第二話
朝だった。ツバメの声が聞こえていた。ヒナの大きな声がベッドの上の私にまで聞こえた。
布団が重くて、下着が張り付いている。寝返りを打つと、濡れた枕のカバーが頬に当たった。妙に冷たくて、気持ちが悪い。
起きなくてはいけない。まだ木曜日なのだから。
「ほら、起きろー」
階下からパパの声が聞こえた。幼い子供にかけるような声だった。いつもの事なのに、気持ち悪く思えてしまった。
私は、起き上がれなかった。もう一度熱い布団を被り直した。
枕元に置いてあるスマホが通知音を鳴らした。手を伸ばして布団の中に引き込んだ。スマホのボタンを探り当てて、画面を開いた。
『瑠奈:昨日は大丈夫?風邪ひいてない?』
通知バーにそう書いてあった。バーをスワイプして、布団の外にスマホを伏せた。
階段を上がってくるパパの足音がした。言われることなんかは分かってる。
「かおるー、学校だぞー」
いつもみたいに怒鳴らなかった。
「おーい、半には起きろよー、学校遅刻しちゃうぞ?」
そう言って、パパは階段を降りていった。そのまま玄関が開いた。
「いってきます」
「いってらっしゃーい」
弟の声がした。大きな声だった。
「薫!起きなさい!」
大きな足音と共にママの怒声が響いた。ベッドを叩かれる。うるさくて嫌いだ。
「おきるよ!」
私はそう叫んで起き上がった。
「怒鳴るんじゃないよ!」
ママがそう言って、大きな足音を立てて階段を降りていった。
制服が吊るしてある。紺色のブレザーに赤いネクタイ。別に気に入らないわけじゃないけれど、溜息を吐きたくなる。
私は学校の準備を始めた。
「いってきます。」
いつもの道を歩き出した。駅までが遠い。自転車は怖くて乗れないし、車で送迎してほしいなんて絶対言えないから。
横を走る車が速い。頭上を飛ぶスズメも速い。私も出来る限り速く歩いてみた。勝てるわけもないけれど。
「おはよー」「おはよう~」
前からセーラーを着た人が来ている。自転車だ。横並びになってもまっすぐ走ってくる。
通り過ぎた後の少しの化粧の匂いが鼻を突いた。
学校に着いた。校門を過ぎる頃には、同じ服を着た人がいっぱいだった。
「お、かおるー!おはよー」
みっちーだ、同級生の男の子。中学の三年間、テニス部でずっとペアだった。
「みっちーおはよ」
少し首を傾げて顔を見てくる。
「かおる、元気ないじゃん、どした?」
なんて言おうか考えても、言葉が浮かんでこなかった。
「そうかな?めっちゃ元気だよー」
そう言ってみた。みっちーを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ま、なんかあったら言えよ?じゃーな」
みっちーが呼ばれた方に走って行った。変わらないラケットケースに帽子がぶら下がっていた。
私は重い足を動かしながら、教室に向かった。
「おはよう、かおるん」
桃華ちゃんだった。毎日挨拶してくれる。
「今日はポニテだ~、いいね!似合ってる」
髪を縛らないと先生に呼ばれちゃうから、一応縛ってみてる。
「ありがとー」
そう返事を返しても、いつもの弾丸トークが始まる。面白いのだけれど、そんなことを聞いていたくもなかった。
「――あの、ほら先生来ちゃうからそろそろ座らないと……」
まだあと二分ほどあるけれど。
「かおるん、なんか変……?悩み事?」
言葉が詰まって、喉から出ていかなかった。
教室のドアが開いた。ちょうどよかった。桃華ちゃんは何か言いたげな顔をして、自分の席に戻っていった。
「ごうれーい、」
先生の声が大きい。
「――ま、そんな感じだから今日含めてあと二日頑張れー。はい、号令。」
ショートが終わって、男子が着替え始める。今日の一限が体育だから。
「かおるんー?」
桃華ちゃんが呼んでくる。ドア際でみっちーが待っていた。呼んでくれたみたいだ。
「はーい」
体育着の入った袋とタオル、体育館履きを持って行った。
少し教室から離れて、みっちーが訊いてくる。
「一限体育?」
「うん」
みっちーがごめんごめん、と言い始める。
「いや、あのさ。琉唯に聞いたぜ?大丈夫か?」
また言葉が出ない。顔を見られたくなかった。首を縦に振っておくしかない。
「突然って聞いたからさ。心配しちゃったわ」
みっちーの声がいつもより優しい。
「ごめん、体育って言ってたよな、なんか愚痴吐きたくなったら、いつでも呼んで?な」
少し焦ったようにみっちーは自分の教室に戻っていった。
足が床に張り付いて、動かなかった。
着替えなきゃ。そう思っても、一歩が、前に出なかった。




