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1-2 海の見える小屋

「流石にボロボロすぎね…」


 石畳の道に並ぶ部屋を覗き込んで唸る。


 ボロボロの部屋は手入れをすればまだ住めそうだが、今夜風雨をしのぎ落ち着いて眠るには、現状ではやや心許なかった。


 この地域では突発的な土砂降りが多い。割れた窓から入り込んだ風雨により部屋の中は荒れ、所々床が腐り、虫やネズミがすぐに入り込めそうな様子だった。


 眠れないこともないけれど、現実的には体調を崩さないように、もう少ししっかりした場所を今夜の寝床にしたほうがいいだろう。そう悩みながら点在する屋根付きの部屋をあちこち見て回る。


「ここは構造が違うみたいね」


 敷地の少し奥まった所には、高床式の小屋があった。ここは比較的新しい建物だったのか、木材の痛みが少ない。見たところ、窓も割れていないようだった。


 狭い階段を登り小屋の中に入る。木の扉を開けると、中はホコリだらけだったが比較的綺麗だった。木箱に入った古道具や大きな布、庭仕事用の剪定鋏や鍬が雑然と並んでいる。


「っ、ゲホゲホ、換気しよう」


 歩くとぶわりとホコリが舞い、たまらず窓を開けた。


 ギィ、という音を立てて、長らく使われていなかった窓が開く。


「――――わぁ」


 ざぁ、と吹いた風の向こう。


 藁葺き屋根と庭の緑、古びた赤煉瓦の壁が一望できる、その向こう側。


 日差しを浴びて輝く、広い海が見えた。


 海は宝石の粉を散りばめたようにキラキラと光を跳ね返している。その先には真っ直ぐな水平線。恐ろしいほど青い空には、白い鳥が数匹、気持ちよさそうに羽を広げて飛んでいた。


「――あんなところにいたのが嘘みたい」


 そこには、手を焼いたバカな第二王子も、私を毛嫌いする聖女も、狡猾に揚げ足を取ろうと狙ってくる宰相もいなかった。


 あるのは、ただただ広い青い海と、輝く空。


 聞こえるのは波の音に、鳥の声。日向に緑の葉が揺れて、柔らかな風が私の頬を撫でる。


「……なんだか、あんなに必死だったのがバカみたいね」 


 文字通り、地位も権力も失った。お金もほとんど無く、周りには誰もいない。


 それなのに、こんなにも穏やかな気持でいられるのはなぜだろう。


 役目と責任としがらみから開放されて、濃い緑の中、佇むのはただのアーシェという一人の人間だった。


 ぼんやりと輝く海をながめる。


「――うん。気に入ったわ。この海の見える小屋で暮らしちゃおう」


 少しして、誰に聞かせるでもなくそう呟いてから、私は小屋にあった木箱に手を伸ばした。


 山積みの木箱は思ったよりもしっかりしていた。空の木箱を集めて並べ、ホコリを払ってお日様の下で干した古布を何枚もその上に敷く。雑だけれど、これで急ごしらえのベッドの完成だ。


 引っ張り出した古布の中でボロボロ過ぎたものは敷地内で見つけた湧水に浸し床を拭くのに使った。自分がこの小屋の中で住むために使える場所は、窓際のほんの少しのスペース。それ以外は何だかわからない荷物でいっぱいだ。


 王都で自分が寝ていたベッドを置いたらいっぱいになるほどの小さな空間。それなのに、何故か一城の主になったような気分だった。


「……お腹すいたな」


 日は既に高く登っている。朝、雇った船乗りにお金を渡してすぐ、ぽいっと砂浜に放り出されてから何も食べていない。さっき湧水を飲んだが、流石にお腹は満たされなかった。


「あれ食べれるかな」


 さっきから気になっていた、木にぶら下がっている大きな黄色い実。王都でも似たフルーツを食べたことがある。同じものだと思うけれど……木になっているのは見たことがなく、やや自信が無かった。


「……お腹壊したら自分で治せばいいか」 

 

 自分自身でかける治癒魔法は効きづらいけれど、少しの腹痛ぐらいなら問題ないだろう。それに、何も食べなければどのみち死んでしまうのだから。私は少し悩んだ後、小屋を出てその木の下まで行ってみた。


 手のひらほどの大きな黄色い実。小屋から持ってきた古い剪定バサミを使い、手が届く場所にあった実を収穫する。


「まずは、少しだけ。美味しいかもわからないし、毒があったら大変だし……」


 そう呟きながら、手で黄色い皮を割くようにフルーツを二つに割る。


 爽やかな香りが一気に広がった。割った果実から覗く瑞々しい果肉が、美味しそうな果汁を滲ませている。


 少し観察してから、恐る恐る口に運んだ。


「すっっっっぱ!」


 思わず顔をしかめる。まだ未熟だったのだろうか。


「…………あれならどうかな」


 もう少し木の上の方にある、日の当たる場所。そこにぶら下がっている黄色い実は、今食べたものよりもう少しオレンジがかった色をしていた。


 背伸びでは届かず、木箱を運んできて踏台にし、同じように古い剪定バサミで収穫した。手で二つに割くと、さっきよりも甘い香りがする。


「うん、美味しい!」


 酸味は強いが、爽やかな香りが瑞々しく、ちゃんと甘い。舌が痺れるような害のある様子も特にない。


「これはいけるわね」


 木箱に腰掛けて、木陰の下で爽やかなフルーツを頬張る。そうしてお腹を少し満たしてから、もう一度小屋に戻った。


 やっぱり、生きていくには道具は必要だ。剪定バサミを見つけなかったら、収穫するのに苦労していたかもしれない。人類の知恵は大事だと、他に使えるものがないか探すことにした。


 ガタガタと木箱や古道具を物色していく。雑草を刈る鎌に、薪を作るための鉈や、少し錆びたナイフや釘。止まったぜんまい式の柱時計に、たらいや樽、古びた木の皿や金属の盃。オイルランプもあったが、肝心の油が無かった。


「全部整理したら、もっと使える物がありそうね」


 ふぅ、と床に座って窓の外を見る。あっという間に日が傾き、夜を迎えようとしていた。


「…………お腹すいたなぁ」


 自分の声が、誰もいない小屋の中にぽつりと響く。逃亡途中で買った安い布鞄から、ハンカチに包んだクッキーを取り出した。非常食として持ってきていたものだけど、今こそ食べようと三枚ほどかじりながら、暮れていく海をぼんやりと眺める。


 果物はありそうだけど、流石に自給自足は無理だろう。私は狩りもできなければ、小麦も持っていない。


「この島には、少ないけれど住民もいるわ。明日会いに行きましょう」


 波の音と虫の声が響く静かな夜。


 急ごしらえの、硬いベッド。


 灯りが欲しくてつけた光魔法の淡い光は、銀の輝きも鮮やかな色もなく、ただ白く透明な光で小屋の宙にふわりと浮かんだ。


「なにを、間違ったのかしら」


 後悔はしていない。だけど、もっと、なにかできなかっただろうか。


 そんな気持ちを抱きしめながら、私は硬い古布にくるまった。



***


 翌朝。カーテンのない窓から差し込む明るい日差しですぐに目が冷めた。硬い寝床で寝たお陰で背中や腰が痛い。もう少しなんとかしなければと、ギシギシと痛む身体を起こす。


「今日は島の住民達に会いに行こう。ちょっとだけでも助けてくれるといいのだけど……」


 湧水で顔を洗ってから、洗っておいた古布で顔を拭いて、カバンを開いた。動きやすそうなシンプルなワンピースと靴、下着がいくつかと、道中で見つけたお気に入りの柔らかなストール。そして、辛うじて身に付けていた指輪を売って手に入れた、少しの銅貨が入った袋。


 欲しいものは他にもたくさんあるけれど、何でもかんでも買うお金はない。


「悩んでいても仕方ないわね。とにかく村に行ってみよう」


 鞄には、薄汚れてしまった上等な聖女の服も入っていた。それを小屋の隅に追いやり、必要なものだけ鞄に入れて、柔らかなベージュのワンピースに着替える。


「ふふ、なんだか開放された気分だわ」


 いきなり貴族の娘がこんなところに住みだしたら驚くだろう。私は少し考えた後、自分は『領主の屋敷の管理人として派遣された下級女官』という設定でいくことにした。名前は『アンナ』。急に違う名前にするよりも、アーシェの最初の響きが同じなら慣れやすいだろうとこの名前を選んだ。とにかく、この設定で押し通そう。


 領主の屋敷を離れ、緑に埋もれた小道を進む。生い茂る緑の間から青い海が見えた。領主の屋敷は海から見て少し高台にある。見晴らしの良い場所から海の方を見下ろすと、白い砂浜や岩場に透明な波が打ち寄せているのが見えた。


 美しい景色に心が踊る。見えるのはただただ豊かな自然だけだ。


 暫く行くと、視界が開けてきた。道の両脇に青々とした水田が続く。その先に小さな民家がポツポツと見えてきた。


「こんちには」


 水田の中で作業をしている麦藁帽を被った老人に声を掛けると、老人はのんびりとした様子で顔を上げた。


「おぉ、どっから来なすった、お嬢さん」


「昨日この島にやって来た領主の屋敷の管理をする女官のアンナです。急遽領主様に指名されてこちらに来たのですが、頼る宛が無くて困っていまして……」


 偽名で名乗ると、老人はなるほどと頷いた。


「はぁぁ、そりゃあ大変だね。領主の屋敷はもうオンボロだろ?最近はずっと、ほっぽり出されてたからなぁ……まぁ、殆ど税収も見込めない離島の領主の屋敷なんて、手をかける気にもならなかったんだろうけどねぇ」


「いえ、それでも本来は大事な領地ですわ。これまで申し訳ございませんでした」


「いやいや、君のせいじゃなかろう。それに屋敷は放って置かれたが、島には定期的にお役人さんが来て御用聞きをしてくれているからね。おかげで治安もいいし、満足してるよ」


 老いた男はしわがれた声でそう言うと、首にかけた手ぬぐいで汗を拭った。それから、イテテテと腰を伸ばす。


「すまないね、もうかなり身体にガタがきてて。農作業もそろそろきつくてねぇ」


「少し宜しいですか?」


 おじいさんの背後に周り、そっと腰に手を近づける。治癒の魔法は使いすぎると身体に負担がかかるが、骨や筋肉の位置の調整や保護ぐらいであれば殆ど問題はない。王都を離れると魔法を使える者はあまりいないはずだけど、初歩的な光魔法だし、このぐらいであれば使っても私が誰かはわからないだろう。そう判断して、そっと光魔法を発動させた。


 腰の内部に意識を集中させる。歪んだ骨の位置を少しずつ正し、圧迫されていた神経を保護して筋肉の凝りをほぐす。


 終わったと告げると、お爺さんは腰を伸ばし、本当に嬉しそうに微笑んで頷いた。


「おぉ、こりゃあ大したもんだよ。ありがとうなぁアンナさん。痛くなくなったよ」


「体の歪みを少し治しただけですよ。完治は難しいのですが、続ければ少しは楽になると思います」


「なんと、続けてくれるのかい?」


「暫くこの島にいますから。その代わり、良かったら少し助けて下さると嬉しいです。とにかく今は食べ物が無くて困っていて……ここにはお店はあるんでしょうか」


 そう困ったように言うと、お爺さんは満面の笑みで笑った。


「お店!お店なぁ。店というほどのものじゃねぇが、簡単な生活用品を仕入れてくれている家があるよ。食料品は基本は物々交換だ。なに、心配しなさんな、人が少ない分食い物はいっぱいある。どれ、腰のお礼だ、一旦儂の家に来なさい」


 そう言うと、お爺さんは調子が良くなった腰を嬉しそうに動かしながら、家に案内してくれた。


「タニア、領主の屋敷の管理人になったっていうお嬢さんを連れてきたよ」


「えぇ?領主の屋敷の管理人?」


 恰幅の良いおばちゃんが、台所からヒョイと顔を出した。


「ありゃあ、ほんとうだ。よくまたこんな離島に綺麗なお嬢さんが来たねぇ」


「店を探していたみたいだが、ここにはほぼ無いって教えたとこなんだよ。とりあえず、なんか食わしてやってくれねぇか?さっきちょっとした魔法ってやつで腰を治してもらったんだ」


「え!?腰を!?そりゃあ凄い!あたしも診てくれないかい?」


「もちろんです。気休めかもしれませんが……」


「いやいや、かなり楽になったよ?まぁ上がりなよ。タニア、先に何か食べ物を出してくれ。昨日からみかんしか食ってないらしい」


「えぇ!?そりゃあ大変だ、倒れちまうよ」


 タニアさんは慌てて台所に引っ込んでいった。暫くして、案内された屋根付きのテラスのテーブルに、たくさんの食べ物が並べられた。


 蒸したお米に、野菜と炒めた麺。茹でた卵と、スパイスがたくさんかかった焼き魚に、色とりどりの不思議な形のフルーツ。


「こんなにたくさん、ありがとうございます。何かお礼を」


「いやいやいや、これが腰のお礼だから。遠慮しないでお食べ」

 

 お爺さんはドムさんという名前だそうだ。ドムさんはニコニコと笑いながら、私にこの島の暮らしを教えてくれた。帰り際に渡してくれたのは、たくさんの丸い蒸し芋。とりあえずこれがあればお腹は満たされるだろうけど、明日またおいでと言って送り出された。


 たくさんのお芋を抱えながら小道を歩く。徐々にオレンジ色に変わっていく空と、長い影。媚も妬みも策略もない、穏やかな善意。


 孫や我が子に向けられるような優しさに触れて、涙が出そうだった。その日は昨日よりもぐっすり眠れた気がする。


 それからは、ドムさんとタリアさんに紹介してもらいながら島の人に挨拶をして、生活基盤を整えていった。お年寄りが多いこの島では、ほんの少しの腰や肩の治療でも感謝され、食料や生活用品を分けてくれたり、野生の食べられるものを教えてくれたりした。


 領主の屋敷にはびっくりするほど食べられる植物が生えていた。大きなみかんにレモン、濃厚なマンゴーに、赤く瑞々しい小さな林檎のような実。細長い緑色の房になった青果は、バナナと言って茹でて食べるものだそうだ。最後にドムさんに毛むくじゃらの果物を差し出されて驚いたが、中身は真っ白で柔らかく、とても甘かった。


 どうして領主の館にこんなにいろんな果物の木が生えてるのかとドムさんに聞いたら、多分適当に捨てた生ゴミか何かから勝手に生えたんだろうと言っていた。


 そんなもんかと雑然と生えた木々を見上げる。


 色とりどりの果物が、午後の風にゆらゆらと揺れていた。


 そうして、島のことを学びながら、徐々に島の暮らしにも慣れてきた頃。


 ある酷い嵐の日。真っ暗な海に、その大きな船は現れた。

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