#32 光
『強くなろう,千夏。誰の力にも頼らず勝てるように…』
木下先生を失った時,私たちは夕暮れの体育館でそう誓った。
もう誰にも後ろ指を指されながらプレーしなくても良いように。
もう二度と,自分たちの居場所を失わない為に…
「先輩!」
隣に座る木嶋の声にハッと目を覚ます。
少し昔を思い出してしまった。
あの時に誓ったはずなのに,私はまだ弱かった。
千夏にも先生にも,きっと幻滅される。
「ちゃんとコートを見てください。今のチームの状況を」
木嶋は慌てた様子で喚いている。
なにを焦っているのだ。
あの千夏がガードとして試合を動かしているのに,何を心配する事がある。
千夏は凄いのだ。
中学ではガードの実力が私と同等なのにも関わらず,フォワードとしても実力を示した。
高校に入ってからはその身長を生かしてセンターまでやってのける,本当に凄い選手なのだ。
いつまでたっても成長出来ず,ガードしか出来ない私なんかとは大違いなのだ。
きっとみんなもそう思っている。
本当は,私より千夏の方が――
「先輩!」
「…うるさいなぁ」
木嶋の声にだんだん苛々して,つい昔のような話し方が出てしまう。
こいつは初対面の時から気に食わないやつだった。
突然やってきて,私の部をめちゃくちゃにして。
だからこそ,今日は私の力を見せつけて部から追い出してやる…はず,だったのに……
「あんたにはやっぱり分かんないよ。私の気持ちなんて」
何が,これから先どうなるのかくらい分かる,だ。
知ったように私に説教をしていたが,お前の言う事なんてずっと昔から全部知っている。
ガードとして,キャプテンとしてやっていけなくなってしまった以上,もう未来は決まってしまったのだ。
大切なピースは,私じゃない。
センターとしての制約を逃れた千夏こそ,このチームの柱なのだ。
千夏がガードになったら私の場所はもうどこにもない。
千夏は私より的確にパスを出して,私より上手く立ち回って―――私より,チームの輪に入れる。
私の立場や実力など,所詮はまがい物のメッキだったのだ。
剥がれてしまえば,もうそこには何も残らない。
もうあの約束も,意味がない――
「もう,遅いんだから…」
私の言葉と同時に聞こえる歓声。
きっと,千夏が上手くやったのだ。
今コートを見たら,きっと私の気持ちは折れてしまう。
千夏と一緒だったからこそ保てていた緊張の糸が,完全に切れてしまう。
…それでも,私は見なくてはいけないのだ。
ずっと一緒に頑張ってきた千夏のプレーを,私の目に焼き付ける。
それが,私に出来る最後の仕事なのだ。
そう思って顔を上げた私は,目の前の光景に目を見開いた。
私の目に映ったものは,あの千夏が,相手にボールを奪われカウンターを決められている場面。
右サイドに展開していた1年の平林にパスを出せば何の問題もなく切り抜けられたのに,千夏はそれに気づかないかのように逆サイドへボールを回そうとして,失敗した。
おかしい。
私の知っている千夏は,あんなミスを犯すような選手ではないはずだ。
ディフェンスも腰が入っていない。
あれではお好きにどうぞと言っているようなものだ。
案の定ゴール下にパスが入り,そのまま得点を許してしまう。
ドリブルにもパスにも,どこかキレが無い。
そこにいたのは,私の見たことの無い千夏だった。
「…なんで……」
千夏は何でもできるプレイヤーのはずなのに。
私と違って,天才のはずなのに…
「……」
「ッ?!」
その瞬間,すがるような目でこちらを見つめる千夏と目が合ったような気がした。
そんなはずはないのに,そんなはずは――
妙な気持ちを振り払うように頭を振る。
いきなりの実践で,きっとまだエンジンがかかっていないのだ。
すぐに昔の千夏に戻るはずだ。
「……千夏?」
それでも,結果は変わらない。
何度も千夏はパスのタイミングを見逃し,相手に有利な攻撃をされた。
「千夏……」
そうやってぼろぼろにやられながらも,千夏は必死に相手に食らいついた。
自分に出来る事をしようと,必死に。
あれは演技なんかじゃない。
千夏は本気で戦っている。
「……」
私は,そこで初めて「彼女」を見た。
何でも出来る天才なんて,私が勝手に決めつけた偶像だったのではないか。
私は今まで千夏の何を見てきた気になっていたのだ。
ずっと二人で頑張ってきたなどとどの口が言った。
「私は…」
センターの制約から解き放たれたのではなく、ガードとしての制約を押し付けてしまっただけ。
私の勝手な押し付けで、千夏を苦しめてしまった。
そんな千夏に引っ張られるように、他のメンバーも必死に戦っている。
もしかしたら、他のメンバーも同じように私が苦しめてしまっていたのかもしれない。
強くあろうとした私の心の弱さが、みんなを苦しめてしまった。
私は今まで何を見て、何をやっていたのだろう。
勝手に決めつけ、他人の事なんて何も考えていなかった。
こんな事では、それこそガードもキャプテンも失格だ。
「馬鹿だな……」
すっと、頭の中の霧が晴れた。
今何をすべきか、その答えもすぐに分かる。
私は迷わず、木嶋に声をかけた。
――木嶋、私を出しなさい。




