第八話「お盆は、夜灯便利社で。」
八月上旬。日差しや暑さが本格的になり、夕方でもアスファルトがじりじりと焼けていく。碧は自宅から便利社へ行くだけでもヘトヘトになっていた。
ガラガラ
便利社の引き戸を開けて中に入ると、いつものように橙也が小説を読んでいる。扇風機の音と、橙也がページをめくる音だけがその空間に響いていた。
「おかえり」
「ただいま。暑くないですか?」
「うん。ここは結構涼しいし。リビングの冷房も届くしね」
「へぇ…」
言われてみれば、涼しい気もするな。と思いながら碧は靴を脱ぎ、洗面台で手を洗う。目に入るのは、青と緑の歯ブラシスタンドと、そこに入っている二つの歯ブラシ。いつもあるそれが気になって、碧は橙也に聞いてみた。
「橙也さんはここに住んでるんですか?」
「うん。そう。二階に部屋があるよ」
「陽介さんの部屋も?」
「ん?いや。陽介はここに通ってるだけで、住んではないかな。自分の家で起きて仕事してからここに来てるよ」
「え?」
碧はその言葉で、歯ブラシより陽介の生活リズムが気になった。首をかしげながら床を見つめて考えていると、ガラガラと扉が開く音が聞こえる。パッと顔を上げて引き戸を見ると、入ってきた陽介の耳がピンっと立つのが見えた。
「あ!碧くん!早いですね」
「陽介さんおかえりなさい。今、陽介さんの話をしてたんですけど」
「ん?なんだろ」
陽介は本を読んでいる橙也に「ただいま」と言いながら靴を脱ぎ、洗面台で手を洗ってキッチンへ移動した。碧は陽介の傍まで行って質問をする。
「陽介さん、お仕事なにしてるんですか?」
「不動産会社の社員ですよ」
「ここは?ダブルワークですか?」
「ううん。ボランティアっていうか、俺が好きで来てるんだよ。昔、ここにはお世話になったから」
「…ここに住んでないんですよね?」
「そうだよ。あ、時々泊まりますけど」
陽介は碧がする質問に淡々と答えながら、キッチンで野菜や肉を切りわけ、ジップロックに入れてから冷蔵室や冷凍室に入れていく。
「…陽介さん何時に寝て何時に起きてるんですか?」
「えーっと、起きるのは9時です。不動産会社は10時から大体18時前後ですね。そこからここにきて26時過ぎに家に帰って寝てます」
「てっきり俺、ここに住んでるものだと思ってました。歯ブラシも二本あるし」
「時々泊まるので置かせてもらってるんです」
「歯ブラシスタンド、おそろいなんですね」
「ん?あー、そのスタンドは俺のじゃなくて、前ここに住んでた人のですよ」
「…住んでた人?…ってことは橙也さんと一緒にその人がここに住んでたんですか?」
「そう」
陽介は動かしていた手を止めて、フッと笑った。でもその笑みはどこか寂しそうで、碧はまた少し首をかしげる。聞いていい話かどうか分からなくなって、次の言葉が出てこない。
碧がどうしようか悩んでいると、橙也がリビングへやってきて、碧の頭をポンっと撫でた。
「ご飯食べたら庭で送り火しよう」
「え、あ…はい。俺も一緒でいいんですか?」
「もうそんな時期なんですね」
誰の送り火だろう。碧は考えながら陽介の手伝いをし、3人でご飯を食べた。いつも通りの食卓が、今日はどこか寂しく感じて、碧は本当にこの場にいていいのかが分からなくなっていた。
庭に出ると、辺りはもう暗くなりはじめ、どこからか木などを焼く匂いがする。近所のどこかも送り火をしているようだった。
橙也や陽介が慣れた手つきで準備を始める。お皿のような物に細い木のようなものをくべていく。きっとこれらにも名前があるのだろうが、碧は知らない。橙也に聞いても「そういうもん」と片付けられそうだった。
橙也が火をつける。細長い木が燃えていく。パチパチと火の粉が灯り、煙が空へと上っていった。橙也と陽介が手を合わせたので、碧も一緒に手を合わせる。誰に、何を思っているのかが分からなかったが、心の中で『ここでアルバイトしてる碧です』とつぶやいた。
「…元々、ここで働いてた奴なんだよ」
橙也がポツリとつぶやく。
「…もしかして、住んでた人、ですか?」
先ほど陽介と話した内容に出てきた人かもしれないと思った。橙也とおそろいの歯ブラシスタンドを使っていた、便利社で働いて住んでいた人。
「そう。5年前に事故で亡くなったんだよ。明里さん」
「あかり、さん」
陽介が口にした『明里』と聞いて、碧はあることに気づいた。
「…この便利社って、橙也さんと明里さんがつくったんですか?」
「そうだけど、なんで分かった?」
「はじめは、夜灯便利社の『やとう』が橙也さんの『とうや』を崩したのかなって思ってたんですけど、『明里さん』って聞いて、もしかすると『灯』に文字を変換してつけたんじゃないかって」
その答えに橙也と陽介は顔を見合わせて笑った。
「すごいですね碧くん!明里さんが思い描いて名前つけた理由そのままだ!!」
「伝わる奴いるんだな…」
「え、正解ですか?」
「そう!正解!」
パチパチと陽介が拍手をして嬉しそうに笑っている。橙也はフッと微笑んで、
「明里、俺の婚約者だったんだよ。あのたくさんの本も、明里のだ」
その言葉に、碧は頭の中で何かがつながっていく。土間にあるたくさんの本。あの状態になったのが5年前。橙也さんが読み始めたのが3年前。本の中にあった葉脈標本の栞。橙也は5年間、明里の残したものと過ごしてきたのだ。と。
「…そう、だったんですね」
送り火がまだ燃え続け、煙が絶え間なく上がる。碧はもう一度手を合わせて『橙也さんと陽介さん、元気ですよ。大丈夫ですよ』と心の中でつぶやく。なにが大丈夫なのかは分からなかったが、碧は明里に伝えなければ。と思ったらしい。
「…やっぱり送り火ってしんみりしちゃいますよね。これ燃え終わったらスイカ食べましょ。三毛猫のおばあちゃんにもらったんですよ」
陽介がニコニコしながら言う。橙也はパンッと膝に手を置きながら立ち上がる。「スイカ取ってくる」と庭から室内へと戻っていった。
「…橙也さん、まだ明里さんのこと…」
「ん?あぁ。多少なりともあるでしょうけど、もうずいぶん前に吹っ切れてますよ。明里さんの本を読み始めたのも、その影響だし」
「そう、なんですね…」
橙也が切られたスイカを持って帰ってきた。それぞれにスイカを手渡す。
一口囓ると甘い汁が口の中でいっぱいになった。種が口の中で右往左往している。碧は種の手のひらに出して皿の上にのせた。
しばらくすると送り火の煙も静まり、スイカも皮だけになったところで橙也がつぶやく。
「ごめんな、急に送り火一緒にさせて」
「いえ、むしろありがとうございます。教えてくれて。…来年も一緒にしていいですか?」
碧の言葉に橙也は一瞬目を見開くが、フッと笑って碧の頭を撫でる。
「うん。ありがとう」
来年は明里さんに何を報告しよう。碧はそう考えながら、橙也たちと一緒に便利社へと入っていた。外では星と月が微笑むように輝きだしていた。




