六十話 信じるよ
魔物の間をすり抜けてリンド・クライツェンの前にたどり着くまで、私は思考を巡らせていた。
魔物達の裏切りを知っても知性体の彼等を相手取って戦う気にはならなかった。
今まで会ってきた知性体は例外なく魔力を扱えた。蛇姫が統率する知性体の群と戦うなんて自殺行為だ。
幸い私は人と区別がつかない。髪と目の色は誤魔化しが利く。
だから、蛇姫達は私を生きたまま人間に引き渡さないと、影武者ではないかと痛くない腹を探られる。
全員が魔法を使える知性体の群と武器は使えても貧弱な人間、逃げ出すなら後者の方が簡単だ。
そこまで展開を読んで暴れずにいたけど、騎士団に捕まるとなれば話は別。
私と実力が拮抗しているらしい蛇姫と事を構えたくはないから避けていたけど、もう戦わざるを得ないかもしれない。
少しずつ存在感を増す痛みと戦いながら……。
私は黒いランスを構えた青年を睨みつける。
邪魔ばかりして、私に何の恨みがあるのよ。
「牛頭、このまま魔物の群を抜けてなるべく騎士団に近づいて」
私を乗せて運んでくれる牛頭に指示する。
魔物の群を抜けてヴェベストロー平原に逃げたら大群に押しつぶされる。
この場は騎士団に突撃して城塞都市を攻撃、市街地を駆け抜けて混乱を招いた後、森へ逃げるのが得策ね。
逃走完了までのシナリオを描き、イメージトレーニングを行う。
かなり厳しいけど、市街地に入るまでが勝負になる。
「久しぶりだな、魔王」
リンド・クライツェンの声で私は現実に引き戻された。
考えている内に魔物の群を抜けていたらしい。
「その場で止まれ!」
「止まって、牛頭」
声を荒げて制止を命じるリンドに素直に従った。
距離は百メートル前後か。かなり近い。
背後に控える魔物達との距離は三百メートル程、空には黄金山羊など飛行可能な魔物が数十体。
やはり、戦闘は避けられない。
前回のように空を飛べば地上からの一斉砲火を受けるだろう。
地上戦、それも混戦に持ち込む必要がある。
意識して冷静さを保つ私にリンドが再び声を掛ける。
「連れていた少年はどこだ?」
……少年?
一瞬だけ考えて、村長の事だと思い至る。口の端が持ち上がる感覚に慌てて無表情を取り繕う。
きっと、村長は騎士団と出会わずにすれ違ったのだ。そして、騎士団は私が村長を人質にしていると勘違い中。
ナイスアシストよ、村長。
「さぁ、どこだと思う?」
思わせぶりに魔物の群を振り返る私に蛇姫が上体を起こした。その巨体は魔物達の中でも異彩を放っている。
「何の話じゃ?」
蛇姫の声は困惑に彩られている。
いきなり話に引っ張り出されたのだから困惑もするだろう。
「それで、あの子に何の用?」
利用できるならいない人質だって使ってやる。
「その様子だとこの場には居ないな?」
リンドがしたり顔で言った。ご丁寧に確認するような口調。
お生憎、私相手に口で勝てると思うなよ。
「いないよ」
満面の笑みで認める。
「この場には、ね。食べられたら嫌だもの。蛇姫にも言ったけど私はここの魔物を信用してなかったの」
言外に匿っていると匂わせる。
リンドは私の発言を吟味して、否定する根拠がないのに気付いたらしい。気を取り直すように大きく息をついた。
「そうか。では魔王に提案がある」
本題とばかりに切り出されて肩すかし食った私は首を傾げた。
てっきり、人質の居場所を訊いてくるモノとばかり思っていたのに。
「まず、簡潔に言う。魔王に手を貸してもらいたい」
私はぶらつかせていた足を止めた。
このお馬鹿ちゃんは何寝言を言っているのよ。夢の世界に住民票を置き忘れたの?
無言でリンドを睨む私とは対照的に背後の魔物達が浮き足立った。
リンドの提案は魔物の予定にないのだろう。
リンドめ。私を生け捕りにする為にアドリブを挟んだのね?
「誰が手を貸すものか。私を殺しに来たくせにーー」
「事情を説明させてもらいたい!」
言葉を遮られて私は腕を組んだ。
街の住民が避難する時間稼ぎを兼ねているのだろうか。
黙考する私にリンドが説明とやらを開始する。
「事の発端は、魔物と心を一つにする者が現れるとお告げがあった事だ」
お告げって……そんなあやふやなもので私は命を狙われていたの?
神の奴『心を一つに』? よくも世迷い言をバラ撒いてくれたな。
「そのお告げから、魔物を束ねる王が生まれ人を滅ぼすために心を一つにするのだと推測した」
それで私を殺そうと躍起になった、と。
人間側は黒角を倒したものの、魔物側からの報復を恐れていたのね。
確かに話は繋がっている。
とすれば、私に求める協力内容も察しが付いた。
「魔王である私に各地の魔物をまとめて人との衝突を避けろと言いたいの?」
「その通りだ。話が早いな」
リンドが大仰に頷く。
「どうして今更、そんな考えになったのよ?」
ほら話にしては良く出来ていると半ば感心しながら、興味を覚えて問う。
その時、唐突に気が付いた。
「……痛みが引いていく」
思わず自らの手を見つめる。そこに答えなどあるはずがない。
あるとすれば蛇姫の方。顔を振り向ければ事の成り行きを見守っている蛇姫と目があった。
もしや、私を人に売ったことを気に病んでいたのか。
いや、タイミングが合わない。私を売る事はかなり前から決まっていたはず。
この群の編成が行われたのは騎士団と同じくお告げがあったからだろうと今となっては想像がつく。
だから、神の仕業と言われて蛇姫がすんなり納得したのだ。
なら、私が蛇姫に会った瞬間に痛みを感じなければおかしい。
掴んでいた状況が手をすり抜けて暴れまわる感覚。早く取り押さえなければいけないのに掴み方が解らない。
だが、痛みが収まったのだからリンドの提案に乗れば解決するのだろう。
未だに誰が原因なのかも判らない。それでも丸く収めることは出来る。
私の決断一つで見ず知らずの誰かが安寧を得る。
あるいは絶望する。
私は息をつこうとして、喉がカラカラに渇いている事に気が付いた。
柄にもなく緊張しているのが、激しく打つ心臓の音で判る。
「……分かった。あなた達を信じるよ」
一言で、私を苛んでいた痛みの一切がなくなった。