もうとして――そして、半分だけ小舟に入れた足をピタリと止めた。
「あ」
「……え?」
「待って、荷物。何も持ってきてない」
何をしているんだ。完全に身一つで、下着の1枚すら持っていなかった。格好悪いなと苦笑いしながらクロヴィスに謝る。
「ごめんなさい、直前までくよくよ悩んでたから何も持ってきて無くて……本当に申し訳ないのだけど、すぐに荷造りするから十分ぐらいここで待っ「だめ」
クロヴィスは被せるように拒否した。困惑して首を傾げる。
「えっ……?なんで?本当にすぐだから、」
「絶対に駄目だ」
何故かとても必死なクロヴィスが私の手を逃がすまいとぎゅっと握り、少し怖い顔を私に寄せた。
「気が変わりそうだからダメ」
「そんな事無いってば!ちゃんと一緒に行くわ!それに服も何も無いし、」
「じゃあ俺も行く」
「えぇ……」
そうしてぎっちり手を握られたまま、領主の屋敷に戻ってきたのが数分前。そして、冒頭に戻る。
「……その、ここで、」
「一緒に行くから」
「いやでもほら、見られると恥ずかしいものもあるし、」
「……嫌だ」
小屋の前。流石ににここで待ってては通用すると思ったのだけど。クロヴィスは頑なに私の手を離さなかった。
「……どうしても?」
「どうしても」
「しょうがないなぁ……」
諦めて手を繋いだまま小屋の階段を登る。ちなみに何故かジョイさんとケビンさんまでついてきた。流石に小屋の中には来ないみたいだけれど、何故か気合を入れて護衛を――いや、監視をされている気がする。
逃げないんだけどな……。あまりの気合の入れっぷりにやや引きながらも、クロヴィスと一緒に小屋の中に入った。
小屋は朝出てきた時そのままの姿で、のんびりと私を待っていた。
タニアさんにもらった綺麗な古布をかけた木箱のテーブル。小屋のガラクタの山から掘り出して磨いた金属の器。オイルを足して灯した古いランプや、ぜんまいをなんとか巻いて使っていた古い柱時計。
そのどれもが古びていて、埃を被っていたものだけど。数ヶ月暮らした今、そのどれもがとても愛おしかった。
「――寂しい?」
ふと、その声が聞こえて振り返る。クロヴィスが、少し……いや、とても心配そうに私のことを見ていた。
あまりにもその顔が不安げで。私は思わず吹き出した。
「……笑うなよ」
「ふふ、ごめん、なんだか捨てられそうな犬みたいで」
「……言っておくけど、数分前までもうアーシェには会えないかもって絶望してたんだからね」
「ごめんごめん」
笑いながら安物の布製の鞄を手に取った。
離島に逃れる道中で買った、安物の鞄。それに必要なものを詰めていく。
くたびれてしまったワンピースに、お気に入りのストール。手作りの軟膏と、ハーブティーも瓶ごと鞄に入れた。タニアさんがくれた古布も小さく畳んで鞄に入れる。それから、少し悩んでお茶用に使っていた金属の器も布鞄に入れた。
お気に入りのものは沢山ある。でも、持っていけないものは多い。
窓の外には朝起きるたびに毎日見ていた美しい島の景色。庭にはここに初めて来た時に食べた、黄色いフルーツが揺れている。
ほんの少しその景色を楽しんでから、カチャリと窓を閉めた。
ほんとうは、ボロボロにならないように板を打ち付けたほうがいいんだろうけど。きっとまたここに来て手入れをしよう。そう思って、窓から離れた。
入れられるものは空の木箱にしまって、パタンと蓋を閉じる。ふと小屋の隅を見ると、端っこに追いやられたように筆頭聖女のローブが丸まっていた。
それを手に取り、パンパンと埃を叩く。
「船でお洗濯ってできるかしら?」
「もちろん。ピカピカにしてあげるよ」
「自分でやるわよ!」
「遠慮しなくていいのに」
そんな会話をしながら、今思うとしっかりとした生地感のローブを布鞄に入れた。
荷物はあまり多くない。あっと言う間に荷造りを終えて、小屋を出る。
扉を閉じる前に、もう一度部屋を見渡した。
――ありがとう。心の中でそう呟いて、パタンと扉を締めた。
「…………鍵は?」
「あ」
「嘘だろ」
「……さぁ、行きましょう!」
誤魔化すようにクロヴィスの手を取って階段を降りる。
「ほんと、最後まで鍵つけないなんて。俺があげた鍵はどうしたの」
「大きすぎてはまらなかったのよ」
「そういうこと……」
「クロヴィスは過保護なんだよ」
笑いながらケビンさんが後に続いた。布鞄とすっかり忘れていた大金を、ジョイさんが無言で持ってくれる。いいのにと思ってジョイさんを見ると、ジョイさんは嬉しそうに、ほんのり微笑んで頷いた。
古い石畳を抜け、領主の屋敷の外に出る。きちんと蝶番がくっついた鉄の扉をしっかりと閉めて、魔法石の付いた鍵を取り出した。
カチャリと扉を閉めると、魔法石がキラリと光った。
「いつかまた来るね」
そう小さくつぶやいて。私は三人の仲間と一緒に、領主の屋敷を後にした。
「アンナさん」
「ドムさん!」
砂浜には他のみんなと一緒に、さっきまでいなかったドムさんがいた。ニコニコと微笑むドムさんに駆け寄る。
「来てくれたの?」
「そりゃあそうじゃ。良かったよ、アンナさん。元気でなぁ。みんな来たがったんだが、今日は田植えの日だからの。儂が代表で来た」
「ありがとう、ドムさん……」
ほんのり涙目になりながらドムさんの手を取る。ドムさんはまるで我が子を見るような目で優しく微笑んだ。
「なに、後のことは気になさんな。みんな分かってるから。……元気でな、アーシェお嬢様」
「……!」
「はは、そんなおったまげなくても」
「っ、だって、」
「顔見れば分かるよ。小さい頃、母上様と遊びに来てくれただろう……君は若い頃の母上様にそっくりだ」
懐かしそうにそう言ったドムさんは、おぉ、と気がついたように背後にあった荷車を指さした。
「そうじゃ、せっかくだしと思って持ってきたんじゃ。アーシェお嬢様、これに光魔法付与をしてくれんか?」
「これ……解毒の薬草を煎じた薬ね?」
「あぁ。田植えでは虫刺されが多いからなぁ。特に凶暴な蜂にやられるとヤバいからの。もう隠すこともないだろう。ぱぁっと筆頭聖女の光魔法を見せておくれよ」
本当に、全部知ってて黙ってくれていたんだ。みんなの優しさを感じながら、たくさんの小瓶に向かって手をかざす。
『――浄化付与』
ぱぁ、と白い光が強く輝く。
私の光魔法のまっさらな白い光は、鮮やかな色も金粉の輝きも無いけれど。それは、白い砂浜の上で、明るい太陽のように輝いた。
「あぁ、ありがとう。――綺麗な混じり気のない光だ」
「そう?あんまり色気無いけど」
「馬鹿いいなさんな。一番上等な光だろう」
嬉しそうに目を細めたドムさんは、しわくちゃの手で、私の手を握った。
「ありがとう、アーシェお嬢様。本当に楽しかったよ。この島を出て、アーシェお嬢様の本当の道を進んでおくれ。――貴女が素晴らしい聖女様だったと、この島の皆は知ってるよ」
「……っ、ありがとうドムさん」
「あぁ。元気でなぁ」
握ったドムさんの手はしわくちゃで。でも、とても温かかった。
そうして、ドムさんに見送られながら、小舟に乗って島を後にする。次いで乗り込んだ帆船は、あの日嵐に翻弄されていたとは思えないほどしっかりとしていた。
「こうやって実際に乗ると随分大きく感じるね」
「俺も思った。……乗るの、この島に来た時以来だし」
「ふふ、やっと乗せてもらえたね」
「ほんとだよ」
クロヴィスと笑いながら船べりから島を眺める。
白い砂浜。濃い緑。見慣れた尾の長い鳥が数羽、遠く島の上空を飛んでいくのが見える。
船は、離島を旅立った。
エメラルドグリーンの海が豊かに波打ち、船が透明な白波を立てて進んでいく。
気持ちの良い船出。
私は沢山の思い出を胸に、その美しい島の景色を目に焼き付けるように、いつまでも眺めていた。
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「――行ったか?」
船が旅立って少しした後。光魔法が付与された小瓶が、ガチャガチャと音を立て村の広場に運び込まれた。小瓶の荷車を押してきたドム爺に、よく日に焼け鍛えられた身体のジェムが呼びかけた。
その顔は、いつもアーシェが見ていた穏やかな表情とは違い、厳しさのあるものだった。
その隣にガチャンと小瓶を置いたドム爺は、ふぅ、と腰を伸ばすと浮かない顔を上げた。
「あぁ無事に旅立ったよ」
「なんでこんなまどろっこしい事をしたんだ?」
「まぁ、これで済むから」
「……余計な手助けはしねぇって言ってたじゃねぇか」
「普段はそうだがの」
そう呟いたドム爺は、ジェムの前にのそのそと進み出る。その表情は穏やかに見えたが――ほんのり開いた老いた目には、剣呑な光が宿っていた。
「――流石に旅立ちの日にこれは厳しかろう」
二人の目の前の村の広場には、沢山の村人が横たわっていた。いや、どちらかというと、拘束され倒れているという方が正しいだろう。
漁に出ていた男達。それから、タニアや若い女や老婆、そして子どもたちまで。その表情はどれも凶暴に染まり、口からはグルグルと野獣のような声が漏れている。
さらにその向こう側には、島の者では無い破落戸達が同じように狂乱に陥っていた。
「……こいつら余計なもんばら撒きやがって。しかも片っ端から身ぐるみ剥がしたが解毒剤も何も持ってねぇわ。きっとなんの薬か分からねぇでばら撒いたんだろな」
「あぁ……捨て駒じゃろうな。恐らく儂らが島の者を傷つけるのを躊躇うのを分かっていて、共倒れになるよう狂乱の薬をばら撒いたんじゃろう」
「黒幕様も酷ぇことしやがる。で、これ飲ませればいいんだな?」
顔をしかめたジェムは、その顔をドム爺が持ってきた薬瓶に向けた。その薬瓶は淡く白く光っている。ドム爺は、同じようにそれを見て、嬉しそうに目を細めた。
「そうじゃ。効果てきめんなはずだよ」
「ほんと良く知ってんな、じいさん」
「ほっほっほ、当たり前じゃあ」
キュポンと開いた小瓶から、タニアの口に仄かに光る解毒剤が流し込まれる。すぐにタニアは気が抜けたように穏やかな表情となり、すやすやと気持ちよさそうに目を閉じた。
その様子を見たドム爺は、懐かしそうに微笑んだ。
「――亡き妻とよく一緒に作ったからなぁ」
「あぁ、大聖女だったっていう?」
「そう。美人さんだったよ」
そう呟いて立ち上がったドム爺は、ふぅ、と息を吐いて青い空を見上げた。
「儂も長く生きてきたがなぁ……妻の術を悪用する輩は、流石に許せないねぇ」
「……どうする、これから」
「そうだなぁ」
ドム爺は、少し考える素振りをみせてから、そのにこやかな顔をジェムに向けた。
「ちょいと出かけてくるかな」
一方、村で恐ろしい事があった、その少し後。多くの属国を従える巨大なアストロワ帝国の中心部、帝都。そこでは、人々がざわざわと新しい知らせを口にしていた。
「――帰ってきた?」
そんな帝都の一角。豪華な邸宅の一室に、一人の男の重厚な声が響く。それを聞いた配下の者は、さっと頭を下げた。
「はい。あの帆船は、クロヴィス殿下の帆船に間違いなく」
「…………生きてた、か」
男はそう呟くと、手元に目を落した。美しい彫刻が施された白い煙管。一片の曇りもないそれを、男は大切そうに撫でた。
「その後放った調査隊は誰も帰ってきませんでした。恐らくどこかで身を隠し生きながらえていたのでしょう」
「…………」
「……どうされますか?」
「どう、だって?」
黒樫の机の上には『号外!皇太子帰還』と書かれた真新しい新聞。堂々とした皇太子の絵姿が華々しく描かれている。
それに目を落とした男は、冷たくその目を細めた。そして、その横にあったペーパーナイフを手に取ると、それを思いっきり『皇太子』と書かれた文字に突き刺した。
強い力で叩きつけられたナイフが、新聞を無残に突き破り、分厚い机に突き刺さる。
「――決まってるだろう」
昏い笑みを浮かべた男の目の前で、傷ついた新聞が、窓からの風を浴びてガサガサと音を立てていた。
――第一章 完――
お読み頂きいただいてありがとうございます!
ハッピーエンドかと思いきや不穏すぎるラストでしたが、
これにて第一章は終了です。
「よかったアーシェぇぇ!!」と喜んでくださった神読者様も、
「いやちょっとドム爺びっくりさせないで」とハラハラしたあなたも、
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