13. サーシャの考察
サーシャちゃんによるヘーデン氏観察記後編。 (前編あらすじ:ヨリアスにこっぴどく投げられ何か思うところのあるヘーデン氏。……あらすじ?)
良い暇つぶしとなりますように。
「あの、師匠」
やっぱり、今日のヘーデンさんは少し変に思う。いつも以上に緊張しているというか。
ヘーデンさんの呼びかけに返答はない。きっと目線だけで促している。
「師匠はどちらでこの合気術を身につけられたのですか」
「そりゃ、実家近くの道場だよ」
「これ程の腕前になられるのに、いかほどかかりましたか」
「十七でかじり始めて、今までかかってるね」
「では、二十年ほどですか……」
何か暗いお声。あ、そうか。父様を超えるのにそんなにかかっちゃったら、姉様を御嫁様にするのは無理だから落ち込んでいるのか。
「んん?どちらかといえば三十年だよ。ま、あまり真面目ではなかったがね。まともに鍛錬したといえるのは、そうさな、二、三年か。あとは忙しかったことだし」
「え、師匠御いくつですか?」
「今年は四十四だな。なんだ、アーベイさんに聞いていないのか?」
「はい。……お若いですね」
ヘーデンさんはずいぶん驚かれたようだけれど、父様は鼻で笑っただけだった。
そういう態度を取るから、余計に若く思われるのではないかしら。
私たち家族に接する時は、もっと落ち着いていらっしゃるのに。
「で、君は何が聞きたいのかぇ」
あ、何かあの緑色が見えそうな声。きっと察しはついているのにわざと訊ねている。父様は時々意地悪なのよね。
「あ、はい。この調子で手合わせ願って、免許か、せめて目録くらいの腕前になるのに、いかほどかかりましょうか」
「免許ねぇ。あ、先に断っておくが、どれだけ腕が上がっても、そういった免状は出してやれんよ」
「何故ですか」
「俺が免許を貰ってねぇからさ。出す資格がない」
「ええっ、それだけの腕前なのに」
私も驚き。
「故郷を出たのが貰う前だったからねぇ。だから、あんたを弟子にとることもない。これは最初に断ったはずだね」
「はぁ、確かに」
弟子じゃないのに、師匠って呼んでいたのね。どおりで、最初の紹介の時に、稽古をつけているではなくて、投げられに来る、だったわけだ。
「で、まぁ、一応目安は目録として、どうだかねぇ。今のままじゃ、受身だけ上達しそうだね。せめて俺の動きが見えるようにならないと。目録は、俺の手を避けられるくらいかな。免許が俺と同等だとすれば、投げ返せるくらい、になるか。あんたに俺と同程度の才覚があったとして、目録に五、六年か。いや、剣術の下地を考慮すれば、もう少し早いかもしれんが……」
「やはり、それくらいはかかりますよね……」
あら、ずいぶん時間のいるものなのね。私には無理かしら。
「いや、俺は別に、それだけを毎日鍛錬していた訳ではないからな。あんたのように、月に六日と自己修練を毎日できたわけではない。まぁ、けんか慣れはしていたがね。それで目録まで、十年程かかってるね。あんたの場合は、気組みはできてるが、組み手になれてないから、まずそこだろうね」
「組み手、ですか」
「受身と一緒に、組み手の訓練をすれば、もうちっと習熟にどれ程かかるかの予想がつくようになるかね」
「そうですか。……やはり、体当たりでは、上達しませんか」
あの突撃について、誰かに何か言われたのかしらね。
「まあね。あれじゃあこちらの動きは見えんだろう?」
うっと、詰まったような声。私は離れて見ていてもあまり見えないけれど。
「避けられた方向くらいしかわかりません」
「どこを取られたかは?」
「皆目。予告があってもよくわかりませんでした」
「ま、それが合気術の特徴かもしれんな。柔術でもそうだが、結局、投げるのに使う力のほとんどは、相手の勢いであって、かける方はただ相手の力の向きを自分の望む方へ流すだけだ。極端な話、足引っかけて転がすのも、腕を取って背負い投げするのも同じ事をしているわけだ」
本当に極端な例ではないかしら。
しかもよくわからないわ。やったことないもの。
「そうなんですか?」
「ああ、あんた柔術も初心者だっけね。足を引っかけるのはわかるよな」
「ええ、それはもう」
確かにヘーデンさん、ここで散々転がされていたわ。
「背負い投げは、見たことくらいあるか?」
「はい。投げられたこともあります」
「だろうねえ。で、だ。背負い投げの手順だが、衿や腕を取って、懐へ入り込み、身体を伸ばす。これを相手の勢いに合わせてかければ、相手は前へ飛ばされることになる。ここまではいいな?」
「はい」
「相手が投げられることを警戒して踏ん張ったりすると、自分の力で持ち上げて投げることになる。まぁそれでも、懐に潜り込めば、持ち上がらんこともないがね、これははっきりいってまずいやり方だ。第一に時間がかかれば反撃される。第二に疲れる。さて、これで共通点がわかるかね」
足を引っかけるのと背負い投げの共通点。
「相手の勢いが激しいほど、打撃も大きくなります」
「そういうこった。逆の言い方もあるがね」
「逆、ですか。相手の勢いが弱ければ?いや、相手が止まっていては、技が出せない、ということですか」
「そう。同じことだろう?ま、背負い投げの方が手順が複雑な分、一度体勢が整ってしまうと、そうそう抜けられんわけだ。足を引っかけるのは、見えてさえいれば簡単に避けられるがね」
「いえ、避けられませんでした」
本当、ヘーデンさんて素直な人ね。確かにあっさりと引っかかっていたけれど。
「そりゃあんたの性格の問題だな。勢いづいたら、途中で止まれないんだろう。それに、受身の訓練と割り切っていたろう」
「ええ、まぁおおむね。それでも一応、引っかからぬよう気をつけたのですが」
「もちろん、それで飛び掛ってきていたら、俺は避けただけだがね」
そうでしょうとも、と小声で聞こえる。独り言でしょうけど、丸聞こえだわ。
「それに動きが直線すぎる。変に回りくどいよりはいいが、それにしてもねぇ」
「すみません。慣れておりませんので、ついくせで」
「だろうね。普通は、何とか隙を作らせようとこまめに動いたり、踏み込みの勢いを変化させたりするもんだが。今度やってみるかぇ」
「いえ、余計に不安定になりそうですので、もっと要領を得てからにします」
「そうだね。まぁ引っかからんと思うが」
ええと、つまり、ヘーデンさんがそこそこ上達して、突っ込むだけではなく、誘いをかけてきたとしても、父様にはそれに乗らない自信がある、と。
直線が駄目で、これも駄目。じゃあ、どうすればいいのだろう。
ヘーデンさんも同様に思ったのか、父様に、そんな顔しなさんな、とたしなめられている。
「初めのうちは通用するわけないだろう。そのうち上達するかもしれんのだから、とりあえずやってみな」
それもそうよね。お料理だって、最初から上手に作れるものではないもの。だからといって、下手だからしないでいると、一向に上達しない。とにかく数をこなして、体で覚えないことには。
「はい。精進いたします。ところで、あの、体当たり以外にかかり方が思い当たらないのですが、どうすべきでしょう」
少し間が空く。きっと呆れきったような目でヘーデンさんを凝視しているわ。あの表情、いたたまれなくなるのよね。
「すみません、馬鹿で」
あらまあ、落ち込んじゃったのではないかしら。
「いや、そりゃ知っているがね。とりあえず、柔術の組み手を鍛えてみちゃどうかね。とっかかりにはなるだろ」
「はい。そうします。つまり、勢いをつけて寄せるのは、あまり得策ではないということですね」
「まあね。そのくらいとっくにわかっていたろう」
そうよね、勢いが強い方が強く飛ばされる、という答えは、以前に出していらしたもの。わかっていてあれだけ突っ込めるのは大した根性よね。
「はい。それでも他に仕様がなかったものですから。あの、手加減というのはどのようにして加えておられるのですか」
何だか今日は、積極的に質問している。きっと父様がそれを許す雰囲気を作っていらっしゃるのね。いつもは休憩中は顔を合わせないし、終了後はとっとと出て行けと言わんばかりに背を向けるもの。
「あんたは勢いが強すぎるからね、体を浮かせてから、逆方向に力を加えるのさ。一瞬くらいは宙で止まってるかもしれないねぇ」
「はぁ。それでも一間飛ばされるのですね」
「あれはね、本当なら地面に叩きつける技さ。下に向ける力を横に向けるとああなる。本来の形は、今日やったのと大体同じだね」
「後の二種類も、やはり基本は地面に叩きつけることですか」
「そうだね。それも、頭をね。運が良くて脳震盪を起こすわけだ」
「それを、足から落としていたんですか。器用ですね……」
「そりゃ、せめて板間の道場ならまだしも、こんな地面じゃ命に関わるからね。受身も稚拙だし」
「御心遣い感謝いたします。しかし、そう簡単に思い通りに落とせるものなのですか」
「慣れの問題だね。後は、あんたの場合は素直にこちらの流れに身を任せているから、失敗が少ない。変に抵抗されると、中途半端なところで落ちていたかもしれないが。もちろん実戦であれば、抵抗して急所から落ちるのを防がにゃならんがね」
稽古は終わりといっていたけれど、講義をするつもりのようだ。
「抵抗ですか。やはり柔術の組み手で訓練になりますか」
「なるね。あんたはまず目を鍛えるべきだしね。剣術の試合でもいいんだが、あんた目録もちだったな」
「はい」
「相手がそれ以上の腕を持っていないと危ないな」
「そうですか。どちらにせよ、組み手ですね。何か一人でもできるような訓練はありませんか」
「どうかねぇ。受身の訓練は続けなさいよ、まだ余地があるから。他は、柔術か棒術の型でも習ったらいいんじゃないかね」
「はあ。あの、やはり師匠には教えていただけないわけですか」
当然の疑問よね。
「俺は手合わせをするだけさ。後はあんたに足りない所くらいは教えてやるがね。技を盗むのは自由だが、教えるつもりはない。以前にも言ったね」
言っていたけれど、どうしてかしら。免許皆伝ではないから?
「伺いました。教えていただけない理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「我流だからさ。基礎ができていないところに、俺のような適当な型を覚えても、実際の役に立つかどうか怪しいもんだ。基礎ができていりゃあ、参考にして自分のやりやすいようにできるだろうがね」
そういうものかしらね。でも、私には型を教えてくださる約束だけれど。
「そうですか」
ヘーデンさんは納得したみたい。
「ま、我流がすぎて、免許までいかなかったところもあるかね。修行も足りていなかったろうが。さて、ヘーデン君、体調におかしなところはないかぇ」
突然話が変わる。もう戻ってもいいかしら。
部屋を覗くと、ヘーデンさんは立ち上がって、体調を確認しているところだった。父様はそれを真剣に見守っている。
「特におかしいところもないようです」
「たんこぶなぞできていないか?」
頭を探っている。触るまでわからないことあるものね。
「大丈夫です。怪我もないようですし。左肩の辺りがまだ少し痛むくらいで、たんこぶほどのものはありません」
頭は打たなかったようだ。けれどその割に、なかなか起き上がれなかったようだけれど。
「そりゃ良かった。まぁ骨折はしていないだろうが、受身の練習をする時は、しばらく左肩をかばった方がいい」
「はい。そういたします」
「じゃ、今日はこれまで。一応安静にしときなさいよ」
「え、あ、はい。有難うございました」
終了の宣言をされて、少し物足りない様子だけれど、それ以上、特に何も言わずに挨拶して帰っていった。
ヘーデンさん、立場弱いものね。ひょっとしたら、父様の性格を踏まえた上での判断かもしれないけれど。
めったに前言を翻さない方だから。
「父様、お伺いしてよろしいですか」
「何だい」
「基礎が何もないというのは、私もヘーデンさん以上にそうだと思うのですが」
ヘーデンさんには、我流だから教えないとおっしゃっていた。
「ああ。もちろん私も基礎はちゃんと覚えているから、その型を教えるつもりでいるよ」
あら?
「ヘーデンさんは駄目なのですか?」
「あまり向いてなさそうだしね。それに、流派を教える訳にいかないからね。お前にも流派は教えないよ。基本の型だけだ」
「どうしてですか」
「新政府の奴らにはあまり覚えめでたくない流派なのさ。そろそろ忘れられているかもしれないが、一応念のためにね」
「そうですか」
細かいところはよくわからないけれど、それなりの理由があるようだ。
「ヘーデンさんへの意地悪というわけではなかったのですね」
空気が少し重くなったので、軽口を叩いてみる。
「ふふ、それも少しはあるやもな。からかいがいのある人物であるし」
「あまり向いていないというのは?」
「彼は何事も猪突猛進という具合で、どちらかといえば力押しを得意とする。相手の力を利用するのは苦手だろう。それよりは柔術で呼吸を計って、相手の隙を突くやり方がまだ身につくだろう」
「まあ。そういうものなのですか?では父様がお教えにならないのは親切ですか」
「実際は、やってみなければ向き不向きはわからぬものだがね。お前に教えるのは、小さな力で大を制するのに向いた技だからだよ」
確かに、父様の説明では、相手の力を利用して投げたりしているのだから、非力な私でもつかえる理屈になる。
「はい。それで、いつから始めてくださいますか」
「じゃ、今からやってみるかね」
「はい。よろしくお願いいたします」
父様に何かを習うのは久しぶりだ。
読了有難うございます。
完全他人事サーシャちゃんは、ツッコミ要員ですね。内心では父親にも結構容赦ない?
ちなみにヨリアスは結構嘘つきさんです。後ろ暗い(?)過去がありますから。
いい加減ご承知おきとは存じますが、例によって嘘八百武術談義が行われております。(以下略)




