五十三話 笑えない者
村長が地面に魔法陣を描き始める。
失敗しないように正確さを求めた結果、魔力で描く方法を選ばなかったのだろう。
「……お前が魔王だというのは違和感があるな」
幹に背中を預けて周囲に気を配る私に目を向けずに村長が言った。
私は悟られないように浅い呼吸を繰り返す。
事ここに至っても未だ痛みが和らぐ気配はない。
「魔王らしい事をさせろと宣ったが、動機が既に魔王らしくなかったぞ」
なんだ。バレてたのね。
自覚もない英雄ごっこかと思っていたけど私の意図を掴むくらいには認識があったらしい。
「年の功ってやつかな?」
「やはり、儂に殺させまいとしたか。損な役回りをさせたな」
いつもの事よ。
しかも、まだ過去形にするには早かったりする。
片付けないといけない案件はまだ目の前にあるのだから。
「ねぇ、村長は罪滅ぼしに自分の命を使うのってどう思うの?」
私が世間話をするように話しかけると村長は苦い顔をした。
いま聞くのか、と愚痴ともとれる呟きを残してしばし黙る。
私はこの老人に言い訳を用意させるつもりはない。
だから畳み掛ける。
「カーリンを殺して自らの命で生き返らせる。カーリンとクルトの輪廻は終わり、二人が生きる奇蹟を実現する」
村長と結んだ契約の最終目標。
村を滅ぼしてなお村長が残った理由。
謳うように言いつのり、私は声のトーンを落とした。
「なんで、そんなに思い詰めるの?」
カーリンを助けられなかった事を命をもって償うほどに。
「儂は村人を止めなかった。確かに一度はカーリンを助けたがクルトのように村人を説得はせなんだ」
村長が円の中に効果図を描き位置を測る。
村人を止めなかったのは罪になるのか。
不満が高まる村の和を保つために吐き口を設けるのは罪になるのか。
なるのだろう。大を生かすために小を殺すのはご大層な正義に罰せられる事案だから、村長は自らを裁く。
故に私は村長の代わりにカーリンを殺した。
「罪は背負うに重い荷だ。儂が手を下すのが筋であったが、感謝している」
「年寄りは労らないとね」
冗談めかした軽い口調で答える私に村長は忍び笑いを返した。
「人より人に優しい魔王か。皮肉めいているな」
最後の効果図を描き終わり、魔法陣を完成させた村長は私に頭を下げた。
感謝される謂われはないのだけど、それは口に出来ない。
だから努めて尊大な態度で感謝を受け取った。
村長が魔力を集める。
それほど手こずる作業ではないはずが、村長は眉をしかめた。苦戦しているようだ。
魔力が別の誰かに掌握されかかっている。
「ベリンダの奴、空気読みなよ」
姿どころか気配さえ感じさせない距離から魔力を掌握してのけるのは彼女しか思い付かない。
私は苦戦している村長を手伝うべく魔力を集めて彼の傍で解き放つ。
魔力は近くにいる程掌握しやすくなる。ベリンダと距離がある今ならまだ間に合う。
「助かる。これは別料金かね?」
「口より先に手を動かしてよ」
時間がないの。
村長はカーリンを生き返らせて終わりだから余裕があるでしょうけど、私にはまだやる事がある。
私との契約はアフターサービスも充実してるのよ?
「始める。さがっておれ」
村長が魔力を注ぎ込み、以前に聞いた物悲しい詠唱を始めるとカーリンの死体が火に包まれる。
カーリンの髪と同じ暖かな夕焼け色の炎は彼女の体を燃やして命の灯火を宿す。
炎は穏やかに収まり、一人の赤子が残された。
「終わったな。長いようで短い付き合いだったが、お前さんともこれでお別れだ」
村長がどこか寂しさを残す顔で夜空を見上げた。
「これにて奇蹟の夜は出来上がった。儂は用済みだな」
「そうね。牛頭、最後の仕上げをするよ。手を貸して」
背後の森に呼びかけると牛の頭を揺らした魔物が現れる。牛の角同士がぶつかり合って耳障りな音を立てた。
「……最後の仕上げ、とは何の話だ?」
村長が訝しむ。
私は牛頭が引っ張って来た魔力を借り受けて球形魔法陣を構築する。
対象は村長、彼を完全に覆うように魔力が入り乱れる。
「何の真似だ。今さら儂を殺す気か。それとも騎士団に対する人質のつもりか?」
困惑の中に緊張を含みながら村長が問い掛ける。
私の考えが心底解らないという顔だ。
「私が望む結末は情けない英雄の独りよがりな物語りなんかじゃないの。泥臭い人間が素直になる物語りが好きなのよ」
立てた人差し指を左右に振りながら私の好みを語って聞かせる。
村長は困惑を深めるばかりだ。
「何を言ってるかさっぱりだ。簡潔に言え!」
怒鳴った村長を鼻で笑う。
カーリンが蘇った時から徐々に収まり始めていた全身の痛みが再び私の精神に刃向かう。
もとより、覚悟の上。この痛みは甘んじて受けてあげるよ。
「さぁ、泥臭い奇蹟を起こしましょ」
村長を囲む球形魔法陣に手を触れて私は口を開く。
「頑張ってね」
私の励ましに村長が問い返す前に黒い炎が彼を飲む。
絶叫が木霊する。魔法陣から逃れようと黒い炎の人型になった村長は足掻く。しかし、夜闇においても主張する漆黒の炎に視界を遮られてそれは叶わない。
村長が焼けた喉で何かを叫ぶ。
人が焼ける猟奇的な臭いが漂ってきて思わず顔をしかめた。
見てるか神様。どうだ、魔王らしい所業でしょ。
「この四つ巴で笑えないのは私一人で間に合ってるのよ」
本当はお前の役割なのよ、役立たずの神様。