水の触手
「ここ」
未海樹を攫い、行方をくらませた胸花を追って空中を移動していると、ナナがある工場を指差した。
あそこは確か……。
「薬品製造工場か」
平たい豆腐のような大きな建物の煙突からは、今も稼働しているのか白い煙がゆらめいていた。
車庫の目の前に着地する。トラックが何台か止まっている奥に、閉められたシャッターが見えた。
それを破壊するのに躊躇などなかった。シャッターの前まで歩いて一蹴り。ひしゃげたシャッターはバコンッ、と音を立てて吹っ飛んだ。
奥には透明なガラスの自動ドアがある。カード認証が必要なようだったが、強化ガラス程度、容易に割ることができた。受付のような空間を無視し、さらに奥へと進んでいくと、除菌室と書かれた鋼鉄の扉が現れた。
「この奥」
ナナが扉の方を指さして呟く。
この扉は流石に骨が折れそうだったため、両腕にナナの魔法を付与させ、風の爪で切り裂いて進む。
除菌室を抜けた先には、だだっ広い空間があった。巨大な哺乳瓶のような形をした銀色のカプセルが整列し、それに繋がれた細い管が何本も壁沿いを縦横無尽に流れている。
「未海樹は……」
見回してみるが、見当たらない。
「ここ臭い。カンナの場所、分かんなくなっちゃった」
腕の中で、ナナが鼻をクシュクシュと擦りながら言う。薬品の匂いだろうか。確かにツンとした匂いがこの空間には充満していた。
さらに奥へと進んでいくと、一番奥にある一際大きなカプセルの上に人影が見えた。
「……見つけた」
「来ると思ってたよ。雛織くん」
冷たく光る銀のカプセルの上部。そこに立つ人影に、2階の足場部分の窓から漏れる月光が差す。
長い金髪。オーバーサイズのパーカー。目深にかぶったキャップ。モルフォ蝶の羽のように蒼く輝く瞳。その姿は、あの蛇女に間違いなかった。
「それにしても随分早かったね。もしかしてあの子、雛織君のガールフレンドだったりするの?」
胸花が微笑む。会話の中で軽口を叩かずにいられないところが、どこか火種と似ているような気がして缶に触る。
「未海樹はどこだ」
胸花の言葉は無視して、その場にいない未海樹の居場所を問いただすと、胸花は「ん〜」と考え込むような間延びした声を出して、ぴょん、と10メートルはあるカプセルから降りた。
その場でジャンプしたのかと思うほどに体勢を変えず、ストンと着地した胸花は僕を見てニコリと笑う。
「秘密かな」
「なら無理やり吐かせるしかないな。ナナ、お前はどっか隠れてろ」
抱えていたナナを降ろす。そのまま物陰にでも隠れてくれれば自由に戦える。そう思っていたのだがナナは、
「ナナも一緒に戦う」
骨の巻きついた腕に縋りついて上目遣いを向けてきた。
「あ?何言ってる。お前は戦えないだろ」
「戦える。ゆうが……ナナの全部持っていけば、一緒に」
「全部……」
「ん。体と心、全部。そしたらカンナ、取り戻せる」
決然と言い放ったナナの言葉に、僕は目を細めた。
他人に体を委ねる、委ねられる。僕はそういう行為を拒絶してきた。家族が消えたあの夜から、その考えが浮かんだ途端に吐き気を催すようになったのだ。今だってそう。胸の中でザワザワ蠢く何かがある。このザワザワの名前は知らない。だが、知らなくてもいい。消す方法だけは分かっているのだから。
「腕と足だけで十分だ。いいから離れてろ」
拒絶して、遠ざけておけばこの違和感はおさまる。ずっとそうやってきたんだ。これでいい。
「ん」
ナナの手が離れる。そして少し落胆したような背中を見せ、タンクの影に消えた。
「もう平気かな?」
胸花が言う。
「ああ、早めに終わらせよう」
「早く終わるといいけどね。おいで、アスクァエナ」
ゆらりと胸花の背後が揺れ、大蛇が顔を出してくる。
まずは小手調べ。無防備に佇む胸花に向け、両腕を交差させて空気を引き裂く。初見殺しの空気の刃が、床のタイルに跡をつけながら一直線に駆けていく。だが、
パシュン……。
エリスによって創られた闘技場の壁すら破壊して見せた空気の刃は、あろうことか胸花に到達する前に霧散して消えた。
「はあ?」
有り得ない……この左腕の魔法は避けられることはあっても消されることなんて無かった。とゆうかそもそも消せるものなのか?
「奇襲は卑怯じゃない?」
「お前、幾つ魔法持ってんだよ……」
「それ、火種さんも勘違いしてたけど、アスクァエナが使える魔法は一つだけだよ」
ふっ、と胸花が控えめに笑みを作る。まるで、何も知らない僕を嘲るような笑いに、強めの否定が口から出る。
「そんなわけないだろ。現にワープやら経年劣化の促進やらはこの目で確かに見たんだ。そして今もナナの魔法を消した。一つの魔法でできる芸の量じゃない」
「なんでか知りたい?」
そんなに言うなら教えてあげてもいいよと言わんばかりに、胸花は蒼い瞳を細くする。
胸花の言っていることが本当かは分からないが、アスクァエナの魔法が脅威だということに間違いはない。だが、胸花自体の戦闘力はほぼ皆無と言っていいだろう。なら、近接戦闘でケリをつけてやる。
「いらない。調子に乗るな……!」
体を前に傾け骨の足のバネを使い僕は床を蹴る。滝のように景色が流れていく中、胸花に向けて突き立てた爪。だがそれは胸花の体に届く前に、グニュ、とおかしな違和感を捉えた。
「!?」
それは透明に光る水の触手だった。そしてそれが、アスクァエナの体から伸びてきたものだと気づいたのと同時、左腕が触手に飲み込まれた。
「チッ!」
即座に右腕で触手を切り裂く。パシャッ、と左腕に巻きついていた水から粘性が消える。
「勘がいいね。でも、これは避けれるかな?」
体勢を立て直す間もなく、胸花の背から無数の触手が飛び出してきた。
「だから幾つ魔法使えんだよ……!」
「だから一つだけだよ〜。ほれほれ〜」
すぐさま左に転がって避ける。だが、降り注ぐ触手は床に触れるスレスレでぐにゃりと軌道を変え、僕を追尾し出した。
「反則だろっ!?」
「雛織くんは魔法の使い方が下手だね。いつまで寝転がってるつもり?」
「ウゼェ!」
迫り来る触手を背に、壁や空中の足場を使って立体的に動いてみるが、触手の追尾は止まらない。
このままじゃジリ貧だ!
胸花に近づこうにも、アスクァエナの触手がずっと僕を追っているせいで近づけない。空気の刃も効かない。状況は最悪。体力だけが削られていく時間に、だが僕は一つの作戦を思いついた。これならチャンスがあるかもしれない。
「ふっ!」
タンクの側面を足場に、さらに跳躍を重ねる。衝撃に耐えきれずにタンクの壁が破裂したが、関係ない。空中すら足場にして、さらに加速する。
「いつまでぴょんぴょんして……え……」
若干飽きたような口調から一変、胸花の声に焦りが生まれる。
そろそろだな。
縦横無尽に工場内を跳ね回る僕の速度は、とうに触手の反応速度の限界を超えていた。
触手の移動がワンテンポ遅れる。その一瞬の隙を突いた。
「ここ!」
触手を背に、胸花の真上の宙の足場を蹴る。
「くっ……!」
胸花は僕の動きにやっと追いついて見上げてくるが、もう遅い。拳を握り、胸花の脳天目掛け流星の如く急速落下。だが、
「ねぇ、私の目的忘れてない?」
急接近した僕に胸花は少しの動揺も見せず、なんならほくそ笑んで告げた。途端、ぐんっと突然目の前に現れたのは、触手に捕まったナナだった。
「ナナ!?ぐはっ」
触手が僕の脇腹を殴打する。胸花の頭上に差し出されたナナに動揺して隙が生まれてしまった。
地面を転がり顔を上げると、胸花は触手に捕まったナナを撫でている。
「先生から告げられた最優先目標はこの子、終幕個体だよ。戦うことを目的化してるようじゃまだまだだね」
「テメェ……」




