第6話 影踏みと出会い
鬼ごっこをしたことはあるだろうか。
僕は二度三度だけある。
とはいえ村に子供は僕一人だったし、相手はリーチの長い大人のみんな。僕が必死に追いかけても追いつけなかったし、僕が必死に逃げても必ず捕まった。
あの頃は、ゲームとして成り立っていなかった。
だけど、成長した今の僕ならきっと逃げ切れる。
(ダミー人形の弁償をするお金はない! ほとぼりが冷めるまで逃げ切る!!)
覚悟は決まった。
さあ、始めようじゃないか。
弁償と時効を賭けた物騒な鬼ごっこを!
*
と、ロギアが考えている一方で、冒険者たちは全く別のことを考えていました。
(ガキ一人捕まえるだけで金一封!)
(癒術師癒術師癒術師)
(お金をもらってショタを合法的にお触り!!)
それぞれの思想野望渦巻く戦場。
そこにいよいよ件の少年ロギアが現れました。
海の中から。
「……」
完全な想定外。
船から降りてくると想定していた冒険者たちは一瞬思考を完全に止めてしまいます。
水の滴るロギアは外はねのくせっけがぺたんとおりていて、瞼も閉じているため黒目も露呈していません。
そして少年は、遁走を開始しました。
「や、やつだ!! 追えぇぇぇ!!」
「ひぃぃぃぃ」
逃げるロギア、追う冒険者。
むさい男どもが少年を追いかけまわすという何とも異様な光景が広がっています。
だがより奇妙な光景は、見る見るうちにその差が開いていくところでしょう。
「は、はぁ……! 足はやっ!!」
ものの数十秒の出来事でした。
この場に居合わせた冒険者は機動力に自信のある者ばかり。だというのに少年は、既に豆粒くらいの大きさになるほど遠くに行ってしまっています。
「ま、待ってくれ! ロギア君!! 我々は君に聞きたいことがあるだけなんだ!!」
「僕は何も知りませぇん!! ごめんなさいぃぃ!」
ロギアは耳がいいので聞こえましたが、追いかける冒険者たちはロギアの声が聞こえていません。それほどの距離が開いていました。
「く、なぜ逃げるんだ……!」
追いかけるからです。
普通にカフェにでも呼び出せば来てくれたと思いますよ。
とはいえ他国に引き抜かれるものかと警戒している彼には難しい選択肢かもしれませんね。
「私が射貫きます!」
その時、一人の少女が弓を構えたまま前に飛び出しました。そう、試験会場にもいた弓使い、ミュトスです。
ミュトスは走りながら矢をつがえると、弓を引き絞り、放ちました。矢はロギアの右太ももめがけて真一文字に飛んでいきます。そして、矢が突き刺さる、その瞬間。
「そんな、地面を踏み砕いて盾に⁉」
ロギアは強く地面を踏み抜きます。
すると踏み抜かれた地点を中心に大地が陥没し、その分だけ周囲の地面が盛り上がりました。
ミュトスの放った矢は突如として現れた土壁に阻まれ、少年をとらえるには至りません。
「……彼は、何者……?」
獲物に逃げられたミュトスは、奥歯を強く噛み締めました。そして、力強い眼でロギアのいなくなった方角をしばらく眺め続けるのでした。
*
アストレアを中央に抜けて、振り返る。
鬼気迫る様子の冒険者は一人も見当たらない。
どうやら運よく逃げ切れたみたいだ。
「はぁ」
息を吐いた。
乱れた呼吸を整えるとかそういった意図はなくて、ただ、単に、これからどうしたものかと、途方に暮れるように、肺から空気が零れ落ちた。
「アストレアで冒険者になるのは絶望的だよね……」
思い返してみてもすごい剣幕だった。
ダミー人形を壊されたことに、形容しがたい憤りを感じているのだと思う。
要注意人物リストに記載されていてもおかしくないし、次は申請の時点で弾かれる可能性もある。
別にアストレアじゃなくても冒険者はできるけど。
できるなら始まりはアストレアがよかった。
ここは父さんが冒険者になった町だ。
験は担げるだけ担ぐ主義なのだ。
俯く。
鈍色の石畳が、僕の影で淀んでいる。
「どいたどいたぁ!!」
「ん?」
瞬間、横方向から加わる強い衝撃。
ぐわんと宙を舞う感覚。
「うぉぉぉ! やっちまった! 盛大にひき殺したぁ!!」
ぐるぐると回る視界に鉄の箱を見る。
前方に伸びた持ち手を男が引っ張っている。
ああ、人力車にひかれたんだな。
遅まきながらことの全容を理解する。
立ち上がり額に手を当てる。
ドロリと熱い赤が手についた。
「おおおお! すまない少年! 君との思い出は忘れないから安心して眠ってくれ」
「何を言っているのですか! 助けますわよ!」
――鼻腔をくすぐる、月桂樹の香り。
車窓から女性が顔をのぞかせた。
金色のつややかな長髪を柔らかい風に揺らしていて、だけどその切れ長な瞳には深い青を潜ませている。
「せ……じゃなくてセフィリア様! これからあなたの癒術を必要とする方が大勢いらっしゃるのです!」
「それがどうなさいました?」
「魔力を温存してくだされ!」
「今目の前で死にそうな人を見殺しにする理由にはなりませんわ!」
車夫さんと乗客さんが助ける助けないでもめている。
どうやら車夫さんは功利主義で、乗客さんは心根がやさしい人らしい。ひき殺しておいて見殺しなさいと進言するってなかなかドライな人だな……。
「あ、大丈夫です。これくらいなら自力で治せるので」
「は?」
「≪ヒール≫」
まあこの程度の怪我じゃ死ねないけどね。
車夫さんも衝突事故を起こしたばっかりで気が動転していたんだと思う。じゃないとこんなヒールで治るケガで大騒ぎするはずないもんね。
ん?
なんか二人して口をあんぐり開けてるんだけど。
都会のはやりかな?
「あ、あなた……、今、何を」
なんだろう、この反応。
もしかしてヒールを見たことがないとか?
まさかね。
僕が育った田舎の村でさえヒールを使える人はたくさんいたし、そんな珍しいものじゃないはずだもの。
ってことは、逆かな。
あんまりにもしょぼいヒールだったから、ヒールって認識されなかったパターンかな。悲しい。
「……? あはは、一応ヒールなんです……。才能がないみたいで、ちょっとした怪我くらいしか治せませんけど」
「ヒール……? 怪我を治せるのに、才能がない……?」
不思議そうな顔をする女性。
あれかな、認識のずれがあるかも。
村でも癒術が使える中だと一番下手だった。
そういう意味で才能がないって言ったんだけど、そもそも癒術を使えない人もいる。
魔力がない人なんかはその最たる例だ。
そう考えれば僕は使えるだけ運がいいとも言える。
ただ、それだと足りないのだ。
目指す高みには届かないのだ。
「じゃあ、そういうわけで」
「お待ちください!」
適当に切り上げて立ち去ろうとする僕を、女性は引き止めた。なんの用だろう。
「あの! 付き合ってください!」
春が来た。




