12. サーシャの観察
野次馬2号によるヘーデン氏観察記前編。
キリのいいところで切ったため、かなり短めとなっております。
よい暇つぶしとなりますように。
「ふむ。まぁヘーデン君らしいといえばらしいモノではあるねぇ。確かに上手いとはいえんが、読むに耐えんほどではない。用件が唐突であるが、率直な人柄とも取れる。ひとまず預かっておこう。都合がつけば連絡する」
今日も父様について離れへ訪れた。
三回目になるけれど、いつも良いお天気だ。この季節はあまり雨も降らないからそんなものかもしれないけれど、ヘーデンさんって、晴れ男だったりして。
私は先日姉様や母様とお話ししたとおり、父様に手ほどきしてもらえたらいいなぁと、少し期待している。だからヘーデンさんの来る日は離れへついて行く事にしたのだけれど、父様も別にとがめないのでかまわないのだろう。
手ほどきが無理でも、ここでヘーデンさん相手にしている父様を見ていれば、少しは勉強になるのではないかしら。
「はい、よろしくお願いいたします」
父様は気のない風にヘーデンさんの最敬礼を受け流しつつ、願文を私に預ける。
これはこの間おっしゃっていた、お習字の先生へお渡しする紹介文なのだわ。
「さて、始めるか。少しはましになったかねぇ」
そう言って、父様は窓べりから庭のいつもの位置へ移動した。ヘーデンさんもいつもと同じように履物を脱いでいる。
「は、やってみなければわかりません」
「そりゃそうだね。じゃ、おいで」
「はい」
気楽そうな父様とは対照的に、最初の一本はやはり緊張するのか、念入りに息を整えている。
それからおもむろに、向かっていく。
転がる。
今までと違う形だ。今日は足を引っかけるのはやめたみたい。
「ふむ、受身はずいぶん上達したようだな。その調子で頑張りな」
変わらず気楽そうな父様に対し、ヘーデンさんは表情が硬い。
「ありがとうございます。ところであの、今のはどうなったんでしょうか」
立ったその場で質問する。今までそんなことなかったのに、余程何が起きたのか判りかねたのかしら。
「相変わらず突っ込んできたので、転がしたんだが?」
「いえ、そうではなくて、投げ技とはまた異なるのですか」
「やってる事は同じだよ。右で腕を取って左でひっくり返したんだが。もう一度やってみるかぇ?」
「はい。お願いします」
父様が技の説明をするのも初めて。技を教えるつもりはないっておっしゃってなかったかしら。
そんな事を思いつつ見ていたら、父様がこちらにチラリと目線をくれた。よく見ておくように、ということかしら。
とにかく、父様の手の動きに注目する。
ヘーデンさんが寄ってきて手を伸ばす。父様はそれをかわして、あら。
もうひっくり返っているわ。わからなかった。
「で、この後は踵落しや肘、膝で首か心臓の裏を狙うわけだ。何かわかったかぇ」
ヘーデンさんはうつ伏せのまま、しばらく考え込んでいたけれど、そのまま正座して姿勢を正す。
「やはり今のも手加減をいただいているのですか」
「そりゃそうだ。何なら手加減抜きで一度やってみるかぇ。同じやつを」
「お願いいたします」
軽く頭を下げてから立ち上がり、元の位置まで戻ろうとする。
「ああ、待ちな。そんなところから勢いをつけたら危ないだろうが。それと、あごを引いて歯はしっかり噛締めておきな。舌を噛み切るかも知れねぇ」
「はい」
返事しつつ、少し顔色がさえない。結局、父様は立ち止まったヘーデンさんから、一歩踏み出せば腕が届くくらいまで近づいて止まる。
「おいで」
声と同時にヘーデンさんが踏み出した、と思ったら、ずん、とすごい音。
気のせいか、近くの梢が揺れたような。
ヘーデンさん、大丈夫かしら。
父様は立ったまま、顔を窺っていたけれど、動かないのでしゃがみ込む。
「サーシャ、桶水汲んで来てくれ」
今までにない注文だ。慌てて立って、土間の方から井戸へ向かう。
手桶に移して運んでいくと、やっとヘーデンさんは動けるようになったようだ。
しきりと瞬きしている。
「ありがとう。元の場所に下がっときな」
手桶を受け取って、戻るよう言われた。もしかして、あれをかけるのかしら。
そして予想通りの展開。
一応顔を狙ったので、袴までは濡れなかったようだけれど。
「目は覚めたかね。立てるか?」
「……大丈夫だと思います」
言いながら、半回転してうつ伏せになってから、起き上がろうとする。
「ゆっくり動きな。頭は打たなかったか?」
言われて、右手を動かして頭を探っている。自覚はないみたい。
「大丈夫かと思います」
「ふむ。やはり受身は上達しているな。よかった。ついでにちと休憩を入れよう。無理するなよ」
言うだけ言って、空桶を持って井戸の方へ。ヘーデンさんに手を貸す気はないみたい。ヘーデンさんも、余程痛かったのか、四つん這いのまま、立とうとしない。
それをずっと見守るというのも何だか悪いような気がして、父様の元へ行く。
父様はいつものごとく、火を熾してから手をすすぎ、鉄瓶を火にかける。
「で、サーシャはどうやったか見えたかぇ」
やはりあの目線はそういう意味だったみたい。
「早くてよく見えませんでした。父様、私に手ほどきをしてくださいますか?」
いい機会だから頼んでみる。
私の知る限りでは、父様が一番お強いし、何かあれば頼りにしているけれど、常に傍にいてくださるわけではないし、できれば自分の身は自分で守りたい。
「そうだな。型くらいは覚えておいていいだろう。どれ程実戦に通用するかはわからないが、今から始めれば少しは身につくかもしれない。けれどサーシャ、イェナが言っていた通り、自分から厄介ごとに向かっていくんじゃないよ」
「はい。隠しておくのですね」
「そう。私がヘーデン君相手に使っているのは、相手の力を利用して倒す術だ。だから、相手が無防備である方が技にかけやすい」
「隙を突くのですね」
「そういうことだ。もしお前が技を使わなければならない状況になったときは、相手を転がしたらすぐにその場から逃げなさい。つかまっては腕力では敵わないのだからね」
少し考える。
「つまり、相手が混乱もしくは困惑しているうちに、手の届かない場所へ逃げればよいのですね」
「そのとおり。囲まれた場合も、最初にかかってきた相手を倒して、入れ替わりに囲みの外に出る。まぁそう上手くはいかないものだがね」
「そんなことがあったのですか?」
そんな物騒な仕事があったのかしら。
「道中案内の途中で山賊に会ってねぇ。その時は短剣を借りていったので、適当にあしらったのだが。無手で多数を相手取るのは難しいものだよ。まぁ無手同士であればまだしもだが、それでも相手に心得があれば、そうだね、三人が限度かねぇ」
「父様でも、ですか」
「相手が手だれなら、一人でも勝てるかどうか。逆に、何の心得もない相手なら、素手同士で何人いても大して困らない。棒でも持っていれば、二、三人かな。まぁサーシャに向かって棒で襲ってくるような者もおるまいが」
男性が棒でもって女性を痛めつけるというのは、確かに考えにくい。
もし、私に棒でもって打ち掛かってくる人がいるとすれば、女性だろう。
「棒が相手のときはどうするのですか?」
「逃げなさい。棒でも刃物でも、石でも、相手をすればどちらかが怪我をする。逃げることだよ」
「じゃあ、足も鍛えなくちゃ」
何にせよ、まともに相手取ってはいけないならば、確実に逃げられるように、足が速くなくてはいけない。
「そうなるが、町中で走ったら危ないぞ。人に迷惑をかけるんじゃないよ」
父様は軽く笑いながら言って、腰を上げる。ちょうどお湯が沸いたので、三人分湯呑みを用意する。
私はお盆を用意する。ヘーデンさんの分を運ぶのは私の係りだ。
庭を覗くと、休憩時の定位置にヘーデンさんもたどり着いたようだ。
今日は井戸へ寄る気力がなかったのか、水音を聞いていない。
「ヘーデンさん、白湯です」
がっくりと項垂れる背に声をかける。
「あ、ありがとう」
どこかぎこちない動きで顔を上げる。
窓べりへお盆ごと湯呑みを置いて立ち上がると、後ろから声がかかる。
「ヘーデン君、手は洗いなさいよ」
見ると父様が自分の湯呑みを持って、部屋へ入ってきた。
そういえば、ヘーデンさん、泥の中に手をついていたかしら。
「あ、はい。洗ってまいります」
やはりぎこちない動きで、それでも普通に歩いていく。
「大丈夫でしょうか」
何となく見送りながら、父様に訊ねる。
「あんなものだろう。後でもう一度たんこぶができていないか確認するが。ま、今日の稽古は終わりかね」
その方が良いに違いない。何だか動き方が変だもの。
井戸の方から水音。どうやらもう一度、頭から水をかぶっているみたい。大丈夫かしら。
「手ぬぐいがいるでしょうか」
「それくらい持っているだろう。放っておきなさい」
言うとおり、持っていたようだ。顔をぬぐいながら戻ってきた。
向かうときよりもしっかり歩いている。
「いただきます」
言って、湯呑みに口をつける。
あんな勢いで呑んだらやけどすると思うのだけれど。
「ごちそうさまでした」
何事もなかったように、お盆へ戻す。
「はいよ。まぁゆっくりしていなさい」
父様は返事だけして、ご自分はゆっくりと飲んでいる。
私も、自分の分をいただこうと思ったけれど、その前にヘーデンさんの湯呑みを下げる。どうせ私の白湯は奥にあるのだし。
私が奥へ下がってすぐ、ヘーデンさんの声がした。いなくなるのを待っていたようにも思えるけれど、ヘーデンさんにとっては、今は修練の場なので、女子供に同席はされたくないのかもしれない。……父様は気にしていないようだけれど。
お邪魔するのも悪いので、そのまま奥で白湯をいただく。
もちろん、話の内容は筒抜けだけれど、そこまでは気にしないでしょう。
読了ありがとうございます。
見た目は御人形でも中身はかなりさばさばしているサーシャちゃん。
アーベイ氏と違って完全に他人事なので、……(後編に続く)




