十五話 病
白い樹皮の広葉樹に囲まれた池の縁にしゃがみ込む。風に立つ波紋の下に白い水底がのぞいていた。
「この場所はある魔法がかかっているのさ。俺はそれが発動するのを待つつもりだ」
そう言って男は岩に腰を落ち着けた。
水面に映る彼の姿を僅かな波が揺らすのを見つめながら私は訊ねる。
「どんな魔法?」
「大したものではないさ。俺の自己満足を満たす程度が精一杯のつまらん魔法だよ」
答える気はない、か。
周りを眺めても魔法陣や魔法具の類は見あたらない。
どんな成分によるものか、暗緑色の草の合間に見える土は灰白色。この世界にくる直前の白い空間を思い出して気分が悪くなった。
「おい、また顔色が悪いぞ」
男が心配そうに言うのに私はさも具合が悪い風を装って弱々しく微笑んだ。
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ベリンダの街を出てから四日が経った頃、私は熱を出してまともに動けなくなった。
泥水の中を進むように体の動きが鈍く、視界が濁る。熱に浮かされた頭が考えることを放棄している。
街を後にしてから騎士団を引き離すために夜通しで二日も歩き続けて、休息を取ろうとしたところで狼の群に出くわした。
雨に打たれながら狼の群と命のやり取りをして体が冷えたのが体調を崩した原因だろう。
私の計画通りならベリンダは騎士団に入っている。
彼女の策敵範囲に引っかかったら正義の仮面を被った死に神がお迎えにくる。
だからどんなに体が上手く動かなくとも立ち止まれない。見つかったら容赦なく殺されるだろう。
もしこのまま死んだらとふと思う。
地獄はこの世界よりきっと上等で素晴らしい場所だ。
疑われる事が当然で信頼が成立し得ない場所。この世界も同じなのに、こうも住み心地が悪いのは中途半端に誰かを求める輩がいるせいだ。
木にもたれ掛かって息を整える。力が抜けそうな膝を叱咤してみてもズルズルと地面にへたり込む。
なんという事でしょう。魔王の天敵は病魔だったのです。
……なんて笑えない一人ナレーション。
咳に邪魔されて息が続かない、本格的に臨終の日は近い。
そんな有様だからか、周囲への警戒が大分緩んでいたらしい。
「ーー逃げろ!」
声と共に飛び出してきたのは無精ひげを生やした壮年の男性だった。
逃げろというからには追いかけている者がいるのだろうと男性の後ろに目を凝らす。
「うわぁ……。」
見なかったことにしたい。
男性を追いかけて木々の合間を縫ってくるのは、ヌメヌメした二胴一首のナメクジだった。しかも桃色に緑の縦線が入った刺激的な色合い。
どこのおばさんの頭ですか?
「何してる!? 君も早く逃げろ!!」
そんなこと言われても身動きできる状態じゃないし、魔物なら私に害はない。
とはいえ、魔物と私の関係を知るはずもなく、焦った男性は動こうとしない私の腕を掴んで走り出そうとする。
走ったら体調が悪化すること請け合いなので魔物を殺すことに決め、火の魔力をナメクジに集める。
軟体動物にあるまじき力強さで迫るナメクジを赤い魔力が包んだのを見届けて着火、近くにあった木の表面が一瞬で灰になるほどの強烈な火で炙る。
軟体動物なら水分を飛ばせば倒せるだろうと遠慮無くやってしまったのだけど、水分以前の問題で焼け死んだようだ。ナメクジの表面が水膨れのようになっている。
山火事になって騎士団に居場所がバレるのは嫌なので水の魔法で消化する。
まったく、今にも行き倒れそうなのに酷いとばっちり。
「はぁ」
咳の合間を見計らって深呼吸する。
「だ、大丈夫か?」
小動物のようにナメクジを警戒しながらおじさんが訊いてくる。
「主語を入れなよ。ナメクジは死んでる。私は死にかけ」
「えっ? お、おい怪我をしてるのか!? それとも病か!?」
「うるさい」
狼狽えるおじさんを睨みつける。私に触れようとした手をはねのけるとおじさんは輪を掛けて騒がしくなる。
「その様子は尋常じゃない! 何か変なものでも食べたのか? それともーーひっ!!」
あまりにも騒がしいおじさんを火の輪で囲むと短い悲鳴をあげて押し黙った。
「うるさいって言ったの。耳が飾りか頭が飾りか知らないけど次騒いだらそのご立派な飾りごと吹き飛ばしーーげほっ」
咳き込む私に右往左往するおじさん、どちらも格好悪い事この上ない。
自嘲して木に覆われた空を見上げる。
小鳥が私達に笑い声を残してどこかへ飛び立っていった。




