8.白鳥の男を見る目
“あの時は、あれからしばらく不安だったなぁ……”
と、高校時代を思い出して稲塚薫は心の中でそっと呟いた。自宅のパソコンで、どれくらい当時の情報が拾えるのか彼は検索をかけて試していたのだ。もし彼が疑われるくらいのデータが残っているのなら、何らかの対策が必要だと考えて。
結果、彼との関連を疑われるような情報は何も見つからなかった。当然かもしれない。どうやら襲われた三城達でさえ、敵対するグループの犯行だと思っていたようだったから。
「……天野さん。ちょっと通報するのが早いよ~」
稲塚が三城達を襲った次の日の休み時間、誰もいない高校の空き教室に天野を呼び出して、彼は彼女にそう訴えた。彼は危うく警察に捕まるところだったのだ。
「何言ってるのよ?」
と、彼女は悪びれる様子もなく淡々と返した。
「もし、あなたが失敗していたら、白鳥は危なかったかもしれないのよ? 早めに通報しておいた方が良いじゃない」
それを聞くと、彼は「あ、そうか。なら、仕方ない」とあっさりとそれを認めてしまった。それに「それで納得しちゃうんだ」と、彼女は脱力する。
「……まったく、失敗していたら、あなただって危なかったでしょうに」
と、その後で彼女は小声で続けたが、彼は特に気にしていないようだった。
「――で、」と、仕切り直すように彼女は言った。
「警察の方は大丈夫なの? 捕まったりしない?」
「今のところは平気だね」と、彼は返した。
「監視カメラが設置されてある道をできる限り避けて逃げたから、多分、見つからないと思う」
監視カメラを避けて逃げられるルートを考えてくれたのは檜倉だった。そういうのを考えるのが好きな性質だとは知っていたが、彼は嬉々とした様子で説明してくれた。何故、彼がそんなルートを知っていたのかは謎だがお陰で助かった。感謝しなければいけないかもしれない。
……もっとも、もし稲塚が捕まったら、犯行に協力した檜倉にまで累が及ぶ可能性が高いからかもしれないが。
三城は現在警察に捕まっている。意識を失った白鳥がいたからほぼ現行犯だし、他にも犠牲になった女性がいると天野が通報している。無事には済まないだろう。
現在の法律では、強姦などの性的な犯罪は親告罪ではない。つまり、被害に遭った女性以外でも警察に訴える事が可能なのだ。
当然ながら、これで白鳥と三城の関係は終わったはずだった。
「――ところで、白鳥さんの様子はどう?」
三城に“売られそうだった”と知ったショックが白鳥にないか、稲塚は心配しているのである。
「意外に平気そうよ? まだ三城先輩を信じているって感じでもなかった。ま、本心ではどう想っているのか分からないけど」
それに稲塚はホッと安心する。
「とにかく、良かったよ。彼女ならきっと、次は“問題のない男”を見つけてくれるだろうし」
それを聞いて、「は?」と天野は声を上げる。
「何を根拠に言っているのよ? あいつ、反省しているって感じでもなかったわよ? 単に運が悪かったくらいにしか思っていないのじゃない?」
「いやいや、大丈夫だって。白鳥さんだよ?」
「だから、白鳥だからなんだってのよ?」
そう言った後で、彼女は小声で、
「……もしあいつに“男を見る目”があったら、あなたをフッたりしないわよ」
と続ける。
「どういう意味?」
と、それに稲塚。本当に分からないようだ。やや不機嫌に「何でもないわよ!」と彼女は返す。
“……あれに関しては、天野さんの言葉が正しかったのだよなぁ”
当時を思い出しながら、稲塚はそう考えた。次の事件は、それほど大きく報道された訳ではなかったが、“ブラックフェイスの仕業”と特定されてしまいそうではある。
“まさか、白鳥さんが、次にあんな男を選ぶだなんて夢にも思わなかった。今でも、信じられないくらいだ”
犯罪……、否、暴力などの問題行動を執ってしまう人間には様々なタイプがいる。大学時代に知り合った鈴谷という女性から教えられたから彼は知っているのだが、三城は脳の一部である扁桃体の機能不全だった可能性がある。
扁桃体は感情に関係がある脳の部位で、ここに何らかの問題があると、感情の機能に影響が出る場合があるらしいのだ。
例えば、罪悪感が消えてしまったり。
ただし、扁桃体に問題がある人が、必ず“問題有りな人物”だとは限らない。善良な人間だってたくさんいるのだ。鈴谷は「ケアによって改善する可能性がある」と言っていた。彼女の言う通りなら、三城だって、もしかしたら、恋人になった女性で金儲けをするような人間にはならなかったのかもしれない。
白鳥の男性の好みは謎である。当初、彼は三城がかっこ良かったから彼女が惹かれたのかと思っていたが、どうも違うようなのだ。彼女は“問題有りな男”に惹かれる。そして、何が基準になっているかは分からない。
もし白鳥愛が、三城のようなタイプの“問題有りな男”に惹かれるというのならまだ理解はできる。しかし、次に彼女が好きになった相手は、三城とは全くタイプが異なっていたのだった。
三城が扁桃体異常による“罪悪感なし”タイプとするのなら、次の相手は超鈍感体質とでも言うべきだろう。
熱も、味覚も、痛みも何もかも…… きっとあまり感じられていない。それ故に“何か”を感じようと足掻いている。彼は、そんな男だった。
……天野が白鳥から聞いた話だ。
白鳥愛は人通りの少ない狭い夜道を歩いていた。友人達と映画を観に行った帰りで、疲れていたものだから、駅までの近道をしようとつい路地裏の道を選んでしまったのだ。普段は通らない。見るからに治安が悪そうだった。
しばらく進むと、彼女はいかにもガラの悪そうな男達がいるのを見かけた。それだけなら彼女もそこまで警戒はしない。しかし、彼らは煙草ではなさそうな何かの蒸気を、電子タバコのような容器から吸い込んでおり、表情が明らかに異様だった。
それで、そこを足早に通り過ぎようとしたのだが、その態度が男達には気に食わなかったらしい。
「何、逃げてんだよ、ネーちゃん」
そうからまれた。
彼女が走って逃げようとすると、回り込まれて駅までの道を塞がれてしまった。それで彼女は細い道に逃げ込んだ。しばらく走ると複数人の男が争っている物騒な音が聞こえて来た。彼女は迷ったが、このままあの男達に追いつかれるよりはマシだと判断した。助けを求めようとその音の方に向かった。
彼女が辿り着いた時、既に争いは終わっていた。ただし、喧嘩が治まった訳ではない。ただ一人の男以外は全員倒れていたのだ。その男が全員を倒してしまったのだろう。
海坊主のような男。
偶に聞く表現だが、当にその表現がピッタリだった。大男で、もし江戸時代辺りだったなら、大入道が出たと勘違いされていたかもしれない。スポーツ刈りで、おにぎりのような頭、既に寒い季節だと言うのに灰色のTシャツにジーンズという格好だった。
腕、足、胴体、身体のあらゆるパーツが常人離れしてぶっ太い。見た目だけで強いというのが分かった。
「助けてください!」
暗く、少し遠かった所為で彼の姿がよく見えなかったから彼女はそう助けを求めたのだが、もし彼の姿がよく見えていたら、きっと助けは求めなかっただろう。何故なら、その時彼は既に血だらけになっていたからだ。顔面は腫れあがり、鼻血が出、口にも血が滲んでいて、指や足や胴体にも多数の傷を負っていた。
彼が既にボロボロだと気付いた彼女は謝罪をして取り消そうとしたのだが、彼はつまらなそうな様子で彼女の方を見ただけで、彼女の助けに応じようとしているようには見えなかったのだそうだ。だから何も言わなかった。が、しかし、それから彼は彼女の傍を通り過ぎると、何も言わないまま、彼女を追って来た男達の内の一人を殴ってしまった。
いきなり殴られるとは思っていなかったのだろう。その男はもろに顔面に拳をくらって弾け飛んだ。他の男達はそれで彼を敵と認識したらしく襲いかかった。
凄い闘い方だったらしい。
彼は攻撃を避ける気がまるでないようで、男達の攻撃を全て受けていた。が、少しも効いているようには思えない。そして、その太い手足を豪快に振るって無言で男達を倒していく……
そんなに時間はかからなかった。
彼女を追って来た男達は、気付いた時には既に全員道に転がっていた。
白鳥愛は彼に対する感謝の気持ちが沸き上がって来ると共に物凄く申し訳ない気持ちも同時に感じた。自分が助けを求めた所為で、彼が更に傷ついてしまったからだ
彼女は彼に何度もお礼と謝罪をし、少し歩いてドラッグストアを見つけると、傷薬や包帯などを買って彼を手当てした。その間、彼はあまり反応をしなかった。ただ、珍しいものを見るような目で彼女を見ていたそうだ。
そして、別れ際、彼女はその男と連絡先を交換したのだった。
その男の名は、首藤ノブオといった。
怪人“刺激に飢えた大入道”である。




