外伝 彼等
彼が一年毎にある夢を見ていることに気づいたのは十歳になる夜だった。
何故か村の外で起き出して一日を過ごすだけの夢だ。
この夢に他と変わった点があるとすれば登場人物の年齢が変わらない事だろう。
「おはよ」
この夢における唯一の登場人物が目を擦りながら挨拶してきた。
去年の夢から成長した様子が見えない十二歳くらいの少女は夢以外で見た覚えがない。
彼は警戒しつつも挨拶を返した。ある程度の礼儀は村長である父から躾られている。
見る者が見れば驚きつつも彼の頭を撫でて褒めそやす程には様になっている彼の礼儀作法、しかし少女はまるで頓着せずに欠伸をかみ殺しながら朝食の用意を始めた。
毎度彼が驚くのは彼女がその幼さで魔法を使える事だ。だからこそ夢だと彼は判断している。
「我が魔法の湯でその身を柔らかくするが良い」
妙な独り言を呟いてクスリと笑う少女は何かを煮込んでいる。
彼は今の内にと周囲を見回して去年との違いを探した。
どうやら、どこかの洞窟にいるようだ。去年の夢も最後には洞窟にたどり着いて眠ったから、やはりこの夢は連続していると判る。
注意深く見回していると洞窟の入り口を木が覗いた。
「おかえり牛頭。騎士団の動きはどう?」
少女が木に話し掛ける。
少女がこの木を何故牛頭などという名で呼ぶのか、彼は知らない。
見た目は何処にでも生えていそうな単なる木で、少女の魔法によるものかこの木は動く。知っているのはそれだけだ。
「魔物、言った。騎士団、二日前、見た」
牛頭が単語でぶつ切りにした報告をする。
少女は自らの頬に片手を当てて思案する。
「しつこいね。やっぱり私に発信機が付いてると考えた方がいいかな」
ぽつりと言うと少女は牛頭に食事するように言った。
彼の記憶ではこの少女は騎士団に追われているようだった。
考え事をしている彼の腹が小さく音を立てた。
「……なぁ。朝飯はまだか?」
夢だから気を使う必要はないだろうと礼儀を捨てて少女に問う。
雪に咲く可憐な花のような唇を少女は綻ばせる。
「少しは大人になったと思ったけど、まだまだだね」
笑顔でのたまって少女は椀を出してきた。
汁物をよそって彼に差し出してくる。
食欲をそそる匂いと腹を満たす味。夢の中なのが残念に感じる。
「食べ終わったら出発するよ」
少女が木を削った二本の棒で椀の具を掴みながら言った。
何度見ても器用なものだと彼は思った。
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十五歳の夜に彼はまた夢を見た。
夢の中は粉雪が微かに視界を彩る朝だった。
その幻想的な光景に彼は違和感を抱く。
いつもは近くにいるはずの少女がいないのに気が付いた。
何処からか落ち着いた歌がそよ風に流れて彼の耳を撫でていく。
「外か。珍しいな」
誰にともなく呟いて立ち上がる。
魔法で作ったらしい岩の小屋を出て声の元に向かう。
巨石に腰掛けて空を仰いで歌う少女がいた。
少女の漆黒の髪を純白の雪に染められた風が静かに巻き上げていく。
少女が振り向いて彼を見る。理知的な夜闇色の瞳が十五歳の彼を映す。
「そろそろ魔法を使えるようになった?」
小首を傾げて聞かれ、彼は頷く。
少女には到底及ばないが戦力になる実力が彼には備わっていた。未だに魔法使いになってはいないが嘘は吐いてない。
「おめでとう。君も立派に男の子だね」
少女が手を打ち合わせて彼を祝福した。
皮肉めいた響きが含まれていた気もするが彼は素直に返礼した。
少女は牛頭を呼んで枝に吊していた皮袋を一つ彼に投げ渡す。
「それじゃあ、君には村に帰ってもらうね。その袋には旅費が入っているから無駄使いしちゃダメよ」
彼は眉根を寄せる。
ここが何処かも解らないのだ。村に帰りつけるだろうか。
不安に思う彼の心を見透かした少女が羊皮紙を手渡した。
「村までの地図だよ。注意事項も書いてある」
字が読めることを前提とした物言いに彼は驚いた。
少女は一切構わずに重要な事柄を告げて深呼吸した。
「これから、未来の君にお説教するね」
最重要だ、と前置きして少女が彼を睨みつける。
意味が分からずに反発しかけた彼の脚を払い尻餅を付かせた少女は腕を組んで見下ろした。
「しっかり覚えておきなよ、大間抜けの英雄さん」
大量の魔力で威圧された彼は背中に冷たい汗を流した。
「子供が知った風な口を利くと思うなら筋違い。子供でも分かる間違いを犯したあんたが悪い」
身に覚えのないことを一方的に畳み掛ける少女を見上げる。
強固な意志を宿した強い視線が彼を射抜く。
「謝るなら言葉を使え。独りよがりに二人の輪廻を断ち切って悦に入る間抜けな英雄め。贖罪? やるより先に行うことがあるでしょ。許してもらって初めて終わるのよ」
冷たい声でまくし立てた少女は腰の皮袋から鏡の破片を取り出した。
「餞別よ。村に帰って二人に頭下げてきなさい」
彼の手を取って破片を乗せた少女は牛頭を呼んで彼に背中を向けた。
そのまま歩き去ろうとした少女を彼は慌てて止める。
「ちょっと待ってくれ。何がなんだかさっぱりだ」
「その内わかるよ。ばいばい」
とりつく島もない。
挙げ句にいたずらが成功した子供のような笑顔に微かな苛立ちが混ざっているのに気付いてしまえば、彼には何も言えなかった。
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五十歳を過ぎてようやく夢の意味が分かった彼は苦笑した。
最後の一年の記憶とその中にいた黒髪黒目の少女が極めて質の悪い仕置きを仕掛けたのだ。
「魔王め。やってくれるわい」
彼が村長として選択し続けた結果、カーリンとクルトは輪廻の環を作ってしまった。
カーリンを蘇らせて全てが終わったと安堵した村長に少女は球形魔法陣を発動した。
生きたまま体を焼かれた彼は五十日を越える夢を経て蘇った。
魔王が蘇らせたのだ。村長の命そのものを使って。
「無茶をする」
魔法陣の発動中に息絶えていれば蘇りは成功しなかっただろう。賭だったはずだ。
だが魔王は躊躇なく賭けた。故にカーリンが記憶を取り戻したはずの今になっても村長は死んでいない。
「牛頭とやらの実の記憶を使ったのか。一体、何時から企てたのやら」
五十年蓄えてきた知識で理解し諦めに似た呆れ顔を浮かべた。
今なら鏡の破片にかかった魔法の意味も理解できる。
「カーリン達に恨まれていないか確かめろという事か」
夢の中という認識であった彼は他に目的もないと思い村の近くまでたどり着いていた。
これからどうするかは決めていないが鏡の魔法を使う限りカーリンとクルトには恨まれていないらしい。
「腹、括るかのぉ」
村に向けて彼は歩き出す。
これが夢でないことを感謝するなら神にすべきではないだろう。
背中を蹴り飛ばして発破をかけてくれたのは、魔王なのだから。
次回更新は11月12日の予定です。