五十話 横槍
「ありがとな」
カーリンをベッドに運んで戻ってきたクルトが唐突に言った。
意味が分からないので私は首を傾げる。
クルトは答える前に杯を呷って空にした。
「あいつが俺以外と笑い合うなんて夢みたいだ」
あぁ、そういうこと。
彼女はクルトとしか接してこれなかったから、私と楽しくやっているのを見て彼も安心したのだろう。
村人と共に生きるカーリンを想像出来たから。
私と村人を同一視する、単純で楽観的な想像ね。
絶望的なくらいに分かっていない。
「どうかしたか?」
不安そうにクルトが訊ねてくる。
私はそれに笑った。或いは嘲った。
「何でもないよ」
今のあなたに言ってもきっと認めないでしょうしね。
頭で分かっていても、見るまで信じない。そんな人もいる。
彼は私の深意を探るように見ていた。もとより、私は見抜かれるほど浅くない。
「クルトも寝ておきなよ。私は牛頭と一杯やってから寝る」
背後の牛頭を振り返る。牛の眼が私に一瞬だけ集まって、周囲に拡散した。
魔物の再襲撃を警戒しているのだろう。
クルトは一つ頷いて空の杯を回収すると家に入った。
私もしばらくしたら寝た振りをしないといけない。
杯に水を注いで橙色の花を沈める。星屑みたいに漂ってゆったりと浮かび上がる。
寝たら悪夢を見るのだから起きている間は良い夢を見たいのに、私は何時も人の夢に付き合わされるだけだ。
私のそれは何処にあるのか。
「……牛頭は隠れて。カーリンが出て行っても寝た振りするの。分かった?」
牛頭が了解したのを確かめて私は杯の中身を地面に撒いた。
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騒がしい足音と共に玄関の扉が開かれた。
虫の音が不作法者に遮られて私は舌打ちする。
カーリンの名を呼ぶクルトの叫び声が遠ざかっていく。
この辺りにはもういないよ。
クルトの声が聞こえなくなった頃、玄関の扉が再び開かれた。
落ち着いた足音が廊下を進む。
静かに部屋へ入ってきた老人に私は目を向けた。
「村長、こんな所で油売ってる暇はないはずよ。悪役の出番は今なんだから」
村長は嫌そうな顔をしつつ私が座る椅子に歩み寄る。
「不味いことになった」
珍しく切羽詰まった顔で村長が切り出した。
私はその言葉に眉を寄せる。
計画は順調に進んでいる。後は締めくくりだけなのに何があったのか。
「騎士団がここに向かっとる」
思わず額を押さえた。
二週間以上この辺りで過ごしているから近い内に来るだろうとは考えていたけど、タイミングが悪すぎよ。
「斥候も見かけた。この村にお主が居るのも知られていると見ていい」
「最悪ね。進軍しているんでしょ?」
「あぁ、全軍で闇の中を進んでいる」
夜の森を行軍している以上、今晩中に私と一戦交える気ね。
向こうにとっては都合が良い事に、戦場は無人の村。開けた空間で私を取り囲めるという訳だ。
しかも街一つを覆う魔力感知が可能なベリンダがいる。
付近で魔法を使うだけで騎士が飛んでくるだろう。
クルトが蘇りの魔法陣を使ったら、何もかも台無し。
頭の中に無数のプランが乱立する。吟味と思考を繰り返し、一つの回答を導き出した私は立ち上がる。
「クルトと騎士団を合流させる。私がそれを相手にしている間、予定通りにーー」
私は言葉を切って深呼吸する。
組み立てたプランを見直しながら、私は村長に向き直った。
「カーリンを殺して」
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魔力を限界まで掌握して空を飛ぶ。
昼間に切り出した丸太を十本ほど持参して向かうのはクルトの所だ。
ベリンダなら私の動きを魔力で把握し、追いかけてくる。
今優先すべきはクルトをカーリンに合わせない事だ。
村長には牛頭を連れて行かせた。現状の最善手。
「……痛いんですけど」
神経を切り刻まれるような鋭い痛みが全身に走っている。
お優しい神様め、ご立派なエゴを振りまきやがって、私の計画を妨げるのか。
あんたは本当に何がしたいのよ?
歯ぎしりしたい気持ちを押さえて森の魔力を感知しながらクルトを捜す。
「見つけた……!」
人間大の物体が動くのを感知して降り立つ。
「魔王!?」
居たのは軽装ではあるものの武装した壮年の男。騎士団の斥候だった。
「ハズレか。紛らわしい!」
魔力を操り丸太で薙払う。斥候は素早く抜いた剣を盾にしたが、構っている暇はない。思い切り丸太を叩きつける。
滑稽に地面を転がっていく斥候を横目に私は再び空中に浮かぶ。
時間がない。ここまで事態がこじれるなんて想定外よ。
私に村長、クルトとカーリン、そして騎士団。
「この四つ巴、笑えないのは誰かな」
一人、愚痴をこぼした私は全力でクルトを捜すのだった。