十六話 男の名
男性は助けてくれたお礼だと言って薬草を差し出してきた。
「いらない」
「なんで!?」
毒草ではないと誰が断言できるのか、と差し出された手を押し返しながら答える。
「これは本物の薬草だ」
男性が身を乗り出してくるので、その気持ち悪い髭面を足蹴にして遠ざける。
おぉ、クリーンヒット。予想外すぎて反応が遅れたのかな。
「……助けられた手前、確かに強気ではいられないさ。しかし、いくら何でも扱いがひどくないか?」
泥の付いた顔を袖で拭いながら落ち込む男。
「得体の知れない男が近づいてきたら誰でもこうする」
それに今の私はかなり弱っている。
睡眠不足と疲労と病の三重奏が子守歌だか鎮魂歌だかを延々と演じている状態だ。
どうでもいい他人に猫を被って接する体力は残ってない。
「早く行きなよ。その髭面はうっとうしい」
手で虫を払う仕草をして消えろと伝える。
これだけ邪険に扱えばどこかへ行くと思っていた私は男が胡座をかいて座り込んだのを見てもう一度蹴ってやろうと足を持ち上げる。
「ちょっ、ちょっと待った」
両手をあげて制止されたくらいで私が止まるはずもない。
迫る私の足に恐れをなして男は座ったまま後退し足が届かない距離まで逃げた。
「目障りなんだけど」
「魔物がうじゃうじゃと徘徊している森に病人の女の子を一人で置いていけるものか」
その『病人の女の子』に命を救われた癖にどの口がほざく。
言い返すのも億劫だから無視して、私は喉の渇きを癒やすべく水を取り出した。
木を魔法でくり抜いて成形した水筒から冷たい水が喉に流れ込む。
以前、魔法で出した水を飲んだこともあったけど、集中が切れると水の魔力に戻ってしまうので意味がなかった。それ以来、持ち歩いている水筒だ。
ほっと一息。
長くは居られないけど少し休もう。さっきまでの私はどうかしていた。
気が急くばかりに体にむち打って状況を悪化させるなんてらしくない。
追いつかれるのが怖いなら準備しておけばいい。
そうと決まれば策を練ろうと私はまぶたを閉じた。
ところが髭面が両手を打ち合わせて静寂をぶち破る。
「そうだ! 自己紹介がまだだったな。俺はオイゲンってんだ」
……何それ、トリビア?
人がのんびりと木の葉のざわめきに耳を傾けて頭を使おうとしているのに空気読みなよ。
「君は?」
会話の糸口をつかもうと躍起なのがよく分かる。
けれど、私は口を開かなかった。
この世界からすれば私の名前はあまりにも異国情緒に溢れている。魔王と即座にバレる事はないにしろ、違和感は覚えるだろう。
危ない橋は渡らない方がいい。
李下に冠を正さず、瓜田に沓を履かずとも言うし。
そんな訳で私は名乗らない。偽名も考えたけれど、ベリンダしか参考資料がないので却下。
「……君の名前は?」
私が沈黙を守るので不安になったらしく、オイゲンの声は震えている。
私が長い沈黙と冷ややかな視線を返し続けると、オイゲンの動揺が大きくなっていく。
「す、すみませんでした」
ついに耐えられなくなったオイゲンが頭を下げる。
「別に悪い事してないのに謝るなんて変な人」
「君がそれを言うのか!?」
オイゲンが地面を叩いて怒鳴る。
感情の起伏が激しい男だ。
「ところで、オイゲンはこんな森で何してるの?」
強引に話を変えると、不貞腐れたオイゲンが黙りを決め込んだ。
意趣返しのつもりだろうけど、静かにしてくれるならそれに越した事はない。
私は不意に出た欠伸をかみ殺して伸びをする。
頭上を仰いで木の葉の緑に太陽光を透かし見る。風に揺れる緑一色の万華鏡。
腹が立つくらい綺麗な世界だ。
「錯覚って残酷だね」
オイゲンが首を傾げる気配に笑いをこらえて立ち上がる。
まだ熱もあるし体の動きも鈍いけど、錯覚を楽しむ余裕があるなら大丈夫だ。
歩き出した私の右にオイゲンが並ぶ。
この胡散臭い男を連れて歩くのは気が進まないけど、私の姿を見られた以上は放置するより近くにおいた方がいい。
私を護衛にしようという思惑が手に取るように分かるのでかなり不愉快だけど、我慢しよう。
ちゃんと使い道も考えてある。
「オイゲン」
「なんだ?」
「魔物に会ったら囮にするから」
大の男一人を差し出せば魔物の背に乗せて貰えるかもしれない。我ながら良い案だ。
横目に様子を窺うとオイゲンの頬が引き吊っていた。




