第一話「ごはんは、夜灯便利社で。」
「じゃーなー」
「うん、また明日」
手を振って友人と別れる。光の角度で藍色にも見えるやわらかい髪の毛が、桜と一緒にふわりと揺れた。大学を出てすぐの駅へ向かい、いつもの電車へ乗った。変わらない毎日。変わらない風景。帰って誰もいない家でご飯を食べる。それが葉山 碧、大学2年生の日常だった。親がいないわけではない。ただ生活リズムがずれているだけで一緒にご飯を食べられない。それだけだ。
ふと、電車内の広告に目が行く。『探偵』『病院』『弁護士』『代行社』『塾』様々な広告がある中で、碧は思う。「誰か一緒にご飯を食べてくれる人はいないだろうか」と。スマホを取り出し、『ごはん』『一緒』『食べてくれる人』と入力する。入力しながら、なんだかバカみたいだ。と思いながら検索をした。ごはんを一緒に食べてくれるマッチングサービスがヒットする。なんだか違う気がした。検索画面をスクロールしながら電車を降りる。
スマホをポケットに入れて歩き出した。いつもの階段を上り、改札を出て、自宅がある右側の道へ歩みを進める。アパートの階段を上って2階の突き当り。
ガチャ
鍵を開け、ドアを引く。誰もいない家。いつからか、誰もいない空間に「ただいま」というのがしっくりこなくて何も言わなくなった。しゃべる相手がいないと声を発するのを忘れてしまいそうになる。
鞄を自室へ放り込み、手を洗ったところで検索の途中だったことを思い出す。手を拭いてスマホを出した。ソファに座りながらまた検索欄を見る。
――『夜灯便利社』
の文字が目に留まる。下の小さい文字には「夜だけ開く、小さな便利屋。困りごとなら何でも引き受けます。探し物も。人探しも。深夜の引っ越しも。誰にも言えない悩みも。帰る場所をなくした人の居場所探しも」と書いてあった。なぜだか惹かれる。太文字をタップしてサイトを開く。そこには「夜行便利社」と先ほどの文章がもう一度書いてあった。あとは営業時間と住所だけ。たったそれだけのサイトだった。
「18時から26時…」
今時刻は19時30分を過ぎたところ。住所も歩いて行ける距離。外観だけでも見に行こう。とソファから立ちあがり、貴重品をショルダーバッグに入れ、脱いだ靴を履いて家を出た。いつも同じ道を歩いていたからか、違う道はなんだか新鮮で。こんなところに公園。ここにオシャレなカフェがある。キョロキョロしながら歩みを進め、時々スマホで位置情報を確認する。
「ここ、だ」
住宅街の一軒家。建物の外壁に蔦が這っている、少し古くてなんだか懐かしい外観。敷地内の入り口には『夜灯便利社19:00~26:00』の看板と、小さな灯り。建物の入り口は木枠に大きなガラスがはめ込まれた引き戸。「ガラガラ」と大きな音がなりそうだな。と思いながら敷地内に踏み込んだ。ここまで来て悩む。こんな小さな悩みで頼っていいものか…。引き戸に手をやったまま固まってしまった。生まれつきある左目下の淡い青色の痣を少し撫でる。触ってもどこにあるのかわからない痣だが、昔から悩むときに触る癖が抜けない。
「…よし」
小さく意気込んで戸を引く。思った通り重たい。ガラ。ガラガラ。大きな音が鳴った。中では本棚を背にして椅子に座り、本を読んでいる男性がいた。
「いらっしゃい」
本から目を離さず。一言だけ。黒のスラックスに黒いTシャツ。黒の長いカーディガンを羽織っている。足元はスリッパ。きれい目というよりはダル着に近かった。黒くて長い前髪で表情が見えない。碧はどうしたらいいのか分からず引き戸の所で立ち止まっていた。
その様子を感じ取ったのか、奥から誰かが出てくる。
「あ…」
碧の小さな声が漏れる。灰色の髪の上に同じ色の獣耳とフサフサした尻尾。獣人。珍しくはない。決して。ただ、碧の親しい友人や知人にいないだけのことだった。
「橙也さん、お客さんじゃないですか。何してるんです?」
本を読んでいる男性は「橙也」というらしい。その橙也がやっと顔を上げ、本を閉じた。前髪で少し隠れた眠そうな目がこちらを見ている。
「えっと…ここ、夜灯便利社さん、ですよね?」
「うん。そうだよ」
「もう、橙也さん。こちらどうぞ。靴を脱いできてくださいね」
獣人の彼が案内をする。碧は靴を脱ぎそろえてスリッパを履き、招かれた場所へと進んだ。ごはんのいい匂いが部屋に漂っている。
大きなソファに橙也が。向かいのソファに碧が座る。陽介はキッチンでお茶を注いでいた。
「俺は雨宮 橙也」
「橘 陽介です」
「…あ、葉山碧です。大学2年生、です」
「…それで?どうしたの?」
「あ…えっと、ごはんを、一緒に食べて…ほしくて…」
言いながら恥ずかしくなった。碧は下唇を少し噛んでうつむく。目の前にコトリと温かい紅茶が置かれた。パッと顔を上げると、それを置いてくれた陽介と目が合った。にこりと笑っている。
「…そう。じゃあ食べよう」
「…え?」
「陽介、今日のご飯何?」
「今日は唐揚げですよ」
陽介はキッチンでエプロンをつけて料理をしていた。すでに何個か唐揚げが揚がっている。
「あ、あの」
「ん?」
「えっと…いいんですか?」
「いいもなにも。そういう依頼でしょ。食べようよ。陽介のご飯おいしいよ」
そこからはすぐに事が運んだ。テーブルの上に白ご飯、唐揚げ、サラダ、スープが並ぶ。三人分。橙也が「いただきます」と手を合わせると、陽介も「いただきます」と食べ始めた。
「い、ただきます」
唐揚げを一口。ジュワッと油が広がって、ニンニクと醤油のうま味が口いっぱいに広がった。
「おいしい…」
ボソリと声が漏れる。陽介が「よかった」とほほ笑んでいた。橙也は黙々と食べ進める。碧は食べながら目元がうるんでいた。温かいご飯はいつぶりだろう。誰かと食べるご飯がこんなにも暖かくておいしいだなんて。
食べ終わると各々流し場に食器を持って行った。碧も食器を持っていく。
「あの、手伝います」
「ん?ああ、いいのいいの。碧くんはゆっくりしててください」
陽介の尻尾がふわりと動いた。碧は橙也がいるところへ行く。
橙也は何も言わない。ただ、そこに座っているだけだった。碧が口を開く
「俺、母子家庭で…。母親は夜勤の看護師をしているので中々会えなくて」
少しずつ話し始めた。碧が帰ってくる頃に母親が家を出て、母親が帰って寝ているところに碧が起きて学校の準備をする。そうなると食事も孤食となる。母親と仲が悪いわけではない。ただ、碧は誰かと一緒にご飯が食べたい。それだけだった。
「変、ですよね。こんな依頼…」
「…どこが?いいじゃん。みんなでごはん。またいつでもおいでよ」
「え…?」
「ご飯食べるのに理由いる?」
「…じゃあ、また来ます。…あ、お金」
「ん?いいのいいの。うちのご飯のついでだし」
「え、いや、材料費とか…」
「いいから。ね?」
「じゃあ…はい。ありがとうございます」
碧が立ち上がる。先ほど靴を脱いだところまで歩いた。
「あれ?碧くんもう帰るんですか?」
「あ、はい。ごはん、ごちそうさまでした」
「またいつでも来てくださいね」
橙也と同じことを言っている。横で橙也もヒラヒラと手を振っていた。碧は軽く会釈して店を出る。引き戸のガラガラという重たい音が、住宅街に響いて消えた。
碧の足取りは軽かった。「おいしかった」「いい人たちだった」「また来てもいいといってくれた」それだけで、碧の胸はいっぱいになる。気づけばもう自宅についていた。扉を開ける。いつも暗いはずのリビングに電気がついていた。
「あれ…?」
中には母がいた
「あ。おかえり。今日書類出すだけだったの。ごはん、食べた?」
「…うん。優しい人たちと唐揚げ、食べてきた」
「え、いいなぁ唐揚げ」
「またおいでって。言ってくれた」
「…そう」
嬉しそうにする碧をみて、母は自然と笑顔になる。深くは聞かない。碧がいいのならそれでいい。
「今度、唐揚げ作ろっか。二人で」
母の提案に碧がうなずく。春の柔らかい風が、窓から通り抜けて二人を優しく包み込んだ。




